おかえり現実、さよなら浅き夢(6)
「って惨劇って言ったら言い過ぎなんだけどね」
ちょっとオーバーに言いすぎちゃったかもね、なんて言って、私は机に置いたアルバムを開いた。もう自分では開くことはないと思っていたアルバム。まさかこんな日が来るとは思ってもみなかった。
「別にどの家とも変わんない、ごく普通の家だったの。父親と母親と、姉貴と私の4人家族。その辺にいる、ありふれた家族の1つだった」
いや、そんなこともなかったか。なんて、心の中で否定してみたり。
「ごめん、嘘ついた。ちょっと変わってた。私のお父さんね、男の子が欲しかったんだって」
「男の子?」
「うん」
声が近くで聞こえてきたから、何かと思って見上げれば、時村が前のめりに私の話を聞いていて、同じようにアルバムをのぞいていた。少しでも私が頭を前に持っていけば、ごっつんこしそうな、それくらい近い距離。
「このアルバム、初めて開いたとき、なんか違和感なかった?」
「違和感?あー‥言っていいのかわんねぇけど、雪瀬、すげぇ男っぽい格好してるよな。俺のガキの頃とそっくりだ」
「それもそうだろうね。私、男の子として育てられたから」
「…は?今、なんつった?」
「だから、男の子として育てられたの。お父さんがどうしても男の子が欲しかったから!」
そう。これが私の悲劇の始まりで、この家に訪れる惨劇のほんの序章に過ぎなかった。
「男の子ったって、無茶あるだろ」
「そーだね。それでも私はなにも疑わなかった。お前は男の子なんだよって父親にそう言われたら、誰だってそれ信じるでしょ。それに私この容姿だから。どっちだって言われたら、今でも迷う人いるもん。まぁでもほんと、今から思えばなんつーこと言ってそそのかしてくれたんだか」
あの時は信じて疑わなかった。だって、まさか自分の父親がそんなウソついてると思わないでしょ。
でも、やっぱり人って成長するもんで。成長すれば嫌っていうほど、自分がどっちなのかって気が付かされるもんで。小学校に入る頃には、自分は女だって気が付いていた。
「保育園の頃はね、みんなわかんないからよかったの。でもね、小学校まで行くと、男女できっぱり分けられて。でもまぁ、保育園からの持ち上がり組ばっかだったから、男子は当たり前のように私をサッカーにも野球にも誘ってくれた。まぁそんなのあの頃の男子からしたら関係ないしね。女子受けは相当悪かったけどね」
「‥だから、人前で泣くな、っだったのか」
「ざっつらいと」
「…。お前真面目に話す気ある?」
「あのねー、こんな暗い話、しんみり話したっていいことないの!」
暗い話を暗く話して盛り上がるのは怖い話くらいよ。なーんていうのは建前で。本当はこうでもして気丈に振る舞ってないといつでも泣いちゃいそうで。つくづく不器用で、強がりな人間だと思う。
「でもねー、なにがいけなかったんだろ。私が女子バスケット始めたことかな。それかお母さんの家事の手伝いしだしたことかな。なにが原因か私もよくわかんないだけどね、私の行動のなにかが気に食わなかったみたい。小学5年生くらいから、あの人は私を殴ったんだよね、」
それはあまり知られていない事実。目の前で息を呑むのが聞こえた。しばらく間を置いてみるけれど、時村からはなにも返ってこない。意外だった。これくらい、予想はしていると思っていた。
「からってことは、ずっと?」
「そ、ずっと。私が中学を卒業するまで」
あの人は私を殴った。それもたちの悪いことに、いつも見えないところを殴ってくる。お腹と背中。痣は消えないくせに、増えていくばかり。だけど泣けなかった。刷り込みっておそろしいなんてことを、中学生ながらに感じていた。
「まぁ殴る蹴るならよかったんだけどね。あの人、私のこと刺してるから」
「はぁ!?」
「そんな驚かないでよ」
「いや、今の絶対驚くとこだから!刺されたってなに?」
「なにって。中3の時だったかな。卒業式にね、来てくれたんだけど、その時たまたまクラスの男の子と付き合ってるのばれちゃって。それがね、許せなかったんだと思う。酷いと思わない?中学生だよ?そりゃあ恋のひとつもするって話じゃん。それをお前は男なんだの一言で禁止してさ。いや私は正真正銘の女ですけどって言って反発したんだよね。したら逆上したあの人が娘なんかいらない、お前は俺の言うとおり男でいればいいんだって言って包丁手にして向かって来てさ」
掠れた笑い声を出しながら時村の目を見れば、時村は私の目ではなくガラステーブル越しの何かを見ていて、その目線を追えば、左の脇腹をさする私の手をずっと見ていた。どうやら無意識に私は刺された個所を触っていたみたいだった。
「相変わらず目ざといね」
「褒め言葉として受け取っとく」
「でもねー、あの人がしたのはそれだけじゃないんだよねー」
ぱらりとまた、アルバムのページをめくる。開かれたそのページには中学生の姉貴の姿があった。少しだけ大人びたその姿は、まるで今を思わせる。そういえば、姉貴はいつでもお姉さんって感じだったっけ。明るくて、どっちかっていうと派手だったもんな。
「これから話すのは、もっとえぐい話。聞きたい?」
「またそれかよ」
「一応ね、聞いとかないと。ま、答えなんて聞いても同じだろうから話進めるけど」
「なら聞くなよ」
時村の呆れた声は無視して、私はどうやって切れだそうかと思いながら、冷めたコーヒーを一口飲んだ。




