第十五話 怪獣捜査①
「よう、久神だっけ?」
機動防衛隊分駐所の談話スペースで待ちぼうけを食らった灯里に声を掛けたのは、同じ蜂名機防の隊員である瀬崎勝也だった。大きくて浅黒い手には缶コーヒーが三つ。
「ほら。お近づきのしるしってわけじゃないが」
「あ……いいんですか」
「気にしないでくれ。苦手ならあとで志条にこっそり差し入れしたらいい。あいつ微糖以外飲めないから」
「いえ、ありがとうございます。頂きます」
灯里がそう言って缶を受け取ると、瀬崎はその隣に座った。スチール缶の蓋を開けて一口。暖かい香りとミルクの甘さが緊張感をいくらか軽減してくれる。
「初任務お疲れさん。初日から大変だったなぁ」
「……あ、ありがとうございます」
「どうした? なんか不服?」
瀬崎隊員はまっすぐに目を見て話す人だ。顔色をすぐに見抜いてしまう。
「私、全然うまく動けなかったです」
「そうなのか?」
「亜夜せ……志条隊員がパラトンを誘導して、周りの施設の人も全員避難させて。あの人に危ない仕事を任せきりにして、私は一人しか助けられなかった」
ライツに変身した時、灯里の中に焦りがなかったとは言い切れなかった。力に任せて感覚的に動いただけで、その負担を食らうのは相棒の方だ。
「情けないなっていうか……うまくいかないものですね」
「……そりゃ、良くない兆候だな」
「え?」
瀬崎隊員が灯里から急に視線を外して、右上の何もない空間を見てそう言うので灯里はぎょっとする。
「あー良くない良くない」
「そっ……そんなに変なこと言いましたか私」
「超変なこと言った。最悪死ぬ」
「死ぬ!?」
目に見えて慌て出す灯里を見てどこか罪悪感を感じたのか、瀬崎隊員は目線を戻して言った。
「怪獣災害で年間どれだけ人が亡くなってるか知ってるか?」
「……およそ五千人ですよね」
大小や危険度を問わず、怪獣災害による年間の死者・行方不明者数は未だ五千人を下回ったことがない。一日に十四人が亡くなっている計算で、この数は令和六年の交通事故による死者数の二倍に近い。
「ああ。リジネラみたいな巨大怪獣が現れた年はもっと増える」
「……」
「助けた数と助けられなかった数、どっちが多いのかわからない。もしかすると助けられなかった人の方が多いかも知れない。だから俺たちはみんな悩むんだ。今の久神みたいに」
「瀬崎さんもそうだったんですか?」
「俺は今も悩んでる。多分、志条も」
夏目支部長と話した時に機動防衛隊のメンバーのことも聞いていた。瀬崎勝也は元警察官で、志条亜夜のバディだった人。
「でもよ。本当は助けた命の数に多いも少ないもないんだ。お前も志条もやるべきことをした。そんで、パラトンとライツの戦いは死者数ゼロで済んだ。それで十分じゃねえか」
「……瀬崎さん」
「難しく考えすぎなんだよ。お前は十分にやれてる。多分、これからもな」
今の亜夜に何があったのかは知らない。だが、瀬崎隊員からはどこか昔の亜夜に似たような匂いを灯里は感じていた。お日様のような暖かな匂いだ。
「クヨクヨしないで、真っ直ぐ前だけ見てりゃいいんだ。機動防衛隊のルーキーさんよ」
「……はい!」
「おい、何くっちゃべってんだお前ら」
ふと見ると、志条亜夜がジャンパーのポケットに手を突っ込んで立っていた。
「よう、お帰り。お前の分もあるぞ」
「いらねえよ」
そう言いながらも亜夜は瀬崎隊員に投げ渡された缶コーヒーの蓋を開けた。
「……ぬるい」
「甘えんな。コーヒー代払わせるぞ」
パラトン事案が終わってから、亜夜は本部と繋がっている分駐所の通信指令室に篭りきりだった。亜夜はコーヒーを一気に飲み干して、ふうと一息ついた。
「どうでした? あの怪獣……いや、あの女の子のことは」
「まだ見つかっていない。ただ、どうやら光町の方角に向かったみたいだ」
パラトンとの戦いも束の間、研究施設から飛び出した金色の怪獣。怪獣は少女の姿に変わると、一筋の光となって街に消えたのだ。
「光町……」
灯里が通っていた蜂名第三高校がある街だ。オフィス街とも近く昼間は人で賑わっている。
「ただ、今のところ妙な通報は入ってない。当分は待ちになりそうだ」
「……そうですか」
「例の羽の生えたパラトンのことか」
瀬崎隊員は猫舌なのかようやく自分のコーヒーに口を付けた。
「しかしまあ、怪獣が女の子にねえ。直接見たお前らはともかく、俺はまだ信じられねえな」
「……別に瀬崎が信じようがどうでもいいよ」
「拗ねてんなよ。というか、すんなり納得しすぎなんだよお前らが。怪獣が人間になるんだぞ? 今まで見たことない異常事態だろ」
「……」
灯里と亜夜は二人して沈黙した。
見たことある、というか怪獣になったことが二度もある灯里は特に、口元をきゅっと占めて黙った。亜夜は空のコーヒーを飲むふりをした。
「……なんで黙るんだよ」
「カツ、例の男の聴取は? 担当お前だったろ」
「そ、そうですよ瀬崎さん」
「逸らしたよな今お前コラ」
また俺ばっかりハブにしやがって、と抗議しながらも瀬崎は亜夜の質問に答える。
「久神が周防化学研究所で救助した男だが、同施設に勤務している社員だとわかった」
「……なんだ、嘘じゃなかったのか」
「本社と確認が取れたからな。名前は梶川岳。先端素材の研究をしている周防科学の研究員だ」
「梶川、さん……」
どこかで聞いたことがあるような。
「カツ、先端素材って何なの?」
「俺も詳しくは知らんが、どうも梶川は怪獣由来の素材を使っているらしい」
「!」
先端素材とは、半導体やバイオプラスチックなど、技術によって作り出された新素材のことだ。既存の素材が持つ有害性や機能の不十分を補うことができる先端素材の開発は、宇宙船や航空機、スマートフォンなど幅広い製品に利用される。
「怪獣ってのは物理法則に反した生き物だ。五十メートルの化けもんなんて、普通は立ち上がった瞬間に自重でペシャンコなんだと」
「逆に言えば、そんな怪獣を素材に使えば物理法則を反した夢の製品が作れる。そういうわけ?」
「実際に梶川は怪獣研究の第一人者だ。ライツの光線に名前を付けたのもあの人だってな。
「ああ、それで……!」
怪獣学の教科書にその名前が載っていたのを思い出した。怪獣学者の梶川岳。ライツの必殺技、レンブラント光線の名付け親。
「……」
「どうした久神、複雑な顔して」
「名前取られて悔しかったよな? なんだっけ、スーパーたまごビーム?」
「ハイパーたまごフラッシュですけど」
「だ、だっせえ……」
リジネラとの戦いを終え入院中に必死に考えていた名前は亜夜に失笑されて終わった。不服。
「……なに、何の話? 置いてかないで」
「瀬崎さんは続けてください」
「ああ、ちょっとあたしのことはほっといて……ふふっ……マジで馬鹿みてえな名前……」
「瀬崎さんっ!」
「わ、わかった」
灯里に急かされるまま瀬崎は続けた。
「梶川はパラトンの発電器官を素材として転用するための研究をしていた。他にもモルグスの振動掘削能力やグレイキングのマグマ菅、要は祖父井周辺の怪獣は何でも研究対象にしていたわけだ」
「その中に翼を持ってる怪獣はいませんでしたか?」
「残念だが、話を聞く限りはいなかった」
「……じゃあ、あの翼が生えたパラトンは一体」
「それについても『知らない』の一点張りだ」
「カツ、梶川が嘘をついている可能性は?」
笑い飽きたのか、亜夜がようやく会話に入ってくる。
「そいつは……どうにも。俺には嘘をついているようには見えなかったが」
「元刑事の勘とかないのかよ」
「悪かったな、機動隊出身なもんでよ」
「あ、あの」
灯里は小さく手を挙げた。
「次回の事情聴取、私にやらせてもらえないでしょうか」
瀬崎は「は?」と素っ頓狂な声をあげた。
「おいおい、そりゃ無茶だ。やる気なのはいいけどよ」
「梶川さん、前に言っていたんです。『施設を出たら私の言葉を信じてはならない』って」
灯里の中で引っかかっていたのはこの言葉だ。「これだけは覚えておいてくれ」と梶川は言っていた。
「何か伝えようとしているはずなんです。瀬崎さん、お願いします」
「まいったな」
「……カツ、あたしからも頼む」
亜夜がそう言うと、瀬崎隊員は明らかに動揺した様子を見せた。
「なっ……お前」
「こいつの嘘を見抜く力は本物だ。責任はバディのあたしが取る」
「瀬崎さん……!」
瀬崎隊員はしばらく唸るが、やがて観念したように「わかったよ」と返事した。
「ただし、俺の助手ってことにしてもらう。あくまで聴取するのは俺だ」
「ありがとうございます!」
「調書の書き方は教えるから、ちゃんと仕事はやってもらうぞ。いいな?」
「はい!」
「よし。それと志条は報告書をまとめておけよ。相棒は少し預かるぞ」
「はいはい」
亜夜は気怠げにそう返して、手に持っていたコーヒー缶をゴミ箱に捨てた。
「ああ、カツ」
亜夜が不意に振り向いて言う。
「……ありがとな」
「なんだよ急に」
「こ、コーヒーのことに決まってんだろ。ご馳走様でした」
「……デレた?」
「デレましたよね今」
「あーうっせえ馬鹿、もう早く行けよ馬鹿」
「隠した」
「隠しましたよね今」
「なんでお前らそんなに仲良くなってんの?」