屍臭の大地 五
陽帝の喉元に屍魔となった孫健の歯が立ち。食い破られて鮮血がほとばしり。
「おお、おのれ……」
とうめいて、白目をむきながら抜けゆく力を振り絞りながら孫健を引きはがそうとするが。強い力でおさえられて、どうにもならなかった。
それから、孫健は喉元から口を離すと。間髪を入れず、左胸に手をめり込ませた。肉が裂け骨が砕かれて。そのあまりの苦痛に陽帝は血を吐きながら、
「ぎゃあああ――」
と悲鳴を上げて、手足をばたつかせた。それにかまわず、孫健の手が左胸から抜かれると、何か、赤い肉の塊を握りしめていた。それは、どくどくと鼓動を打っていた。
心臓であった。
その心臓をひと睨みすると、おもむろにがぶりと噛みつき。そのままむしゃむしゃと食ってしまった。
「あ、あ……」
心臓をもぎ取られて、陽帝はしばし痙攣したのちに、ぴくりとも動かなくなった。死んだのだ。
ここに、天下を総べる皇帝は死に。帝国・辰は滅んだ。
それに対して何らかの感情を見せるでもなく、孫健は次なる獲物をもとめてだっと駆け出し。逃げ惑う者たちの群れの中に飛び込み、ひとりを捕まえると容赦なくかみつき、骨肉を噛み砕いた。
側室も皇后を殺したあと、適当な者を捕まえて歯牙にかけてゆく。
そうしているうちに、屍魔の群れは人民を血肉の塊にしながら天宮に迫り。逃げ惑う臣下や女官を噛み砕く。
「助けて、助けてえ!」
「金ならいくらでもやる、命だけは!」
血肉を求める屍魔のうめき声にまざって、哀願の声が響くが。それらは怒涛となった屍魔たちの勢いに飲み込まれてしまい、むなしく食い殺されてゆくのみ。
「お前は阿紫! なぜこのような狼藉を働くのだ!」
襲い掛かってくる屍魔の中に知っている者を見て仰天すも、何を言っても通じるわけもなく、やはり同じように食い殺されてゆく。
東陽はもはや、帝国の都ではなく、屍魔うごめく魔界となってしまった。
「おお、臭い臭い……」
いつの間にいたのか、阿鼻叫喚の天宮に三人、人がいた。それらはなぜか、落ち着き払って、天宮の混乱を楽しげに眺めていた。
この者らこそ、第六天女と白虎女に、デーモンであった。
屍魔どももこの三人には襲い掛からない。
どうにか生きている者たちはその三人を見て、
「助けて!」
と助けを乞うも、デーモンの碧い目が光るやいなや、大剣がうなり。あっというまに打ち砕かれてしまい。その肉片に屍魔が群がって、餓鬼のごとき餓えっぷりを見せて食い荒らす有様であった。
その様を冷やかにデーモンは見据えると、
「つまらぬものを斬ってしまった」
などと、にべもなくつぶやいた。
あたりはいつしか屍臭がただよい、三人の鼻をなでる。
「この臭い」
白虎女は周囲を見渡しながら言った。
「この臭いこそ、大地を覆うにふさわしい」
白髪の白虎女の黒い瞳が不気味に輝く。それに合わせて、第六天女の持つ反魂玉も不気味に光った。
屍臭漂う中、絶望に濡れた悲鳴が響き渡る。その悲鳴もまた、胸に心地よい。
三人の足元を、池をなし川のように流れる血が濡らす。
やがて、悲鳴が途絶える。それは、生きた人間がいなくなったことをあらわすものだった。
生きた人間を食い尽くした屍魔どもは、獲物をもとめてうろうろしだす。それを見て第六天女は会心の笑みを浮かべた。
「まだ食い足りぬであろう。さあ、いとしい我が子らよ、この世の人と言う人を食らいつくすがよい!」
第六天女の声に反応するように、反魂玉が強く光った。その光は、地獄と化した天宮に太陽が降りたかと思えるほどの強い光であった。すると、屍魔どもは一斉に天宮を出てゆく。
天宮を出れば、そこにも屍魔はあふれかえり。生きている人間は、ひとりとしていなかった。
それら屍魔どもは都の城門をくぐり、新たな獲物をもとめて赤いよだれを垂らしながら駆け出していった。
あとには数え切れぬほどの死体が残されたが。しばらくすると、それらはむくりと起き上がって、「うわああ――」と不気味にうなると群れをなして一斉に都を出てゆき。
さっきの屍魔ども同様、獲物をもとめての旅を始めた。
天宮においても、死体が蘇ってゆく。その中には陽帝と皇后もいた。
もはや貴人の威厳もなく、血肉を求める屍魔と成り果てた陽帝と皇后は、孫健や側室らとともに、獲物をもとめて旅立ってゆく。
それらを見送る三人は、目を異様にぎらつかせていた。




