第26話
アランが薄れていっているだろう正気の中、私を睨む。
軽くため息を吐き、答える。
「騙したかと聞かれれば、その通りなのだけれど……」
「結局はお前もビクトリア・ヘーズと同類か。お前の家もあの公爵に唆されたのか? クソッ」
アランが顔を歪めながら言う。
ずっと静かにしていたディーネが私の肩の上で足をプラプラさせ尋ねる。
(オリビアー、こいつは悪い奴なの?)
(どうでしょうね)
(悪い奴なら、ディーネがやっつけるから!)
(頼もしいね)
立ちあがろうとしたディーネを人差し指で撫で、止める。
アランの目の前に立ち、見下ろす。
「勝手な憶測は構わないけれど、あなたの考えている内容とは違うと思う」
「明らかにシュヴァイツァー公爵側に付いたようにしか見えないが。違うとでも言うのか?」
鼻で笑いながら目を逸らすアランに、口角を上げ告げる。
「全然違うわね。まず、根本からだけど……私は、シュヴァイツァー公爵家はもとより、ランカスター公爵家の味方でもないわよ。どちらかと言えば、両方、敵だから」
「は? 自分の家が敵だとはどういう意味だ?」
「そのままの意味よ。正直、ランカスター家が没落しようとどうでもいいと思っているから。いや、没落してくれたほうが私としては面倒事が減って嬉しいかもしれないわね」
アランが理解できないとでも言いたそうな顔を私に向ける。闇収納の力もあって思考が定まらないようだし、そんな人に深く説明する必要性を感じない。
「俺をどうするつもりだ?」
「さぁ。それが決まるまで……とりあえず、ここにいてもらっていいかしら? いい昼寝ができるはずよ。それじゃ『カル、出して』」
「は? おい――」
アランが言葉を終わらせる前に、目の前の景色が先ほどの安宿に変わっていた。
戻って来たという状況は把握しているけど、まだ足元が地に付いていない感覚がする。
「オリビア、大丈夫か?」
不安気なヘーズ夫人が私を覗き込みながら尋ねたことに、困惑する。
あ……違う。これはカルだ。一瞬そのことを忘れてしまっていた。闇魔法の精神への介入、これは結構クルものがある。
「大丈夫だけど、すこし座っていいかしら」
ディーネが一緒だったから、闇収納の中ではさほど問題はなかった。けれど、今はジェットコースターを降りた時のようなアドレナリンラッシュを感じる。
ベッドに座ると、ダンが飛んで来る。
(オリビアどん、大丈夫か! 小童、守れてないではないか!)
(ディーネ、ちゃんとオリビアを守ったもん!)
二人がペチペチとお互いを叩きながら喧嘩を始めたのを見ていたら、スッと気持ちが落ち着いた。
(二人とも、喧嘩はやめて。もう、大丈夫だから)
((本当に?))
二人の声が同時に頭に響く。
(本当だから、大丈夫)
立ち上がると、カルが手を添えてくれた。
「もう、なんともないから。それより、アランからちゃんと情報を得ることができたから」
カルにもアランから得た情報を共有する。
「シュヴァイツァー公爵か、確かに面倒な相手だな。どうするのだ?」
カルは執事の記憶があるので、ある程度の貴族の事情も把握できているようで話が早い。
「このままカルと逃避行なんてのもいいわね」
「俺はいいが――」
「ありがとう。でも、冗談よ。さっさと爵位を貰って実家とは縁を切るわ」
私はゆっくり人生を満喫したい。私の邪魔になれば、障害は取り取り除く。そうでない限りは知らない。
よし、早く《《お父様》》に会いに行かないと!
「アランはどうすればいいんだ?」
「闇収納の中で死ぬってことはないんでしょ?」
「ああ、眠っているだけだ」
「じゃあ、とりあえず保留で」
時期が来たら、その辺にポイッでもしよう。
部屋を出ると、荒々しくドアを開けた大男が部屋の中の誰かに捨て台詞を吐く。
「めそめそ泣きやがって、萎えんだよ。テメェに金なんか払わねぇからな」
文句を垂れながら階段を下りて行った大男、この宿がそういう場所だったことを思い出す。
大男が去った部屋を見れば、まだ年若い半裸の女性が泣いていた。不憫だが、私とは関係ない。去ろうとしたら、女性と目が合い止まる。
「リリ……?」
「へ、ヘーズ夫人!」
そこにいたのは、オリビアが家庭教師から酷い扱いをされていることを訴えて暇を出されたメイドのリリだった。私には気づかず、明らかにヘーズ夫人に対して委縮していることから、リリの置かれている境遇がヘーズの仕業なのだと察する。
カルを睨む。カルのせいではないと分かっているけど、思えず感情的になってしまう。
睨まれたカルが寂しそうな顔をする。
「オリビア、怖い」
「ごめん。でも、リリに何があったか分かる?」
カルが、リリに聞こえないように耳打ちをしてくる。
内容は、予想通りなのだが……リリ、本名エリザベス・ブランセッタは、ブランセッタ男爵家の三女だった。真の強い彼女は、オリビアの教育に意見したことでヘーズから公爵家での盗みを働いた罪を着せられたらしい。盗みを働いたのはもちろんヘーズ自身だったが、ブランセッタ男爵家は詫び金を払い娘と絶縁したという。男爵家は娘を守るために修道院に送ろうとしたが、その途中でヘーズの雇った野盗に襲われ、この宿に売られたという。リリを売った金はヘーズの懐に入ったらしい。
「酷い話ね」
「この皮の女は相当なことをやって来ているから、俺もどれから話すのがいいのか優先順位が分からなかった」
ヘーズの身体を奪ったばかりのカルは、ヘーズの一生分の記憶を一日で引き継いだのだ……膨大な記憶を伝える時間がないのも無理ない。ヘーズがリリを売った理由は、若い女の不幸に快感を覚えていたらしいからだとカルが言う。ただのクソ変態だ。ヘーズは、もっと早くに始末されておくべき人間だった。
問題はリリだ。これが、知らない人ならほっておく。けれど……リリがこの状況に陥っているのは、少なからずオリビアも関係している。それに、唯一オリビアの味方になろうとした人だ。
伊達メガネを取り、顔を見せる。
「リリ、私のことを覚えている?」
「お、オリビア様?」
「うん」
「な、なぜここに? それにヘーズ夫人と共に……まさか、オリビア様まで!」
「ああ、違う違う。この人は、ヘーズ夫人のそっくりさんだから。ねぇ、カル」
「はい。そっくりさんです」
カルのことは誤魔化す。今は説明している時間はない。
「リリ、私が不甲斐ないせいで長い間……本当にごめんなさい。ここから出してあげるから、付いてきて」
「オリビア様、わ、私――」
ポロポロとリリの目から涙が溢れる。
リリの手を引き、安心させるように伝える。
「話は後で聞くから、ひとまず、ここを出ましょう」
「申し訳ありません。でも、私……この宿から出られません」
リリが首の大きな輪っかのついた趣味の悪い首輪を見せながら言う。これはシナリオにも登場した、束縛の首輪だ。一定の範囲を超えると爆発、身に着けていた人物を殺害するという非人道的な魔道具だ。
「やっかいね」
困っていると、ダンが首輪を観察しながらニヤける。
(ほうほう。これは、面白いのぉ。人間はいつの間にこんなものを作っていたのか)
(もしかして、なんとかできる?)
(ふむふむ……土属性の魔石と魔法じゃな。これならどうにかなるぞ)
ダンに束縛の首輪の解除を頼めば、小躍りしながら即解除した。
束縛の首輪が、ボトッと音を立てて床に落ちたのを三人で暫し見つめた。
この世界……妖精が最強なのでは?
気を取り直して、リリの手を握る。
「これで、ここから出られるでしょ」
「オリビア様――」
「泣くのは後にしましょう。今は、とにかくここを出ましょう」
そうやって一階まで下りたのはいいが、宿を出ようとすると案の定……店主に止められた。
「おいおい。どこへ行くつもりだ」




