第六章:綻びの兆し
「さよ、無事だったのね――」
社の奥座敷。
柚羽は、桜依を抱き寄せるようにして、その肩をそっと撫でた。
「……母様。」
桜依は、まだ胸の奥がざわめいていた。
あのとき、確かに何かが始まりかけた。
けれど、何だったのか自分でもわからない。
蒼蓮。
その名も知らない、あの銀の鬼――。
「母様、あの人は――」
そう言いかけた瞬間、柚羽はゆっくりと首を振った。
「まだ……今は、知らない方がいい。」
桜依はその言葉に、唇を噛みしめた。
けれど、何も言えずただ頷くしかなかった。
◆
その夜。
篠原家の洋館、奥の応接間。
尚邦と芙蓉が、再び密やかに言葉を交わしていた。
「……桜依が、何者かと接触した?」
「ええ。」
芙蓉は静かに微笑んだ。
「予想以上に、才が目覚めかけているのかもしれませんわ。」
尚邦は、煙草に火をつけながら考え込んだ。
「――使えるものなら、何でも使う。」
芙蓉は、その言葉にわずかに目を細めた。
(私の思い通りになればいいけれど――)
彼女の胸の奥には、長への執着と、ゆずはへの消えない妬みがまだ静かに燃えていた。
篠原家とあやかしの世界。
ふたつの世界の境界線は、少しずつ綻び始めていた。
その綻びの兆しは――誰もまだ、気づいていなかった。
――第六章、了。