私の人生2
「【イレギュラー】…なぜ僕に近づいて来たんだい?」
俊明が震えた声で問う。
その額には冷や汗が流れている。
『何故?簡単なことさ。君が面白いからだよ。』
「面白い?」
『ああ、絶望して死んで目覚めると異世界。そんな所で解放という目的のみで殺人を容易に繰り返すなんて面白いだろう?』
「君はずっと僕を見ていたのか?」
『うん、だって君をここに召喚したのは僕だから。』
その言葉を聞いて灰となっていた俊明の心に紅い炎が爆ぜた。
「お前が?」
その言葉は今までで一番強く重かった。
『おっと、口調が変わったね。君にもまだ感情が残っていたとは。ははっ。』
「僕はやっと苦しみから解放されると思っていた。なのに…お前が余計なことを…!」
『怒らないでよ俊明君。』
「どうして平常心でいられると思っているんだ?僕を見ていたのならあの村の事も全て知ってるんだろう?」
『もちろん♪』
「じゃあ、この力もお前が?」
『いいや違うよ。それは君自身の力だ。それに関しては僕にも分からない事が多いよ。』
「ならお前は何なんだ?何をしに来たんだ?」
『もう、せっかちだなー俊明君は。簡単に言うと僕は【神】で君に真実を教えに来た。』
「【神】だと?今さら?真実なんて求めていない!僕はもう何も要らないんだ!」
『まあまあ、せっかくだし聞いて行きなよ。』
「遠慮する。僕はもう行くよ。」
『この世界は“遊び場”だ。』
その言葉に俊明の歩みが止まる。
『この世界の神、時空神アストリオン、事象神オルディス、生命神ミュリア。彼女達は最近産まれたばかりの幼神だ。そして君らが住んでいた世界を“第一世界"と言いそれをまねて作ったのがここだ。』
「なんだ?じゃあお前はこの世界の人々は皆おもちゃだというのか?」
『人間だけじゃない、全てがだ。思っていただろう?おかしな国の名前に一部の人間の名前、それも彼女達が幼稚故につけられたものだ。』
「…。」
『そして何よりこの世界は君らでいう“平面世界”だ。まだ彼女達は綺麗な球を作れないからね。』
「…お前の言い分は分かった。でも僕のやることは変わらない。」
『憎くないのかい?それに君が解放してるもの達は皆おもちゃなんだよ?』
「関係ないよ。泣いて、笑って、怒って、喜んで、希望を持って、絶望して、楽しんで、苦しんで、生きて、死ぬ。それだけで十分だ。」
『…それは狂気の道だよ。』
そう言った【イレギュラー】の顔からは薄ら笑いが無くなっていた。
「構わないよ。僕は全てを受け入れる。」
俊明は少し微笑む。
『ふーん、せっかく神と殺し合いをさせようと思ったのにうまくいかないね。』
「僕は戦いが嫌いだよ。」
『そうかぁ、残念だよ。でもその気になったら言ってね。僕はいつも“混沌”から見てるからさ。』
そう言い残して【イレギュラー】は跡形も無く消えた。
まるで全てが夢だったように。
—俊明は『絶望』に従ってナポリタン王国を東から西へと横断する。
国内の街を転々としながら人々を『解放』する。
しかし彼の脳内ではずっと同じ言葉が繰り返されていた。
勇者が言う『希望』、魔王が信じる『人生』、【イレギュラー】が語った『真実』。
今まで全てを受け入れ、自身を割り切ってきた俊明に一つの疑問が浮かぶ。
僕は本当にこのままで良いのか?と。
『解放』という義務感だけの生。
そこには魔王の言う『楽しい』は無い。
『希望』なんかもあるはずがない。
俊明は思う。
(僕の人生って意味、あるのかな…?)
ふと空を見上げる。
ただ青く、太陽のみが輝いている。
風が頬を撫でる。
気付けばもう国境だ。
3メートル程の壁が横に長く続いており門の周りでは数人の兵士が談笑している。
すると兵士の一人が俊明に気付き。
「国境、渡りますか?」
と問う。
「はい。」
俊明がそう返事をすると他の兵士達は背筋を伸ばし足を揃える。
「ではお名前を。」
「三浦俊明です。」
「トシアキさんね。では何をしにスパゲッティ王国へ?」
「旅をしに。」
「成る程。では荷物チェックをします。」
そう言うと二人の兵士が俊明の所持品をチェックする。
「はい、オッケーです。最近変な薬が流行ってるもんでね気をつけて下さい。ご協力ありがとうございました、行ってらっしゃい。」
「ありがとうございました。」
三浦俊明、スパゲッティ王国へ入国。
◇
トリニク領へと到着した正義はヴァルターと共に武器を新調しに武器屋へと向かっていた。
通路を抜けると大きな噴水のある広場に出た。
広場には沢山の人がいて前に進むのも一苦労だ。
そんな中正義は噴水の前で座り込んでいる6人程の貧相な身なりの子供達を見た。
彼らの目には虚空のみが映っていた。
かろうじて人混みを抜けた正義はヴァルターに問う。
「ヴァルターさん、あの子供達って一体…。」
ヴァルターは少し悩むような表情をして。
「…恐らく戦災孤児でしょう。」
「まさか魔族の影響がここまで?」
「いいえ、人間同士の戦争です。」
「ちょっと待って下さい…そんな話聞いてませんよ。」
「はい、我が王の命によってこの事はあなた様には伏せられていました。」
「何でですか!」
「あなた様には魔王討伐のみに集中していただきたいと…。」
「だからって…!」
するとヴァルターが深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。この国の現状を見ればあなた様は我々に失望なさると、そう考えておりました。しかしそれは浅はかでした。」
「…。」
「とても図々しいことを言います。セイギ様、こんな我々をどうか救って下さい。お願いします。」
確かにそれはとても図々しい。
しかしそれに対して非を認め、面と向かって伝える。
これがこの老人なりの『誠意』なのかもしれない。
それに困ってる人を見捨てる訳にはいかない。
正義は大きく息を吸う。
「分かりました。でも、もう隠し事はしないでください。」
「ありがとうございます。あなた様の言葉、肝に銘じておきます。」
(結局俺は王様達に利用されてるだけなのかな…。)
正義は少しやるせない気持ちでトリニク領を出た。
—5日程でスパゲッティ王国王都スパゲッティへ到着した。
どうやらここは温泉が有名らしく折角なので皆で入ることになった。
古代ローマを彷彿とさせる白い石造りの建物。
これがこの街で一番大きな銭湯らしい。
脱衣所前でイザベラさんとは別れついに二週間ぶりの風呂に入ることができた。
なんでもこの世界ではお風呂は上流階級の特権らしく下級層に風呂が普及している国は結構珍しいそうだ。
でも日本人としてはこれはとてもありがたい。
中に入ると子供からお年寄りまでの大勢の人がおり、皆中央にある巨大な浴槽に浸かっている。
正義は少し懐かしさを覚えた。
体を流し肩まで浸かる。
やはり風呂は良い。心も体も癒される。
正義は20分ほど浸かり満足そうに浴室を出た。
他のメンバーはもう少しいると言うので、一人外に出て風を浴びることにした。
銭湯の入り口付近でぼーっと人の流れを眺めている。
そこで正義は見た。
薄暗い路地裏で血溜まりの上に倒れ伏している人間を。
(アイツがいる!)
気付けば正義は走り出していた。
死体を辿って路地を駆け抜ける。
—いた。
紺のローブに黒髪のオールバック“あの時"と姿は変わっていない。
「三浦俊明ィ!」
あの時一度だけ聞いた名前、でもはっきりと覚えている名前。
そう呼ばれた男はゆっくりと振り返る。
「君は…。」
「『勇者』光骸正義だ!コロッモで会っただろ!」
「…変わったね。」
その言葉に正義は下唇を噛む。
「俺はあの後考えたんだ。確かにお前のしていることは『解放』なのかもしれない。でも、やっぱり人は生きるべきだと思う!」
その言葉を聞いた俊明は哀れむような目を向ける。「…【イレギュラー】って知ってるかい?」
「それはお前のことじゃないのか?」
「違うよ。【彼】はつい先日僕に会いに来て“真実”を伝えた。」
「真実?」
正義は冷や汗をかき固唾を飲み込む。
「【彼】曰くこの世界は“遊び場”だと。
「“遊び場”?」
「ああ、神々が作った自由に遊べる空間。人も、魔族も、君も、僕も、全部おもちゃだと。」
「…そんなこと信じると思うのか?」
「君がどう思おうが構わない。でも【彼】は本物だと。そう言わざるを得ない。」
そう言った俊明の手は微かに震えていた。
「じゃあなんだよ!全部神サマの思い通りで、皆そいつに遊ばれてるだけって言うのか?ふざけんな!」
「…。」
「なんなんだよ!俺は…俺はなんのためにこんな事をしてるんだ!」
俊明はなおも沈黙する。
「なんとか言ったらどうなんだ!」
正義が剣を出し俊明に向かって行く。
その剣には最初に出した頃の輝きは無い。
俊明はただ正義を見つめるだけだ。
その時、正義は俊明から凄まじい威圧感を感じた。
まるで心臓を握り締められるような。
正義は思わず足を止めた。
(ダグラスさんの言ってた意味がやっと分かった!これは『死』だ!)
俊明の体から黒いモヤが出てきて、己の体に纏わりつく。
全身の皮膚がピリピリする。胃が収縮して吐きそうだ。心臓の鼓動が速くなるのが分かる。
足が、動かない。
正義は両手に剣を構えたまま微動だにしない。
俊明はクルッと後ろに振り向き。
「殺すか、殺さないかはっきりしなよ。」
と言い残して去って行った。
彼が見えなくなるまで正義は声を発することすら出来なかった。
正義は膝から崩れ落ちる。
(俺は…無力だ…。)
ずっしりとのし掛かる事実。
【イレギュラー】、三浦俊明、『真実』、『解放』、そしてそれらに対して何も出来ない己の無力さ。
潰されそうになりながら重くなった体を起こし仲間の元へ帰る。
今日はもう寝ようと。
合流した仲間達に具合が悪いとだけ伝え一足先に宿へ戻る。
そしてベッドで一人、己に問う。
(俺の人生って一体…。)
—その日の晩、ヴァルター達は酒場に居た。
「やっぱり今日のセイギはちょっとおかしかったぜ。」
「うむ、儂らが風呂に入っている時に何かあったのかもしれん。」
「ほんとう心配ですよ。」
「その事については明日セイギ様にお伺いしましょう。今は魔王との戦いについて。」
「ええそうですね。それでワタシ、『予見』をしました。」
イザベラのその言葉を聞き皆が彼女に注目する。
「いくら使った?」
「3ヶ月です。」
「ではイザベラ様、その内容をお教えください。」
「はい。ワタシが見たのは—」
昨日あんなことがあったとは思えない程晴々しい気分で正義は目覚めた。
とても体が軽い。なんだかやる気が湧いてくる!
「おっはよーこざいまーす!」
正義は仲間達に元気よく挨拶をする。
そんな彼を見て、皆呆然としている。
「…おはようございます。お体の具合はどうですか?」
ヴァルターが正義に話しかける。
「もう元気一杯ですよ!さあ、早く魔王を倒しに行きましょう!」
昨日あんなに落ち込んでいた人間が一晩で回復するはずがない。強がっているのか?
ルーザーがそう思案していると色褪せヒビが入った指輪が正義の指にはめられていることに気づいた。
(あれは…まさか…。)
ルーザーはその気付きをそっと胸の中にしまった。
◇◇
最東端、魔族領。
そこに建つ巨大な城、魔王城の玉座の間に五つの影があった。
「勇者との戦いの時が近い。」
漆黒の肌の大男が口を開く。
「そなたら、作戦は頭に入っているな?」
「「「「はい魔王様。」」」」
四人の男女が口を揃える。
「良いだろう。遂に我々魔族の時代が来る。長かった…この400年、我々は耐えてきたのだ。」
そして男は立ち上がる。
「7日後、人類は滅亡する。そして我々が世界を支配するのだ!」
夕日に照らされながら『魔王』マシュマロ・チョコディップはそう宣言した。
◆
俊明はスパゲッティ王国での『解放』を終え南、ハンバーグ帝国へと向かっていた。
国境には特に何もなくすんなりと渡れた。
そこから1日半ほど歩くと大きな街が見えてきた。
ハンバーグ帝国四大都市の一つ、デミグラスだ。門の前には例のごとく数人の兵士が立っている。
すると兵士の一人が俊明に気付く、ここまではいつも通りだ。
しかしその兵士は俊明を見るや否や顔を青ざめ尻もちをつく。
「く、来るな!化物め!」
「え?化物?僕がですか?」
「ほんとうだぞお前。一体どうしたんだ?」
他の兵士達も何を言ってるんだと呆れた表情をする。
「化物だ!あいつは隊長を…バーベ・コンスタント隊長を殺したんだ!」
その言葉を聞きすべての兵士が俊明に剣を向ける。
「ちょ、ちょっと待ってください、誤解です!僕はそんな人知らない!」
「誤解も何もあるもんか!俺は見たんだ!『最恐』と言われた人が呆気なく首を斬られたんだ!」
「そんな記憶ありません!」
「雑魚なんて覚えてないってか?コロッモ辺境の村で『森羅万象』と一緒に居たのはお前だろ!」
そうか!あの時の帝国軍人!いや、でも…
「僕が彼を殺したってどういう事ですか?」
「本物に覚えてないのか?お前に首を斬られた隊長は自爆したんだ!」
その言葉を聞いて俊明の頭の中に有った記憶の霧が一気に晴れた。
そうだ。思い出した。あの時、あの時—
—青い空、小さな村で村人と鎧の軍団が睨みあっている。
まだ何人もの人がこの村に取り残されている。
今度は絶望じゃない、希望を紡ぐための戦いだ!
そう決意を固めた時俊明から黒いモヤが出て来てバーベに纏わりつく。
それが何かは分からない。
だが俊明はふと一歩踏み出す。
一歩、また一歩と。
近づくにつれてバーベの顔が恐怖に歪む。
しかし彼は動かない。
「ト、トシアキ…。」
アダムが心配そうに声を掛ける。
俊明は何も言わない。
そしてモヤの導くまま手に持っている短剣をバーベの首に突き刺した。
「ウグッ!」
そのまま短剣を右から左へと流す。
「ガバァッ。」
バーベは口から血を吐き倒れ込む。
その様子を見て皆唖然とする。
俊明はバーベに背を向け村人達の元へ帰る。
逃げる準備をしていた者達もその手を止める。
我々の勝利だ!
誰もがそう思った。
しかしバーベは立ち上がった。
「全"軍"撤"退"ー!」
血を吐き喉をゴポゴポ言わせながらかすれた声で叫ぶ。
すると生き残っていた兵士達は一目散に逃げて行く。
「み"ち"つ"れ"た"!は"け"も"の"ー!」
バーベはそう叫びながら俊明めがけて剣をふる。
それをアダムが両手で受け止める。
「全員逃げろ!」
アダムが叫ぶ。
そしてバーベの体が赤く光だした。
村人達は近くの建物の中へ避難しようとする。
俊明は目の前にいたシルヴィアをとっさに抱き抱え小屋に入ろうとした。
しかし間に合わない。
熱と爆風がすぐそこまで来ている。
その時、また俊明の体から黒いモヤが出て来た。
それは俊明達を守るように覆い被さった。
俊明の意識は彼女の温もりと浮遊感に包まれて途切れた。
—そうだ。僕は守ったんだ。あの子を守ったんだ!守ったのに…僕は、僕はあの子を…殺した!
「おい!聞いているのか!今からお前を拘束する!」
ほぼ放心状態の俊明に兵士が叫ぶ。
「僕は死ぬのかい?」
「ああ!処刑だ!お前の罪はそれほど思い!」
死ぬのか…やっと『解放』されるのか…。
でも…
「でも…まだ僕は死ねない。」
「何?」
力の使い方は知っている。
俊明から黒いモヤが出て来る。
ようやく腑に落ちた。
勇者が二度も戦いを避けた理由、魔王が僕を力ずくで従わせなかった理由。
僕は無意識にこれを使っていたんだ。
俊明はそのモヤを兵士達に纏わりつかせる。
その瞬間兵士達は冷や汗を流し小刻みに震え始める。
「僕にはまだやるべき事がある。まだ死ねないんだ。」
動かない兵士達の間を進みながら俊明は呟く。
「『解放』だ。僕は『解放』しなければならない。」
遂には意識を失う者も出て来た。
「あの子の為にも…だから協力してくれるよね?」
その目には全く生気が宿っていない、だが光は失われていない。
兵士達は過剰なほど頭を縦にふる。
「ありがとう。じゃあ行かせてもらうよ。」
『死神』三浦俊明、ハンバーグ帝国北都デミグラスへ入門。




