侵入者
「また、奴が来た」
私は、三十三歳、由香里。夫の雄一とは結婚してまだ一年。新婚早々から私達夫婦は別居している。その理由は、私が地元に残りたいと言った事がきっかけだ。
雄一は、県外に単身赴任で出て行き、月に一・二回しか帰って来ないけど、稼ぎもよくて、仕事に真面目な人だ。頭も切れるし、見た目も悪くないと私は思う。しいて言うなら、頭が固すぎる所が私とは少し合わない。
私は、地元でマンション生活を一人楽しみ、暇を持て余す姑を見て、あんな風にはなりたくないと、アパレル関係のお店にパートへ出た。
私の見た目は、すらりと背も高くスタイルには自信があった。元々、大学の頃にミスコンにも出たことがある。結婚は、雄一が私に一目惚れして、猛アタックされた末、私達は電撃婚に近い感じで一緒になった。
でも、私には二人の彼氏がいる。一人は、大学からの腐れ縁で、別れたり戻ったりの関係の健介。彼は、大学を出て直ぐ、広告代理店で働き、独身。私が雄一と結婚した時は、顔色を変えて剣幕を起こしたけど、未だに関係は切れずにいる。健介は、平日会社を抜けてマンションに来る。雄一には言えない関係をもっている。
もう一人の彼氏は、働き始めたパート先へ納品に来るガテン系のトラックドライバー。彼は、見た目はイマイチだけど、体の相性が良くて、マンションで肉体関係だけの付き合いをしている。私も、女盛りの三十代だし、たまに帰る夫だけでは、満たされない。
二人とは、大人の関係をしているはずだし、私に夫が居るのは知っているから、別に関係は悪くないと思っていた。別れたくなったら簡単に切れる仲でもあったし。でも、その楽観的な考えも少しずつ変わってきた。
私が、二人に疑念を持ったきっかけは、ここからだ。給料が入ったその日、スーパーで一番高い和牛の霜降り肉を買って来た。普段私は、霜降りなんて脂の塊は食べないけど、働き始めた私は、同僚との間でストレスを感じていた。元々、働くのは好きな方ではないし、人付き合いも別に好きじゃない私には、同僚の喧しい女の子達は結構うっとうしかった。
そこで私は、久しぶりにガッツリとお腹に溜まる脂の乗ったステーキでも食べて、胃袋を満たしてワインを嗜むつもりだった。何気に楽しみにしていた和牛のステーキが、パートから帰ると冷蔵庫からなくなっていた。ガスコンロには、油を飛ばした跡と、醤油ソースでからめたであろうフライパンが、無残な姿で残っていた。
脂の甘い匂いを嗅ぎつけた、卑しい奴が、腹を空かせてこの部屋に忍び込んだんだ。
私は思った、昔から喰い地の張った健介の仕業だと。でも私は、健介にこんな脂ギトギトの肉を、一人マンションで貪りつく姿を想像されるのが嫌だから、健介には肉の件は触れたくない。でもちょっと待て、あのガテン系の俊二も若いし、こういうお肉好きそうよね。まあ、体だけの関係だし、俊二がどんな人間かは知らない。
どの道、健介にも俊二にも私は合鍵なんて渡していないはずだし、あいつ等がどうやってこの部屋に入ったのか考えた。考えた末に私が思った事は、私が眠った後、あの二人に合鍵を作られたんだと思った。でも、証拠はない。そんな事、雄一には話せないし、もう少し様子を見ようと思った。
次の日、パートから帰ると、やっぱり奴は来ていた。週末に帰って来る雄一を楽しませようと、私は真っ黒なレースの下着を用意して待っていた。その下着は、ハサミで切り刻まれ、見る影もない。雄一との写真も真っ二つに間を引き裂かれていた。
私は思った。健介は確かに私と雄一が結婚する事を知った時は剣幕を起こしたけど、今では嫉妬している様子はない。でも待って。あのガテン系の俊二は何を考えているか分からない。私の前では、「体の関係だけだし。旦那いてもいいし。別に俺そんなの関係ね―し」っていつも強がっていて、弱い犬ほど良く吠えるじゃないけど、俊二の場合は、私にアピールしていたような気がする。
私は、考えた。そして、一つだけ閃いた。この計画ならいける。
健介は、大学の頃にペットショップでバイトしていたくらい犬が好きだって言ってた。実家でも、犬を飼っていて随分可愛がっていたな。一方の俊二は、抱き合って眠った夜、深夜の番組を観ていた時、コマーシャルで犬が出てきたら体を掻き毟って、「わっ。マジ犬勘弁」って、ぼそっと言ってた。
という事は、健介は犬好き、俊二は犬嫌いなわけだ。
私は、翌日ペットショップに向かった。雄一には、マンションで一人寂しくしていると言って、せめてペットを飼いたいって言ったら即OK。私は、一匹の犬を見て、コイツに犯人を暴いてもらおうと思った。
「ジャック。あんたが犯人を暴いて」
私は普段、パートに出る前は、気が重くて怠かったけど、この日は、鼻歌を歌ってパートに出た。玄関の鍵を閉めて、奴が来ることを期待した。
仕事中は、いつもなら物調面の私だったけど、あの二人のどちらが侵入者か解明出来るんだと思うと、気分よく会社の子とも会話が弾んだ。
もし、奴が健介なら、長きにわたり続いた腐れ縁も潮時だと思った。仮に、俊二なら、ただの肉体関係だし、そろそろ飽きた頃だから新しい男を探そうか思っていた。
「キャン。キャン。キャン」
「ウギャ―――――」
『コトン。バタバタバタ。ガチャン』
私は、仕事が終わってマンションに帰る足取りが軽かった。いつもなら、玄関の前で溜息をついて鍵を開けるんだけど、この日は、鍵を挿したら、既に鍵が開いていた。鍵が開いてたことに、『旦那?』って思ったけど、冷静に、中へ入った。
「キャン。キャン。キャン」
ジャックは、尻尾を振って私を出迎えた。でも、「おかえり」の雄一の声はない。玄関を入って廊下を進むと、そこには、奴が慌てて逃げた時に落とした重大な物があった。
本物の侵入者は、あの人だったのね。これで分かったわ。あの人ならマンションの鍵は持っているし、そう言えば大の動物アレルギーだったわね。
思わぬ収穫だったわ。さて、逃げ帰ったあの人にでも電話しましょうね。
「もしもし、お義母さん。お義母さんの大事な入れ歯、ウチに落としていますよ」
あれからマンションに奴は二度と来なくなった。まあ、私の一番嫌いな人だったから丁度良かったわ。
「ジャック。お見事よ」
結局、あの二人との関係は未だ続いているわ。
完