おかえり現実、さよなら浅き夢(5)
「俺さ、ずっと思ってたんだけど、」
さっきまでの話はどこへ行ったのか、時村はふいに切り出した。どうやら、私のどいてほしいという言葉は彼には届いていないようだ。どーして高坂といい、こいつといい、みんなどこまでもゴーイングマイウェイなんだ。もう呆れるよ。
「雪瀬ってなんで泣かねぇの?」
「……え、」
思いもよらぬ質問に、私は驚いて時村を見たその顏はとても真剣で、茶けて返すにはあまりに失礼すぎると思ってしまった。なにも返せなくて、下唇をかむ私に時村はやんわり唇を触って噛むのをやめさせる。こういう手つきって、男は誰でも優しいと思う。まなざしはいつも苦しそうで、痛そうで、でもどこかホッとしているような、それでいて愛しそうなものを見るかのような、切なく虚しいそんな感じ。
「俺、雪瀬が泣いたとこ1回しか見たことない」
「1回でも見てんじゃん」
「大泣きしたとこ見てない」
「女の泣いてるところなんて見なくていい。つーか泣いてる女の扱いは知らないって言ったの誰だよ」
「それはそれ。これはこれ」
いやどれだよ。と、心でつっこんでみる。相変わらず、時村は真剣なまなざしで私を見つめる。
「聞きたい?」
「聞きたい」
‥おう、即答ですか。
「じゃあそこからどいて」
「それはやだ」
こんのわがまま。聞きたいしどかないってどこのわがままなお姫様だ。
「なら教えない」
「ならどかない」
「え、それは困る」
「だろ。だったら教えろ」
「あんた自分で言ってること矛盾してるってわかってる?私どっちに転んでもどいてもらえないよね、それ。理不尽だって思うんだけど」
「………」
いや、黙んなっ!!
「言うからどいて」
少し強めに言えば、時村はしぶしぶといった感じで私の上からどいた。だけど、どいただけで距離としてはあまり変わらなくて、時村は私のすぐ隣にちょこんと座った。
…だからなんでだよ。お前いつからそんなキャラになった。頭打ったか?
「教えて」
「‥その前にもう1回コーヒー入れていい?時村も飲む?」
「…もらおう、かな」
やっぱり利口な人間は好きじゃない。
時村は今のコーヒーで、話が長くなることをきっと感じ取った。だから、自分ももらうと言った。考えすぎ?そんなことない。こいつは利口な人間。きっと私が好けない、そんな人種。
「で?」
「あんたって頭いいけどやっぱり馬鹿?」
「心配すんな。お前よりは頭いいから」
「うっわ、実際はたいして変わんないくせに。誇張すんな」
そこまで言って、また重苦しい空気が流れ込む。出来ることなら逃げてしまいたいと切に願うけれど、そうさせてくれないのが時村のあの強いまなざしだ。
「何から話せばいいんだろうね」
無理やり向かいに座らせた時村にごまかすように笑って見せる。時村はなにも言わない。ただずっと、私の動きと表情を見続けている。それがまるで私の心の中を見透かしているみたいで、良い心地はしない。気晴らしとでもいうように、おもむろに本棚にある仲間外れを手に取った。少し色褪せたそれを開かずにただじっと見る。
「泣かない理由なんて、時村が考えてるより単純だよ?」
「単純?」
「そ。その辺の男の子が考えてるのとなんら変わらないんじゃないかな」
「…格好悪いから?」
「んー、ニアピン」
いや、あながち間違ってないんだけど。
「泣き虫は弱虫なんだって」
「は?」
「お父さん言ってた。人前で泣くなんて許さない。そんな無様な姿、人に見せるものじゃない。泣くな。泣くやつが俺はこの世で一番嫌いだって」
ま、この写真の中には泣いてる写真も数枚あるけど。母さんが数枚撮ってたみたいだし。知らなかったなー、泣いてるところ撮られてたなんて。これも母親の意地ってやつ?ハハ、そんなわけないか。あの人だし。
「でもお前女じゃん。別に泣いたっていいんじゃねぇの?」
「んー、それは一般論でしょ。まぁ姉貴はその一般論通りに育てられたんだけどね」
そのおかげで今みたいな女になっちゃったんだろうけどね。泣き落としとかちょいちょいしてるみたいだし。おー怖って思うけど。
「これから時村に言うのは、この家で起こった、非現実的ともいえること。でも確かに起こっていた現実のこと。どう?雪瀬家で起きた惨劇、聞きたい?」
「‥惨劇?」
「聞いたらいろいろ後悔すると思うけどどーする?やめとくなら今のうちだけど?」
「‥俺は、聞きたい」
「あれま」
そんなたいして迷いもせずに聞きたいって。思っていた言葉と正反対の言葉が時村から返ってきたから、少しだけ戸惑ってしまった。本当はここで、時村にはノーを選択してほしかった。だって私でも言いたくないこととか思いだしたくないことってあるじゃん、やっぱり。そういうのもわかって、利口だろうって思って、ノーを選択するだろうなんて考えてたのに。‥買いかぶりすぎたか?…いや違うか。自分の願望が突っ走っちゃっただけかな、きっと。
「谷口は、知ってんの?」
「は?なんで陽斗?」
「あーいや、元彼、だし」
「陽斗はああ見えてお人よしだからね。聞いてこなかったよ。まぁ、言うようなことでもないって思ってたし、そのうちばれることだとも思ってたから」
「……そっか、」
時村はあからさまにホッとしてみせて、手前にあるコーヒーをくいっと飲んだ。




