好きな花は桜ですが、なにか(3)
日陰でゆっくり休んでいれば、校舎から鞄を持った学生たちが溢れ出てきた。
「あー‥そういやもう午前授業だっけ、」
完全に忘れてた。そうだった。3年生は三者懇談という忌々しい一大イベントが夏休み前に待ち構えていたんだった。とたいそれたように考えてみるが、自分にはあまり関係のないことだという結論にいつも結びつける。だってそうだ。三者懇談と言ってみたところで、身内なんて誰も来やしないんだから。冷めるように考える反面、どこかさびしい気持ちになってしまうのはいつものことで。たまに見かける友達と親の姿に嫉妬しだしたのはいつからだろうか。だけどそれでも独りでいいなんて思いだしたのはいつからだっただろうか。
「あれ、こんなところにいたの?」
ふいに聞こえてきた言葉に上を見れば、時村が不思議そうに私を見ていた。正直、私からしたらどうしてここに時村がいるんだって感じだけど、暗い考えを終わらすにはちょうどよかった。
「増田が怒ってたよ?雪瀬が授業をサボったって。いったいどういうことだって兄貴にぼやいてた」
「はは、それは悪いことしたな」
「‥思ってもないくせに」
「本当だって。そっか、4限増田だったんだ。じゃあちゃんと出とけばよかった」
「…お前って本当変わってるよな」
「あれ、お互い様じゃない?」
茶化すように言えば、時村は苦笑して私の隣に座った。否定も肯定もしないということは、あながち間違いでもないってことなんだろう。
「あ、高坂先生に言ってくれたんだってね。助かった、ありがとう」
「いや、別に。…‥兄貴が面倒を見るわけだよ」
時村は私をまじまじと見ながら言った。急に変わった話に呆れながら、興味のないことだから私は「そう?」とだけ言って部活の準備を始める野球部を見た。隣に座る時村が何かを言いだそうとしたとき、時村の手の中にある携帯が震えて、携帯の画面を見た時村はあからさまに嫌な顔をして見せた。
「なに?」
少しだけ、不機嫌そうな声。私が見る時村はいつもこんなふうに怒っているような気がする。今朝、初めてと言ってもいいくらいの笑顔を見た。普段からあんな顔してればいいのに。ほんとうもったいない。
「あ?いるけど。……え、やだよ、なんで俺が?…そりゃ行かないだろうけど…‥‥、いや、だからって、っておい切るなよ!」
どうやら相手に一方的に切られたらしい。時村は盛大なため息をついて私の方を見た。そして私の腕をつかむと「行くぞ」と一言言うといきなり走り出した。急にそんなことをされてもどこに行くのかわからずただ引かれる腕についていくことしかできず、人通りの少なくなった校舎を走り抜け、ついた先は最近よく来るようになった職員室だった。
や、まさか職員室に連行されることになるとは。時村の電話相手は高坂先生のようだ。うーん、やっぱり授業に出なかったこと怒ってんのかなー。まあそりゃあ怒るよなぁ、教師だったら。高坂も間違っても教師だもんなぁ。なんか最近先生に怒られたばっかな気がするんだよな。やってることはいつもとまったく変わんないのに。
そんな呑気なことを考えていると急に名前を呼ばれて、見れば高坂が私を手招いていた。その隣には時村がいて、最近よく目にするツーショットだなんて思ってしまった。2人のそばに行くと、さっきと同じように椅子に座ることを促されて、私はさっきと同じ椅子に座った。たださっきと違うのは隣に時村がいて、先生が心なしか怒っているということ。
「雪瀬、俺は怒ってる」
「牛乳飲んでないから?」
「ぷっ」
ちょっとふざけただけなのに、どこからともなく出てきたスリッパによって私は叩かれ、噴き出した時村も頭を叩かれた。それが結構痛くて、私はジンジンする頭をおさえながら「ごめんなさい」と小さく謝った。
「なんで授業に出なかった?」
やはり高坂の怒りのポイントはそこだったらしい。真剣に私の目を見て言ってくる。どうやらおふざけは許してくれないらしい。逃げ場を見つけようと時村を見るが、目が合うと首を横に振られた。
「‥出たくなかったから。それじゃ理由になりませんか?」
「じゃあなんで出たくなかった?正当な理由じゃなきゃ受け付けねぇからな」
‥受けたくないの正当な理由ってなによ。正当か正当じゃないかの判断基準ってなによ。頭の中にほいほい出てくる疑問を抑えて、私はしばらく考える。まあ、考えたって答えなんて出ないんだけど。出ない答えを見つけることほど探すのに苦労するものはない。だってないんだもん。
「雪瀬、理由」
「ありません」
「は?」
「理由なんてありません。私はただ出たくない、そう思ったから4限目の授業に出ませんでした」
すっきり言い切ると、逆に高坂は笑って私を見た。それは馬鹿にしているとかそう言った笑いじゃなくて、普通の何か楽しいことがあった時にするような笑い方だった。
「堂々としてんな、お前は。凛久も雪瀬のこういうところ見習えよ!いい男になるぞ?」
それって私はもういい男ってことですか。そういうことですか。
「いや、お前はもう少し愛想をよくしたほうがいいんじゃないか?せっかくの顏がもったいない」
って結局は顏かよ、って思っちゃったけど事実なだけに笑い通すしかなかった。