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その人は少し壊れている

作者: 織部良 絆人

 マシロール・ワイトは学校では有名人である。悪い意味で。

 彼はワイト子爵家の跡取り息子だ。

 貴族とはべつに交易商としても名高い家は裕福で、当人もそれに相応しい身なりをしている。整えられた髪、爵位の序列からはみ出さない程度に抑えた質のよい服、一級品の小物、なにもかもが洗練されて美しい。

 と、なると羨望や嫉妬の眼差しを受けそうなものだが、貴族学校で彼が受けているのは侮蔑や冷笑だった。


 と、いうのも、彼がいつも顔を白塗りにしているからである。


 貴族子女も通う学校であるため化粧は嗜みとして見られているし、洒落っ気を出した子息も薄化粧をすることはある。だが、彼のそれはそんな常識には当てはまらないものだった。

 明らかに肌から浮くほどに厚く塗っているのだ。

 サーカスのピエロもかくやという白塗りに、好奇心旺盛なクラスメイトが理由を尋ねたが、彼は顔同様に白く塗られた唇に笑みを浮かべて答えない。

 「顔に傷があるのを隠しているのでは」とか「肌に斑模様があるらしい」などと勝手な憶測を囁かれても、彼は笑みを歪めることさえしない。

 やがて、学園内で彼はちょっと頭のネジのとんだ変人という評価が一般的になり、マシロールは心無い者から「道化令息」「醜悪令息」などと後ろ指を指されながら在学期間を過ごした。


 そして今日が、卒業の日である。


「やだ……本当にいらしたわ」

「まさかこの日にすらアレとは」

「俺が女の方なら病欠を選ぶね」


 卒業式後のパーティーには似つかわしくないが、明日から貴族の一員となる者達らしいと言える冷やかな囁き声がかわされる。

 無遠慮な視線と冷笑が向く先には、マシロールと彼にエスコートされる同い年の婚約者、クロトー・アンコック子爵令嬢がいた。

 二人はある意味対照的だった。

 マシロールがある意味派手とも言える顔をしている反面、クロトーは貴族子女らしくない地味な格好をしていた。

 ドレスコードに反してこそいないが、化粧もドレスも、貴族子女が身に付けるにしては華やかさが足りない重たそうな色とデザインをしている。その上彼女は年寄りがかけるような古めかしい作りの眼鏡をかけていて、重苦しさに更に拍車をかけていた。

 自分がこの場にそぐわない自覚でもあるのか、クロトーはエスコートに身を任せながらも、そわそわと落ち着きのない様子だ。


 クロトーもまた、一部の生徒からは嘲笑される存在だった。

 曰く「婚約者に放置された令嬢」だと。

 学内で公の場に出てくる彼女がいつも地味な格好をしているので「変人のマシロールは金持ちなのに婚約者の身なりすら構わないのだ」ということらしい。

 ただ地味というだけなのでマシロールのような扱いはされなかったが、陰口は叩かれる。それでも彼女が校内で身なりを改めることは終ぞなかった。


 いつでも悪目立ちする令息と、目立ちにくいが有名な令嬢。


 友人達と最後の親睦を深める善良な生徒もついついそちらに目を向けてしまい、カップルに好意的でない視線が集まる。

 そのせいなのか、クロトーは「化粧直しを」と言って彼から離れて行ってしまう。


 そこに、一人の令嬢が現れた。

 可愛らしい顔立ちをしていて、その顔に似合う愛らしいドレスで着飾っている。


「マシロール様」

「……あなたは、シンクッド伯爵家の」

「アカシアと申します。今日はお兄様と一緒に来たのです。私とお話しをしましょう」


 幼少期に婚約して卒業したらすぐ結婚、ということが多い貴族の学校の卒業式後のパーティーでは学年を問わず婚約者をエスコートしての参加が一般的だが、例外はいくらだって存在する。

 マシロールは、同学年のシンクッド伯爵家長男の婚約者が病気のために学園を休んでいることを覚えていた。そして目の前の彼女が、貴族子女としては少し奔放な性質をしていて、彼女に貢ぐお友達がたくさんいることも。


「お兄様のところへ戻るべきでしょう。年若い女性が一人で男の側にいるのは感心されません」

「お兄様ったら、私を放ってお友達と騒いでいるのよ。酷いと思いませんか? マシロール様」


 忠告を無視して、可愛らしい顔がマシロールを覗きこむ。

 百人が百人「愛らしい」と称えるだろう顔だ。

 だが、マシロールは動じなかった。


「さあ、彼の考えは分かりかねます。それよりも、今はシンクッド伯爵令嬢の名誉について考えるべきです。婚約者でもない男を名前で呼ぶのはよろしくありません」


 顔はふざけているのに至って真面目な返答をするマシロールに、アカシアは少しだけ不満を露にした。


「お兄様が今日は最後の無礼講と言っていたわ。貴方だって羽目を外したいでしょう」

「そうですね」

「ならいいじゃないの。私と一緒にいて、名前を呼び合うくらい」

「僕は婚約者がおります。他の令嬢と羽目を外すつもりはありません」

「まあ! あの子を私より優先するというの?」


 誘い文句を袖にされて、彼女の声が抑えきれなくなったように甲高くなる。

 それなりの身分を持ち可愛らしい彼女は、普段周りから優先優遇され慣れているのだろう。

 常識的な理由で断ったにもかかわらず、アカシアは諦めない。


「彼女が地味にしているのは事実ですが、それがシンクッド伯爵令嬢になんの関係がありましょうか」

「あんな地味女より私と話す方が楽しいはずでしょう! 私よりいつまでも帰ってこない女を優先するなんて!」

「女性の身嗜みは時間がかかるものと心得ております。楽しむだけならば、僕でなくともよろしいでしょう」

「貴方がいいと言っているの。選んだ私に恥をかかせるつもり?」

「僕は道化などと呼ばれてはおりますが、シンクッド伯爵令嬢にお見せする芸など持ち合わせがありません。楽しませることなどとてもとても……」

「その白塗りを落としてきたらいいのよ。なぜそんなものしてるか知らないけど、顔立ちは隠せない。立っているだけで見映えがするはずだわ」

「お断りします。婚約者が戻るまでこの場を動くつもりはありません」


 にべもない返事に、とうとう少女は我慢の限界に来たようだった。


「婚約者婚約者って! なに紳士ぶってるのよ! ドレスの一枚すら買ってやらない名ばかり婚約者のくせに!」


 その言葉に、マシロールはようやく今までとは違う反応を示す。

 と言っても、まるで舞台役者がするように、大袈裟な身振りで顎に手を当てただけなのだが。


「……確かにそう見えるように装ってはいたのですが、ここまで来たら隠す必要もないから、いいかな」


 呟きを模して放たれた言葉は、驚くほど会場内に響いた。

 アカシアとマシロールのやりとりに眉を潜めたりクスクス笑っていたりした人々が、ハッとして口を噤む。

 静かになった会場に構わずマシロールは続けた。


「僕がおかしな奴だと仰るのも、僕の婚約者が地味と呼ばれるのも、学校でそう言われることを見越してあえてしていたことです。でも、そう思われないようにしていただけで、僕が彼女に贈り物をしなかった事実はありません」

「う、嘘おっしゃい! あの女がそれらしいものを持ってたところなんか見たことないわ!」


 キャンキャン喚く伯爵令嬢の主張に、思わず頷く一部の観衆。

 ワイト家は数ある貴族家でも上から数えた方が早い程度には金持ちであるのに、普段から地味な様相のクロトーがそれらしいものを身に付けていた記憶がない、と。

 それに気づいたマシロールは、では例えば、とポケットに差していたハンカチを取り出す。一見真っ白なだけに見えるそれを広げると、会場の明かりを受けてつやつやと柔らかに光を跳ね返した。


「こちらは海の向こうの東の国でわずかに生産されている貴重な絹でできています。四枚だけ融通していただきました。残りの三枚は彼女のものです」


 ざわり、と空気が揺れる。

 その国の存在は貴族であれば大概が知るところである。

 あまりに海を隔てて遠いので敵になりえず政治的には不干渉に近いが、高級な布地や陶器の産地として有名だからだ。一つ所有しているだけでも一目を置かれるような品物は取り寄せるだけでも金がかかるというのに、現地でも希少な絹なんて一体どれほどの価値だろうか。

 しかし、観衆の驚きはそれだけでは終わらない。


「それに彼女が学校に着用してきたドレスは全て、僕が送ったものです。デザインこそ地味にしましたが、彼女が着やすいように、日々を気分よく過ごせるように、一枚ずつ気候や体調に合わせて着替えられるよう特注したものです。目が肥えた方なら、生地を見ただけでも最高品質のものだと分かっていただけたでしょう」


 その言葉に、別の一部の観衆が頷いたり微笑んだりした。

 彼を変人と見なしてはいても、不必要な干渉をしなかった高位貴族が多い。

 それを見てハッとしたのは、不必要な干渉をしなかったが彼の贈り物に気付いていなかった面々である。

 ワイト家もアンコック家も同じ子爵家だが、その財力は比べるべくもない。

 マシロールの言葉が本当なら、クロトーはずっと家の懐事情に見合わない高価な服を着ていたわけで――それに気付かず「婚約者を放置している」「お飾り」などと揶揄していた人物は己の審美眼の無さを自ら暴露したも同然なわけで。


 見れば、アカシア・シンクッド伯爵令嬢の顔は真っ赤になっていた。

 伯爵位の貴族子女で、様々な男性から高価な贈り物をもらって悦に入っていたのに、公衆の面前で物を見る目が無いというレッテルがついたのだから当然だろう。

 マシロールはそんな彼女に微笑して見せた。


「僕の婚約者は、クロトーはお飾りなんかじゃありません。大切な大切な、たった一人の愛する人で、僕のワガママを許してくれる優しい人でもあるんです」


「お前が自らクロトーへの愛を他人に語るとはどうしたことだ? 明日は槍でも降ってくるのか?」


 すっかりマシロールに毒気を抜かれた会場へ、張りのある快活な声が響き渡る。

 人々が見た方向には、美しい少女をエスコートした青年が立っていた。


「あ、アンコック子爵」


 気づいた生徒の何人かが礼をしようとして、当人に制される。


「よせよせ。今日の主役は君達であり、俺はどうしても妹のエスコートがしたくて乗り込んできた兄でしかない」


 その言葉に、再び空気がざわりと揺れる。

 この国の貴族にアンコックという名前の子爵家は一つしかなく、代替わりをして間もない。その伯爵である男の妹となればそれはクロトー・アンコックしかいない。つまり彼がエスコートしているのもクロトー・アンコックということなのに。


「美しい……」


 誰かの呟きは、この場の総意だっただろう。

 地味で野暮ったいはずの少女は、わずか十五分ほどで見違えるように美しく飾り立てられていた。

 長い黒髪は美しく結い上げられ、眼鏡を外した顔は化粧を佩いてまばゆく、なによりドレスは今までの服装がメイドのお仕着せだったのではないかと錯覚を起こしそうなほど洗練されたデザインで彼女を彩っている。

 もしここが卒業パーティーの場でなければ、誰かしらが「どこのお姫様かしら」などと囁いたかもしれない。

 それほどの大変身をクロトーは遂げていた。

 兄について会場に戻ってきた彼女は、白塗りの顔に向かって美しく微笑む。


「お待たせいたしましたマシロール様」

「ああ、待ち遠しかったよ! とてもきれいだ!」

「俺に挨拶はないのか義弟よ」

「ごきげんよう義兄上。僕がしたかったエスコートをしていただき感謝いたしますもうお帰りください」

「こいつめ。だが今日ばかりは多目に見てやる」


 渋い顔をするマシロールに、子爵はどこか優越感のある笑顔で応じている。


「本当に短い時間で着替えられるか不安だったのですが、ワイト商会のスタッフ達はすごいですね」

「君に着替えてもらうために万全の用意したからね。本当は一番最初に僕が見たかったんだけど」

「お兄様とお約束なさったんですからいけません。ところで一つお聞きしたいのですが」

「なんだろう」

「化粧直しに向かった先で、ブルーベル伯爵令息が「あなたの婚約者が浮気をしている」と仰ったのですけれど、心当たりはございますか?」


 ちらりとアカシアの方を見るクロトーの問いかけの声にトゲはなく、むしろ困惑した様子が伺える。

 だが、マシロールはまるで声高に弾劾でもされたかのように跳び上がって、彼女の前に片膝をついた。


「誓ってなにもない! なにかさっきちょっと話しかけられはしたけどそれだけだ! 触ってもいない! 周りも見てた!」


 話しかけられついでに相手のプライドをへし折っているのだが、マシロールからすれば記憶に留め置くほどのことではなかった。

 クロトーは


「ですよね」


と納得したように頷いている。


「あ、あの人、そんなこと言ったの!? マシロール様なら大丈夫って言ったのは彼なのに!」


 悲鳴混じりに叫んだのはアカシアだ。

 口ぶりからして多少は親しい仲であったのかもしれない。

 不貞を唆そうとしたのは事実でしかないが、告げ口をされたのがショックだったらしい。

 彼女に答えたのはアンコック子爵だ。


「状況を見るに、シンクッド嬢を唆して不貞をでっちあげ傷心になったクロトーに近づき、繋ぎをとろうとしたらしいな。同格の家の足を引っ張りながら自分の望みを叶えようとは実に貴族らしい。――まあ、妹は婚約者がいる身だからお引き取り願ったが」


 家格の差はあれど、令息でしかない少年と現役子爵では少年の方が分が悪い。

 ヒュっと小さな音が聞こえて、とうとうアカシアはその場に倒れた。プライドを傷つけられた上に仲良しだと思っていた相手の裏切りまで聞いて、精神に限界が来たらしい。地味だと見下していた相手が輝くばかりの姿で現れた影響もあるかもしれない。

 このパーティーのために用意された使用人がそそくさとやってきて、気絶した少女を回収していった。

 パーティーの参加者達はしばらくひそひそ囁き交わしていたが、誰かの指示で音楽が流れ始めると、一人、また一人と寄り添ってダンスを始めた。馬鹿騒ぎの後に空気を読んで何事もなかったかのように振る舞えるのは、さすが未来の貴族といったところだろうか。


「クロトー、僕達も行こう」

「その前に、マシロール様」

「なんだろう」

「そろそろお化粧、落としてきませんか?」

「ああ、これかい? せっかくだから皆の前で落とそうと思って」


 そう言って彼が示した先には、瓶と布巾を乗せた盆を持った彼の家の使用人がいる。


「皆さんの前で?」

「四年間白塗りを続けてるうちに「化粧って落とすのも大変なんだなぁ」って気づいて、新しい化粧落としを作らせてみたんだ。この厚化粧が簡単に落ちるなんていい宣伝材料だろう? 肌荒れもしにくいよ」

「そんなにいいものなら私にも教えてくださったらよろしいのに」

「君に試用を頼むなんてできないよ。勿論、技術でも道具でも、君に用意してあげられるものならなんでもしたいけど」


 マシロールは白塗りの厚化粧の上でも分かるほどに目元を緩める。

 彼の視線の先には、今日の大変身のために集めたたくさんの技術者達によって、短時間で本来の美しさに更に磨きをかけられたクロトーがいる。


「全く仕方のない人」


 美しい少女は白塗りの顔に浮かぶ青い目を見つめ返し、ため息をついた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 クロトーから見て、マシロールはおかしな(・・・・)人であった。

 勉強もできる。運動もできる。その上家業の商売は若年でありながら既に頭角を現している。

 だというのに、婚約者のクロトーに関しては財布の紐はないも同然になり、常人では考えも及ばないような大事を引き起こそうとする。

 なんでもない日に「君に似合うと思ったから」と豪華な贈り物を贈ってくるなんて序の口で、土地を一から買ってバラ園を作って所有権ごと誕生日にプレゼントしてきたり、銀糸や金糸でみっちりと刺繍したドレスを私財をなげうって贈ろうと画策したり、枚挙に暇がない。

 確かに贈り物は皆クロトーの好みにあっていたが、ごく普通の子爵家であるアンコック家では膨大な数を管理しきれない。バラ園は「ずっと面倒は見きれない」と差配された管理人ごと返却して結局有料公園になったし、ドレスの方はデザインをいくつも持ち込んで選ばせようとやってきた時点で「たかだか子爵家の女がそんなドレスどこに着ていけるというのか」と説得して止めた。

 気持ちは嬉しいが現実問題、受け止めきれないのだ。

 薔薇を百本もらっても、平民の娘には活けておく場所がないのと同じである。

 幼少の頃はまだ普通の男の子だった気がするのに、とクロトーが考えてみても、今の彼が彼にしか分からない価値観で暴走するのは変えようのない事実なのだった。


 だから、その日も少し驚いただけで、困惑などはなかった。


「頼む! 学校でその美貌を他の奴に見せないでほしい!!」


 その場に土下座せんばかりの勢いでマシロールが懇願する。


「無理に決まっています。顔を出さずに社交ができましょうか」

「そこをなんとか!」


 何度か押し問答を繰り返した後、彼女はようやく思い至って尋ねた。


「そもそも、なぜそんな突飛な提案を出すに至ったのですか」

「――僕の友人の兄にね、すごく顔のいい男がいるんだ」

「名前は存じていないのですか」

「知ってるけど君に教えたくない」


 そんな美男子なら名前を知らずとも夜会なぞに出れば視界に入るのに秘密にする意味はあるのか、とクロトーは思ったが言わぬが花で続きを促す。


「その男には幼少期から約束をした婚約者がいて、周りにもそれを話していたんだけど、学校に入ったら一部の子女からアプローチをかけられたっていうんだ」

「まあ。愛人志願ですか?」

「それもいるし、正妻を自分にしないかって言ったものもいたらしい」

「よっぽど自信がおありでしたのね。そのお友達のお兄様、どうなさったのです?」

「もちろんそんな恥知らず、全部はねのけたさ。――でも、それでも諦めなかった女がいた。なんでも彼の婚約者を羨んで見当違いの憎悪を抱いていたそうでね。強行手段に出て、彼の飲み物に薬を入れて、卒業パーティーの控え室で既成事実を作ろうとしたんだそうだ」


 することさえしてしまえば自分が婚約者の立場を奪い取れると考えたらしい。

 なんとも物語のような話だ、とクロトーが目を円くしていると、マシロールは拳を握り締めて顔を歪めた。


「彼は幸い毒婦の魔の手から逃れ、その体験談の一部始終を馬鹿な女にまつわる苦労話として語ったけれど、僕は戦慄したんだ。美しい、妬ましいというだけで道を踏み外す女がいるなら、男は殊更信用できないことに気づいてしまって!」

「……男女の違いは関係ありますでしょうか」

「男なんてみんなケダモノだ!」

「それだとマシロール様もケダモノということに」

「クロトーのことは今すぐにものにしたいと常々思っているよ!」

「お兄様に聞かれたらまた拳骨をもらってしまいますよ」


 そこまで言って話が脱線していることに思い当たり、クロトーはコホン、と咳払いして話をもとに戻した。


「それで、私に顔を隠して欲しい、になったと」

「君が誰かに言い寄られるなんて耐えられない! 危険にさらされるのもだ!」


 だが、この国では学校を卒業しなければ貴族として結婚することを認められない、と彼は肩を丸める。

 そこはきちんと覚えていた婚約者にホッとしながら、クロトーは彼の説得にかかった。


「そのような不届きな生徒がいるというのは聞き及んでおります。ですが、私のお友達はマシロール様と私がどんな関係か十分にご存知ですもの。マシロール様が普段通りにしているだけで、私達に割り込む余地などないと周りは理解して下さるわ」

「だが君は美しいだろう? 僕は身分のわりに資産持ちだろう? やっかみを買う可能性は消せない」

「……」


 正直、クロトーは自分が美しいというマシロールの言葉にはピンときていない。

 マシロールが金をかけてくれるから子爵令嬢という身分以上の高価なケアを受けて並以上はあるはずだが、平民にも多い黒髪黒目のクロトーは、客観的に言えば目立つ女性ではない。

 が、裏を返せばそれは一般的に平凡な見目でありながら金持ちの婚約者にそれほど手を掛けられ愛されている女となるわけで、クロトーは「確かに彼が心配するくらいにはお馬鹿さんの反感を買う立場かも?」と思い直した。


「顔を隠すことはできません。この国で顔を隠して生活するなんて「自分はまともに顔もさらせない後ろ暗い人間です」と公言するようなものですから。ですが……」

「が?」


 譲歩の前振りに聞こえる文言に、マシロールは顔を輝かせる。


「人から見える印象を変えることはできます。マシロール様からの贈り物を外して、もっと野暮ったい装いに直せば、誰も私をあなたに大事にされている女とは思わないでしょう」

「え。外してしまうの?」

「やっかみを懸念するなら、原因を排除してしまうのが一番です」

「う……それはそう」


 マシロールは自分の大切な人のいいところは自分だけが知っていたい人間なので、普段は惜しみないクロトーへの褒め言葉を公の場で発することは少ない。分かりやすい愛情の証を外してしまえば、まだデビュタントも迎えていない二人は、笑顔でエスコートをしていても貴族の義務に忠実な婚約者同士に見えるだろう。


「なので、マシロール様は私が学校で野暮な人間を演じていても社交ができるように差配してください」


 きらきらと輝いていたマシロールの顔が、目に見えて陰った。


「……地味な装いは学校だけにするということかい。それだと、やっぱり人伝に君の魅力が広まってしまうんじゃないかな」

「広まっていただかないと将来困るのは私達です。マシロール様のお家の商品には女性向けの装飾品や化粧品もありますのに、後継者の将来の妻がただ野暮ったいままでは馬鹿にされてしまいます」

「それくらいかまわないのだけど」


 その程度の逆風は問題にならないという自信を感じる言葉に、クロトーはしっかり反論した。


「私はかまいます。たとえあなたが守ってくださるつもりでも、社交界で後ろ指を指されるなど御免です」

「うーん……分かったよ。君の友人達の友人や、取引先の婦人達と茶会できるように取り次げばいいかな」


 あくまで学校にいるかもしれない不埒者が懸念点なのだから、学校での社交は切り捨てて、男性が閉め出されている別の場所で本来の顔を売ればいい。国内でも指折りの商人であるマシロールの婚約者だからこそできる強引な手だ。

 しかしその正当ではない手段に出ても、上手く立ち回れる自信をクロトーは持っていた。


「よろしくお願いします」

「ああ――いや、待ってほしい。地味な装いにしても僕が準備したい」

「え? やっかみの種になるのでは?」

「女性がもらって嬉しいものだからそうなるんだ。じゃあ、世間の女性からはパッと見いまいちでも、クロトーにだけ分かるクロトーのための品なら問題ないよね?」

「……確かに?」


 ドレスと一口に言ってもその構造には外からは分からない様々な工夫がある。

 マシロールにかかれば、言葉通りの品を作るのは造作もないことをクロトーは知っている。


「そうと決まったら、服についてのクロトーの要望を聞こう。洗練されてない服を作れ、なんて、デザイナーはびっくりするだろうな」

「今からですか?」

「善は急げだよ。もともと、話が終わったら新しいドレスを買ってもいいか相談するつもりだったんだ」

「先日いただいたドレスはとても素敵でした。が、我が家のドレッサーはもうマシロール様の贈り物だけでいっぱいですから、少なくとも地味な装い以外の新しいものは、しばらく結構です」


 笑顔でぴしゃりと言われた言葉に、マシロールは犬が尻尾を垂らしたような顔でうなだれる。しかし実際に贈り物まみれで置き場所を考えるところから苦心している使用人達を知るクロトーは、そこを敢えて無視した。

 ――そうして我慢させた結果、半年後の入学式のお迎えに「僕も印象を変えることにしたんだ!」と顔面白塗りで現れた婚約者に、クロトーは驚かされることになるのである。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「そういえば結局のところ、地味な格好にしても、顔の白塗りにしても、完全な対策ではありませんでしたね」


 三人並んで座っても余裕のある馬車の席に、マシロールとクロトーは肩を寄せあうように座っていた。始まりは問題だらけだった卒業パーティーも恙無く終わり、クロトーは自分と婚約者の本来の姿、マシロールは新製品と、それぞれ売り込みに成功して帰路についていた。

 アンコック子爵は言葉通り妹のエスコートを終えた後さっさと帰った為、彼らは二人っきりだ。


「アカシア様はマシロール様のお顔を正しく理解した上で誘惑を試みていたようですし、ブルーベル伯爵令息はまだ化粧をしていない私に「あなたのような美しい人を」というようなことを言いかけていました」

「言いかけだったの?」

「マシロール様が浮気をしている、と言った辺りでお兄様が死角から近づいて捕まえて、後は化粧室に入ったのでよく分からなくて」

「義兄上が出てきたんじゃ、僕の出番はないかな」


 マシロールは化粧を落としてさっぱりした顔に苦笑を浮かべた。


「完全な策じゃなかったことは認めるよ。君に負わせた苦労に見合わない結果だった」


 しかし謝罪に対し、クロトーはかすかにおかしそうな笑みを浮かべる。


「そうでもありません。お茶会のお客様には存外好評でしたので」

「好評?」

「ええ。ワイト家の嫡男が変装させて隠すほど囲い込みたがっている婚約者が本来の姿で忍びながら現れるのは密会のようね、とか、こっそり不貞を楽しむ人達の気持ちが少しだけ分かるわ、だとか。おかげでお話しもしやすくて」


 それを聞いてマシロールは分かりやすくムッとした顔になる。想像通りの反応に、クロトーは可愛らしく笑った。


「きっと皆さん、マシロール様のそんなお顔を思い浮かべてそうおっしゃったんだわ」

「それでも、いい気はしないな。僕の婚約者と不貞ごっこなんて」

「皆さんがそう言ってるだけで私にそんなつもりは――あら、本当に不貞の言い訳みたい」


 そうやってますますおかしそうに笑う婚約者を見て、マシロールは思わずと言った様子で彼女を抱き寄せ、唇を奪った。

 しばらくの沈黙の後、離れたクロトーの顔は真っ赤になっていた。


「……ずるい」


 淑女らしさが剥げた言葉が小さく響く。


「不貞ごっこを楽しそうに話すから。嫉妬しちゃった。もっとしようか?」

「……お兄様に言い訳できないものは困ります」

「……あと一週間なのに、結婚式にたんこぶつきの花婿はまずいね」


 年の離れた妹を溺愛している実直な兄が義弟に実力行使を厭わないのは二人とも経験則でよく知っている。

 気持ちを落ち着けるように、マシロールは最初の話の続きを始めた。


「君のそれとは違うけど、僕としても全く意味がなかったということはないと思う。学校にいる間、高位貴族の方々にすり寄る愛人志願者を見かけたけど僕には見向きもしなかったから」

「そんな人、いたかしら」

「問題を起こして二年目の夏には退学になったから、忘れたんじゃない? 軽んじられることも防衛の手段になるって、よく分かったよ」

「軽んじられては貴族としては失格です」

「ごめんそんな不安そうな顔をしないで。もう君に地味にしてくれなんて二度と言わないから」


 在学中、マシロールもずいぶん反省をしたのだ。

 休みの日に仲のよい友人達とお揃いで買ったという髪留めを学校に着けていったクロトーが「頭だけ飾ってもねえ」と囁かれているのを聞いたからである。

 その上マシロールが聞いていたと知らない彼女は、そのことについて相談しようともしなかった。

 そのような出来事がその一回限りという保証はない。ただ目立たせたくない一心で地味にしてもらっていたが、彼女がそのために屈辱を受けたのは果たして自分が聞いた一度だけだったのだろうか、と彼は自分の行いに後悔もした。

 彼が再び謝罪を口にすると時、クロトーは小さく笑う。


「あの時も言いましたが、あの装いとはチグハグなのが分かっていて、それでもつけたかったからつけたのです。言われたのはただの事実でしたから気になりませんでした」


 それに、と、微笑んだまま彼女は続ける。


「私も同罪なんです。顔を白く塗ったマシロール様を止めなかったんですから。打算でした。婚約者にお金を使っているように見えなくて、その上奇行に走る男の人には、愛人志願者も近寄りにくいんじゃないかしら、って」

「そんな風に思ってくれてたの?」

「マシロール様があらゆる意味で魅力的なのは事実ですもの」

「その言い方だと、君が美しいという事実の方はまだ受け入れてもらえていないのかな」


 マシロールが顔を覗き込むと、クロトーは困ったように目をそらす。そんな彼女へ、彼は今度は額にキスを落とす。


「僕がお金持ちなのと同じくらい、君が美しいのも揺るぎない事実だよ。みんなも君に見とれていたじゃないか。すごく隠したかった」

「でもそれは、マシロール様が飾ってくださったからで」

「クロトー」


 迷うような言葉を遮って、マシロールはしっかりと愛する人を見つめた。


「君は美しいよ。僕がなにかしたからとか、僕が君を愛しているからとかは関係なく、君はとっても美しいんだよ。僕が隠そうとしても気づく人がいるほどに」


 熱がこもった言葉を、それでもクロトーは曖昧に頷いて、受け取ることはしない。


「ありがとうございます」

「……仕方のない人だな」


 聞きなれた言葉を自分の唇に乗せて、マシロールは愛する人をもう一度優しく抱きしめた。



 マシロールにとって、クロトーは誠実な人だ。

 自分が先走って思いつきで用意してしまう贈り物を「困る」と言いながら、いつだって受け取れるだけの線引きを丁寧に示してくれる。面倒だから欲しい時に寄越せと言ってもいいのに、たくさんあって困るなら高位貴族がするように古いものから売ってくれてもいいのに、それをせず大切に使ってくれる情も懐も深い女性。

 そんな素敵な婚約者にも、一つだけ困った点があった。

 「美しい」という褒め言葉だけは頑なに受け取ってくれないのだ。

 原因は単純で。

 彼女の中の「美しい女性」に自分が含まれていないからだ。


 ――幼少期にこの国に輿入れした金髪碧眼の美しい姫君に子どもらしい無邪気さで憧れたクロトーは、絵姿をできる限り真似てお姫様ごっこをしていた。が、ある日家の用事で来ていた心無い親戚達に「黒髪黒目のくせにあの姫様を気取るなんて」と貶されてしまったのだ。

 絶対に許せないが些細なことだと思った当時の自分を、マシロールは未だ許せない。

 大人にまで嘲笑(あざわ)らわれたショックで泣いて寝込んだクロトーは、起きた後、お姫様ごっこをしなくなった。そればかりか、大好きだったはずのきらびやかなドレスや華やかな小物を手に取らなくなった。


「私には似合わないの」


 クロトーの心は、たった一回の狼藉を許したばかりに深い傷を受けた。しかもよほど辛かったのか、その理由についてはすっかり忘れてしまっていて「自分は最初から似合いもしないお姫様に憧れたことなどない」と信じこむようになっていた。

 マシロールはそれを知り衝撃を受け、そして彼女を癒す誓いを立てた。

 好きだったもの、これから好きになるものを偽らずに好きと言えるようにして、マシロールの唯一無二のお姫様として、心から笑ってもらうのだと。

 その誓いを果たすべくされた凄まじい努力の結果、今のクロトーはお洒落を楽しみ、好みを友人と共有できるほど回復した。


 それでもなお、どんな人からの賛辞でも「美しい」だけは受けとめるだけで受け入れはしない。

 狼藉を働いた親族が家ごとなくなっても、幼かった頃よりずっと美しく成長しても、他人に説明できるほど流行に敏く詳しくなって、ワイト家の次期女主人として家人達から認められても。



 ため息を飲み込んで、マシロールは腕の中の温もりを感じながら目を閉じた。

 まぶたの裏に浮かぶのは、ずっと幼い頃の庭。


「やっぱりだめ! ちゃんと作らせるから返して!」

「いや! マシロールからの初めての贈り物なのに!」

「そんなみっともないのが初めてなんてやだぁ!」


 不恰好な形の萎れかかった花の冠を頭に乗せたまま、伸ばされた手を踊るようにかわすクロトー。庭の中で散々おいかけっこをして、先に疲れたのはマシロールの方。へとへとになってへたりこんでしまった彼に気づいて、同じくらい息を切らせたクロトーがとことこと戻ってくる。


「ねえ、マシロール」

「な、なに?」

「見て」


 しょんぼりしていたマシロールが見上げてみると、クロトーはその場で背筋を伸ばす。

 そのままスカートの裾を摘まんで、彼女はカーテーシーらしきものをした。あくまで、らしきものだ。まだ教えすら受けていない五歳児が、淑女の礼などできるはずもない。

 けれど披露し終わった後、彼女は眩いばかりに笑った。


「ね、かんむ、りも、あるから、おひめっ、さまみたい、でしょ?」


 走り回って顔は汗まみれだし、盛大に息を切らしているし、ドレスには土やつぶれた葉っぱの汁がついていて、肝心の冠はおいかけっこのせいで崩壊寸前。とてもお姫様らしいとは言えない有り様。

 それでも、マシロールは自然と頷いていた。


「うん、とっても可愛い」

「可愛いより、きれいって言って!」


「――さま、マシロール様?」


 幼少の頃よりずっと落ち着いた声で名を呼ばれて、マシロールは我に返る。目を開ければ、美しく成長した姿のクロトーが抱きしめられたまま心配そうに見上げている。


「ああ、ごめんね。君を前にして考え事に耽ってしまった」

「お疲れになったのかと」

「君を腕に抱いたまま眠れるとしたら、僕はきっと不能に違いないよ」

「まあ! よしてください」


 品のない言葉に顔を赤らめたクロトーに、マシロールはごめんごめんと重ねて謝ってから言った。


「また君へ贈り物をしようと思って」

「今日の衣装一式、いただいたばかりですのに、もう次ですか?」


 困ったような、それでも嬉しそうな声音でクロトーが言った。その笑顔に、彼が最初に恋をしたあの日の輝きはない。

 ねえ、きれいでしょう? と彼女が微笑む日まで、彼は彼女を困らせるだろう。



 

最愛に尽くしたい暴走系と、愛されてる自覚めちゃくちゃあるし愛される度量もあるけどけして流されることはない冷静系のカップルいいよね、で書き始めたのに完成したらなんか形変わってる。白塗りの暴走ヒーローと冷静ヒロインを取り巻くものが総入れ換えされている。

(ちょっとだけ書き換え入りました。申し訳ない)


ここまで読んでいただきありがとうございました。


企画作品楽しませていただいてます。企画者氷雨そら様に感謝です。

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