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第二章:忘れられた約束

篠原家の洋館は、朝日が差し込むにはまだ早い薄暗さを残していた。

静まり返った廊下。

桜依さよは、誰よりも早く動き始めていた。


 


寝巻きから作業着に着替え、音を立てぬように扉を開ける。

離れから母屋へ向かう道は、まだ霧がかかっていた。


 


すでに他の使用人たちは動き出しており、家族も食堂に集まっている。

それが、いつものことだった。


 


篠原家はかつて栄えていた。

あやかしと手を組み繁栄を極めた名家――

だが、今は没落の一途。

洋館の見た目だけは立派でも、中は空っぽだった。


 


(今日も、何事もなく……)


 


そう願うように、桜依は手に持った雑巾を絞った。


 


掃除、洗濯、食事の支度。

すべてをひとりでこなすのは当たり前になっていた。


 


それでも――

「遅いわよ、桜依様。」

通りすがりの使用人たちは必ず嫌味を口にする。


 


「そんなだから、愛人様に目をつけられるのよ。」


「ぼんやりして、どんくさいんだから。」


 


笑い声。


桜依はそれに気づかないふりをした。

もう、自尊心などとうになくしていた。


 


(私が悪いんだ……)


 


自分を責めるように、さらに力強く床を拭いた。


 


やっとの思いで洋館の食堂についた頃には、すっかり朝食の時間になっていた。

家族だけでなく、あの幼馴染――志季しきもそこにいた。


 


着飾った美しい芙蓉ふようが、中心に座っている。

その姿はまるで、桜依の立つ場所がないことを示すかのようだった。


 


桜依はうつむき、自分のぼろぼろな身なりを見下ろした。

乾いた手、くたびれた服。


 


それでも、声をかけることなどできず――

静かにその場を去ろうとした。


 


その瞬間だった。


 


「まあ、お姉様。まだそんな格好?」


 


茉莉まつりの声が響いた。

芙蓉の娘、そして桜依の異母妹。


 


「朝からそんな姿、目障りだわ。」


「……申し訳ありません。」


桜依はただ、小さく頭を下げた。


 


志季はどこか気まずそうに視線を逸らしていた。

昔は優しかった彼も、今はもう――


 


(いつから、こうなってしまったんだろう)


 


父の目に、私が映らなくなったのは。


才の現れぬ私は、父にとって価値のない人間になってしまったのだろうか。


 


そんな思いが胸をよぎる中、ふと見上げた窓の外。


春の風に乗って、一枚の桜の花びらが静かに舞い込んできた。


 


(……桜)


 


桜依は、そっと手を伸ばした。


 


 


――第二章、了。

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