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皇帝の憂鬱 二

「まったくもって、帝のご威光を解せぬ哀れな虫どもでございます」

 臣下の誰かが頭を床にぶつけながら言う。

 彼らは、皆ことごとく陽帝を恐れていた。

(もしご機嫌をそこねようものなら、斬り殺されてしまう)

 という恐怖が、臣下らの胸中にどろりとした泥濘のようにたまっている。その恐怖は長年仕えてきた者ほど、うずたかくたまっていた。

 いままで、どれほどの同僚たちが斬られてしまったことか。

 皇帝の手にある剣は、敵味方問わず幾多の血をすすってきた。血をすすればすするほど、剣は輝きをまし、陽帝は活力が湧いてみなぎるようである。

 天下を統一するまでにどれほどの血が流されたであろうか。辰という国の建国から天下統一の過程、いや、歴史というものを見たとき。血の流れなかった時代などあろうか。

 血が歴史を動かすのか、それとも歴史が血を欲するのか……。

 陽帝の手にある剣は不気味に光っている。

「もうよい。湯浴みをするぞ、女も用意せい!」

 と言うと剣を鞘におさめて玉座のある高座の階段を降りれば、臣下たちはいっせいに立ち上がって左右に分かれれば、その間を鉄甲の鎧を高鳴らせながら陽帝は進み。

 王の間から出たとき、臣下たちの心には、今日も生き延びたという安堵と、明日はどうなるのかという不安が渦巻くのであった。

 ところはかわって。王宮の中の大浴場には湯がためられて。その大浴場には、十名ほどの美女たちが全裸でしずかに正座をしている。

 どの女性も顔立ちに身体つきと、神の造形によるものかと思われるほどに美しく。それらが全裸であつまる様はまるで桃源郷か、そこはまこと人の世かと思われるほど。

「皇帝陛下のおなーりー」

 という宦官の声がすると、全裸の美女たちは指先を床につけて頭を下げた。そこへ、同じく素っ裸の陽帝が姿をあらわす。が、その手には剣。

 皇帝はけっして剣を手放さなかった。

「くるしゅうない。楽にせよ」

 陽帝はそう言うと剣を置いて一番に湯ぶねにつかり、それに美女らもつづく。

 美女らは皆陽帝のそばにあつまれば、その中から気に入った者を二名見つけて、己の両脇に引き寄せた。

「適当に遊べ」

 と言われて、残りの美女らは湯ぶねの中で泳ぐなどして思い思いに遊びだす。絶世ともいえる美女らの中、男は陽帝のみ。まさに桃源郷である。それこそ、この桃源郷を手に入れるために戦ってきたのではないか。その野心、野望、男として生まれたならばあって当然ではないか。

 水の音に美女たちの嬌声が響く。湯気の中、水のしたたる美女たちの肌が映える。

 陽帝は美女を両脇にはべらせている。が、目を閉じている。今日は疲れているようだ。思わずうとうとして、頭は上下して舟をこぐ。

 気が付けば己は薄闇の中。と思うと、何かが薄闇の中に見えた。

「……!」

 それは、血にまみれた人々だった。人々は血まみれの無残な姿で、陽帝に迫ってきた。

「おおッ!」

 思わず声が出た。と同時に剣を拾い鞘から抜く。

 途端に悲鳴が響いた。その悲鳴に弾かれるように、陽帝はひたすらに剣を振るった。

 どれくらい剣を振るったであろうか。悲鳴が途絶えたのに気付くと同時に、目に飛び込んできたものは、斬り殺されて血まみれになってよこたわる美女たちの無残な姿であった。

 剣からはぽとぽとと血のしずくがたれ落ちていた。

 驚いてやって来た宦官や護衛の兵士も唖然としている。

(またか)

 と心の中でつぶやく。

 陽帝はため息をつく。

「朕としたことが、見苦しくもうろたえてしまった。これらを片付けておけ。自室で休む」

 と言い残して、後ろも振り返らずに大浴場を後にした。

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