みつ
「彦四郎様」
夢の中で声がした。
冷たい手が彦四郎の額に当てられ、彦四郎の顔を覗き込む人の顔がぼやけて見えた。
「およう、会いにきてくれたのか」
彦四郎はその手を取って握り締めた。
冷たいと思っていた手は温かく、とても柔らかかった。
昔、彦四郎が小さかった頃に、つないでくれた母の手のように優しい手だった。
人の手はこんなににも温かいものなのか、彦四郎は思った。
彦四郎の手を握り返した手の力強さに、彦四郎は安心して静かに目を閉じた。
*
眩しくて目が覚めた。
味噌汁の香ばしい匂いがしている
幸せな気分で目覚めた彦四郎は、まだ夢の続きを見ているのだと思った。
土間の方で物音がして、人の気配がする。
首をうごかすと、額にのっていた手ぬぐいが落ちた。
「あっ」
彦四郎は声を上げた。
「お目覚めですか? 彦四郎様」
振り向いた顔に見覚えがあった。
「まさか・・」
彦四郎は床から体を起こして言った。
体が軽くなっていた。素早く起きられたことに、自分のことながら驚いた。
「どうですか? 体の具合は?」
明るい声の主が言った。
唖然とする彦四郎に、微笑みながら土間にあがってきた女は彦四郎の額に手を当てた。
「熱は下がったようですね。薬がきいたようです」
「みつどの・・・、なぜ・・・」
彦四郎は、事の次第がわからず、まだ夢を見ているようだった。
にこやかに微笑むこの人の名はみつという。
みつと彦四郎は幼少のころからの知り合いで、幼なじみだった。
みつと彦四郎の屋敷は隣り合わせで古くから親交があり、父親同士も同じ藩に仕えていたこともあって、家族ぐるみの親しい間柄であった。
彦四郎とみつは年が近く、いつも仲良く遊んだ。
そんな二人を見て親たちは、二人を一緒にさせようかなどと笑って話した。
幼い二人もその気になって、いつか一緒になろうと誓い合ったものだ。
だが、年頃になると美しく育ったみつには良縁話しが多く持ち上がり、みつの家の事情もあって、彦四郎との縁も続かないように思えた。
彦四郎は屋敷を出て、知り合いの旗本の家来となり、それ以来ずいぶんみつと会っていなかったのだ。
「なぜ、こんなところに居るのですか?」
彦四郎の問いにみつはふふっと笑った。
「あなたに会いにきたのです」
みつが彦四郎の肩に羽織りをかけながら言った。
「しかし、みつどの、嫁がれたのでは?」
「いいえ、私はどこにも。ずっと一人です」
みつはまたふふふっと笑った。
「それにしても、彦四郎様は幼い頃と変わりませんね。あの頃もよく熱を出されていました」
「そうだったかな」
ふたりは一緒に笑った。
「でも、どうして急にここへ?」
彦四郎が問うた。
「私、夢を見たのです」
みつが真面目な顔で答えた。
「夢の中で、私は白い着物を着て、宙に浮いておりました。そして、熱でうなされている彦四郎様を見下ろしていました。下に降りて、彦四郎様の頬を撫でようとしましたが、なぜか私の手は彦四郎様の頬を通り抜けて触れることができません。私は悲しくなって涙をこぼしました。でも、不思議な感じでした。自分であって、自分でないような。そこで目が覚めたのです」
彦四郎は小さくうなずいた。
「私は朝になるのを待って、家を出ました。彦四郎様のことが心配でした。来てみると彦四郎様は本当に熱を出されて苦しんでおられました」
そこまで話してみつは一息ついた。
「でも、よかったです。熱が下がって。もう少し遅ければ大変なことになっていたかもしれません」
みつがにっこりと笑った。
「あっ、お味噌汁が煮詰まってしまいます。召し上がるでしょう?」
「ああ、頂こう」
彦四郎が微笑むとみつはいそいそと土間に向かった。
(おようだ。おようがみつどにおれのことを知らせてくれたのだ。おようはおれに会いにきてくれていたのだ。こんなおれに・・・)
「さあ、たくさん食べてください」
みつがあたたかいお椀を手渡して言った。
「うまいです。みつどの」
味噌汁をすすって彦四郎が言った。
箸を持つ手が震え、彦四郎の涙が味噌汁にぽとっと落ちた。




