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屍臭の大地 三

 陽帝は回れ右をして建物を出て、皇后もしぶしぶあとにつづいた。

「謎の軍勢じゃと?」

「はっ! 旗印もなく、どこの者なのか、わかりかねております……」

「なに?」

 納得がゆかぬと陽帝が眉をひそめたそのとき。

「きゃあ!」

 という黄色い悲鳴が響いた。それは側室が発したもので、皆驚いてその方を向けば、あらぬものを目にして思わず目を見開く。

 なんと地面から手が生えて、側室の足をつかんでいるではないか。と思った次の瞬間、土竜もぐらのように勢いよく人の顔が突き出し。その勢いのまま、側室の足にかみついたではないか。

 側室は足を噛まれた苦痛から喉が引きちぎれそうな悲鳴を上げた。 

「こ、これは……」

 陽帝と皇后は絶句した。

 突如地面から出た者は、孫健であった。かつて偽りの忠誠を示しに天宮にて謁見していたのを覚えていたのだ。

 なぜ孫健が。と絶句する間に、側室の足の肉が噛み破られて、血があふれ出て。孫健はうまそうに肉をもぐもぐと噛み砕きながら、

「うがあッ!」

 と不気味な叫び声を上げながら、一気に地中から飛び出した。

「そ、孫健、なぜ……」

 さすがの陽帝も皇后も顔を真っ青にして、思わずあとずさってしまう。勢いよく地中より飛び出した孫健は一瞬の間宙を舞い、すたっと着地し。陽帝と皇后を血走った目でにらみつけた。

 それにしても、なんという酷い姿であろうか。甲冑こそまとっているものの、ぼろぼろでほころびがあり、そこから肉をえぐられたひどい傷が見えるのみならず、傷だらけの顔は生気がなく土気色で頬の肉が削げて、中の歯が見える有様であった。

 にもかかわらず、目は殺気に満ちてぎらぎらしていた。

 護衛の衛兵もその無残な姿に思わずたじろいでしまった。

「孫健貴様、物の怪になったというのか」

 そうとしか考えられぬ。

「ええいなにをぼおっとしておる。皇帝陛下をお守りせぬか!」

 皇后が衛兵を叱咤する。叱咤された衛兵ははっとして、剣をふりかざして孫健に襲いかかった。が、孫健は逃げる様子を見せないばかりか。数本の剣をすべてその身で受けたではないか。

 誰もが、そのまま倒れると思った。しかし――

 孫健は倒れず、苦しそうでもなく、ぎらついた目で衛兵をにらんだかと思うと両手でふたりの衛兵の首をつかむと子供でも持ち上げるかのように、軽々と持ち上げてしまった。

「ば、馬鹿な」

 首をつかまれ持ち上げられた衛兵は狼狽し、足をばたばたさせて。それ以外の衛兵は孫健に刺さったままの剣を手放して後ろへ下がる。

「ぐぎゃ」 

 人の声とも思えぬ不気味な声を衛兵が発したかと思えば、首は握り潰されて、首があらぬ方向へと垂れ下がった。

「ば、化け物だ!」

 恐れをなした衛兵は弾かれるように逃げ出した。建物の中に皇帝と皇后がいないことにも気づく余裕のなさで。

 陽帝に皇后は、衛兵を置いて一目散に逃げ出していた。拷問吏も慌てて逃げ出し。あとには化け物の孫健と側室だけが残った。

 衛兵は紙くずのように捨てられて、孫健は側室など放っておいて、建物から飛び出し陽帝をもとめて駆け出した。

「あ、あああ――」

 側室は拷問の傷にくわえて足を噛み破られた苦痛のために頭は朦朧もうろうとして、意識が遠のき。そのまま気絶してしまった。かと思うと、顔を上げて目を見開いていた。

 その目は異様に血走っていた。

 天井から側室をつりさげる縄がぽとりと落ちた。なんと側室は手を縛る縄を女とも思えぬ力で引きちぎったのだ。足も肉を食われて歩くこともままならそうなのに、平気で立っている。

「あああああああああ!――」

 そのかたちの良い唇から、獣のような雄叫びが轟いて。側室はだっと駆け出し建物を飛び出して天宮へと向かった。

 陽帝と皇后が天宮に逃げ込んだとき、人々は慌てふためき、上を下への大騒ぎであった。

「こ、これは」

 天宮がこんな有様になるのは、初めてのことであった。このことに、これまでとない屈辱を禁じ得なかった。

 わなわなと身体も震え。隣の皇后は今にも泣きそうな顔で陽帝を見るのがやっとである。

「陛下!」

 衛兵が滑り込むように跪く。

「いずこよりか来たる謎の軍勢に、城壁を突破されました!」

「なんだと!」

 途端に天を揺るがすような叫びが天宮にこだました。それは城内の人民の悲鳴であった。人口数え切れぬほど多く、それらが一度に叫び声をあげると、まさに天地を揺るがすほどのものだった。

「もはやなすすべもなく。ここはお逃げあそばされる以外にないかと存じます」

 跪く衛兵は血を吐く思いで陽帝に進言した。その間も天宮は騒然とし。近衛兵長が怒号をはなちながら衛兵を指揮して天宮の守りを固めていた。

 天宮の外では、兵士や人民が謎の軍勢に虐殺されていた。

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