第29話
寝室に戻ると、リリはまだ気を失っていた。
リリの髪を軽く撫でながらカルに声をかける。
「カル、リリの見守りをしてくれてありがとう」
「公爵との話し合いは上手くいったのか?」
「うん。とってもね」
勝ち誇った顔で笑うと、カルが笑う。
「それは良かった。この子ならいつでも起こせるが、どうする」
「そうね……」
問題は、リリをどこで休ませるかだ。公爵家ははじめから念頭にないし、学校の寮も三人で過ごすには適切ではない。校則で侍女は一人と決まっているの、もう一人いるとバレたら追い出されそう。
熟考した結果、リリには宿で療養してもらうことになった。少し高級な宿なら、メイドを付けることができる。ありがたいことに、ヘーズの記憶の中に学園の近くちょうど条件に合う宿があった。リリには、それまでかるの闇収納の中で眠っていてもらう。
公爵邸を出発する前に、オリビアの以前使っていた部屋へと向かう。
中にはしばらく誰も入っていなかったようで、少し埃が積もっていた。
窓はあるものの……この部屋は、他の部屋に比べると光のあまり入らない場所だ。部屋の常備品も必要最低限なものだけだ。物語の公爵令嬢とはかけ離れた部屋で、オリビアには苦い思い出だ。だが、日本で育った私から見れば相当広い部屋だと思う。たぶん、前世の実家より広い。
カルが部屋を見渡しながら言う。
「オリビアが学園に行ってから、ヘーズがいくつか物を自分の部屋に移している」
「そうなんだ」
指摘されると、確かにランプなどが無くなっているような気がする。やりたい放題だったな、ヘーズ。手出ししていたのは主にオリビアのものだったから、公爵にも気づかれずにコソコソ物を盗んでいたらしい。バレそうになったらメイドのせいにしていたという。本当にクズ過ぎて、言葉が出ない。
ディーネが羽をバタつかせると、机の埃が舞った。
(オリビア、この部屋も綺麗にする?)
(ううん。ここはこのままで大丈夫よ)
この部屋を訪れた理由は、オリビアのもう一つの宝物である母親の姿絵が入ったロケットの回収だ。ベッドの壁の近くで緩くなった巾木を取り外す。
「あったあった」
ロケットを開けると、オリビアと同じ髪色の美しい人の姿が描かれていた。これは、オリビアが亡き母親の部屋から勝手に盗んだものだ。だが、私も返す気はない。
カルがロケットの姿絵を覗き言う。
「ランカスター夫人か? 美人だな」
「そうでしょ」
ヘーズは、オリビアの母が亡くなってから公爵家に来た人間だ。なので、オリビアの母親の記憶はヘーズの中にはない。
その後、公爵邸の馬車に乗り学園まで向かう。
御者に学園の門の前で馬車を止めるよう指示をする。
「寮までまだ距離はございますが……」
「今日は少し買い物がしたいのよ」
「かしこまりました」
馬車を見送り、学園に近い場所でリリの服や日常品を購入する。ついでに自分とカルの平民服も購入する。
ヘーズの記憶にあった宿へと向かう。体調が優れない人がいると事情を話し、とりあえず二週間分のメイド付きの部屋を取った。一泊金貨一枚、メイド費用が一日銀貨三枚だ。
カルによると、ここは少しお高い宿らしいけど……お金はたくさんあるので、リリのために数週間分の宿代くらい出せる。
フロントに案内された部屋は、日当たりの良い三階の部屋だった。窓を開ければ、新鮮な空気も入ってくる。療養するにはいい部屋だ。
リリを闇魔法から解放して、ベッドへと寝かせる。
「カル、リリを起こしてくれる」
「分かった」
カルがリリの頭に触れると、ゆっくり目が開いた。
「リリ、大丈夫?」
リリは私を見るなりベッドから滑り降り、地面に頭を擦り付けながら言う。
「オリビア様、ありがとうございました!」
「リリ、そんなお礼の仕方はやめて頂戴」
「ですが――」
「とにかく、今はよく食べて休んでもらわないと。その後に今後の話をしましょう」
リリが頭を下げたまま言う。
「ありがとうございます。オリビア様」
「人前でなければ、私のことはオリビアって呼んでくれていいから。とにかく頭を上げて」
「いえ、そんな……」
「まぁ、リリが慣れてくれたらでいいから」
「はい……」
リリが気絶している間の経緯、それから本当のカルの紹介をした。もし、リリが魔族に抵抗があり、騒ぐようならすぐに闇収納に収めるようにカルに伝えたが……それは杞憂だった。
リリがカルを真っ直ぐ見ながら挨拶をする。
「初めまして。カルさん。エリザベスと申します」
「カルです……」
カルが拙く挨拶を返す。人間は魔族を嫌うものだと幼いころから経験しているカルにとって、どう反応していいか分からないようだ。
リリに尋ねる。
「リリは魔族に抵抗はないの?」
「ブランセッタ家の領地は魔族領に近いので……実は父の代から、時折果物や野菜などを物々交換しております。他領の人には言えませんが……」
リリの父親のブランセッタ男爵は、どうやら柔軟な考えの持ち主のようだ。人族と魔族は確かに今でも対立をしているが、小さな変化も起こっているようだ。
「リリ、少しの間この宿で一人になるけど大丈夫? 数日に一度は会いに来るから」
「はい。あの場所から出られただけで……」
リリは男爵令嬢として淑女として育ったのに、あのような奴隷生活を強いられていたのだ……心身ともに立ち直るのには時間が掛かるだろうと思う。
リリを置いて、寮へと戻ると夕方になっていた。
カルが、私の寮の部屋を見回しながら感心する。
「ここが、オリビアの部屋か? 思ったより広いな」
「うん。カルには前の侍女が使っていた奥の部屋を使ってもらっていいから。ベッドとかそのままだから」
カルが侍女の部屋を確認して、目を見開く。
「侍女の部屋なのに、なんだか豪華だな」
「そうね。良かったわね、カル」
「俺は寝る場所があれば十分だ。それにしても、なんだこのクローゼットのヒラヒラとした服は……俺はこんなの着ねぇからな」
「何言ってるのよ……サイズも合わないでしょう?」
ラナは身長が低く、胸のサイズが大きかった。ヘーズは逆に長身の細身だ。
「オリビアだったら着られるのか?」
「やめてよ。私もこんなヒラヒラした服は着ないわよ。後で、売るか何かして処分しましょう。服は公爵邸から持ってきたのがあるでしょ?」
「ああ。だが、ヘーズの持っている服は結んだり引っ張ったり……めんどうだ」
確かにヘーズの服はディテールが細かい。洗濯も大変そうだ。
「今日、買った服もあるでしょう? ひとまず、それを着まわしてくれる? 領地に行く前に服とかはまたたくさん買うから」
「分かった」
「それよりお腹空いた。カルもでしょ?」
「ああ、ペコペコだ」
「夕食を取ってくるから、カルはラナの要らない物を闇収納に入れてくれる?」
今日は結局、一日中何も食べていない。空腹で倒れそうな身体を食堂へと引きずっていく。




