おかえり現実、さよなら浅き夢(7)
「あの人はね、姉貴に手出したんだよね、」
「え」
それがいったいどういう意味なのか、聞かなくてももう誰でもわかること。また、時村のほうから唾を呑む音がした。
「話によっちゃあ、私よりひどいかもね」
「ひどいとか、そんなんじゃねぇだろ。つかんなもん比べんな」
「そーだねー‥今日、姉貴見てどうだった?」
「どうって」
「聞かれても困る?」
「お前やっぱり俺で遊んでるだろ」
「遊んでないよ。いいから答えてって。姉貴見てどうだった?綺麗だったでしょ」
って言ってから気が付く。これ誘導尋問ってやつじゃね?
「それ誘導尋問。って自分でも思っただろ」
「はい」
「はぁ。‥まぁ素直に言うとすげぇ美人だなって思ったよ。なんつーか、フランス人形みたいな感じ」
「フランス人形か。姉貴ね、小さいころからずっとお人形さんみたいだねって言われ続けてきたんだよね。ま、本当に同じ遺伝子かってくらい美人な顔してるからあながち間違いでもないんだけどね」
「心配すんな。十分同じ遺伝子してるから(‥自分が美人だって気づいてないわけ?)」
「どーも。で、まぁあれ高校からなんにも変わってないんだよね。ぶっちゃけ、高校からあんな感じだとさ、男もまぁ寄ってくる。姉貴、ああ見えて昔は優しくて、あんなにちゃらちゃらしてなかったの」
自分でもわかってるけど、なんか脈絡がない。それを知ってか知らずか、時村は「ゆっくりでいいよ」って、普段は見せない優しさを惜しげもなく見せてくれた。
「あの人は‥魔が差したって言った。姉貴の前で。でも、…魔が差した行為は高1から高3までずっと続いた。あの人は、確かに最初はそうだったんだと思う。姉貴が誘惑とかしたわけじゃないけど、誘惑に負けたんだと思う。‥でも、本当にそれは最初だけ。あの人ね、姉貴に本気で惚れたんだって」
「‥それ、本気で言ってる?」
「だから聞いたじゃん。聞きたいって」
「いや、全部聞くけどさ。…なぁ、俺そっちいってい?」
「…だめって言ってもどうせ隣座るくせに」
ジト目で見れば、なんだか嬉しそうに私の隣に腰を下ろした時村は続きを促す。‥ていうか私、別に了承したわけじゃないんだけど。
「母さんは‥気づいてた、それに。姉貴が性的暴行を受けてることを。あの人が、姉貴を本気で好きだってことに」
「‥‥…。(なんつーか‥ほんとにドロドロしてきた。‥にしても泣かねぇな、)」
「母さんは、姉貴に嫉妬して助けなかった」
「‥!さっきのあの言葉って、」
「母さんは暴力からは守ってくれた。って言っても最初だけね。あの人は庇う母さんも殴りだして。それから母さんは私を庇わなくなって、ちょくちょく家からいることがなくなって、」
言葉を紡ぎ出せば紡ぎだすほど、思い返すのは苦しかったあの日々。一度涙を出せば、とめどなく溢れてきそうで、私は潤みそうな瞳をぐっとこらえる。
「母さんがいない時間がどんどん増えていって、不倫してるんだなってわかってたけど認めたくなくて。あの人はそれを私のせいにして、暴力はどんどんひどくなっていって。多分、それは姉貴も同じだと思う。でも、姉貴も母さんと同じで、帰ってこない日が増えていって。……気が付いたら、姉貴がいない日は押し倒されてた、」
また、となりで息を呑む音がした。いったい何回息を呑むんだって言ってやりたいけど、今声を出したら、きっと震えてしまう。きっと、私は泣いてしまう。うつむいて下唇をかむ私をふわりと温かいものが包んだ。それが時村の腕だと気が付くのに時間なんて必要なくて。抱き寄せられた頭を時村は優しく撫でた。
「いい加減泣けよな」
「っ、」
「辛いのに泣かないなんて馬鹿だろ」
「‥うっさい、」
抱きしめられた腕の中で小さく丸まれば、また、それを覆うかのように時村は抱き締めてくれた。隣にこられたら間違いなくこーなるってわかっていたのにと頭の中は嫌に冷静に分析している。ほんと、もう少し空気読んでよ、私の思考回路。
「でも代わりだったんだよね、私って」
「代わり?」
「そ、代わり。あの人、いっつも姉貴の名前呼んでた。陽、陽って。私は陽じゃないって言ったら思いっきりぶん殴られた。もちろん姉貴は私が抱かれてたの知らない。だからあの態度なんだろうけど」
「だったら、」
「でも言えない。姉貴は…あの人たちを許さない。だから母親に一瞬だけでも守られた私も許さない」
「なんでそこまで頑なになるんだよ」
「姉貴はあの人に、…妊娠させられてる」
「まじかよ、」
「それも1回や2回じゃない。私、姉貴の部屋に薬が置いてるの知ってる。それに産婦人科に通ってたのも知ってる。だから、言えない」
本当にどっちがひどいとか、そんなことは言わないけど、でも私も姉貴もあの人の被害者であることには変わりない。そしてそれはいつまで経っても消えることはない。
「今、親は?」
「知らない。あ、母親のほうはね。とっとと籍抜いてどっか行っちゃったから。あの人は‥今は刑務所にいる。私を刺したからね。それに未成年にも手出してるから。服役中ってやつ」
「そっか、」
時村はホッとしたように言って、また私の頭を撫でる。それは陽斗とも、高坂とも、どちらとも違う手つきで、すごく安心できる、そんな感じだった。




