マクドナルド
西ではマクド。東ではマック。
黄色いエム字の看板は走行中の道路ですら存在を主張し、パッと目に入ってくる。
きっと古今東西津々浦々、食べたことないという人はいても、名前を聞いたことも見たこともないという人はあまりいないのではないだろうか。
マクドナルドはすごい。
世界中どこで食べても、ちゃんとあのおなじみの味がするという。外国でホームシックにかかった時、アウェイで不安な時、マクドナルドのハンバーガーを食べると変わらぬ日常を取り戻せ、少し落ち着くそうだ。ああ、あの味。そう思うものが世界中どこにいてもそこにある。
しかも、毎月のように何かしらのキャンペーンが始まる。
お馴染みだったり、真新しかったり、新しいキャンペーンが始まったのを知るとワクワクする。なんなら近くなってくると、ふと気付けばそのお馴染みのニュースを待っている。春は照り玉。夏はロコモコ。秋は月見。冬はグラコロ。スルーする時もあるが、始まりのニュースだけで「来たか!」と嬉しい。
リーズナブルだし、すごく生活に根付いていると思うのだが、私の中では何故か未だに、ハンバーガーにはサンドイッチやおにぎりにはないご馳走とかご褒美というイメージがある。
何故だろうかと考えて、ふと予防接種のせいかもしれないと思い至った。
予防接種。子どもは逃れることのできない苦行。
大きく分けて、泣き叫ぶタイプと耐え忍ぶタイプがいると思うが、私の場合は断然泣き叫ぶタイプだった。打たずに済むものなら打ちたくなかった。腕を後ろに隠して泣く。大人はさぞや面倒臭かったことだろう。
だが、ハンバーガーがあった。
予防接種が打てたら、マクドナルド。母のその一言の威力は私には絶大で、泣きながらも粛々と医者の前に腕を差し出したものだ。
私がハンバーガーに抱く、ご褒美のイメージはきっとここから来ている。
今ではあまり見かけない気がするが、子供のころよく連れて行ってもらった店舗は二階建てで、上の階はパーティーが出来るようになっていて、外は小庭みたいになっており、ママ達がお喋りに興じる間子どもが退屈せずに待てるように遊具があった。
遊具は、ハンバーグラーというマクドナルドのキャラクターの形をしていたが、そういえば、あのキャラクターたちもいつの間にか見かけなくなった。小さなエムをわしゃわしゃさせて大きな目を付けた感じのキャラクターがいて、勝手にポテトの精だと思っていたものだ。小さくてかわいくて一番好きだったのに、どうしても名前が思い出せない。彼らは何という名前だったのだろう。
幼稚園くらいなころには、ヨーグルトシェイクが好きだった。
昔は常設だったのが、いつのまにか消え、期間限定として復活したのもつかの間。ここ数年は再販されていない。
落胆していたら、
「そんなに飲みたいなら、バニラシェイクにヨーグルトを入れたらいいじゃない」と言われた。違うそういうことじゃないと返したが、随分後でやってみたらちゃんとヨーグルトシェイクの味になった。さらに口惜しいことには、ああこれこれと思ってしまった。
甘いのが好きなら、サイドメニューのヨーグルトを入れると懐かしい味に、市販のプレーンヨーグルトを入れると大人向けのスッキリとした味になる。
ハッシュドポテトは変わりない味がしていつも嬉しいが、なんだかだんだんと小さくなっていくような気がする。
「手が大きくなったからじゃないの」と家人には冷たい目をされたが、どうだろうか。
そういえば、寄る年波とやらをダイレクトに感じたのもマクドナルドが初めだった。
セットメニューを丸々食べて、初めて軽い胸焼けを感じたのだ。年というのはこういうことかと新鮮な驚きと共に一抹の寂しさを覚えた。
マクドナルドには、ふとした瞬間にパッと思い出す懐かしい記憶が沢山ある。
だから何度も足を運びたくなるだろうか。