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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私が化け物になった日

作者: 悠遠

 私は怯えていました。

 酷く、酷く震えていました。


 吐く息は白く漂うほどに寒く、肌を突き刺すような痛みが私の精神を蝕んできました。

 暗く、寒く、孤独な冬の夜空。

 遠い遠いはるか上空から白い粉が舞い降りてきて、その結晶の冷たさに命の危険を予感しました。


 悪い予感ほど当たるものです。

 瞬く間に天気は変わり果て、私の体全身に雪が降り積もり始めました。

体温は奪われていき、頭に積もった雪を振り落としてなんとか寒さを誤魔化していました。それでも防寒として使っていた段ボールも湿り、保温の効果が失われていく事実からは目を背けられませんでした。


 体が限界を訴えていることを感じます。

 内臓は冷え、骨の芯にまで冷たさが浸透してきました。

 少しでも温まろうと窓の隙間から漏れ出ているであろう暖気に体を寄せました。


 気休め以下の行動です。

 温まっている気など一切しませんが、それでも何かをしていなければと考えた末の行動です。体を丸め、体に残ったなけなしの熱を逃がさないようにしながら、暖気に当たる体の面積を増やして、なんとか寒さを凌ごうとしました。


 閉じているカーテンから光が漏れ出ていて、窓の内側から愉快な笑い声が聞こえました。

 窓の内側は明るくて、暖かそうで、楽しそうで。

 窓の外側は暗くて、寒くて、苦しくて。 


 何だかいつものことなのに、今日は涙がこぼれてきました。 


   ***

 

 父は会社員。母は寿退社で専業主婦。

 私はそんなごく普通の両親から生まれてきました。


 私の生活が激変したのは五歳の時でした。

父が急死し、働き手が母一人になりました。父が遺した貯金も底をつき、貧困になっていた私たちの家庭でしたが、母は別の問題も抱えていました。


それが母の姉。

私の叔母に当たる人です。

叔母はそんな私たちの状況を知っていながら金銭的な支援を要求していました。洗濯機が壊れたから、子供が出来てお金が必要になったから、など理由は様々です。


そして私の母は断れない人でした。

叔母にお金を要求されるたびにそれを支払い、私にも金銭面で不自由はさせまいと、一日何十時間と仕事をしていました。

一緒に暮らしていたのに、寝ている姿を見たことはありませんでした。


そして、母は死にました。

過労。なんの捻りもない、当たり前の結末でした。 

 母の訃報を聞いたとき、哀しみの後に抱いた感情が納得なのも、それが理由です。

 母はいつか限界を迎える、そんなこと分かりきっていたのに、彼女は私の制止を振り切り、無理な労働を続けていました。

 

 母の死から、私は叔母に引き取られました。

 そこから地獄は始まりました。

 私の言動全てにイチャモンを付けてくる義母は、事あるごとに恩知らずと私のことを罵りました。

 私をこの家に招き入れた恩を忘れたのか、と耳に響く高音で怒鳴ってきました。

 家には義父と義母、そして彼らの一人息子がいました。

 私に味方などいませんでした。


 義父は常に義母の味方で、義母だけが相手の場合は暴言で終わるのですが、義父がいるとそこに暴力が追加されます。

 息子はそんなぞんざいに扱われている私を見ていることが好きなようでした。自分が両親の寵愛を受けていることをいいことに、安全圏から私をいじめてきました。

 

 そんな新しい家族のもと、私の居場所はどんどん奪われていき、そして今、私はベランダで暮らすことを余儀なくされました。


 そうして彼らとの接触はなくなりました。 

一応義母に貰える一日二回の残飯とトイレのタイミング。

そこで少しの接触。後は息子がたまに私のことを殴る蹴るなどの暴力。それ以外は誰とも話さず、彼らから貰った唯一の恩情ともいえる段ボールに包まっていました。

 

  ***


 どうしてこうなったのか。

 私は何を望んでいるのか。


 私はたまにそんな疑問を考えては、その疑問を打ち消すように頭を揺らします。

 その答えを得た後の私に、なぜか私は怯えているからです。


 今日は雪が降っており、特別苦しい日でした。

 故にまた、その疑問を考えてしまいました。


 でも、今日は心配いりません。

 寒くて、お腹も空いてきて。

 この状態ならば思考力が鈍り、答えに辿り着けるわけがないからです。

 

 頭に雪が積もってきました。

 空腹を紛らわすため、そして考えそうになっていた頭を冷やすため、私はそれを口に含みました。

 頭に乗っていたほうが、頭を冷やせるのではないかと、あとから気が付きました。


 そうやって過ごしていた時、急激な光を感じたと思ったら。不意に窓が開き、義弟の姿が見えました。


  ***


 窓の中からブワっと暖かい空気が溢れ、私の住まうベランダ全体に広がりました。

 搾りかすのような暖気を集めていた先ほどとは違い、正真正銘の暖かい空気に触れ、私の体はさらなる温かみを求めました。


「邪魔だよどけ。ねえねえ見て母さん。雪、綺麗だね」


「あら、本当ね」


 瞬間、私の右頬に痛みが走り、雪を見に来た義弟に蹴られたのだと、遅れてわかりました。

 そんな義弟の暴力には目もくれず、お義母さんは雪を眺めている彼の感嘆に同意しているだけでした。 

 まあ、いつものことなのですが。


 ただ、今日違うのは私でした。

 私はベランダの寒さと、空腹で頭がおかしくなっていました。

 いや、生きるための選択としては合理的で正解の選択だったのかもしれません。 

 私は彼ら二人を押しのけ家の中に入ると、お義母さんをベランダの方に突き飛ばし、窓の鍵を閉め、逆に彼らを閉じ込めました。


「何しているの!? 早く開けなさい!!」


「おい!! 開けろ!!」


 二人は窓をガンガンと叩きながら、私に施錠の開放を求めました。

 もしくは家の中にいる、私以外の人に。 


「何をしているんだあ!!」


 そうやって家の中にいる私とべランドの彼らを見て、お義父さんは激高しました。

 きっと状況を察したのでしょう。

 私を殴り飛ばすと、施錠の開放をしようと、二人を中に入れようと、ベランダの方に走りだしました。


 しかし、私は運がよかったのです。

 そう感じた理由は彼らの夕食がステーキだったことと、お義父さんが優先順位を間違えたことです。

 

 夕食がステーキということで、食卓にはナイフとフォークといった武器が並んでいました。

 私はその武器のうち、ナイフを手に取りました。


 そして優先順位を間違えたというのは、私とべランダの開放で、ベランダを選んでしまったことを言っています。


「大丈夫か? 今助けてやるからな」

 

 そうやって心配そうに、そして焦りながら彼は鍵に手をかけました。

 当然です。

 誰もが雪の降る寒さの中、外に締め出される地獄を経験したいとは思わないのですから。そんな経験をしている人間が愛する家族ならばなおさらなはずです。

 だからこそ、お義母さんと息子を助け出そうとしている彼の眼差しは、まさしく父親そのものでした。


「だったらなおさら、優先順位を間違えるべきではなかったですよね。お義父さん」


 瞬間、ベランダを開錠しようとしているお義父さんの喉をナイフで刺しました。

 そして急激な痛みを喉に感じた彼は自分で首を絞めるように強く傷口を押えると、勢いよく私の足元に倒れこみました。


 寒さから愛する家族を救うつもりが、その寒さを継続させつつ自分の死体を彼らの目の前にさらすというさらなる地獄を作り上げる結果となってしまったお義父さんを見下しながら、私はベランダに締め出した二人のことを見ました。


「いや!! いやだ!! いやあああ」


「速く!! 救急車と警察!! 速く!!」


 泣きながら叫ぶお義母さんと、お義父さんを救うため私に命令を下す義弟。

 そんな彼らを見ながら、私は先ほどの正解を見つけてしまったことを悟りました。

 家に入ったことで、暖かい空気に触れ、頭が働いてしまったのでしょう。


「お義母さん。私、見つけちゃいました」


 お義父さんの名を叫び続けるお義母さんに向けて、私は自分なりに探した答えを発表しようと、窓越しで話始めました。

 相変わらず彼女は私のことを見ていませんが、あまり気にしません。


「ずっと考えていたんです。どうして私はこうなったのか。私は何を望んでいるのか」


 私の話に少し耳を傾けたのか、こんな状況にしといていきなり訳の分からない事をしゃべりだす私に憤慨しているのか、私のことをお義母さんは睨みつけました。


 その眼差しを見つめ返しながら、私は少し微笑み、そして答えを言いました。


「誰も私のことを見ていなかったから私はあんな惨めな思いをさせられ続け、誰も私のことを見ていなかったから、私のことを見てほしい、それが望みだって、気づけたんです」


 口にすると、より一層その答えが正しい気がして、私はさらに発表を盛り上げようと、声を高め、大きな声で話しました。

 そうやって楽しそうに話している私に、お義母さんと義弟が抱いている感情が憤怒から恐怖へと変わっていっていることを、私を見る目から理解しました。

 

「お母さんは私を見ず、仕事をし続けていました。自分のことも私のことも見ずに、ただひたすら仕事をしていました。お義母さんは私を意図的に視界から外していました。自分よりも優秀なお母さんに嫉妬していて、似ている私のことが不快だったこと、よくわかっています」


 私はお父さんが死んでから、ずっと誰にも見られてきませんでした。

 透明人間のように、私を認識してくれる人はいませんでした。


「だから、私を見てほしいと望んだんです。だから今、こうして私を見てくれている二人がいることが、たまらなくうれしいんです」

 

 だからこそ今、こうして彼らが私を見ていることがたまらなくうれしいんです。

 私は、お義父さんを殺したことで集まった視線にさらされた発表会を終えると、ガスに火を付けました。

 

 無論料理をしたいわけではありません。

 警察と救急車を渇望していた彼らですが、本当に必要なのは消防車なのかもしれません。

 そんなユーモアを浮かべながら、私はガスを付けたまま家を出て、新しい人生を歩むことを決意したのでした。 

 

 ***


 私は、怯えた存在になりました。

 

 あの二つの疑問の答えを見つけたとき、私は自分が殺人鬼になることを、本能的に理解していたのでしょう。

 

 しかし、私は今の私をとても大好きです。

 その認識こそ、もはや人間ではないのかもしれません。

 ならばそれも、悪くないのかなって。


 そう。今日は化け物になった日。新しい自分を、見つけられた日。

私は、そんな新しい自分を受け入れるように、そっと微笑むのでした。 



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