『親バカ公爵の婚約破棄大作戦! 愛娘を守るはずが、なぜか全員幸せになりました』
第一話 娘溺愛公爵の極秘任務――王子殿下に婚約破棄させろ!
アルペン公爵家。
王国でも名高い名門貴族であり、その当主マカロニ=アルペン公爵は、国王からも厚い信頼を寄せられる人物だった。
……ただし、社交界では別の意味でも有名だった。
娘のことになると、理性を失う男。
「認めん! 私は絶対に認めんぞ!」
今日もまた、公爵邸の執務室に怒声が響き渡る。
机の上に置かれているのは、一枚の婚約書。
相手は第一王子ラクレット殿下。
王命によって決められた、アルペン公爵令嬢クリーミーとの婚約だった。
「なぜ我が可愛い娘を、王子などに渡さねばならないのだ!」
「公爵様……殿下は王国でも評判の良いお方ですが」
側近が冷静に告げる。
ラクレット王子は、民からの信頼も厚く、文武に優れた完璧な王子。
誰もが羨む婚約相手だった。
……普通ならば。
「そんなことは関係ない!」
マカロニ公爵は拳を握る。
「クリーミーは昨日、私のために紅茶を淹れてくれたのだぞ!」
「はい」
「笑顔で『お父様、いつもお仕事お疲れ様です』と言ってくれたのだぞ!」
「はい」
「そんな天使のような娘を、簡単に誰かへ渡せる父親がいるか!?」
「……完全なる親バカですね」
「違う! これは父親として当然の愛情だ!」
側近は深いため息をついた。
この公爵、国政では非常に優秀なのだ。
しかし娘のことになると、途端にただの心配性な父親になる。
「ですが、公爵様。婚約は王命です」
その言葉に、マカロニ公爵は黙り込む。
いくら権力を持つ公爵でも、王命を簡単に覆すことはできない。
ならば――。
「方法は一つしかない」
公爵はゆっくりと立ち上がった。
「ラクレット王子殿下のほうから、婚約破棄を申し出てもらう」
「……はい?」
側近の顔が引きつる。
「殿下にクリーミーとの婚約を後悔させるのだ」
「それは……かなり難しいのでは?」
「だからこそ、秘密の協力者が必要なのだ」
こうして、公爵の極秘作戦が始まった。
作戦名。
『未来の婿を円満に諦めさせる計画』
その任務を任されたのは、一人の男爵令嬢だった。
ピンク色の髪を持つ少女。
リコラ=ローズ男爵令嬢。
「リコラ。君にやってもらいたい依頼がある」
「はい、公爵様」
突然、公爵家へ呼び出されたリコラは緊張していた。
まさか自分が、こんな大きな役目を任されるとは思っていなかったからだ。
「君には、王子殿下の心を惑わせてもらう」
「……え?」
「そして、クリーミーとの婚約を考え直すよう仕向けるのだ」
リコラは目を瞬く。
(え? 普通、この役って……婚約者を奪う悪役令嬢側では?)
頭の中が混乱する。
しかし目の前にいるのは、王国でも最高位の公爵。
断れるはずもない。
「……わかりました。私にできることなら」
「頼んだぞ、リコラ!」
こうして、前代未聞の作戦が開始された。
男爵令嬢リコラによる――。
『王子殿下に嫌われるための努力』
……のはずだった。
しかし。
誰も知らなかった。
ラクレット王子は、クリーミーとの婚約を迷惑などと思っていなかったことを。
むしろ――。
彼は彼女を、心から大切に思っていた。
そして、クリーミー自身も。
「お父様」
「な、なんだ?」
「また何か余計なことを考えていますよね?」
「なぜ分かった!?」
娘には、父親の企みなどすべてお見通しだった。
果たして、親バカ公爵の計画は成功するのか。
それとも――。
娘を幸せにしたいという父親の願いが、思わぬ恋の奇跡を起こすのか。
アルペン公爵家の騒がしい婚約騒動が、今始まる。
第二話 男爵令嬢リコラ、王子殿下攻略作戦を開始する――はずだった
数日後。
王立学院に、一人の編入生がやってきた。
ピンク色の髪を揺らしながら歩く少女。
リコラ=ローズ男爵令嬢。
彼女には、重大な使命があった。
――ラクレット王子殿下との婚約を破談に導くこと。
もちろん、本当に王子を傷つけたいわけではない。
ただ、公爵様の願いは絶対だった。
(大丈夫……私はやるだけよ)
リコラは小さく拳を握る。
(王子殿下に『僕にはリコラがいる。クリーミー嬢とは結婚できない』と婚約破棄していただけばいいだけ)
そう。
これは恋ではない。
任務なのだ。
……そう思っていた。
◇
王立学院の中庭。
そこには、多くの生徒たちが集まっていた。
その中心にいるのは――。
金色の髪を持つ美しい青年。
第一王子ラクレット。
誰もが憧れる、この国の未来の王だった。
「やはり……噂通りね」
遠くから見つめながら、リコラは息を飲む。
完璧な容姿。
優雅な立ち振る舞い。
そして、周囲への気遣い。
(なるほど……これは確かに人気があるわけね)
だが、リコラは負けるわけにはいかない。
今日から任務開始。
まずは第一段階。
王子の印象に残ること。
そして――。
「きゃっ!」
リコラは王子の前へ歩き出した瞬間、わざと足をもつれさせた。
完璧な演技。
可憐に転ぶ令嬢。
そして、颯爽と手を差し伸べる王子。
これが恋愛小説のお約束。
(お願いします、ラクレット殿下……!)
しかし――。
「危ない!」
伸びてきた手は、金髪の王子のものではなかった。
次の瞬間。
リコラの身体を、誰かが優しく支える。
「大丈夫ですか?」
耳元で聞こえる、穏やかな声。
顔を上げると――。
そこにいたのは、青い髪の青年だった。
「……え?」
彼は王子の側近。
カンブリー=ブルー伯爵令息。
冷静沈着で知られる秀才。
そして――。
誰もが認める美青年だった。
「怪我はありませんか?」
「あ……はい」
リコラは慌てて離れる。
しかし。
頬が熱い。
(違う……)
心の中で叫ぶ。
(あなたじゃないの……!)
今回の目的はラクレット王子殿下。
王子を困らせ、婚約を諦めさせること。
なのに。
なぜか胸が高鳴る。
(落ち着いて、リコラ。これは任務よ)
そう言い聞かせる。
しかし、カンブリーは優しく微笑んだ。
「無理をなさらないでください。学院生活に慣れるまでは、大変でしょうから」
「……」
その優しさに、さらに顔が赤くなる。
――まずい。
これは非常にまずい。
◇
その様子を少し離れた場所から見ていたラクレット王子は、小さく首を傾げていた。
「カンブリー」
「はい、殿下」
「彼女は……面白い令嬢だね」
「そうですね」
「僕ではなく、君に助けられて驚いていたようだった」
「……」
カンブリーは困ったように微笑む。
「気のせいでは?」
「いや。僕には分かるよ」
ラクレット王子は楽しそうに笑った。
「彼女は、何か企んでいる」
「では、警戒を?」
「いや」
王子は首を横に振る。
「むしろ興味がある」
◇
その日の夕方。
リコラは学院の庭園で一人、反省していた。
「失敗した……」
王子の前で華麗に転ぶ予定だった。
王子と会話をする予定だった。
少しずつ距離を縮める予定だった。
なのに。
結果は――。
王子ではなく、側近に助けられた。
「どうしてこうなったの……」
リコラは頭を抱える。
しかも。
ラクレット王子は、こちらを怪しんでいる。
青髪の側近カンブリーは、なぜか優しい。
そして自分の心は、少しだけ乱されている。
「恐るべき相手……」
リコラは呟いた。
「ラクレット王子……そして、その側近……」
こうして。
娘溺愛公爵による婚約破棄作戦は、開始早々――。
予想外の方向へ転がり始めたのだった。
第三話 貧乏令嬢リコラ、王族専用ランチに招待される
数日後。
王立学院の昼休み。
リコラ=ローズ男爵令嬢は、現在――。
なぜか。
王族専用の個室で昼食を取っていた。
「……どうして、こうなったの?」
目の前に広がる豪華な料理。
そして、同じテーブルには。
金色の髪を持つ第一王子ラクレット殿下。
銀色の髪を持つアルペン公爵令嬢クリーミー。
青い髪の王子側近カンブリー。
王立学院でも特別な存在である三人が座っている。
リコラは緊張で背筋を伸ばした。
(おかしい……)
(私は王子殿下との婚約を破談に導くために来たはずなのに……)
(どうして、こんな場所で一緒に食事をしているの?)
混乱しながら、数十分前の出来事を思い返す。
◇
その日の昼前。
廊下を歩いていたリコラは、偶然カンブリーと出会った。
「ああ、リコラ嬢」
「カンブリー様」
爽やかな笑顔を浮かべる青髪の青年。
「これから昼食ですか?」
「はい」
「では、もうお食事は用意されているのですね」
何気ない問い。
リコラは少し迷った。
しかし、嘘をつく理由もなかった。
「えっと……」
小さく笑う。
「我が家はあまり裕福ではありませんので」
「……」
「朝はパン一つと、パン屋さんからいただいたパンの耳を食べています」
「……」
「夜は閉店間際に安くなったお弁当を買うことが多いです」
リコラは明るく話した。
まるで、それが普通のことのように。
しかし。
カンブリーの表情は少し曇った。
「それでは……栄養が足りません」
「え?」
「食事は大切です」
優しい声だった。
「もしよろしければ、今日だけでも一緒に昼食を召し上がりませんか?」
「え? でも……」
「遠慮なさらなくて大丈夫です」
そう言われ。
気づけば、リコラは王族専用の個室へ案内されていた。
◇
「……すごい」
テーブルに並ぶ料理を見て、リコラの目が輝く。
焼きたてのパン。
香り豊かなスープ。
美しく盛り付けられた料理。
普段の生活では、決して見ることのできない食事だった。
「こちらは王都でも人気の料理人が作ったものです」
カンブリーが説明する。
「このパンは、小麦の香りを楽しめるように焼き上げています」
「そんな違いがあるんですね……!」
リコラは夢中になって聞いていた。
その姿を見て、クリーミーは小さく微笑む。
「リコラさん」
「はい?」
「とても美味しそうに食べますね」
「す、すみません……!」
慌てて姿勢を正すリコラ。
「いえ」
クリーミーは首を横に振った。
「謝ることではありませんわ」
「……」
「料理を美味しく食べる人を見るのは、嬉しいものですから」
その言葉に、リコラは少し驚いた。
(優しい人……)
噂では、公爵令嬢というだけで近寄りがたい存在だと思っていた。
しかし。
実際のクリーミーは、とても穏やかな少女だった。
「でも……」
クリーミーは少しだけ首を傾げる。
「リコラさん」
「はい」
「どうしてこの学院に編入されたのですか?」
「え? 父の仕事の都合です」
「あら、男爵様は、王都にはおられないのでは……」
「うっ……こ、これから来る予定なのです……」
リコラは曖昧に笑顔を浮かべる。
「何か事情がおありなのかしら?」
「そ、それは……」
答えに困るリコラ。
そこでカンブリーが助け船を出す。
「クリーミー様、彼女は僕のお客様ですので、それぐらいでお願いします」
「まあ、そうですわね。カンブリー様のお客様でしたわね」
優しく微笑む。
「では、わたくしとも、仲良くできれば嬉しいですわ」
「……はい」
リコラは胸の奥が温かくなるのを感じた。
◇
その様子を、ラクレット王子は静かに見ていた。
「……」
彼はすでに気づいている。
リコラが、自分へ近づこうとしていること。
そして。
何か目的を持っていることも。
(さて……)
ラクレットは紅茶を口にする。
(彼女はいったい、何を考えているのかな)
だが、問い詰めるつもりはなかった。
リコラの表情。
食事を楽しむ姿。
クリーミーへ向ける素直な態度。
それらを見る限り。
彼女が悪意を持っているとは思えなかった。
「殿下?」
カンブリーが声をかける。
「どうかされましたか?」
「いや」
ラクレットは微笑んだ。
「少し気になる令嬢が現れたと思っただけだよ」
その言葉に、カンブリーは小さく笑う。
「警戒は必要でしょうか?」
「まだいい」
王子は首を横に振った。
「しばらくは、見守ろう」
◇
その頃。
リコラはというと。
「このデザート……初めて食べました……!」
完全に任務を忘れていた。
王子と仲良くなることも。
婚約破棄へ導くことも。
今はただ。
目の前の美味しい料理と、優しい人たちとの時間を楽しんでいた。
こうして。
娘溺愛公爵による婚約破棄作戦は――。
またしても、思わぬ方向へ進み始めていた。
◇
その頃。
アルペン公爵邸。
執務室では、一人の男が落ち着かない様子で歩き回っていた。
「まだか……」
マカロニ=アルペン公爵。
普段は冷静沈着で、王国でも有数の切れ者と呼ばれる男。
しかし。
愛娘クリーミーのことになると、話は別だった。
「リコラ嬢からの報告は、まだ届かないのか?」
側近へ問いかける。
「はい。現時点では、まだ何も……」
「そうか……」
公爵は腕を組み、深刻な表情になる。
「まさか……」
「はい?」
「ラクレット王子殿下が、想像以上に手強いのではないか?」
側近は少し考える。
「殿下は、確かに簡単に心を動かされるお方ではありません」
「やはりか……」
マカロニ公爵は頷いた。
「我が娘を幸せにするには、それほどの人物でなければ困る」
「……」
側近は思った。
(公爵様……婚約を壊したいのか、認めたいのか、どちらなのでしょう)
しかし、公爵は真剣だった。
「それで?」
「はい」
「いつ頃、ラクレット殿下はクリーミーとの婚約を破棄すると言ってくるのだ?」
側近は言葉を失う。
「……公爵様」
「なんだ?」
「普通、その質問は娘を嫁がせたい父親がするものではありません」
「何を言う」
マカロニ公爵は胸を張る。
「私はただ、クリーミーが悲しい思いをしない未来を望んでいるだけだ」
「ですが……もし殿下が本当にクリーミーを大切にしてくださる方なら」
公爵は少しだけ表情を和らげる。
「私は……認めるつもりだ」
「公爵様……」
「ただし!」
次の瞬間。
公爵の目が鋭く光る。
「娘を泣かせた瞬間、王子であろうと許さん!」
「……」
側近は深いため息をついた。
やはり。
この人は国でも有名な親バカ公爵なのだ。
◇
「それにしても……」
マカロニ公爵は窓の外を見る。
「リコラ嬢は、ちゃんと任務を果たしているのだろうな」
しかし。
公爵はまだ知らなかった。
自分が送り込んだ令嬢が――。
王子を誘惑するどころか。
王子の婚約者と仲良くなり。
王子の側近と距離を縮め。
そして。
王族たちとの温かな昼食を楽しんでいることを。
「報告が楽しみだな」
娘の幸せを願う父親と。
予想外の方向へ進み始めた婚約破棄作戦。
果たして、この作戦の結末はいかに――。




