4th
16時半からスタートした夜勤は、特にトラブルもなく進行していた。午前0時からと午前2時から2回の休憩時間があり、いずれかに分かれて休憩をとる。4人体制の夜勤で、裕也は綾春と2時からの休憩に入った。仮眠室もあるので、仮眠をとる者も多い。仮眠室には2段ベッドが置いてあり、裕也が下で綾春が上の段で仮眠をとることになった。
「一緒に寝る?」
「寝ない。」
裕也は即答し、側のテーブルに眼鏡を置いて横になった。
“もしかして男が好きとか?”何度この言葉を思い出したことだろう。あのとき何も言えなかったことも、体が反応してしまったことも、きっと忘れることはない。綾春に好きな人がいることを知って、その記憶がまた蘇ってきていた。
「大丈夫、バレない、大丈夫。」
裕也は声を出さず、呪文のように唱えた。ゲイということを勘づかれているのは仕方ないとしても、綾春に好意をよせていることだけは気づかれたくない。とにかく今は仮眠をとろうと、目を瞑った。
「裕也、起きろよ時間だぞ。」
綾春に声をかけられ、裕也はハッと目を覚ました。慌ててベッドから降りるが、覚醒が不十分なためか足元がおぼつかない。
「おい、眼鏡忘れてる。」
仮眠室を出ようとする裕也に、綾春が声をかける。裸眼の視力が0.1以下の裕也は不明瞭な視界ということに気づき、ようやく目も覚めてきた。しかし向き直って眼鏡を取りに行こうとしたとき、電気コードに足をひっかけて体勢を崩してしまう。そのまま近くにいた綾春に接触し、軽く受け止められた。
「あ、ごめん。ひっかかっ……て、えっ、わっ!?」
裕也がすぐに体を離そうとすると、逆に綾春に引っ張られて抱きしめられた。その瞬間眠気が一気に吹っ飛び、何が起きているのか訳が分からなくなる。上を向くと、角度的にも距離的にもキスされそうな勢いだ。しかし口ではなく耳元で「ごめん。」とささやかれ、突き放された。
「ほら、眼鏡。」
綾春は何事もなかったかのように眼鏡を取って、裕也に手渡す。
「あ、ありがとう。あの……」
そう言いかけたが、綾春は振り返ることなく部屋を出て行った。
午前4時から業務が再開されると、息つく間もなく時間が過ぎていく。ふとしたときに綾春の姿が目に入ったが、普段と全く変わらない様子で淡々と業務をこなしていた。
「おい、何見てんだ。抗生剤いったか?」
「いま準備してます。見てねえ。」
「その割に目が合うな?ついでに尿出てるかも、見とけよ。」
いつもと同じ様子で会話しているが、どういうつもりなのか問い詰めたい気持ちでいっぱいだ。あんなふうに抱きしめられると、綾春の好きな人とはもしかして自分ではないかと期待してしまいそうになる。
その後も慌ただしく仕事をこなし、記録、申し送りをしてようやく夜勤を終えた。
「裕也、明日のライブどうする?行く?」
更衣室で、綾春が声をかけてきた。
「あ、RGPもゲストで追加されたやつ明日か。チケット取り置きできたら、行くと思う。」
「じゃあ俺も行くから、一緒に行こ。」
「おっけー。じゃ俺よーた君にリプ送って、2枚取り置きお願いしとくわ。」
2人がともに好きなバンドだ。Twitterでメンバーにリプライを送って、チケットの取り置きができる。
「新曲聴きてえ!」
「前のライブではまだ解禁してなかったから、どうかな。」
そのままバンドの話で盛り上がり、結局綾春には何も聞けないまま帰宅の途についた。
翌日、2人は駅で待ち合わせてライブ会場に入った。間もなくしてライブが始まるとRGPは1番手で、会場が熱気に包まれていく。2人も周りのファンと一緒に手を挙げ、ときには頭を振ってライブを楽しんだ。RGPの出番が終わってからも、客はジャンプして押してステップ踏んでと、大きな盛り上がりを見せる。そのうちモッシュが始まり、体をぶつけ合ったりもみ合ったりと、激しさを増していった。フロアの前の方は抜けることも困難なほど人で埋めつくされ、裕也はそのなかで徐々に気分が悪くなってしまう。
「ちょっと無理、抜けたい……。」
声を振り絞って出すと、綾春が腕を引っ張り、人の波をかきわけて集団の外に出られた。そして壁側に裕也を連れて行き、声をかける。
「待ってろ、水もらってくるわ。」
裕也は壁にもたれて、ずるずるとしゃがみこんだ。周りはそんなことには目もくれず、ステージに夢中である。すぐに綾春が戻ってきて、水を渡した。
「ほら、飲めるか。」
「ありがと。」
「もう帰る?」
「いや、少し休んだら大丈夫。ここから見てるし。」
裕也は1人でも大丈夫だと伝えたが、綾春は側を離れなかった。
しばらく休んでいると気分の悪さも解消され、立ち上がれそうである。横に立つ綾春も気がついて、覗き込んできた。
「大丈夫か?」
「ああ、もう平気。ごめんな途中で。」
「あのさ。」
「うん、なに。」
演奏と歓声がとびかう空間で、交わされる会話。
「俺、裕也のことが好きだ。」
綾春の言葉に、一瞬周りの音が聞こえなくなる。
「好きな人って、裕也のことなんだ。俺と付き合ってほしい。」
「う、嬉しいけど。綾春は、普通に女の子好きじゃん。なんで。てか、なんで今、この状況で言うし。」
「よーた君の歌に、背中を押された。」
「……全然うまいこと言ってないから。」
「俺の告白は、絶対うまくいくって言ってもらえたし。男も女も関係ないだろ、好きになった奴の性別が男ってだけだ。」
「俺、ゲイだよ。」
「知ってる。」
そう言って、綾春は裕也を抱きしめた。どこか懐かしく、心が満たされる感覚だ。熱気あふれるなか暑苦しいはずなのに、幼い頃と同じぬくもりを感じる。一度離れたものの、きっとあの頃から始まっていた2人の関係が、また始まるのだと思えた。
ライブ終了後、バーカウンターでドリンクを飲んでいると、綾春がニコニコしながら話しだした。
「家だったら、あのまま押し倒したんだけど。このあと家来ない?」
「押し……!?きょ、今日は来ない。」
「来ない(笑)。じゃ、次のお楽しみにしとく。物販はどうする。」
「並ぶ、ていうかサインが欲しい。今日は。」
裕也は普段あまりサインしてもらうことはないが、この日はすごく特別な日になったのもあり、記念が欲しくなったのだ。物販スペースでメンバーに日付け入りのサインを書いてもらい、会場を後にした。