第4話
掃除は、水魔法のおかげで意外と早く終わった。水魔法……便利過ぎる。
窓から照らされる夕日が眩しいので、そろそろ夕食の時間だ。高位貴族は通常、部屋まで侍女が食事を配膳する。だが、オリビアの部屋付きのメイドのラナは仕事を放棄して遊んでいる。記憶を辿ったが、いままでも食事を配膳したことなどなかった。
オリビアは空腹が我慢できない時だけ、数日に一回程度ほど食堂に向かっていた。毎回食堂に行くのは、彼女のプライド許さなかったようだ。それは他の高位貴族は、毎日食堂で食べてないからだ。
「ひと仕事したからお腹空いた!」
食堂に向かうために部屋を出れば、ドアの横にいたトーマスが声を掛けてきた。
何、コイツ……ドアの横にずっといたの?
「まだいたんですか? 公爵邸にさっさと帰ったらいかがですか?」
「いえ、それは……」
冷たく言い放つ私に、トーマスが焦ったように答える。
そんな顔をすれば、私が折れるとでも思っているのだろうか? 実に面倒! 今までオリビアが強く言えないのをいい事にないがしろにしていた癖に。お腹も空いたのでトーマスを放置して食堂へと向かう。
食堂に到着する。豪華な造りの部屋や廊下とは違って食堂は庶民的な普通の場所だ。
あれ? 記憶していたのはもっと豪華な場所だったけど? 記憶違い?
うーん? お腹空いたし、細かいことはいっか。
食べ物を取りテーブルに座ったのはいいけど、やけに周りの生徒から注目されているのが気になる。なんで? 何かおかしいことした?
オリビアは第三王子以外眼中に無かった。友達もいないボッチ少女だったので、辺りを見回しても記憶している顔がいない。
「あ、あの。オ、オリビア様」
「はい」
恐る恐る声をかけてきたのは、赤胴色の髪を二つ結びしたオリビアと同じ年くらいの女の子。記憶にはない顔だが、なんの用だろうか? やけに畏まったその表情は、怯えているようにも見える。
「私からお声がけをして申し訳ございません。私は同じクラスのライラと申します」
「私はオリビアです。あの、私、何かしましたか?」
初めて自分のことをオリビアと自己紹介する違和感で顔が強張る。
「あ、いえ! でも、その、こちらは、平民用の食堂でございます。あの、オリビア様は貴族ですので、その……」
「そうなの? ここで食べたらダメなの?」
「い、いえ。そんな事はございません」
「そう? じゃあ、食べるね」
「は、はい」
ライラは急ぐように自分の席へと戻った。
食堂が分かれていたのか……どうやら、貴族はここで食べないようだ。だから、周りから凝視されていたのか。あのライラって子、それを私に伝えに来るのは相当勇気が必要だったと思う。後で、お礼を言わないとな。
周りの女の子たちを見れば、私と制服が違うことに気づく。私の制服は白と青を基調としたものだが、彼女たちは赤と紺色だ。制服を分けるって……貴族と平民には溝がありそうだね。オリビアの記憶には平民と関わっている場面が少ない。いや、記憶あるのはあるんだけど……みんな顔がなく完全にモブ扱いだ。これからは徐々にクラスメートの顔を覚えて行こう……手始めにライラの顔は覚えた!
それにしても白い制服って……汚れが目立ちそう。洗濯だけはラナがしていたようだ。外見的に私が汚いと、自分が困るからって理由だけど。
夕食を終え、部屋へと戻る。メイドのラナは、まだ帰っていないようだ。本当に公爵家のメイドなの? 怠けすぎでしょ。
「オリビア様、本日は他にお出かけのご予定はございませんでしょうか?」
予定を尋ねるトーマスを無視してドアを閉め、内鍵もかける。今までオリビアを無視してきたのだから、これくらいの仕返しは構わないでしょう。
ゆっくり風呂に浸かりたい気分だ。風呂にお湯を張る。
しばらく髪を洗えていなかったのだろうか? 髪用の洗剤の泡立ちが悪い。身体も綺麗に洗とふくらはぎに傷痕があるのに気付く。
「何、これ……」
見えにくい位置にある鞭で叩かれたような傷痕だ。お尻の方にも同じ傷があった。
記憶を辿り、顔を顰める。これは、オリビアの家庭教師の仕業だ。オリビアが正解を答えても、気に入らないと殴ってくるクソ女教師の忌々しい記憶が頭に流れてくる。
「外面だけはいい教師だったからなぁ」
オリビアも虐待を公爵に訴えようとしたが、すべてを握りつぶされていたようだ。まぁ、公爵に言ったところで、毛ほどに関心なかっただろうけどね。
当時、若いメイドの一人はオリビアの扱いを訴えたようだが、それも握りつぶされていた。オリビアの記憶ではそのメイドは いつの間にか消えている。暇を出されたのだろう。
今、私の味方は少ない。ラナを首にしたら、そのメイドだった子を探してみようかな。名前は確か、リリだったと思う。男爵家の三女だ。
風呂に浸かると前髪が何度も目にかかった。
「前髪邪魔だな~。切ろうかな」
風呂から上がり、身体を拭こうと思ったけど……バスタオルがどれも汚い。結局、まだましなフェイスタオルで身体を拭く。
長風呂のおかげで、綺麗になって気分もさっぱりした。前髪は結局、自分で切った。間違えて指先も少し切ってしまったけどね。
髪で隠れていた大きな菫色の目が見え、オリビアの雰囲気は随分と変わった。
「うん。かわいい」
って……あれ、この顔……何か見覚えがある。
「ああ、この顔! 途中でやめたゲームの悪役令嬢じゃない!」
最期までやらずに放置したゲームだ。
【子爵令嬢だけど、王妃になります!】
そうそう。そんなタイトルのゲームだった。サブタイトルが『愛され令嬢の下克上物語』とかいう、テンプレの設定だったと思う。
記憶している顔よりも少し若いけれど、これは悪役令嬢オリビア……絶対にそうだ。あのピンク頭のリリアンがゲームのパッケージの大部分を可愛らしい笑顔で占領していた。その可愛らしいリリアンの後ろで、鬼の形相で睨んでいたのが悪役令嬢のオリビア、現在乗っ取っているこの身体だ。
ゲームの世界ってことは現実じゃない?
「でも、さっき切った指先はズキズキしているんだよね」
なんだか微妙だけど、たぶんここは現実だ。どうやら、私は死んで、最後までやっていないゲームの世界に迷い込んだらしい。しかも悪役令嬢の身体を乗っ取るという形で。
「最悪……悪役令嬢とか一番面倒な役割なんかやりたくないんですけど!」
このゲーム、母親の薦めでやり始めた。主に母親にハートポイントを送るために、強制的にDLさせられた。数日やってやめたゲームだ。
母親曰く、悪役令嬢は遠くに追放か修道院とかだったような? 母親は、オリビアへの罰が生ぬるいとか文句を言っていたから……オリビアが死ぬことはないはずだ。たぶん……。
でも、それに辿り着くまでの内容が……いや、もう現在の状況は私がプレイした内容の先じゃない?
「あー、最後までやっておけばよかった!」
ベッドに横になり足をバタバタ揺らしたのも束の間、ガチャガチャとドアが動く音が聞こえた。ようやくメイドのラナのご帰還か? 面倒だけど、対処するか。