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宣告-SENKOKU ~余命宣告を受けた父から愛する家族へ贈る365通の手紙~  作者: 佐久間五十六


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第342通 死と生

 悠平はこの頃死と生について考える様になっていた。それは誰に言われるまでもなく、自分に死が近付いているからだと悠平は思っていた。

 人間と言う動物は起ころうとしている事象に対して素直に反応するものらしい。科学的なメカニズムはよく分からないが、悠平が死と生について考えるのもそうした体の反応なのだろうと思われる。

 自分が死んだらどうなるだろうかと言う様な疑問から始まり最終的には、何故人は死ぬのかと言う様な哲学的な考えに発展するのである。

 疑問のほとんどに折り合いをつけて、自分なりに答えを出して次の疑問に進んで行ったが、その答えに丸をつけられるか?そうしたところまで、頭は回っていなかった。正直な話悠平が出した答えがあっいてもいなくても、それは重要な事ではない。

 大切なのは、そうした思考をすることにより、死に対する自分の気持ちが固まると言う事であった。安定した精神状態で死を迎えるのと、不安定な精神状態で迎えるのとでは、周囲のイメージも心持ちも悠平にとっても、全く正反対の結果になる事は目に見えている事であった。


 我が子達へ 其の三百四十二

 世の中の人達は命の重みについてどう思っているのかは分からないが、いじめからの自殺や命を簡単に投げ出すのがファッション的な流行りになっている事に警鐘をならしたい。それが良いはずは絶対になく、死を間近にした人間の正直な気持ちとしては投げ捨てる命があるなら、その命がそのまま欲しい。それはそうだろう。何十年と余命が残っている命を自己都合で適当な言い訳をつけて簡単に投げ出すのだから。世の中どうなってるの?おかしいよ。生きたくても生きられない人もいれば、生きられるのに自ら死を選択する人もいるのであるから。勇斗や雅は絶対自殺なんてするなよ。父さんそれだけは許さないからな!

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