第19話
公爵と交渉したいことは、私の今後の安息だ。私にとっては報酬に値する事柄だ。
執事とヘーズ夫人の貯めていた金目の物も回収したし、この国を出奔してやっていく路銀も十二分ある。ただ、それでは公爵令嬢というしがらみから逃げられない。公爵令嬢という常に面倒事が付き纏う可能性がある。公爵令嬢オリビアの使い道はいろいろあるので、公爵が追手を出す可能性もある。それなら公爵令嬢なんか辞めたい。
スローライフに移る前に面倒な芽は摘んでおきたい。
「辞めたいとは、どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。この役回り、もう嫌なのですよ。なので、公爵家から完全にオリビアの存在を抹消してください」
「何を言っているのだ。貴族をやめてどうするのだ? ただの我儘令嬢がどうやって生きて行くつもりだ」
吐き捨てるように言う公爵に満面の笑みで尋ねる。
「今、ご自分がどのような状況なのか理解できていますか? 我儘令嬢に拘束されて身動きも取れずに――正直このまま貴方を物理的に消して私もどこかへと消えていいのですよ」
「はっ。お前が私を殺す? 私から散々逃げ回っていたお前がか?」
笑い出した公爵の足元が徐々に石化していく。一瞬、その光景に驚いたがすぐに誰の仕業か分かった。ダンだ。
(この男は五月蠅くてかなわんわい。わしゃ、静かに酒を飲みたいのじゃよ)
ダンはどこから出したか分からない酒を飲みながら言う。
「な、なんだ! これは!」
公爵の表情に恐怖が見える。叫ぼうとした公爵を止める。
「あ、叫ぶのはやめてくださいね。余計、怒らせてしまいますよ」
(ダン、もう充分よ。石化を解いてあげて)
(オリビアどんがそういうのなら――)
公爵の石化が解消され、足が元に戻る。カルヴァンも驚いた顔をしたが、黙って様子を見ることにしたようだ。
公爵が真剣な顔で尋ねる。
「今の石化……お前の魔法なのか? しかし、お前の属性は水で魔力は微々たるものであったはず……」
「オリビアは確かにそうだったわね」
「『オリビアは』だと? お前……一体、誰だ?」
公爵にはたくさんのヒントを出していたつもりだが、やっと目の前にいるのが自分の娘でないことに気が付いたようだ。
ゆっくりと大げさに拍手をする。
「正解、おめでとうございます。でも、まぁ……私は一応、オリビアのつもりですよ。公爵の知っているオリビアとは違うけれど」
「お前、まさか、魔族か!」
「いい線ね。でも、違うみたいなのよ」
カルヴァンの乗っ取りとは違うけれど、私も大して変わらないような気がする。
「私をどうするつもりだ……」
「条件は先ほども伝えましたよ。それにしても、本当、薄情な父親よね。オリビアがどうなったのか気にならないの?」
「……お前はオリビアも殺したのか?」
「オリビアを消したのは貴方たちでしょ」
もうオリビアは完全にこの世界から消えたのだ。
公爵の耳元で囁く。
「交渉決裂ならこのまま貴方の身体を奪ってもいいのですよ」
もちろん、そんなことをカルヴァンにさせる予定はない。公爵の役目を請け負うなんて、カルヴァンが可愛そうだ。
公爵が黙り込んだので、ダンに頼み、公爵の指先をゆっくり石化していく。
「わ、分かった。お前の条件を呑む、呑むから石化を止めてくれ」
「ありがとうござい――」
「だが、婚約の件もある。時間がいる。それに、お前の血筋はどうするのだ」
どうするって、なんで私に聞くの? 公爵令嬢にさよならしたら、もう私は関係ないはずだけど?
公爵が続ける。
「中にいるお前は知らないが、オリビアは王族の血筋だ。婚約破棄しようが、公爵家から抹消したとしても、お前には他の貴族がほっておけない価値がある。縁を切ったとしても、お前が他の貴族に利用されるのは公爵家の体面に関わる」
オリビアの心配はせずに対面は気にするのか。
オリビアの母親は前王の妹の娘だ。オリビアの血筋は確かに良い。それに王族の血筋に年頃の娘はオリビアしかいない。
「面倒……」
国外に行くか? シナリオ通りに進むとしたら、一番条件がいいのは隣国かも。国外に逃げればオリビアもただの平民――
「隣国に逃げ込んだくらいではすぐに見つかる」
私の考えを読んだ公爵が鬱陶しい。平民になっても、隣国に行っても血筋のせいで別の貴族から養女になるよう強制される可能性もある。どうあっても物語にオリビアを巻き込もうとする、シナリオの強制力を感じる……。
この物語からすこぶる途中下車したい。今すぐ逃げたい。
逃げ道……あ、逃げ道はある。今後のシナリオに、リリアンが似たような状態になる話がある。リリアンは、伯爵に叙せられることでそれを解決した。私自身が自立した貴族になれば、いくつかの問題は解決する。それに領地も頂ければ、不労所得ニート生活まっしぐらだ。そうだ、そうしよう。
「《《お父様》》やはり報酬を変えてもらってもいいですか? 我儘娘なので」
「……何が欲しい」
「公爵が持つ、子爵位と領地を下さい」
「何を――」
「このまま公爵家に寄生して様々な問題を起こしてもいいんですよ? 第三王子の石化から始めましょうか?」
公爵は眉間に皺を寄せると、ため息を吐いた。
「……子爵位くらい、くれてやる」
「あ、領地もですよ」
「いいだろう。だが、婚約破棄は王の許可がいる。こればかりは時間が掛かる」
「ああ、それはきっと大丈夫です。今日にでもいい知らせが届くと思います」
公爵は、不本意な顔をしながらも私の要求した報酬を承諾した。
「それでは、交渉成立ですね」
「交渉は成立だ。一刻も早くこの拘束を解け」
そんなに睨まなくても、どうせ使わない子爵の地位とたくさんある中の一つの領地なんだから、安く済んだでしょ?
公爵を拘束から解放した後にもう一つだけ要求する。
「ああ、それからついでにオリビアの以前の家庭教師の現在の所在地を頂けるかしら?」
「何をするつもりだ?」
「そんな顔をしなくとも殺しはしませんよ……たぶん。公爵様は他人の心配をしている場合ではないのでは?」
「……報酬と共に明日までに用意しておく」
外を見れば、もう夕方だ。明日、また公爵邸を訪れるのも面倒だ。
「公爵、私は今日、こちらに泊まります。オリビアの部屋は、陰気臭いのでゲストルームを準備してくださいませ。拒否しないでくださいね」
「準備をするとしよう……」
「余計な仕事を増やさないよう、メイドにはくれぐれも馬鹿なことはしないように忠告してください。公爵もこれ以上死人を出したくないでしょう?」
床に転がる、干し芋執事を見下ろしなら忠告する。
公爵が生唾を呑み言葉を絞り出す。
「……悪魔め」
「そう。ありがとう、《《お父様》》」
公爵の顔をパンパンと優しく叩き、遮音のために張っていたディーネの水壁を解除してもらう。




