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始まりのぬくもり  作者: いとすく
1/5

1st

いわゆる女の職場に足を踏み入れた26歳の春、2回目の新社会人としての生活が始まった。

「T専門学校出身の葉山裕也です。よろしくお願いします。」

整形外科に配属された裕也は、そう言って軽く会釈した。

「葉山くんのプリセプターは松田さんにお願いするわね。」と師長が話し始める。

裕也は大学を卒業して入社した会社を3カ月で退職し、看護学校に進学した。この春に卒業して就いた職業、それは看護師である。

プリセプターとは1年目を指導する者のことで、一般的に3年目の人間が担当する。指導することは3年目の課題でもあり、共に成長しステップアップをはかる。

「松田涼子です。よろしくね。」と自己紹介してきた女は、瞼が窪み法令線も目につくレベルの風貌だ。

もし人類をポーカーフェイスできる人とできない人で分けるとしたら、涼子は間違いなく後者だ。

頬を赤らめ視点が定まっていないため、涼子が自分を意識していることを裕也は難なく感じ取った。

「私社会人から看護師になったからこれでも3年目なの、おばさんでごめんね。」

「えっそうですか?でも20代ですよね?俺とそんなにかわらないんじゃないですかね。」

「ううん30代だから(笑)。」

「あ、そうなんですか。全然見えないし、30代って俺は若い認識なんでいいと思います。」

裕也は本当に思っていることと間逆のことを言った。涼子を見ると、口角が上がり嬉しさを隠せない様子だ。

周りを見渡すと同期にもそれぞれプリセプターがついており、外見からして現役3年目といったところである。

同期は裕也を除いて3人、全員女で現役のため年下である。

このメンツからすると妥当な組み合わせってところかと納得し、特に不満もない。女などどうでもいいからだ。

この病棟には裕也を除いて男性看護師が2人おり、そのうち1人は同い年らしい。ナースステーションにいると、同い年ではない方の男が話しかけてきた。

「宮川だ。男は俺と、あと夜勤で来る奴なんだけどもう1人いる。プリセプに相談しにくいことあったら、なんでも言ってくれていいからな。」

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

宮川はがっしりした体格で、見るからに体育会系だが優しそうな笑顔を見せている。裕也は話しやすそうな人でよかったとホッとし、初日の業務を淡々とこなしていった。


15時半を過ぎたころ、その日の夜勤の人間が出勤し始めた。そういえばもう1人男の看護師がいるんだよなと思ったとき、その男が裕也の前に現れた。

「お、もしかして新人君?」

「はい。葉山裕也と言います。あの俺も26歳で、社会人出身なんですけど同い年って聞いてて。よろしくお願いします。」

「同い年?まじか(笑)平井綾春です、よろしく!」

「あやはる?」

「ん?ああ珍しい名前のほうかもな。」

「いや、昔同級生に同じ名前の奴がいて……」

「は?まじかよ!え、ちょっと待って。小学校んときじゃね、裕也っていたわ。小1小2のころ遊んでたよな。小3になる前に引っ越したんだっけ。」

綾春のテンションと対比して、裕也は凍りついていた。

「いやあの……。」

言葉が出てこず、自覚できるほどぎこちない愛想笑いを返して足早にその場を立ち去る。

自分をどちらかと言えばポーカーフェイスできる方の人間だと思っていた裕也は、自身を見失うほど動揺していた。


裕也と綾春が初めて会ったのは、小学1年生のときのことである。

同じ団地に裕也が引っ越してきたのを機に2人はすぐ友だちになり、放課後はいつも一緒に遊んでいた。

どちらから言い出したのかは覚えていないが、あるとき2人は毎日のようにキスをするようになった。テレビドラマなどでキスやセックスということを認識し始めた時期でもあり、興味をもっていたこともあるだろう。

気づけばそういうことをする関係になっていた、そうとしか言いようがない。

そこから2人は上半身裸になりお互いの身体を触りあうようなるわけだが、いつも綾春の方からだったということだけは覚えている。

好きだとか恋だとかそんな感情があったのか、今でもよくわからないままだ。

ただ子どもながらに、キスしたり裸で抱きあったりすることにドキドキしていた。


「嘘だろなんであいつがいるんだよ、なんであいつが。」

思わずそう呟き、脳裏に幼いころの記憶がよみがえる。

大人になれば笑い話にできるような過去のことかもしれないが、裕也には笑い飛ばせない事情がある。

小学2年生の冬に引っ越したため綾春との関係は終わったが、それ以降好きになる相手はいつも同性である。

なぜ異性に興味をもてないのか自問自答し、同性愛者である自分を卑下してきた。普通に結婚して子どもをもつことも、親に孫の顔を見せることも自分にはできないと自責の念にかられていた。そしてその原因は幼いころの綾春との一連の行為のせいであると思うことで、なんとか心のバランスを保ってきたのだ。

自分を肯定するために綾春を悪者に仕立て上げていたため、後ろめたさと、嫌いではないのに嫌うべきだという感情が込み上げてくる。

「葉山君、どうしたの。」

廊下にいるところを涼子に話しかけられて、裕也はハッとした。

「や、何でもないです。」

「そう。平井さんと話してたの見てたけど、何かあったのかと思って。」

「あー……えっと。実は平井さんと同級生で、小学校のときなんですけど。それでちょっとびっくりしただけです。」

裕也は一瞬迷ったが、隠す方が不自然だと思い正直に話した。

「えー!!本当に!すごい偶然ね。」

涼子は驚き、すぐさまナースステーションで同僚に報告する。こうしてまたたく間に裕也と綾春のつながりが知れ渡ることになった。

綾春の方に目をやると、ニコニコ笑いながら裕也を見ている。裕也は軽く頭を下げて、背をむけるしかなかった。


17時になり、定時で職場をあとにした裕也は一人暮らしをしている自宅へと急いだ。新人は毎日レポートを書かなければならず、1秒たりとも無駄にはできないため1日を振り返りながらペンを走らせる。

「くっそ集中できねえ。大体何なんだよ、同級生が先輩って。よりによってあいつだし。」

裕也はため息をつき、手を止めてはまた取りかかるを繰り返すばかりだった。


翌日出勤すると夜勤者たちが慌ただしく作業しており、すぐに綾春の姿を見つけた。その瞬間ぱっと振り向かれて目が合ったが、裕也はさっと目をそらしてしまう。

綾春の視線にしまったと思ったが、業務に向けての準備に追われまさにそれどころではない。

日勤の仕事は、夜勤からの申し送りから始まる。この病院では全体申し送りのあと、患者の部屋を周りながら直接口頭で申し送る形だ。

プリセプターの涼子の後をついて行くと綾春が待っており、他の看護師も揃ったところで申し送りが始まった。

笑顔で対応する綾春に患者も心を許しているといった感じで、とても和やかだ。そして患者に話しかけながら状態を確認し、的確に様子や必要事項を申し送る。

ああ本当に看護師なんだな同い年なのに先輩なんだよな、とその佇まいに目を奪われるほどだった。

申し送りを終えたところで、涼子が倉庫の物品のことで綾春に確認したいことがあると言い出したので、3人で倉庫に移動した。

しかし、涼子はメモを忘れたと言って急いで出て行ってしまい、裕也は綾春と2人取り残されてしまった。

シンとした空気が流れる。

「なぁ。」

綾春が口を開いた。

「あっはい。」

「なに、どうしたのお前。なんか昨日からやけに顔ひきつってるよ。」

「いや、あのちょっと緊張してるだけです。すいません。」

「え(笑)別に謝んなくてもいいけど。それより同級生なんだから、タメで話していいよ。」

「ここでは先輩なんでそういうわけにはいかないです。それに同級生って言っても、15年以上前の話ですから。」

「まあそれもそうだな。じゃあ病院出たら、呼びタメってことで。昔みたいに名前で呼んでいいし。」

「あ、はい。ありがとうございます。」

動揺しているのは自分だけで綾春は余裕の笑みを浮かべる、といったところだろうか。昔のあの行為のことなど記憶にもないかのような態度に思えてきた。暗黙の了解ならば何もわざわざ過去について触れなくてもいいし、同じ病棟のスタッフとして当たり障りなく働けばいいだけのことだ。

しかし同時に綾春にとってはその程度のことなのか、と思うと妙な苛立ちを感じた。どちらかというと嫌な感情を抱いていたのに、再会したとたん意識してしまう自分に嫌気がさす。

間もなく涼子が戻ってきた。

「すいませんお待たせして。このメモに書いてある物品の場所がわからなくて。」

「あーこれ。ちょっとわかりにくいんですよね、後ろの方にあって。ほら、ここです。」

「ありがとうございます。」

裕也は2人を眺めながら、ふとこいつはノンケだよなと思った。

ゲイにはゲイがわかる、と言われることがあるらしいが、裕也もその通りだと思っている。目つきとか仕草とか、アイコンタクトのように通じあうものがあるのだ。

男女なら運命的な再会だったかもしれないのに、とぼんやり考えていると涼子の表情が目に入った。会話できることがたまらなく嬉しそうというその様子に、涼子が綾春に好意を抱いていることに気付く。

「……。」

モテそうな感じするしこんな女ばかりの世界にいたらな、とすんなり納得してしまった。

「じゃ、俺記録仕上げてあがります。」

「はい、お疲れさまでした。」

裕也も頭を軽く下げて、涼子と日勤の業務に戻った。

その翌日の昼休憩で、同期の一条由美が話しかけてきた。

「葉山さん、今日仕事終わったあとに採血の練習しようかと思うんですけど、どうですか?」

「あ、うん大丈夫。」

「じゃあ隣の部屋に集合でお願いします。」

看護師になったとはいっても実践できる技術はないため、職員同士で針を刺しあって練習するのが定番なのだ。

「よし、余計なことはもう考えないで技術を身につけなきゃ駄目だ。」

頭の中にふっと浮かんだ綾春をかき消すように、裕也は呟く。

そして業務終了後、新人とプリセプターが集合し採血の練習が開始された。

涼子の腕に駆血帯を巻き、指で血管を探す。

「もう少し針を寝かせて、そうそれで逆血確認して……」

血管を探すのに少し時間を要したが、そのあとの手順はうまくできているとコメントされたので裕也はホッとした。

同期の手技を見学していると、部屋のドアが開き綾春が入ってきた。

「あれ、平井さんどうしたんですか。」

「んーちょっと委員会の資料を作りにね。採血の練習してるっていうから、見に来た。」

私服姿の綾春はニコッとして、裕也の方を見る。

裕也の順番がまわってきたとき、プリセプターの1人が「あ、平井さん!腕貸してくださいよー。」と言い出した。

すると綾春は「おーかわいい1年生のために腕貸してやるか。」と言って腕をまくり、裕也の目の前に腕を差し出した。

裕也は拒否することもできず、綾春の腕に駆血帯を巻き始める。

血管の浮き上がった比較的針を刺しやすい腕なこともあり、血管を探すのに時間はかからなかった。しかし早く終わらせたい、そんな気持ちの表れからか駆血帯を外す前に針を抜いてしまい血が流れ出る。

「おいおい、針抜くのは駆血帯外してからだろ。」

「すいません。」

「あと刺しが深いかも、血管突き破るぞ。ちょっと腕貸して、みんな見て。」

綾春は声をかけ、裕也の腕を掴んだ。

半袖の二の腕にスルっと手が入り、その感覚に裕也はゾクッとした。そのまま駆血帯が巻かれ、指で血管を探す。その指の触れかたが優しく、ドキドキする気持ちを抑えられそうになかった。

「そのうち針が血管に入った感覚がわかるようになるから……」綾春が同期たちに説明していたが、その声も頭にはいってこないほどだった。


採血練習を終えて後片付けをしていると、急に綾春が口を開いた。

「あっやばい、時間過ぎてる。」

「なんか約束してるんですか?」

「うん、ちょっと彼女と約束してるんだった。じゃ行くわ、みんなお疲れさん。」

綾春が出て行ったあと、女性陣が「やっぱり彼女いますよねえ。」なんて話をしている。

予想通りノーマルだったわけだが、それと同時に恋人がいるとわかり少なからずショックを受けている自分がいた。

もしかかしたら自分と同じように、なんてことはあり得ないのだと痛感し胸が苦しくなる。好きだったわけじゃないし好きになったわけでもないから大丈夫、もう考えるなと裕也は自分に言い聞かせた。



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