第15話
「アガガガガガッブガアア」
水に溺れる執事が苦しそうに叫ぶのを見下ろす。
んー、これは大丈夫なの?
オリビアの記憶では魔族は長寿で頑丈だ。そう簡単に死ぬことはないだろうと思う……。
(オリビア~。まだやるの~? 魔族、死んじゃうよ)
(え? 死ぬのは困る。水に沈めるのは一旦やめようか)
ディーネが水を解除すると、執事は苦しそうに床に膝を付きながら水を吐き出した。
「ゲボッゲボッ。何を、どうやって――」
「さて、もう一度尋ねます。いつから執事の身体を乗っ取っているのでしょうか?」
目を逸らし、だんまりを決め込む執事にため息を吐く。
「それが答えですか……それならもう一度、お水で遊んでもらいましょう」
ディーネが執事の顔をもう一度水に沈めると、倒れた執事の身体から黒い靄が現れた。靄はやがて形を変え、十歳ほどの魔族の少年に姿を変えた。
「ゲホッゲホッ。お前、なんなんだよ!」
床に膝を突いたまま息を整える少年を見下ろしながら思う。
でも、それって私のセリフじゃない?
黒紫の髪に山羊のような角を頭から生やした魔族は、美しい顔の少年だった。
王都で魔族を見る機会はないに等しい。
「それで、魔族の子供がここで何しているの?」
「俺は子供なんかじゃない。成人した大人だ」
どう見ても十歳くらいの子供が憤りながら言う。
(魔族は成長が遅いよ。この魔族は――クンクン、十八歳くらいだよ)
ディーネは、匂いフェチなの? それとも、匂いで年齢がわかるスキルでもあるの? しかしこのどう見ても少年、十八歳なのか。
少年はこちらを威嚇するように睨んでいるが……全然怖くない。強いて言えば、小動物が警戒しているようにしか見えない。飼い兎だったポン太……うん。あの子を思い出す。あの子も飼い始めた頃は、警戒して噛み付いてばかりだった。
「それで、いつから執事を乗っ取っていたの?」
「……」
再び黙り込んだ少年に呆れながら言う。
「あら? 泳ぎ足りなかったかしら?」
「わ、わかった。言うから。水はやめてくれ。二か月前だ」
二か月前から執事の身体を乗っ取っていたのか……それなりの期間だ。
「公爵のほうは?」
「公爵は乗っ取っていない。精神に介入する魔法だ」
「へぇ……便利な魔法なのね。公爵も二か月前からなの?」
「いや、公爵は二週間くらいだ。でも、精神耐性が強く、思い通りならない。こうやって執務をさせて、他は見えなくすることくらいしかできない」
精神的強さで操れるらしいが、個人差があるのか。闇魔法……危険で――便利な魔法だ。
倒れている執事が痙攣し始める。
「この執事は、まだ生きているの?」
「いや、コイツは変態だから乗っ取って精神破壊をした。俺がこいつの身体から離れた今、機能できずに息すらできない」
「へぇ……」
息をしようと喘ぐ執事を観察、助けようとは思わない。これは身体に浸みたオリビアの記憶からくる負の感情かもしれないが、なんだか執事が苦しむ姿が滑稽で心が晴れて行くのがわかった。
「さて、お互い自己紹介しましょうか? 私はご存じの通り、オリビア・ランカスターと申します」
「か、カルヴァンだ」
カルヴァンは、人族と魔族の混血らしい。混血は魔族にも人族にも受け入れられないそうだ。カルヴァンは辺境の森の中で身を潜めていた時に人攫いに遭い、この公爵邸の執事に買い取られたらしい。人身売買……この国では徐々になくなってきているが、未だに借金奴隷を始め人身売買は行われている。
執事は自分のお楽しみ用に、カルヴァンを買ったらしい。着服疑惑に幼児趣味……犯罪者の変態が死ぬことは別にどうでもいいが、ここで今、死なれるのは私にとって都合が悪い。死んだら死体をどうにかしなければならない。
公爵の机の上のテッシュで鼻をかむカルヴァンに尋ねる。
「カルヴァン、これにもう一度入れる?」
「いや、もう死んでいる」
執事を見れば、目が開いたまま息絶えていた。死人を見るのは初めてではないけれど、目の前で死なれるのは初めての経験だ。それでも、執事に対しての同情の感情は一切ない。
思ったより冷静な自分に驚いてはいるけど、死体を見ていい気はしない。
「これをここに放置されても困るのだけど。どうしようかしら、これ」
(それなら、ディーネがお手伝いできるよ!)
また、待ってと言う前にディーネが執事の身体の水分を抜いてしまう。人の身体の多くは水なので……それを抜かれれば、確かに軽く薄くなるのだが……執事の遺体は干からびた干し芋みたいになっていてエグい。ああ。これを直視するのはちょっと厳しい、ヤバい……吐き気がする。
「おい! なんだよ、これ。何をしたんだ?」
カルヴァンが驚愕した顔で怒鳴る中、吐き気を抑えながら言う。
「静かにして。外に聞こえてしまうでしょ? とりあえず、見つかる前に死体を処分しないといけないと思う」
この干し芋、どうしよう……。
困っていると、カルヴァンが手を上げながら言う。
「俺を殺さないと約束するなら、こいつは片付けるぞ」
「どうやって?」
「【闇収納】」
カルヴァンがそう唱えると、干し芋死体は一気に闇の空間に吸収されていった。
これは、前世のラノベで言うアイテムボックスだ。
「凄い……」
でも、まって……収納できるのならば、別に干し芋にする必要はなかったよね?
カルヴァンのこの力、欲しい……これは、ぜひ互いに有意義な関係を築きたい。
まだ執事の消息の隠ぺいがあるが、死体問題はあっさりと解決した。次に解決しないといけないのは公爵問題だ。
カルヴァンが私と距離を取ったまま言う。
「死体は隠した。約束は守れよ」
「もちろん、殺さないわよ。あなたを殺す理由もないでしょう?」
「そうなのか? 俺、魔族だし……公爵のことも操っていたんだぞ」
「それなんだけど、どうやって操っているの?」
「闇魔法の精神傀儡だけど、俺の魔力では長時間は操れない。だから、俺が見てない間にお前と会う事が決まっていたから焦った」
どうやら、カルヴァンは公爵を操る時間を調整していたらしく、その間に私と面会をしてほしく早く来るようにと催促の手紙を送っていたらしい。道理で公爵らしかぬリスポンスの速さだったんだね。なんだか納得。
「執事もだけど、公爵を傀儡しててよく誰にも見つからなかったね」
「執事の記憶を見る限り、公爵家の関係は冷え切っていた。公爵は使用人とはほとんど話はしない。その、オリビアに対しても……」
他人の身体を乗っ取れば、カルヴァンはその人物の記憶まで覗けるらしい。闇魔法って本当に便利だな。
私に気を使いながら公爵のことを話すカルヴァンから察するに、きっとオリビアの扱いを執事の記憶から視たのだろう。
「別にそのことはどうでもいいよ。それより、公爵は机に向かって何をしているの?」
「公爵は今、執務中だと思っている。周りは完全に見えていない」
今日は、公爵と面と向かって話をする予定でここを訪れた。でも、オリビアの記憶には公爵の顔を正面からはっきりと見たものがない。操られている間は公爵を触っても問題はないという。
せっかくなのでじっくり公爵の顔を拝謁させていただこうじゃない。この父親失格の男の顔を……。
公爵の顎をクイッと上げる。
「意外にも顔はいい男なのね。腹立たしいんだけど」
年齢は四十代半ばだろうか? 焦茶色の髪に深緑色の目、すっきりした顔立ちはオリビアには似ていない。オリビアは母親似だ。
公爵の顎を触った手をハンカチで拭きながらカルヴァンに尋ねる。
「カルヴァンはこれからどうしたいの? 行くところはあるの?」
「俺か? 分からない。行くところはない……」
「そう。じゃあ、私に協力しない?」
「でも、俺は魔族だぞ」
「だから何? それに半分人族なのでしょう? それに、魔族が住まう地域に行っても扱いは同じでしょう?」
「確かにそうだ。分かった……」
ニヤッと笑いカルヴァンに手を差し出せば、恐る恐る握手を返される。
「決まりね」
「俺は何をすればいいんだ?」
「手始めにその姿をどうにかしないといけないわね」
このまま魔族の姿だと、面倒な事になりそうだ。人族からしたら魔族は差別の対象のようだし。
カルヴァンは、精神が弱い者なら直ぐに身体を乗っ取ることができるらしい。この邸で私の侍女やメイドが出来る者で、直ぐに乗っ取れる人物の候補を上げてもらう。
「この三人なら今すぐ可能だ」
驚いたことに候補の一人に、ラナの部屋にあった毒に関して探りを入れたかった人物が一人いた。侍女頭のヘーズ夫人だ。三十代前半で中肉中背、目立たない容姿は動きやすいだろう。カルヴァンが言うには、家族は遠い親戚しかいないらしい。ばっちりだ。
「意外ね。ヘーズ夫人の精神は図太そうなのにね」
「そう見える奴ほど脆い時もある」
「乗っ取っている間、公爵はこのままで大丈夫なの?」
「少しの間なら問題はない」
カルヴァンがヘーズ夫人を乗っ取ることが決定する。
メイドがオリビアに腐った食べ物を持ってきては、我が儘を言って食べないと教育係に告げ口する構図を作っていたのはヘーズ夫人だ。オリビアの足の傷は、その時に家庭教師に付けられた傷跡だ。
ただ……オリビアをいじめたからと、ヘーズ夫人を抹殺することが本当に辿るべき道なのか。少しだけ【私】の良心が痛む。
ディーネが私の顔を覗き込みながら尋ねる。
(オリビア。魔族の子と仲良くするの?)
(ダメなの?)
(ううん。魔族も人族もディーネからしたら同じだよ。オリビアが仲良くするなら、ディーネも仲良くする)
カルヴァンに私の計画であるニート生活の話を伝える。
「そのにーと生活ってのが何かよく分からないが、俺は飯が食えて温かい場所で寝られるのならどこにでも行く」
「それなら決まりね」
事を実行に移す前にカルヴァンに毒の瓶について確認する。
「執事の記憶の中に何かこの瓶についてのものある?」
「いや、初めて見る瓶だ」
毒について執事は白か。
ヘーズ夫人の乗っ取りを実行に移すため、トーマスに声をかける。
「トーマス。公爵様がヘーズ夫人に紅茶を配膳するようにとのことです。今は混み合った話の最中ですので《《必ず》》ヘーズ夫人が一人で持ってくる様、伝えなさい」
「はい。かしこまりました」
トーマスが無能なことに感謝をする。なぜ声を掛けているのが私で、執事ではないのかと疑いもせずにすぐにヘーズ夫人を探しに行ってくれた。