第十一話 再会とペトリコール
「……カツの奴、事務作業なんて進んでやる性格だったっけ」
第九方面防衛隊の頃から知っている瀬崎勝也といえば元ヤンで元警察官、熱血で面倒見はいいが生粋のフィールドワーカーで机に一時間座っていられない、そんな気のいい男だった。
少なくとも優先度引き上げの手続きなんて面倒なものを進んでやる人間じゃなかった。
志条亜夜はそんなことをぼそりと呟きながら、分駐所の保管室から特機装「ネウロンリアクター」と「機甲振動刀」を取り出した。
「動作よし」
どちらも変わりなく、安全装置が作動していることを立ち会った隊員とともに確認する。
鞘に戻した機甲振動刀を腰に差し、リアクターをスーツの胸元に取り付けた。本来はバディである瀬崎と行うものだが、今は顔を合わせる気分ではなかった。
車の整備を確認すればいつでも出動できる状態だ。亜夜は長い黒髪をヘアゴムでまとめて気合いを入れ直した。
すると、ジャンパーに入れっぱなしにしていたスマートフォンが震えていたのに気がつく。
手に取ると「カツ」の二文字。
「はい……なんですか、瀬崎隊員」
「何かさっきよりよそよそしくなってないか?」
「ご要件は? 反省文でもご入用ですか」
「お前に悪気があったとは恐れ入った。話は別だ。今日の密航はお前一人で向かってくれ」
密航は主に警察用語として使われる単語で、機動捜査隊などの警察チームが覆面パトカーで秘密裏に巡回することを指す。
機動防衛隊は通常の防衛隊とは異なり、武装や装備類を取り付けた特装車両を使わない。主な任務は怪獣災害予備軍である怪獣事案の調査であり、特機装以外の武器の使用は原則として許されないからだ。「防衛隊の装甲車の出動は市民の心の安寧を妨げる」というのが上層部の意向である。
要はクレーム対策だ。ゆえに、機動防衛隊は特機車と呼ばれる一般車そっくりの車両を使って管轄区域を密航している。
「それは願ったり叶ったりですけど……瀬崎隊員はどうするんですか。もしかして徒歩?」
「俺はしばらく本部に残る。例の地底怪獣といい、調べたいこともあるしな」
「……? 言ってる意味がよくわからないんだけど。じゃああたしのバディは?」
機動防衛隊は二人一組で任務に当たる。亜夜と瀬崎、鷹野と沙村といった形でバディと呼ばれる相棒と行動を共にするのだ。
だが瀬崎は意外なことを口にした。
「春の人事異動ってやつでな、今日から機防にも一人新人が来るんだ。しばらくはお前に付いてもらう」
「……はい?」
「お前の新しいバディってやつだ」
亜夜は瀬崎の唐突な発言が飲み込めず、きょとんとした顔でスマートフォン越しに瀬崎へ聞き返す。
「とにかく、整備が済んだら今から送る座標に向かってくれ。現地でその子が待ってる」
「待てよ、じゃあカツはどうすんだよ。一人だけフリーになるわけ?」
「そうだな、俺はしばらく内勤だ。班長だから仕事はいくらでもあるんだよ」
「んだよそれ……というか、新人ならまず本部に来るもんだろ。なんで外で待ち合わせなきゃいけないんだよ」
「俺も詳しくは知らんが……夏目支部長に直接連絡が来たらしい」
瀬崎もまた事態にピンときていない様子でこう続けた。
「『怪獣の匂いがした』んだと」
「よりによって不思議ちゃんかよ……」
「とにかく向こうで落ち合ってくれ。詳しいことはその子に伝えてるから」
「はいはい。じゃあな、カっ……瀬崎隊員」
「お前なぁ、無理に意地張んのやめ──」
ぶつん。つーつー。亜夜はスマートフォンを改めてミュートにしてジャンパーのポケットに突っ込んだ。
「……匂い?」
どこか思い当たる節があったが、今は考えている暇はなさそうだ。出動前に夏目支部長に一言言いたかったが、決まったことはいくら抗議しても仕方がない。亜夜はもどかしい気持ちに蓋をすると、車両の点検のために駐車場に向かった。
特機車と呼ばれる機動防衛隊の専用車両は無骨なセダンで、外装はやはり一般に紛れるようシルバーに塗装されている。
点検を済ませて乗り込むと煙草の匂いが立ち込めた。鷹野沙村ペアの特機車と違って亜夜と瀬崎の特機車はどこか古臭くて煙草臭い。予算不足で中古車を無理やり防衛隊仕様にアップグレードしたせいだ。亜夜は消臭スプレーをありったけ撒いてから運転席に座った。
「場所は……祖父井か。周防化学の研究所? なんでこんなところに」
考えても仕方がない。亜夜はスマートフォンでナビを設定してからエンジンを点けた。
蜂名市祖父井は県境で相模原に隣接する地域で、山々に囲まれた工業団地だ。先端素材を扱う周防化学の研究所のほか、特機装の開発に携わる梶原重工の工場の一部も祖父井にあり、蜂名市の経済を支える重要な拠点とされている。
反面、山沿いの地域は怪獣の生息区域に該当しており、落雷怪獣パラトンや怪鳥クロウル、水煙怪獣トゥーニャなどその生態系は豊かだ。
瀬文にある機動防衛隊蜂名支部から祖父井までは十数分程度で辿り着いた。
亜夜にとっては慣れた道だ。蜂名で怪獣災害が発生したとき、防衛隊はまず祖父井の様子を確認する。もし工業地帯に被害があればその経済的被害は甚大で、同時に怪獣の出処として最有力候補であるからだ。
「……ここ、だよな?」
車を周防化学研究所前の路肩に停めてドアを開けると、微かに雨に匂いがした。見上げればさっきまで晴れていた空を厚い雲が覆い被さっている。本格的に雨が降る前に見つけないと面倒だ。
「どこだ、その新人ってやつ……?」
そういえば名前を聞くのを失念していた。直接探し回るしかない。亜夜は恐る恐る研究所前の広場まで歩いた。
出勤時間であろう午前九時だというのに周囲は嘘のように静かだった。噴水から溢れ出る水音だけが辺りに広がる。
「……アイツか」
その向こうに彼女はいた。減災庁支給のジャンパーを羽織った、赤みがかった栗色の髪の少女。
亜夜は文句の一つでも言ってやろうとぐいと身体を突き出してその子に歩み寄った。
「機防の新人隊員ってのはお前か」
「……志条亜夜隊員?」
「そうだけど。あのさ、訳の分からない理由で現地集合なん……て……?」
「そうなんですよね、やっぱり」
少女の口から笑みが溢れた。いや、もう少女とも言えないのだろうか。十八歳になった彼女は背丈も髪の長さも少し伸びて、どこか大人びて見えた。
「お前、なんで」
「本日より機動防衛隊蜂名支部に配属となりました、久神灯里です。お久しぶりです、志条さ……いいえ、亜夜先輩!」
「……はあ!?」
その胸元には、どこかで見覚えのある白い球のペンダントが鈍く光っていた。