第3話
時間とともに、オリビアの記憶が徐々に鮮明に頭の中で映り始める。
この体の持ち主オリビアは、一言で言えば、可哀想な子だ。身体に残る彼女の最後の記憶は『もう、どこかへ消えたい』だった。
オリビアの人生は、母親が出産時に亡くなった事で父親から疎まれるところから始まった。兄二人からも相手にされていなかったせいで、使用人にも無視され孤独に育ってきた。それゆえに、貪欲に愛に飢えていた。
癇癪を起こせば何かしら誰かがかまってくれると分かってからは、屋敷ではちょくちょく物に当たっていたようだ。
そんな中、オリビアは第三王子クリストフェルと婚約した。完全な駒としての政略結婚だったが、オリビアはあの王子様に期待してしまったのだ。彼なら自分を愛してくれると。
それなのに……クリストフェルは、オリビアに見せつけるかのように学園内であのピンク頭の子爵令嬢との恋愛ごっこを始めた。
オリビアは怒りの矛先を浮気したクリストフェルではなく、浮気相手に対して向けた。私にはそれが理解できない。クズはあの王子様でしょ?
とにかく、嫉妬に狂ったオリビアはいろいろやらかしている。それは私から見たら、子供の悪戯レベルの嫌がらせだ。だが、オリビアはそれをやり過ぎたことで、ピンク頭の彼女に怪我をさせてしまったのだ。オリビアも彼女に怪我をさせるのは本意ではなかった。
オリビアはピンク頭……レチャット子爵令嬢リリアンに、怪我をさせた謝罪する予定で私が目覚めたあの場にいた。私が目覚める直前、オリビアは本心からリリアンに謝罪しようとしていたのだ。
そこにクリストフェルが乗り込んできた。やつは、やってきてすぐにオリビアがリリアンにまた嫌がらせをしていると決めつけ、即座にリリアンを庇った。王子が捲し立てるようにオリビアを責めたため、意固地になったオリビアと言い争いになった。そして、最後にクリストフェルに頬を叩かれたことで全てを諦めてしまったのだ。
それが、私がこの身体を乗っ取る直前までの経緯だ。
「オリビア……本当に不器用な生き方していたよね。でも、あの王子も何も叩く必要あった?」
しかも、あんなに思いっきり。頬を触ると、ズキッとした痛みを感じた。
「痛てて」
頬の痛みはまだ引いてない。クリストフェル、あんにゃろう。
鏡で頬の腫れを確認しようとするが、顎まで伸びている前髪が邪魔だ。長い前髪をかき上げると出てきたのはまだ幼い表情の残る少女だった。
「オリビア! 可愛いじゃない」
栗色の髪に菫色の大きな目はキラキラと輝いている。綺麗というよりも愛らしい顔だ。というか、肌が若い。若いだけでこんなに透明感があるんだ……。
あれ? オリビアは、なんでこんなに可愛い顔を髪で隠していたんだろう?
『お前の顔を見せるな!』
オリビアの嫌な記憶が頭に流れる。これは、下の兄のセリフだ。そうか、その頃から顔を髪や伊達眼鏡で隠すようになったのね。
オリビアは本当に消えてしまったのだろうか? もし戻ってきたら、私は消えてしまうのだろうか? オリビアの顔をなぞるように優しく触る。
「……そんなことより、今は、どうやってここで今後生きるか考えないと」
記憶によるとこの世界には魔法がある。私も魔法使いオリビアとしてやっていけると思うでしょ? 私もそう考えたけど……残念ながら、オリビアにはほとんど魔力がない。それも家族に疎まれていた理由の一つだったのかもしれない。貴族は高い魔力を持つ者が多い。オリビアが使える魔法は、水を少々出すくらいだ。
「【アクア】」
記憶で見た水の魔法を唱えると、指先からちょろちょろと水が出た。これはこれで感動なんだけど。水鉄砲風に水で遊んでいると、散らかった物の上に水が飛び散り凹む。
汚い……。
ここが汚部屋だったという現実に直面して急に萎える。
鼻を触ると、鼻血は完全に止まっていた。
「よし、とにかく部屋の掃除をしよう」
変に悩んでも意味がない。今、いの一番にする事は、この汚部屋の掃除だ。
掃除や料理は、淑女のやるものではないと教えられたオリビア。部屋がこんなに汚いのに何もしなかったのは、その教えに忠実だったからだろう。でも、《《私》》は違う。そんな意味の分からないルールを守る予定はないし、これからこの汚部屋で過ごす予定もない。
一つだけ確かなことはある。私はオリビアの受けていたような扱いを見過ごすつもりはない。
「うん。とりあえず汚部屋の掃除だね」