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「おぉ、帰ったか」
家へ帰ると父が奥の部屋から出迎えた。そのまま買い物袋を居間にまで持って行き、冷蔵庫の中から冷えた麦茶をコップに注ぎ、一気に飲み干す。
「流石に父さんもこんな暑い日は外に出たくないからな。お使いご苦労だ」
そう言った父はよれた半袖半パンをだらしなく着こなし扇風機に当たりながら甲子園を見ている。休みの日だからといってダレすぎではないだろうか。
「俺だって出たくねえよ。あ、約束通りお釣りは貰うから」
因みにこんな父でも超能力が使える。どんな能力なのかは実は知らないのだが、父曰わく“ハズレ”らしい。
だが今はそんな事はどうでも良い。そんな事より……。
「ちょっと安田屋でガリガリリ君交換してくるから」
早くアイスが食べたかった。
「ん?なんだ、スーパーで交換してこなかったのか」
「買った店で交換するのが礼儀ってもんだろ」
安田屋とは近所にある駄菓子屋の事だ。陽介が幼稚園の頃から行っている愛着のある店で、アイスやちょっとしたお菓子を買うときはいつもここで買っている。
陽介は安田屋と向かうため玄関まで向かうとポケットからあたり棒を取り出し……。
「……ん?」
あたり棒を取り出し……。
「え?え?」
あたり棒を取
「無い」
そこにあるはずのあたり棒はポケットのどこを探しても見当たらなかった。
ポケットに入れていただけなのだから、どこかに落としたのだろう。
「なんだ、さっきのお釣りでまた買ってくれば良いじゃないか。せいぜい六十円ぐらいのものだろう」
「俺はあのあたり棒で食べたいんだよ!」
言うより早く陽介の足は動いていた。階段を駆け下りて来た道を戻る。
今日はスーパーに行っただけだから、落ちているとしたらそれまでの道にあるはずだ。そう考え陽介はくまなくスーパーまでの道のりを探してあるいた。だが。
「なんでどこにも無いんだ……!」
結局あたり棒は見つからなかった。
スーパーのおばちゃんにも聞いてみたりしたが、あたり棒を交換してきた人物は今日はいないそうだ。
ガリガリリ君を交換するのを楽しみにしていただけあって、陽介の精神的ダメージは大きかった。
こんな暑い日にあたり棒を探して歩いて結局見つからないなんて、一体何をしているのか分からなかった。
しばらく歩くと安田屋が見えてきた。
「もう限界だ……。飲み物とガリガリリ君買おう」
財布にはさっきの買い物のお釣りが千円以上残っている。飲み物とアイス程度なら十分買える金額だ。
安田屋の引き戸を開けると『ガラガラガラ』と、昔と変わらない懐かしい音がした。ふわっと涼しい風邪が吹いてきて心地良い。
「……さいっこー」
陽介はアイスコーナーへ向かおうとして見覚えのある姿がある事に気が付いた。
「よう、チョコレート少女」
そう呼ばれた少女はムスッとして振り向いた。
「何ですかその呼び方は。やめて下さい」
チョコレート少女と呼ばれた少女はさっき出会った『星を観る』少女だった。
「誰かと思えばチョコレートおじさんじゃないですかこんにちは」
「せめてお兄さんと呼べ」
陽介はまだ高校生だ。おじさん呼ばわりは避けたい。
「変な呼び方して悪かった。そう言われて思ったけど、名前知らないんだよな」
この少女とはあの時すぐに別れたので名前も聞くことはなかった。すると少女が口を開く。
「怪しい人には名前を教えたらいけないって学校で習いました」
「誰が不審者だ」
おじさんの次は不審者。最近の小学生は礼儀ってもんを知らないのか?
一瞬そんな考えが過ぎったが、陽介は心の狭い男ではない。これはこの子なりのコミュニケーションなのだろう。
(そうだ、こう言うときは俺から名乗るのが常識だな)
「俺は新木陽介ってんだ。よろしく」
爽やかスマイルでキメてみせた。
「聞いてません」
拒絶された。
「だいたいなんで私の名前なんか聞きたがるんですか?見ず知らずの女の子の名前なんて、普通聞こうと思わないんじゃないですか?」
「別にそんな事ないだろ。それに見ず知らずでもないし、普通に仲良くなろうと思っただけだよ」
「……」
少女はしばらく黙って陽介をじっと見つめていたが、暫くして少女は口を開いた。
「確かに嘘じゃないみたいですね」
「なんだよそれ」
「そんな事より、新木に聞きたい事があるのですが」
「呼び捨てかよ」
呼び捨てはさて置き、俺に聞きたいこと?
「実は、さっきあたり棒を拾ってアイスと交換しにきたのですがここのお店の人はどこにいるんですか?」
「あぁーーーー!!」
少女の言葉を聞き、気づけば叫んでいた。
「な、なんですかいきなり!?」
「それ!俺の俺の!それ探して俺は探し回ってたの!!」
間違いない、あれは間違いなく俺の探していたあたり棒だ。陽介はそう確信した。
「いやぁ、でも良かったよ。交換する前で。それにお前が拾ってくれなかったら他の全然知らなかった奴に拾われてたかも知れないしな」
陽介は心底ホッとしていた。これでようやく念願のガリガリリ君を食べることが出来る。そもそも父さんが勝手に食べてなければ二本食べれたのに。
そんな事を思いつつ少女からあたり棒を返してもらう。
はずだった。
「嘘ですね」
陽介の時が少し止まった気がした。
今この子はなんて言った?
「え……?」
「嘘ですね」
今度ははっきり聞き取った。
『嘘ですね』と、はっきりそう言った。
誰が?俺か?いやいや、俺は嘘をついてない。
「新木は私のあたり棒が羨ましいからそんな嘘をつくんでしょう」
は?
「は?」
思わず声に出してしまった。
「ほら、何してるんです。新木は早くこのお店の人を呼んで下さい!」
新木陽介17歳。高校生。成績は中の上。運動もそこそこ。これといった特技は無くゲームが少し強いくらい。夏休みに友達とは遊ばず、ダラダラした生活を送る。そんな陽介にも、譲れないものがあった。それは。
「……ねえ」
「……?何か言いましたか?」
男、新木陽介これだけは引けない。
「そのあたり棒だけは、絶対に渡さねえ!!」
狭い駄菓子屋内に陽介の声が響く。
小学生相手にあたり棒を掛けた戦いが始まろうとしていた。