第二十二話 潜入捜査
多摩市某所のガールズバー「シン・桜ヶ丘女学院」店長・高橋には話を通していた。
「いやあ、実は僕も当日のことは心配してて」
「心配ですか?」
ボーイに扮した男装姿の灯里が高橋に尋ねる。屋上から目と耳と鼻を凝らす見張り役につき、いつでも外星人を追えるよう蝶ネクタイのスーツ姿の下にはネウロンスーツを着込んでいる。
「有坂さん、変な人だけど悪い人には見えないんですよ? でも相手した女の子が体調不良になることが多くて、うちじゃ半分疫病神みたいな扱いですよ」
「体調不良……」
「いきなり気ぃ失ったり、酔っ払ったみたいにその日のこと全部忘れちゃうの。記憶喪失的な?」
「……やはり、有坂がアペト星人で間違いないですね」
同じくボーイに扮した秋山悠月がぼそりと呟く。こちらは作戦指示役として店内と事務所を交互に移動し、あわよくば接客まで行うつもりだ。
「良かったですね、亜夜さん。少なくともそのフリフリ衣装の元は取れますよ」
「おい、今こっち向いたら殺すからな……」
シン・桜ヶ丘女学院のコンセプトは「文化祭メイド喫茶風清楚カジュアル」。古き良き時代の萌えがあらゆる方向性で大渋滞を起こしている。
そんなわけで、亜夜の制服は黒セーラー服を改造したフリル付きのメイド服に足元は赤ジャージと、露出こそしない代わりに他の全てを注ぎ込んだような代物だった。
「クソ、制服なんて三年は着てねえのに……こんなんならこいつにやらせれば良かった」
「亜夜先輩、かっこいい系も良いですけどこっちもかなり似合ってます! 自信持ってください」
「うっせ……」
「亜夜さーん、もっとあざといスマイル見せないとお客さんビビっちゃいますよ」
「秋山てめえマジで覚悟しとけよ」
外星人と対面するとはいえ、一般人と紛れる以上武装の持ち込みは許されない。亜夜も含め全員がネウロンスーツを着用しているが、その程度のものだ。今回は表だった戦闘はなるべく避ける必要がある。
「つーかなんだこれ、すっげえゴワゴワするんだけど」
「当店は世界観第一ですから。ジャージで見えない足元にも白タイツの着用を義務付けています」
「仕事に拘りがあるのはいいことだと思うけどさ、流石に一回殴ったほうがいいよな? 潜入だって伝わってない?」
外星人に関する情報を明かすことはできないため、悠月の司法警察員としての側面を活かして「有坂が違法な取引をしている可能性があるため捜査したい」と適当な理由をつけて納得させていた。すんなり高橋が納得したのはやはり有坂の外星人としての妙な挙動のせいだろうか。同じ星に生まれた者でない以上、擬態が正確でも仕草や言葉には外星人特有の訛りのようなものがあると悠月は言っていた。
「それじゃあ、もうすぐオープンですので。今日は有坂さんの貸し切りですから問題はないと思いますが、お客様に粗相がないよう頼みますよ」
「……了解」
「ダメですよ亜夜さん、わかりましたニャンご主人様って言わなきゃ」
「勝手にネコ要素盛ってんじゃねえよ」
「じゃあ亜夜先輩、屋上で見張ってるニャ……ます!」
「なんでお前がつられてんだよ……」
この日のシン・桜ヶ丘女学院のメンバーは亜夜を含めた接客スタッフ二名にボーイ役の悠月、責任者として店長の高橋。灯里は手筈通り屋上からアペト星人有坂の出入りを見張っている。
亜夜は「しゃーねえ、やってやるよ」と髪を結び直し、カチューシャを付けた。
「……?」
接客スタッフ二名。つまり、亜夜とともに有坂の相手をする女の子が一人いる。
高橋曰く、疫病神の有坂の日のシフトを代わってくれる亜夜の存在は有難いとのことだが、構わずシフトを入れてきた女の子が一人いたとは聞いていた。「どうしても入りたい」というその女の子の要望に加え、亜夜と悠月だけに当日を任せるのも不安なので渋々了承したとのことだ。
「……あなたが新人の?」
「あ、ああ。『あやな』です。よろしく……?」
少女に尋ねられ、亜夜は事前に適当に決めた源氏名を名乗る。キャストのプライバシーを守るために必ずこうした場では本名を名乗ることが禁止されていた。
「『ゆうな』です。じゃあ、よろしくお願いします」
ゆうなはそれだけ言ってカウンターに着いた。
前髪を切りそろえた黒髪のおかっぱ頭で、日本人形のような古式ゆかしい雰囲気のある少女だ。年齢も亜夜よりは年下で灯里と同じくらいに見える。幼いが落ち着きのある佇まいだ。
(……あいつ、どこかで見たことあるような)
そう思った矢先、インカムから灯里の声が聞こえる。
「亜夜先輩、悠月さん。有坂さんが来ました!」
「はーい、了解しました」
悠月が返事をする。
「人数はどれくらいです?」
「それが……二人しかいないんですけど」
「……なんだと?」
周防化学の役員向けの「お花見会」の予定だったはずだ。てっきり集団を引き連れてくると思ったが、警戒するだけ損だったか、と亜夜は下唇を噛んだ。
「どうする?」
「密談でもするつもりでしょうか……後から連れが来るかも知れません。灯里さんはそのまま、周囲に怪しい人影がないか警戒してください」
「了解です」
暫くすると、雑居ビルのエレベーターが動き出した。
一階、二階、そして三階で止まって、開いた。
「い、いらっしゃいませ、ご主人様……?」
「いらっしゃいませ」
赤面しながらもルールを守った亜夜とは反対にゆうなは静かにそれだけ言って有坂を出迎えた。
「こんばんは、ゆうなさん」
「カウンターにどうぞ」
有坂も慣れた様子でカウンター席に座る。亜夜は手に持っていたお盆を叩き割る勢いで握っていた。
「ご主人様やっぱいらなかったじゃねえか……」
「亜夜さん、スマイルスマイル!」
いい加減にしろよ秋山このやろう、と胸ぐらを掴みたい気持ちを堪えて亜夜はゆうなの隣に着いた。悠月は頃合いを見て事務所に戻る。
目的は有坂が外星人だという証拠を掴むこと。それ以上の接触は無しだ。
「おや、新しい方ですね」
「あ、あやなでーす……」
有坂はブラックのスーツに青色のシャツといかにもなビジネスマン姿で、短髪色黒のラガーマン然とした顔つきながら口調は紳士のようだった。
「……そちらの方は?」
そして、一人だけ連れを用意していた。こちらはグレーのスーツに白いシャツと黒ネクタイで、金髪に白い肌の外国人のような出で立ち。
なにより、スーツの上からでも伝わってくるのがその筋骨隆々さだ。瀬崎や防衛隊隊長の結城を彷彿とさせる、実戦で磨かれた筋肉。
軍人か傭兵あたりが妥当か? 少なくとも周防化学の社員とは思えなかった。
「……何か?」
「っ!?」
亜夜が何気なく尋ねると、男の眼光がぎらりと光った。
その瞬間、まるで荒れ狂う怪獣と対面したように亜夜の胸の内がざわつく。呼吸が止まり、毛穴の一本一本まで猫のように逆立つ。
「バイス、やめるんだ」
有坂がそう言うと、亜夜を包み込んでいた殺意が鳴りを潜めた。
「……失礼、彼はボディガードとでもいいましょうか。最近は何かと物騒なものですから」
有坂はそう言って笑った。アペト星人が戦闘能力に長けているという話は悠月から聞いていない。自分が防衛隊やゴシックに狙われていると考えてボディガードを手配しても不思議ではないが、それにしたって一人きりだ。よほど腕が立つのを雇ったのか、はたまた。
「モヒートを一つ頂きましょうか。……そうだ、バイス。君は?」
「結構だ」
バイスと呼ばれた白人の男はきっぱり断った。有坂は「そうか、それは残念だ」と言って素直に肩を落とす。
「あやな、カクテルの経験はありますか」
「い、いや……」
「私が用意します。接客は任せても?」
「わかった」
ゆうなに言われるがまま、亜夜はカウンター越しに有坂と対面する。
「バイス……? いや、まさか」
悠月がぼそぼそと呟いた言葉をマイクが拾っていた。
「少し調べ物をします。亜夜さんはそのまま接客を続けてください」
そんなこと言われてもガールズバーって何話すんだよ、と言いたい気持ちを亜夜は飲み込む。とにかく会話のキャッチボールを交わしてチャンスを掴むだけだ。
「……モヒート、お好きなんですか?」
「ええ、とても!」
何気なく聞いたが有坂の反応は思いの外良かった。
モヒートはミントとライムとラム酒を使ったカクテルで、砕いた氷の上から炭酸水を注いで作るシェイカーを必要としないビルドスタイルで提供される。ミントの葉を手で叩いて香りを出すゆうなの仕草は手慣れていた。
「このミントという植物がとても好きでして。私の故郷にはなかったものだ」
「は、はあ」
「強烈な香りと清涼感で臭いものをそう感じさせない。一度植えてしまえば雑草のようにいくらでも育ちますね。強い生命を感じます」
高橋が変な人呼ばわりした理由がわかった気がした。まるで翻訳機をかけたような日本語。
「どうぞ。モヒートです」
「頂きましょう。……うん、いい香りだ」
ゆうなに差し出されたモヒートのグラスを傾ける姿は上品で、動作一つ一つを見ても有坂が外星人だと疑うことはできない。
(一日やそこらで正体までは掴めないか……?)
長期的に見れば隙をつくことはできるだろうが、ジンクスはすでに野に放たれている。待つことは許されない。アペト星人の目的が不明瞭な以上、すでに目的を果たしたとして別の星に逃げられる可能性も捨てきれないのだ。
「……有坂さんって周防化学の方なんですよね」
亜夜は敢えて踏み込むことにした。
「あたし、実家が蜂名なんですよ。この間怪獣災害が起きてからずっと不安で」
「ほう。不安というのは?」
有坂は亜夜に興味を持っているのか、簡単に話題に食い付いてくる。バイスは腕を組んだまま静観していた。
「祖父井の……ちょうど周防化学の施設のそばだったそうじゃないですか。大変だったんじゃ?」
「ああ、ああ、そういうことですね。ええ、とても大変でしたよ」
有坂は大袈裟に口を大きく開けて笑った。そりゃあ大変だろうな、梶川の口封じのために非力な研究員を送り込んだくらいだから。亜夜は作り笑いを浮かべながら内心穏やかでない。
「パラトンにライツ、それに外に散歩に出てしまったジンクス。ええ、それは苦労しましたとも」
ゆえに、有坂の言動に対応できなかった。
「……は?」
刹那に起きた出来事を亜夜は知覚しきれなかった。悠然と立ち上がった有坂は引き攣った顔で亜夜のカチューシャをもぎ取り、その頭を鷲掴みにした。
アペト星人は記憶を排出するアペト菅が手のひらに伸びている。それはつまり、手のひらから記憶を奪うということだ。
「がっ……!?」
「亜夜さん、離れてっ!」
視界が揺れ動く。事務所から飛び出した悠月がそのままの勢いで有坂に飛び蹴りを放ったのだ。
だが依然亜夜は有坂に掴まれたまま。
「おっと、俺の仕事のようだ」
悠月の蹴りはバイスの太い腕に阻まれていた。
「やはりそうですか、バイス星人……!」
「そういうお前は……ははあ、なるほど」
強い目眩がして意識が遠のいていく。
何もできない。無力なまま外星人の餌食にされておしまい。
(嫌だ……助けて、誰か)
有坂の腕は万力のような力で亜夜の頭蓋骨を締め付け、振り解こうと足に力を入れたところで強烈な吐き気が訪れた。
耐えきれず、その場で胃酸ごとカウンターに吐き戻した。
「……ああ、汚い」
有坂の蔑む声と、窓ガラスが外側から打ち破られる音がして、亜夜の意識はそこで途切れた。