一話「平行線アウトブレイク」
――この世界が滅びてしまいそうだと思った。
だって、この世界には、人間と魔法使い。それから、ほんの少しの人外しか生きていないのである。
戦争? そんなものを再び起こしてしまったら……。
世界の――平行線世界の崩壊を招いてしまうかもしれない。
――解決する方法?
それは、無理やりにでも人間と魔法使いを共存させることだろうか?
それとも、人間と魔法使い、どちらかにだけ権力を持たせることだろうか?
否――そう。そうなのである。もう答えは出ているのだ。
“戦争を行うごく一部の者達”が必要なのである。
人々が自分達の命を安心して預けることが出来る、そんな者達が必要なのである。
平行線世界の存亡を賭けて戦う戦士達。
――平行線? 平行線……。……アクセス。
“平行線アクセス”。
……ああ、何故こんなネーミングを。まあいい、この際呼び名なんかは適当に決めてしまえばいいのだ。大切なのは一般人と区別することだ。
――上手く、いくのだろうか?
判らない。
そもそも、何故戦争が始まろうとしているのだろう。
魔法使いが突如人間界に攻撃を仕掛けてきた。それはそうなのだが――。
それにしたって、少し突然過ぎやしないだろうか?
何か、この出来事を陰で操っている人物――黒幕が、存在するに違いない。
そうだ――この件のことについても、何としてでも黒幕を見つけ出すように、よく言い聞かせておこう。
僕? 僕が何かするわけがない。
ただ、平行線世界が滅んでしまうのはとても残念なことなので、いつものように「人に任せて」解決するだけだ。
そして、良い方向にコトが進むことを願う。
――もう眠い。……そう思った。
***
――やっぱり世界と云うものは、平和であるべきなのよ。
今日は改めて、そんな当たり前のことを考える羽目になりました。
最近この「平行線世界」、何やら不穏な空気が流れています。私達ごく普通の一般人は、普段慣れていないためなのか何なのか、このような空気に対して何か受け付けないものを感じ取っています。
それはまあ、私達みたいな人ではなくとも、「平和じゃない世の中」なんてものを快く受け入れられるような人は、よほどおかしな人ではない限り存在しないでしょうが・・・・・・。それに反して最近の平行線世界は、平和とは正反対の方向に向かってしまっているのです。
不思議なものですよね。みんなが平行線世界の平和を願っていると云うのに、まさかこんな状況に陥ってしまうだなんて。
どうしてこうなったのか、それは大体把握しています。
少し前のお話です。お隣に存在する魔法界――平行線世界は二つの小さな世界で出来ています――に住む魔法使い達が、私達の住む人間界に突然攻撃を仕掛けてくると云う事件が起こりました。
そこから以前から仲の悪かった人間と魔法使いの対立がより激しいものになって、まるで戦争が勃発しそうな勢いの状況に陥ってしまった、と云うことを私は聞かされています。
そう。きっとそのおかげで、こんなに平行線世界は不穏なのです。
だけど――なんだかそれは私には素直に納得出来ないお話でした。
だって、どうして魔法使いは今の時期に私達を攻撃してきたのでしょうか?
魔法使いとの対立は昔からずっと続いているものだし、最近人間と魔法使いとの間に何か今回の件の引き金になるような出来事があったような記憶もないですし……。どうして突然、と私は疑問に思っていて、今回の件に対してあまり納得がいかないのです。
勿論、私一人がこんなことを考えていても何にもなりませんが――それでも私は気がかりなのです。
どうしてここまで執着するのかと云うと――私は喧嘩とか戦争と云ったものが大嫌いなのです。
私は船乗りを職にしているだけの平凡な人間で――そして、平凡な人間は――これは私を中心に考えたことですが――「平和」を好むものなのです。
そんな「平和」を崩壊させるもの――言ってしまえばそれらのことです。
だから喧嘩や戦争が嫌い。たったそれだけの、単純な嫌悪感なのです。
まあ、だからと云って怒ったって仕方がないわけですけれど……。とても気持ちが悪いです。…と云うわけで、もうこんな話は考えないことにしようと思います。
――ああ、ところで。私は、星城 リコ(せいじょう りこ)と云う人間です。人間界と魔法界を繋ぐ海に船を渡らせるという役目にある、ただのしがない船乗りです。ついでに学生でもあり、学校にだってきちんと通っていますよ。平行線世界では子供だろうと老人だろうと殆どの人が職業と自称するものを持っているのです。
私は先程まで、いつものように真面目に仕事を行っていました。普段ろくに姿を見せないけれど一応は私の知人である人が珍しく私のもとを訪れて、唐突に「魔法界まで船を出してくれ」と言うので、私は若干戸惑いながらも船にその人を乗せてあげました。現在は、その人を無事送り届けた後魔法界からまた船を出して、船乗り場まで戻ってきたところです。
私は船から降りて、ひとつ息をつきました。
海辺とは云え真夏の平行線世界は、やっぱり暑いです。額に掛かった前髪を手の甲で上に押し上げると、その前髪が自分の汗で少し濡れていることに気が付きました。夏と云う季節は好きですが、汗をかいてしまうという点だけは嫌なところなのですよね。
ひとまず仕事に空きが来ている間は、魔法界にて謎の用事を済ませた例の知人から迎えに来てほしいと云う連絡が来るか、いつ来るかも分からない次のお客さんを待つかと云う時間が私を待っています。空きが来たからと云って特にするべきことも見つからなかったので、私は船乗り場の手前にある横長のベンチに腰を下ろして、ぼんやりと考え事を始めました。ベンチの上は若干ひんやりとして気持ちがいいです。
私が考え始めたのは、最近の平行線世界のことなどではなく、先ほど私が魔法界まで送り届けてきた知人についてのことです。
彼は溝枝 充という私の同級生で、学校で会ったら軽く挨拶をして世間話する程度の間柄です。特にこれと云って彼に対して特別な感情を抱いている、と云うこともない、ただの知人です。だから、彼について考えを巡らせるのは他に何もすることがないので退屈している今だけになるのでしょうか。
彼の行動はよくわかりません。一見ごく普通の思考を持った人だと思いきや、突然突拍子もない行動を始めようとするのです。
例えば彼は、先程どうして魔法界に行きたいなどと私に頼んだのでしょうか? 彼は先ほども語ったとおり、滅多に外で見かけることがないのです。彼曰く、「仕事をしていたら熱中してつい引きこもってしまう」と云うことらしいです。因みに彼の仕事については、彼は絶対に教えようとしてくれませんが……。
しかしそんな彼が珍しく外に出て私に会いに来て、仕事をしに行くわけではないが、少し厄介なことが起こった――とだけ告げて、私に魔法界まで船を出させたのです。
何が起こったのかは深くは教えてくれなかったけれど、大変急ぎの用事らしかったので、言われる通りに魔法界まで送り届けたのですが、今になって更に、どうして彼が魔法界に行く必要があるのかと疑問に思います。色んなことが今の私には疑問なことなのです。
そもそも、魔法界とは、人間が敵としている魔法使いたちの住む世界で、とても危険な場所なのです。私は職業上、魔法界まで船を出すことはしますが、一度も魔法界の土地を足で踏んだことがありません。だから、魔法使いとも遭遇したことがありません。そして私に仕事を依頼するのは人間のみです。
私の仕事は元々あまり人気がなかったのですが、人間と魔法使いの仲が最悪になっている今の時期は、更に何が起こるか分からないので魔法界に行きたいという人間すら滅多にいないような気がします。ますます、彼――充さんが魔法界に行きたいと云う理由が気になってきました。
「…………と云うか、充さんは大丈夫なのかなあ。何より危険を嫌う感じの人なのに…」
充さんは私と同じく平凡な人間で――きっと私と同じように平和を愛する人間なのです。多分。平和を好む私なら、どれだけ急ぎの用事であろうと、今の魔法界には絶対に行きたくありません。危険だと分かっていながら突撃しに行くのは色々と無謀だと思うのです。
私は充さんのことが段々心配になってきました。何ともないただの同級生なのに、やはり知り合いが危険な目に遭っているのを想像すると心がざわつきます。
私はやがて焦ってきました。今頃充さんは――。
「ああ……。充さん充さん、私は心配です! どうすればいいのでしょうか!」
「心配する必要はないですよ」
「?!」
一人で盛り上がっているところの私に対してでしょうか、後ろから声がかかってきました。私は突然のその声に驚いたついでに、大きな独り言を言っていた自分に対して赤面しつつ、後ろを振り返りました。
振り向いた先に立っていたのは――見たこともない女の人でした。
「あ…………」
その女の人を見た瞬間、私ののど奥からよく分からない声が出てきました。出そうと思って出した声ではありませんでした。勝手に私ののどから出た声なのです。何だかとても気持ちが悪いです。
「…少しお話いいでしょうか?」
――それほどに、その女の人は、異様な雰囲気を纏っていたのだと思いました。
***
「少しお話いいでしょうか?」
船乗り・星城リコが振り向いた先にいたのは、桃色の髪をした一人の女性だった。
穏やかな口調の割に、周りには冷たい雰囲気が漂っていて、それでいて彼女自身のその表情もまた、冷たいものであった。
女性は神経質そうな表情をしてリコを見つめている。背丈は長身のリコでさえも低く見えてしまうほどの長身である。リコの頭一つ分くらいは高いだろうか。
年齢は――明らかにリコより年上だということは分かるが、それ以外は全く分からない。まだ二十歳程の年齢のようにも見えるが、見ようによっては二十歳を大きく超えてすらいそうな年齢にも見える。そして見ただけでは種族が全く予想できない。何だか全てが謎に包まれているような、或いは彼女自身が謎そのものを形にした生き物であるかのような、そんな女性である。
リコは、しばらく何も答えられなかった。この女性の雰囲気に圧倒されているのだ。
今までリコは、こうまで異様な雰囲気を纏っている人物と対面したことがないので、どう接したらいいものかと、困惑しているらしい。
そんなリコを見かねたのか、桃色の髪の女性は自分の方からリコに歩み寄ってきた。
リコはより距離が近くなった女性を、恐る恐る見上げる。間近で見ると、全体に冷たい雰囲気を纏っていながらも、この女性が相当綺麗な顔立ちをしていることにリコは気が付いた。それも人を簡単には寄せ付けないような、彼女の雰囲気によく似合っている綺麗さである。リコの周りには美人が多いが、こう不思議な綺麗さをした美人は、多分この女性だけだろうな、とリコは思う。自分や、自分の周りの者たちとは住む世界が違っているような美人――リコは直視出来なかった。妙な汗をかく。
「…私の名前は劫幅やくと申します。正体については説明すると長いのでまた今度。今日はあなたに聞いてほしい話があって来ました」
――私に聞いてほしい話? リコは心の中で首を傾げた。自分はこんな現実離れした人にそんなことを言われるようなことがあるのだろうか。この人の言う「聞いてほしい話」なんて、きっとこの人と同じように現実離れした話に違いない。何だか少し怖いと思った。ただ、相手に挨拶をさせて、自分は何も言わないのも失礼だと考えたので、とりあえず挨拶を返すことにする。
「は、はあ…。わ、私は星城リコです。船乗りです。学生です。」
「…ああ、別にいいですよ自己紹介なんて。私はあなたのことをよく知っている。だからあなたにお話があるのです」
リコが硬くなりながら無心で自己紹介の言葉を並びたてていると、その途中で劫幅やく(きょうのやく)、と名乗った女性はそれを遮るようにしてそう言った。
リコは、ますます怖くなる。何故、今まで面識が無かったやくに、自分はよく知られるようなことがあるのだろう? と思った。尋ねたい気持ちで一杯だったが、この女性を目の前にするとそんなことは尋ねられないような、そんな感じがしたので何も言うことができなかった。
やくと名乗った女性は続ける。
「平行線アクセス計画、と云うものをご存知かしら?」
突然そんなことを尋ねられたので、リコは焦った。
平行線アクセス計画――? そんな奇妙な響きを持った言葉をどこかで見たり聞いたりしたことがあるのならば、リコは間違いなく覚えていることだろう。
やくの方をちらりと見る。やくの表情には、リコがその平行線アクセス計画、という言葉を知っているのだということを、確信しているようなものがあった。それを確認するために、やくはリコにこう尋ねているのだとリコは思う。
「平行線アクセス計画…ですか」
ゆっくりと記憶を辿ってみる。平行線アクセス計画。確かにどこかで目にしたような気がする。
…ああそうだ。少し考えた後、リコはあることを思い出す。それは、丁度魔法使いが人間界に攻撃をしてきた時期に、リコの家のポストに入っていたリコ宛ての手紙のことである。確かその手紙の内容に、そのようなことが書かれていたような記憶がある。
ただ、リコはその手紙を最後まで読むことはなく、最初の数行だけ読んで捨ててしまった覚えがある。何やら胡散臭いことばかり書かれていたので、下らないイタズラか何かだと思ったのだ。
リコはこの話を打ち明けて、やくが突然怒りだしたりしないだろうかなどと怯えながらも、嘘を吐き適当に話を合わせて苦しいことになると云うのも嫌だったので、仕方なく素直に手紙を捨ててしまったのを打ち明けることにした。
「ええと…確かに先日そんなお手紙が届きましたが…………す、捨ててしまいました! な、何かすみません...」
リコなりに申し訳なさそうな感じを出そうと努力して選んだ言葉だった。そして「捨てた」より「無くした」の方がよかっただろうかなどと考えながら、やくの顔色を伺った。
「............うっ...」
やくは――いかにもと云った表情をしていた。全く控えめにする様子はなく思い切り顔をしかめている。
あ、まずいこと言った。とリコは直観した。怖い。とてつもなく怖い。自分の顔が恐怖で段々と蒼ざめていくことを、リコは身体中に感じるひんやりとした感覚によって気付く。再び妙な汗がだらだらと出てくる。
しかしやくは顔をしかめただけで、それ以上何も言わなかったし表情もすぐに元の表情に戻った。その代わり服の懐を探って、リコに一枚の紙を手渡してくる。
リコはやくが怒りだして怒鳴りつけたりしないことを確認し、安堵のため息を吐きつつその紙をやくの手から受け取る。そしてちらりとやくの顔を見て、やくが頷いたのを確認するとその紙に書いてある文字を読み始めた。きっとこの紙は、リコが捨ててしまった手紙と同じ内容が記してあるのだろう。内容は以下の通りである。
≪――平行線アクセス計画。近頃の平行線世界において問題視されている、人間と魔法使いの対立に対する対策計画である。この手紙が届いた人間、魔法使い、その他人外は、人間と魔法使いの対立を解決させるために戦う、「平行線アクセス」に選ばれた者とする。平行線アクセスは、平行線世界の未来を賭けて行う戦争を代表して行うことが使命である。この手紙が届いたからには、たとえいかなる理由があったとしてもその使命を放棄することは許されない。戦って自分たちの平行線世界における立場を守りきるのだ――。 平行線アクセス計画代表者≫
「…………」
リコは、この紙に記してある内容を読み終えても、なかなか紙から顔を上げようとしなかった。そして、しばらくそのままの状態で何かを考え込み、長い時間をかけたのち、ようやく顔を上げてやくの方に向き直った。やくは心なしか誇らしげな表情をしているように思えた(少なくともリコの目にはそう映った)。
「…な…なんというか…。す、すごい内容、ですね…………」
…何かコメントをしようにも、どれだけ考えたところで考え付く感想はこれぐらいしかなかった。リコはこの紙の内容に「不信感」と云う気持ちしか抱けなかった。
何と云うか、やはり胡散臭く、そして何一つ分からない。何故自分が人間と魔法使いの戦争を代表しなければならないのか、そして何故「平行線アクセス」なのか。そういった意味の分からない内容を総合して、この紙に対しても、平行線アクセス計画なるものに対しても大きな不信感を抱いた。そして勿論この「平行線アクセス計画代表者」に対しても、今目の前にいるやくという正体不明の女性に対しても。
そして、段々とその感情は若干の怒りに変化したような気がした。突然そんなふざけた計画に巻き込まれて、自分の大嫌いな戦争をさせられるだなんて、とリコは思う。あまりに突飛すぎる。これでははい分かりました、と受け入れるわけにもいかない。出来ることならどうにかしてこの場から逃げ出して、そしてもう二度とこんな怪しい計画とは関わり合いにはなりたくないとも思った。
――と云うか、戦争などと云うくだらなく、空しく、後に何も残らないようなことをするよりも、冷静に話し合ってお互い和解してしまえばいいのよ!
リコはさきほどまでやくに怯えてつい気弱な調子で話してしまっていたが、今度は思い切って強気に出てみることにした。
リコは貰った紙をビリビリに破いた。ついでにそれをむしゃむしゃ口に含めはじめたと思ったら吐き出した。食べるつもりだったが思いのほか無理だと思ったのだろう。強気に行く方向が間違えていると自分でも思う。やくも「何してるの」と呆れている。
仕方ないので仕切り直しにリコはやくを睨んだ。
「…………私、お断りします!」
それはリコ自身も驚くほどの強い声であった。さきほどまであんなに恐れていた相手に、自分はこうも強く自分の意見を主張することが出来るのだ、とリコは思う。そして一度強気に出たのが後押しになったのか、その後もその調子で戦争がいかにくだらないかだとか、平行線アクセスというネーミングはどうなのかだとか好きなようにまくし立てた。やくの雰囲気が怖すぎるなどという関係のない話までし始める始末である。リコは一度言い出すと止まらないタイプの人間なのである。
一方、今の今までおどおどした様子で自分とろくに目を合わせもしなかったリコが突然豹変しはじめたので、やくは狼狽している様子だった。しばらく何か言いたそうに口をぱくぱくさせていたが、やがて諦めたように頭を抱えてため息を吐いた。そしてリコが気の済むまで好き放題言い終わったのち、ようやく呆れた調子の低い声を出した。
「……待ちなさい。…さっきからそれはもう凄い勢いでまくし立てているようだけれど、まずはよく話を聞きなさい。今から私の指定する場所に向かってもらいます。そこで――」
「はいっ、もういいです大丈夫です! とにかく私知りませんから! 平行線アクセスなんて冗談じゃないですよ、私はそんなことよりも今からとても大切なことをしに行かなければいけないんですっ!」
やくの言葉はリコには届いていないらしく、リコはやくが言い終わらないうちのまま走って船の方に向かっていった。やくは焦ってそんなリコの背中に手を伸ばすが、それは届かなかった。
「ちょっ・・・・・・! どこに行く気?!」
やくが焦りながらそう尋ねると、リコは一瞬だけそちらを振り返って、大きく右手を振り上げる。
「魔法界に行って魔法使いの皆さんと和解を持ちかけます!」
そしてリコは馬鹿正直に行き先と目的を大声で叫んだのだった。やくは、唖然としてリコを追いかけることすらしない。それどころか、「馬鹿ね」と言わんばかりの表情をしている。
「・・・・・・・・・・・・まあそうしてもらったほうが好都合か。手間が省けたわ」
***
魔法使いと和解すべく劫幅やくのもとから逃げ出し、船に乗って魔法界までやってきた(危険な場所に行くのは無謀だと思っていた筈なのに)リコは、初めてと云える魔法界の土地を踏んだ。
何だか不思議な感じがする。リコはこれまで客を乗せて魔法界に船を渡らせたことが幾度もあるわけだが、船から出て、魔法界に足を踏み入れたのは一度もなかったなんて、と思った。こうして平行線アクセス計画と云う謎の企画に巻き込まれることにならなければ、これから先も魔法界に踏み入れることなんてなかったのだろうか。そんなことをぼんやりと感じながら、リコは周りの風景を眺めて歩いた。
まずそこに広がっていたのは巨大な森だった。どこまでも続いていきそうな深い森だ。そして別れ道が無数にあってどの道に進んだらいいかわからない。とりあえずリコは真っ直ぐに進んで、まずはこの森を抜けることにした。
しばらく歩いていくと、だんだん奥の方に光が差しているのが見えた。きっとあれが森の出口だ。リコは足早に進んだ。
「...ふわー............」
森から出たリコは思わず妙な声を出した。魔法界の風景がとても発展していたからだ。人間界とは全く違う。建物はどれも高く、洒落たデザインのものが多い。様々な用途に合わせた道具を扱っているような店が沢山あり、一日中買い物で暇を潰せそうな感じだ。
それに比べて人間界などは、建物はどれも低くて古臭いし、住宅や妙な建物ばかりで店と云うものが珍しい。違いを見せつけられたようで、リコは恥ずかしくなった。
人間と違って魔法使いは新しいものを受け入れて次々と取り入れている。変化をなかなか受け入れようとしない人間と違うのは当たり前なのだ。同じ平行線世界の住人なのに、海と種族を挟んでしまうとこんなにも違うものなのか。
風景の次に、肝心の魔法使いたちを観察した。先ほどからリコとすれちがっている魔法使いは、服装も雰囲気も明らかに人間であるリコに対して何も言わないどころか、リコの方をちらりとも見ようとしなかった。
てっきりリコは、魔法使いに会ったら真っ先に襲い掛かられると思っていた。なんせ今の時期は人間と魔法使いの関係は最悪な状態なのだから。非力な人間であるリコを攻撃することなんて魔法使いには簡単なことなのである。しかし魔法使いはリコを気にもとめない。
――そうか。いくら仲が険悪と云っても、襲い掛かられるようなことはないのね。
リコは安堵の息を吐いた。人間界を攻撃するほど人間を嫌っているのは、魔法使いの中でも一部の者たちだけだったのかもしれない。
そうとわかると、リコは魔法使いと和解する必要はあまりないと判断し、普通に魔法界の土地を観光することに決めた。この先には何が広がっているのだろう。そんなことを想像していると楽しい気持ちになってくる。
調子に乗って色んな道に入り、だんだん元来た道がわからなくなるほどに奥に入っていく。
「..................あれ?」
しかし、そこでリコは気がついた。そういえば周りの風景に夢中になって気がつかなかったが、段々と誰かとすれ違うことが少なくなってきたような気がする。
そして、店なども少なくなり、辺りは薄暗くなっていた。時間のせいではない。今の時刻は未だ昼を少し過ぎたばかりだ。
リコはしばらくその場にとどまった。少し不気味な気分になったのだ。先ほどまでの通りを少し外れただけなのに、急にそんな雰囲気を感じるのである。
しかし、リコは引き返すこともせず進み始めた。確かに不気味だが、きっと先ほどまでの道は表通りで人が多くて明るかっただけのことだ。
それにリコは決して勘が鋭くはない。たとえここが先ほどまでの道とは違う、不気味で危険な場所なのだとしても、この先を更に進んで何かがリコに襲いかかるのだとしても、リコがそんなことに気付くはずもないのだから、危険を察知して引き返すことなど出来ない。
そうしているうちに結局、リコは魔法界で一番危険な場所だと云われている、「裏商店街」にまで進んで来てしまったと云うわけだ。
魔法界の裏商店街。ここは魔法使いたちの夜のたまり場である。
昼間は家にこもってほとんどの者が外に出ないのが常識の魔法使いたち(リコがすれ違った魔法使いは買い出しか何かなのだろう)。しかし夜になると、怪しげな魔法実験の材料を探しにこの裏商店街にやってくる。ここでは魔法使いの本性が隠されることもなくむき出しにされる場所である。何かの標本や実験動物。人間界から拉致されてきたのだろう人間を売り買いしているのは当たり前の光景である。魔法使いたちが言うには、どうやら人間は魔法実験の材料に最適らしいのだ。だから何も知らずこの場に人間がやってきたとしたらーーそれはその人間の終わりを指すことになるだろう。
そんな何とも恐ろしい魔法界の裏商店街に、何も知らない人間である星城リコはのこのことやってきてしまったわけである。
昼間だからと云っても、昼間からこの裏商店街にたまっている魔法使いが全くいないと云うわけではない。一部の魔法使いは、この裏商店街を愛し、一日中入り浸っていると云う者もいるようだ。きっとここの異様な薄暗さが、平行線世界に住む魔法使い特有の暗い趣味に合っているのだろう。
――何なのかしらこの場所は…。空気が重いわ。
さすがのリコもこの場所のただならぬ雰囲気を察知したのか、表情が強張った。何だか寒気もしてきた。
先ほどまでリコが歩いてきた道のどれとも違う。先ほどまでの道がただの道程で、ここにやってきてやっと、「魔法界」にたどり着いたかのような、そんな空気がこの場所には漂っている。
――ここは早いところ出ていくほうがいいかもしれない。
そう思い立ち、リコはさっきまで歩いてきた道を引き返すことにした。しかし、道が複雑すぎて適当に歩いてきた道を引き返すのは困難だと気がついた。再び適当に歩いて更に帰り道がわからなくなるのはご免だった。
一体どうすれば帰れるのだろう、と途方に暮れて辺りを見渡していると、薄暗くて気がつかなかったが、奥の方に人だかりができているのに気がついた。魔法使い数人である。
ちょうどいいと思った。あの魔法使いたちに帰り道を訊いてみよう。この場所こそ危険な雰囲気が漂っているが、どこにいても魔法使いは魔法使いであろう。リコは疑うこともなく、人だかりの近くに駆け寄った。
「あのー、すみません…………」
「嫌だっ、離せ! 離せってば!!」
「えっ…………?!」
話しかけた瞬間「嫌だ」と叫ばれてしまった…と一瞬リコは思った。しかしそれは自分に対して叫ばれているものではなく、そして集まっている魔法使いの発した叫びでもないことに気づく。
その叫び声は少女の声だった。リコはその声に驚いて、人だかりが取り囲んでいるところを見た。その中に声の主であろう少女はいた。
その、リコと同じくらいの年齢に見える少女は、魔法使いたちの腕で手や足を拘束されて暴れていた。身体は傷だらけ、服はところどころ破られてボロボロ、鮮やかな水色の髪は無残に短く切り刻まれていた。少女の傍らには長い髪がナイフに絡まって落ちている。この場でこの魔法使いたちに切りとられたのだろう。
魔法使いたちは、その少女を大人しくさせようと、ただ暴れる少女を押さえつけている。そしてそのうち少女がなかなか暴れるのをやめようとしないのに苛立ったのか、一人の男が少女の髪を切り取ったナイフを掴み、少女の首元に突きたてるほどの勢いで近づけた。少女が短く悲鳴をあげる。
そして、男がそのまま少女の喉にナイフを突きたてようとしたその時――ずっとこの状況に怯えて立ち尽くしていたリコが我に返り、咄嗟にその男に飛びかかった。
「何をやっているんですかっ!!」
魔法使いたちがその時初めてリコの存在に気がついたのか、一斉にリコを見る。
――怖い。目が怖い。
リコは震え上がる。さっきまであの道ですれ違っていた魔法使いたちとは全く違う。これが――魔法使いなのか。
「おい、この人間……」
少女にナイフを向けていた男までもがリコを品定めするような視線で見ている。きっとリコを実験の材料に最適かどうかでも見ているのだろう。
「くっ…………! 悔しいけど“逃げるが勝ち”か...!」
リコに気をとられて魔法使いたちの拘束する腕の力が緩んだのだろう。その隙に少女が腕を振り払って、人だかりの中を抜けて逃げていった。ボロボロに傷ついた足で必死に立ち、よろけながらも走っている。
「おい! 逃げたぞ」
少女が逃げたことに気がついた魔法使いたちが口ぐちに叫んでいる。走っている少女を数人の男たちが追う。あの調子だとすぐに追いつかれて再び捕まえられていまうだろう――そう誰しもが思ったが、その少女が追いつかれることはなかった。何故なら――少女は宙に浮かんで逃げたのだ。
――飛んだ?
リコはその少女が宙に浮かんで、そしてそのまま空の方へ逃げていく様子を見て、大層驚いた。あの少女は一体何者なのだろう? 魔法使いならば飛べるのも頷けるが、見たところあの少女には魔法使いのような雰囲気はなかった。そして人間にはあんなことはできない。少女を追いかけていた魔法使いたちも、後を追って飛ぶことも忘れて、少女の姿を唖然と眺めている。
飛んでいく少女が、一瞬だけ下を振り返ってリコの方を心配そうに見つめたが、すぐに目をそらして空の彼方に消えていってしまった。
少女の切りとられた長い水色の髪は、まるで天使の羽のように、リコの足元に散らばっていた。
「今から追うのは困難だな…。クソ、折角の無種族が...。仕方ない、それならあっちの人間を」
しばらく狐につままれたように茫然としていた魔法使いたちがやっと我に返ったのか、立ち尽くしているリコの方を振り返り、何やら相談しあっていた。そして全員で静かに頷き、リコの方へと向かってきた。
「え…? ……あれっ、ちょっと!」
リコは魔法使いたちの標的が少女から自分へと向かったことに狼狽し、しばらくどうしたらいいのかわからずその場で足を震わせた。そのうちに「これはまずい」と更に慌て、震えている足を無理やり動かして無我夢中に追いかけてくる魔法使いたちから逃げた。その動きに合わせて魔法使いたちもリコを追う足を速める。しかしリコは足が速かった。魔法使いたちはなかなか追いつくことができない。
――“逃げるが勝ち”、なのね。
先ほど少女が呟いた台詞を何故かリコは真似た。逃げるが勝ち...逃げなければいけないのである。
リコは建物の裏へと逃げて、魔法使いたちの目から逃れた。そのまま真っ直ぐに走って出口を探した。この商店街には色々な出口があるらしく、リコは悩む暇も与えられず、そのうちの一つを選んで入っていくのだった。
***
再び森、だった。
どうやら魔法界は、周りを大きな森で囲まれているらしい。なんてややこしいのだろう。
――それにしても、さっきのアレは恐ろしかったわ。
リコは先ほど裏商店街で起こった出来事を思い出して、背筋が凍るのを感じた。
やはり魔法使いは人間界で言われているように、人間に危害を及ぼすような恐ろしい種族だと云うことである。もしあのまま捕まえられてしまっていたら、リコはどんな目に遭わされていたのだろう。きっとろくでもない末路を辿っていたに違いない。もうあのことは忘れてしまおう――リコは心に決めた。
とりあえず森の中のどの道でもいいから進んで、安全な場所に出てしまおうと考えた。この森はなんだか危険なにおいがする。足早に歩く。
――充さんは今頃どうしているのかな。
劫幅やくは、溝枝充のことを心配しているリコに対して「心配する必要はない」と言っていた。充が魔法界に向かって何をしているのか知っているような様子だった。しかし、なぜやくが充のことを知っているのだろうか?
もしかすると充は、リコと同じく平行線アクセス計画に巻き込まれた者の一人なのではないか? そうなるとやくがリコに言ったように「聞いてほしい話があるから私の言う場所に向かってほしい」と言って、魔法界に向かわせた(なぜ魔法界なのかはわからないが)のだと考えられる。充はやくに魔法界のある場所を指定されて、現在はそこに待機してやくを待っているのではないか? それなら納得がいく。
――あれ? ちょっと待って。
そうなると、リコは平行線アクセス計画と関わり合いになりたくないので逃げてきたはずが、まんまとやくの思う通りの場所に向かってきてしまったということになる。やくが追ってこなかったのは、リコが自分の思い通りに魔法界に向かってくれたからなのだろう。
…………いい具合に踊らされている。リコはなんだか悔しい気持ちになった。
「…ふっ、しかしその手には乗りませんよ! 私は帰るのです!」
それからは、一人で誰に言うことでもない挑発的なことを叫びながら森を歩いた。意地でもリコは人間界に帰るつもりになっていた。このまま大人しくやくの思うつぼに動くのはご免だと思ったのだ。
しかし、しばらくそうしていると、本当にその叫びが誰かに聞かれているような気分になった。人の気配がするのをリコは感じ取ったのだ。少し勘が鍛えられたのかもしれない。
先ほどからずっと、無数の視線がリコをいろいろな場所から見ているようである。気分が悪くなってリコは再び口を閉ざす。
――気のせい…………? いや、気のせいじゃない!
誰か――それもたくさんの――が確実にリコを見ている、そう確信した。まさか、先ほど裏商店街でリコを追いかけてきた魔法使いたちが、リコに追いついて様子をうかがっているのだろうか。それとも、平行線アクセス計画の――? 全く正体がわからない。再び冷汗がリコの頬を伝ってくる。今日リコは一体どれほどの汗を流さなければいけないのだろう。
「だ、誰……ですか、一体?」
思い切って、リコは辺りを見渡しながらそう言った。誰かがリコを見ているのなら、きっと聞こえているはずだ。これでリコを見ている者たちが出てきて、リコに襲いかかるかもしれない。しかしそれでもリコは「それら」の正体を確かめたかった。
すると案の定――「それら」はリコの前に現れたのだった。
「............?」
無数の小さな影。のそのそとした調子で、ゆっくりとリコのほうに向かってくる。どうやらそれは人型をしてはいないようだった。
――アレは…………。まさか。
その妙な影たちは、次第にリコのほうに向かってくる速度を速めて――あっという間にリコの周囲をわらわらと取り囲んでしまった。凄い数である。それでも不思議と恐怖は感じない。リコは、「それら」の姿をゆっくりと確認する。その小さな生き物は――。
――…河童?
…………河童だった。リコは河童と云う妖怪を見たことがないが――それは確かに無数の河童たちだった。幻の妖怪だと言い伝えられているあの例の。それもすごく可愛らしい。
リコを見つめていたあの気配の正体は、この河童たちだったと云うことである。なんだかとてもまぬけである。こんなモノにリコは怯えていたのだ。
「......河童…ねぇ。まさかこんな生き物が本当に実在したなんて…。すごいことだわ。すごいことだけれども……」
――どういう対応をしたらいいのかしら…?
リコは寄ってくる河童の一匹をなんとなしに持ち上げて抱きかかえながら、大いに困惑した。突然無数の河童が自分の前に現れて、中途半端に驚いて――それからどうしたらいいのだろうか。
と云うか本当にこれらは河童なのだろうか、謎である。しかもそうだとしても何故こんな場所に河童がいるのだろう。近くに河でもあるのだろうか? しかし水の音はしない。
今日はいろいろと不思議なことが起こりすぎて、どうやら感覚がマヒしているようだ。通常、見たこともない生物と遭遇すると、人間と云うのは大いに興奮するものであると云うのに。自分の冷静さに軽く引いたリコであった。
しばらく抱きかかえた河童とぼんやり見つめあっていると、手前にある木がガサゴソと云う音を立てて揺れ始めた。
また何か現れたのだな――とリコは無感動に感じた。木のほうに目をやる。
そこから出てきたのは――今度は河童でも先ほどの魔法使いたちでも劫幅やくでもない――得体の知れない男性だった。
――え………? 誰?!
リコは一瞬固まった。木の向こうから出てきたのは――普通の恰好をした人ならばいいのだが――とても奇抜な恰好をした人だったからである。
人間か……いや、人間では絶対にないだろう。こんな奇抜な恰好をした人間なんてまずいない。だとすると、魔法使い――? …………と、云う感じでもなさそうである。やくと同じく、見ただけでは種族不明である。そして年齢も不明。ついでに性別も、直感的に男性だと認識したものの、本当に男性なのか怪しい。男性は、どうやら髪が長いらしく、前のほうで髪を括っていたのだ。髪型は女性っぽい。
そんな謎の男性(?)は、リコのほうを向いて、ただ無言で立っている。しかしリコを見ているわけではなさそうだった。だとすると、リコの抱きかかえている河童を見ているのだろうか。リコは謎の人物をまじまじと見つめる。
――黄緑色の髪? 魔法使いにしては明るすぎるような気がする。それから服装も。とてもへんてこりんだわ…。そして全体の色合いが...。はっ、もしかして!
そう考え終わると、リコはがたがたと震えだした。その震えは間違いなく恐怖から来る震えである。マヒした感覚が戻ってきたのだろうか。
今リコの前にいるのは――。
「………あ。…………ごめ」
「ぎゃああああああああああああ」
「?!」
次の瞬間には、リコは叫んでいた。謎の人物は驚く。そしてお互い距離をとるように後ずさりあった。
そして――リコはその人物から目をそらして、うつろな目をしながら空を見上げるのだった。
――もしかして、もう戦争は始まってしまっているのかもしれません。
ありがとうございました。
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