第2話
一瞬、ピンク髪の女の子と目があったが別れの言葉は特に交わささず、急いで記憶しているオリビアの学生寮部屋へと向かった。
これ、早く鼻を止血しないと――
「オリビア様、お待ちください」
そう私の後ろから声を掛けながら付いてくるのは、オリビア付きの護衛だ。オリビアが叩かれていたのに、何もしなかった無能だ。相手が殿下だろうと、護衛はオリビアを守る義務がある。足を止めずに護衛に返事をする。
「貴方は付いてこなくて結構です」
「オリビア様の護衛が私の任務ですから」
この護衛の男は、公爵であるオリビアの父親がつけた騎士だ。名前はトーマス・ローレイ。ローレイ男爵の四男だ。
高位の貴族子女には学生の間も護衛、それから部屋には侍女を一人ずつ持つ事が許されている。このトーマスは、護衛というよりも……公爵から付けられた監視だ。
記憶にあるオリビアの素行は確かに感心できないことが多い。あの王子様を追いかけ始めてからは、そのことだけに集中しているようだったけれど……。
でも、素行が良くなかったのには理由がある……。
トーマスは鼻からオリビアを公爵から見放された我が儘な令嬢だと決めつけ、最低限な事しかラナかった。いや、先程の頬叩きの件を考えると最低限な仕事もこなしていない。この騎士と部屋付きの侍女は共によくオリビアを嘲笑っていた。
侍女はラナというが……ラナは特に酷いので、見掛けたら即クビにしよう。その理由は数えきれないほど握っているので問題はないだろう。
声を掛けながら追い掛けてくるトーマスを振り向き冷ややかな目で見る。オリビアにこのような態度をとられたのが初めてなのだろう、トーマスは自然と視線を逸らした。
「貴方がいても、私を危険から守ってくれるとは思えません」
「そ、そのようなことは」
「実際にそうでしょう? 先程の頬を叩かれたこともですが、あなたの日々の行動を思い返すと私への敬意などないでしょう? そんな護衛など側にいても危険なだけです」
苦虫を噛み潰した顔をして下を向くトーマスを無視して、寮へと向かう。
無事に部屋に戻ったが、侍女であるラナはいない。
記憶では……あぁ、いつも自慢している男のところか。この時間はオリビアがいないのをいい事に、男と忙しく相引きをしているのだった。普段からオリビアの世話などほとんどしていないから、今はいなくてありがたい。
オリビアの部屋は、高位貴族用でそれなりの広さだ。しかし、部屋の中はどこも埃だらけだし、水差しもヌメリがついている。これ、いつから放置されているのだろうか?
風呂場もとにかく汚い。クローゼットは、最初に入寮した時の記憶と比べいくつか物がない。これはラナが盗んでいる……で間違いないでしょう。
ベッドの隙間に手を入れ、箱を取り出す。
「あった……」
よかった。これは無事のようだ。オリビアが隠していた宝石箱を開く。中にはピンクサファイアの宝石一式、それからオリビアの亡くなった母親の肖像画のロケットが入っている。オリビアが母親から受け継いだ唯一の遺品だ。
オリビアは、ラナの盗み癖に何も言えなかったようだ。理由は……まずラナが公爵邸の侍女長と繋がっており、例え文句を言ってもオリビアが訴えることには今さら誰も聞く耳など持っていないからだ。まぁ、侍女長が握りつぶして公爵にまで話がいっていないのだろうね。オリビアも公爵を含む家族とは仲は良くないよう。
癇癪を起こすようになったオリビアも問題なのかもしれないけど……長年の家族と使用人から軽視されれば、そうなるのも分かるような気がする。オリビアの歯痒い感情にモヤモヤしながらため息をつく。
「さて、これから私はどうすればいいのかな……」
ベッドに座り、身体の異常が他にあるかを確認する。
「少し痩せ過ぎだけど、鼻血以外は大丈夫そうね」
ベッドへ横になり、自分に起こったことを考える。
私……なぜかこのランカスター公爵令嬢オリビアに憑依してしまったらしい。それとも転生?
いや、《《私》》はオリビアではない。
「痛っ」
前世のどうでもいいことは覚えているのに、自分や家族の顔を思い出そうとすれば頭痛がする。
これが夢だという可能性……いや、あの頭の痛さは流石に夢ではないと思う。
これって、私がこの身体に囚われたってこと?
オリビアの存在は感じられない。オリビアは今、この身体に残った記憶だけの中で存在している。どうやら《《私》》がオリビアの身体を乗っ取った……と言ったほうが正解だ。
私が身体を乗っ取ったことで、オリビアがどこに行ったかは分からない。この身体のままここで生きて行けと?
「それ、きっついわー」
こんなよく分からない世界に、しかもなんやらすでにやらかした後の子の後釜って……とんだとばっちりでしょ。
ベッドに仰向けになり、天井を見上げたまま大きなため息をつく。
「あー、前の私って、やっぱり死んだのかな?」
それなら、本当のオリビアはどこに行ったのだろうか?