2章2話 学生ボランティア 前編
今年の冬は例年以上に寒く感じられた。雪はそう何度も降ってなく、大して積もることもなかった。だから、実際は特別寒くなかったのだ。ただ一つ違うのは・・。
俺たちが高校二年生の三学期。東北を大震災が襲ったのだった。
幸い俺たちが住む埼玉県北は震度5弱で怪我人が出た程度。一方で被災した震源地付近は・・・・テレビやネットで観た筆舌に尽くし難い光景は、同じ日本とは思えない嘘のようだった。特に沿岸部での津波による被害。映画かなんかで作られた映像にしか見えなかった。
だが、テレビで表示される被害の数値にショックは受けるものの、俺はどこか他人事だったのかもしれない。実際、事の大きさを実感したのは、ニュースで春の選抜大会中止の速報が流れた時だった。
秋の地区大会では、部員数が少なく選手層の薄さに泣いて四回戦負けに終わった。上位に入らないと選抜の可能性すらない。可能性はほぼゼロだが、それでも関心事として大きかったし、中止になるなんて聞いたことがなかった。
春休みを終え、四月から三年になった。夏の大会は開催するという確定情報が出ていて、そこに向けて野球部は例年以上に練習を本格化。春休みは一日中練習、たまに練習試合に行くと二試合消化と容赦のない過密スケジュールが続く。
そんな野球漬けの日常も、数えると終わりが見えていた。四月、五月、六月、七月・・七月に入るとすぐに県予選が始まり、七月末には県予選が終わる。どうなろうと、あと四か月で全てが終わる。
三年に進級し、クラス替えがあったが、俺と片岡、藍川さん、滝沢さんはまた同じクラスとなった。
不動高校では進学校特有のコース制というのがある。国立コース、私立難関コースなどがあり、成績次第であるが受験に合わせてコースを選べた。さらに文系理系で別れていて、普通のコースもあるので種類が多い。受験する大学を二年時にある程度決めて、進級前に希望コースを提出する仕組みとなっている。国立とか難関私立コースは、成績の上位者から、全体の真ん中ぐらいの成績なら希望すれば通るらしい。
片岡は真ん中ちょい上、滝沢さんは上位30%ぐらいの成績。てっきり上位のコースに入るかと思ったが二人とも普通コースで提出したそうだ。
志望大学を決めきれないから普通というのもありだし、普通コースに成績上位者も多少いる。
普通コースは文系二クラス、理系一クラス。二クラスある文系のクラス分けは、意図的に仲良いやつ同士を一緒にして、余計な負担を減らす配慮がされていてる。
ちなみに、高木は普通理系コースに進んだ。三年も高木と違うクラスで残念ではあるが、片岡たちが同じクラスってのは嬉しい。だが、手放しに喜んでいる時期ではなく、俺意外は受験に向けた一年に皆の目の色が変わり始めている。
四月半ばとなり、新入生歓迎のバタバタもようやく落ち着いていた。
時折、気温が冬に逆戻りすることもあったが、春らしい暖かい日も出てきた。野球をするには絶好の時期で、大会直前の梅雨を考えると今は最後の総仕上げに近い。
だが、はやる気持ちをあざ笑うかのように、この日は雨で曇り空。まるで、それを見計らったように担任の新井監督がホームルームでその天気のような重たい話題を出した。
「皆が知っているか、分からないが、この間の震災でご自宅を失った東北の被災者向けに、加須市は避難先を提供している」
急に振り出された震災の話題に教室が何事かとざわつく。震災の事実を新学期の忙しさで忘れかけていた。
不動高校があり、俺も住んでいる加須市。加須市が避難所を提供している。その話がテレビで取り上げられたのを少し前に母親が言っていた。
「ここからも近い旧加須西高校に避難していて、職員室や教室で共同生活している」
もう何年も前に廃校となった加須西高校。埼玉県北あたりの過疎化の影響で、生徒が減り、私立ということもあってか、あっさり廃校になったらしい。
震災前に軽く前を通ったことがあるぐらいなんだが、バリケードで侵入禁止となっていた。中の様子は分からないが、荒らされている感じもなく、静かなところに立地している。
「食料や水、生活物資は加須市の内外から集められていて、市役所やボランティア団体によって被災者のサポートを行っている」
ホームルームで話すことなのか?そう思ってたが、次の瞬間、目が覚めた。
「そのサポートを手伝う学生ボランティアを、うちの三年から派遣することになった」
ボランティア?派遣?最近ニュースで聞く単語だが、馴染みが無い。呼応するように皆が一斉にざわついた。混乱しているのは俺だけではない。
「しずかに!」
まるで小学生を大人しくさせるような強声。
「各クラスから男女1名ずつ、行ってもらうことになった。ゴールデンウィーク明けの五月中旬、平日に丸1日参加してもらう」
全員ではなく、男女1名ずつ。可能性は低そうだと思い、安堵した。だが、1日参加って結構重くないか。というよりボランティアって何をするんだ?
「当日は、ボランティア団体の指示に従うことになっている。何をするのかは、その日にならないと分からない」
説明を聞けば聞くほどボランティアの重さが増していく。
「先生!ボランティアには不動高校の先生は同行しますか?」
一人の女子が質問した。
「同行はしない。ボランティア団体の担当者に話は通してあるので、その方の指示に従うことになっている。細かくは来週に説明会がある」
「誰が行くか、どうやって決めるんですか?」
今度は片岡が手を上げ、一番肝心のことを聞いた。う~んと唸りながら、しばらく間があってから新井先生は口を開いた。
「希望者はいるか?」
その言葉に再び教室が静まり返った。さすがに手を挙げるやつはいない。街の清掃とか力仕事なんかとは訳が違う。
『だろうな』と小さく新井先生は呟いた。そして、俺と目が合った。
「矢上、お前、自宅から近いだろ」
おいおい、冗談だろ・・。
「お、」
重たすぎです、と冗談っぽく言おうとして留まった。重たくないやつなんていない。断る理由として弱い。
「・・俺に行けってことですか?」
「私からの推薦だ。だが断っても良い。しばらく考えておくように」
考えておくように・・そういわれると、この場で断りにくい。それにしても、近いからってありか?まぁ、駅から歩くと不動高校よりだいぶ遠いか・・・。とりあえず、何か断る理由考えるか。監督は断って良いって言ってるし。
その時、一人の生徒が手を挙げた。
「わたし、やらせてください!」
ガタっと席を立つ彼女。その言葉にクラス中が息を呑んだ。後ろ姿しか見えないが、背筋がピンッと伸び、ストレートの黒髪が一瞬靡く。
「藍川。矢上はまだ行くと決まったわけではないぞ」
やや冗談っぽく、新井先生は言うが、教室は静寂のままだった。
「矢上君は関係ありません!」
彼女は力強く否定した。
学生ボランティアの話を聞いたこの日、雨というのもあって早めに部活は終了。帰宅した俺は、筋トレをする気にもなれず、ベッドに寝転んだ。
あの後、昼飯の時間に滝沢さんがボランティアのことを藍川さんに聞いていた。出てきた答えは、『東北を応援したい』というシンプルなもの。東北クリムゾンレッズの本拠地がある宮城県では海沿いで大きな被害があった。
だが、球場がある仙台は直接大きな被害はなく、公式戦は例年よりちょっと遅れてスタートした。その選手の腕には東北地方の復興を願ったスローガン『がんばろう東北』のワッペンが着けられている。他球団もヘルメットに『がんばろう!日本』とプリントして復興祈願を全球団が掲げていた。
彼女は「矢上君はわたしのこと気にしないで」と俺のことを気遣った。実際に、俺が行かないと言っても彼女は行くんだろう。予想はつく。東北を代表するチーム、東北クリムゾンレッズは公式サポーターにとって無関係ではないってことなんだろう。
俺は彼女のことが気になり、導かれるように藍川さんのラジオ放送を聞いた。
番組では、復興支援のスペシャル回がここのところ毎週放送されているようだった。この回は、いつも通り藍川さんがメインに、千葉オリオンズ、東北クリムゾンレッズの両一軍公式サポーターもゲスト参加。三人が各担当球団からの復興応援メッセージを紹介していた。
監督やコーチ、トッププレイヤーの励まし、勇気づける録音メッセージが続いている。被災者へ向けた言葉なのかもしれないが、正直、俺には響くものが無かった。朝にチラッと見るぐらいだが、連日、テレビで見る光景に俺の感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
番組は後半に差し掛かっていた。
「続いてですが、海緒ちゃんと明希ちゃんが先週、被災地に災害ボランティアに参加してきました。そのお話をお聞きしたいと思います。海緒ちゃん、よろしくお願いします」
「はい!被災者や被災地のために何かできないかと思い、明希ちゃんとJPBの職員2名の4人で行ってきました。私は仙台に住んでいるので実はもっと早い時期にボランティアに参加したかったんですよ。ただ、ボランティアの受け入れ態勢ができていなかったということで、今回ようやく参加できました!」
東北クリムゾンレッズの公式サポーターである海緒さん。海緒さんの声を聴くのは初めてだが、今日は終始、明るい声色で話している。いつもよりトーンが落ちている藍川さんと対照的に感じる。
「仙台でみんなと合流して車で登米というところに移動しました。登米にはボランティア団体さんの拠点があって、そこでお仕事をもらいました。ボランティアには色んな仕事があるんですよ。ここのボランティアでは近くに避難している被災者さんのお食事作りや触れ合い、沿岸部での瓦礫撤去、拠点での物資搬入と整理のお仕事がありました。お仕事は選べるんですが、私たちは瓦礫撤去のお仕事にしました」
「海緒ちゃんは触れ合いのお仕事したかったんだよね。ごめんね、私の心の準備ができそうになくて」
明希さんが申し訳なさそうに割ってフォローした。
「ううん。地元の私でも不安はすごくあったよ。それに被災者の方に何かしてあげたいって気持ちが強すぎて、冷静になれてなかったと思う」
「う~ん、難しいよね、被災者さんと話すのは」
「うん、そだね。結局、力仕事で良かったのかも。明希ちゃんはダンス得意だから体力あるし」
「さすがに筋肉痛になったけどね」
「私は全然運動しないから、全身やばかったぁ」
少し重苦しい空気の中、3人の笑い声が起こる。だが、場の空気がだいぶ緩んだかと思ったのも束の間だった。
「それで、私たちは瓦礫撤去に参加するため、沿岸部にある南三陸町に車で向かいました。ただ・・・・登米から少し走ったところで、景色が急に変わりました。私は後部座席からその・・被災した跡をずっと見つめていました」
悲しさが入り混じったような低く、それでいて落ち着いた声。
「皆さんは被災地を・・見たことがありますか?自分の目で・・直接」
俺に語り掛けてきたような気がして、ドキっとした。もちろん、見たことはない・・。
「南三陸町と私が住んでいる仙台はそんなに離れていないんですよ」
「だけどね・・もう人が住めない別世界だった」
ぐっと悲しさが増した声。
「沿岸部の方たちは被災して、亡くなった方も大勢いて・・・。だけど大勢って想像できていなかったの」
「海に近づくにつれて、崩れ落ちた家や建物が沢山、目に入ってきました」
「家が全部ぺしゃんこで」
「電柱はみんな倒れてて」
「車や大木がたくさん転がってて」
「・・・・・」
俺の部屋は一瞬で悲しさに包まれた。
「日常を引き裂かれて・・・・命までも奪われたんだなって・・・ようやく実感したの」
「そんな光景がね・・・・津波の犠牲となった跡がね・・続いてて」
「ずっと・・・・ずっと・・・・」
「いくら車を走らせても景色は変わらなくて」
「私は後部座席で隠れるように、外を見ながらずっと泣いてたの」
「あとね・・・誰も悪くないのになって考えてた」
「なんでこんな酷いことするんだろ?って・・・・なすてなの?って」
「神様は残酷だよ、とも思った・・・」
「だけど・・・ね」
「この日まで手を差し伸べられなかった私は・・・神様より・・ひどい」
「「海緒ちゃん!!」」
「私は・・私はレッズの公式サポーターになってがんばってきた」
「大好きな東北のために!みんなのためにって!元気や勇気を与えたいって!・・でも・・でも!・・・・一番・・・一番辛い時に!・・・役立たずで・・・ごめん」
「そんなことない!!」「海緒ちゃんは誰よりも!!」
藍川さんと明希さんは即座に否定した。
振り絞って出されたごめんという言葉。海緒さんの紡がれた言葉はそこで途切れた。そして、マイクは海緒さんの泣声だけを拾っていた。いや、海緒さんほどではないが、藍川さんや明希さんも泣いている。
地元だからこそ、そして公式サポーターだからこその海緒さんの言葉。当然、俺にはその心中を正確に察することはできなかった。
だけど、俺にも分かることがある。海緒さんが感じていた理不尽で残酷な現実。それが、俺の記憶と重なる。
痛みや喪失、怒りや悔しさ・・。
理不尽に奪われていった命を残された側はどう受け止めれば良いんだろう。
「ぅ・・・ぅ・・・」
海緒さんの泣声が聞える中、藍川さんは懸命に進行役を務めた。
「明希ちゃん。活動の続きをお願いできますか?」
「・・うん。続きは私が」
明希さんもさっきまで泣いていたはずだが、元気な声で代役を引き受けた。
「南三陸町に到着して、そこにも小さな拠点があって、そこで瓦礫撤去に参加するボランティアさん達と合流しました。総勢10名ぐらいでそこから作業場所まで10分ぐらい歩いたと思います」
ダンスが得意で球団のチアもしている明希さん。活発な印象の明希さんにバトンタッチされたが、それでも話題的にどうしても重苦しい。
「到着した漁港近くの海岸沿いで瓦礫撤去のお手伝いが始まりました。あっ、、ほんとは、瓦礫って言いたくないんです・・。海岸に流れ着いたのは流木や細かいガラスだけでなく、家具や衣類、おもちゃとかもありました。それは瓦礫ではなく、誰かの生活の一部で思い出の品々なので。・・だからお片付けはとても辛かったの。動悸がして、気持ちを保てなくなりそうで・・。だから私はできるだけ何も考えないようにして、体を動かしていたんです」
「・・色んなモノがあったんだね」
藍川さんがタイミングを見計らってフォローを入れる。
「うん。それで、作業場所にはトラックが一台あって、みんなと協力して荷台に瓦礫を詰め込むの。流木は釘が突き出てたり、ガラスも多くて、すっごく危険。だけど、厚手のゴム手袋とか鉄板入りの長ぐつを用意していたので誰もケガなく活動できたよ」
「大変だったね」
「うん。でも、不思議とそんなに大変だとは思わなかったの。文句を言う人は誰もいなかったし、力になりたいって気持ちが大きかったんだと思う。それにボランティア団体のリーダーさんが適宜休憩入れてくれたり、フォローしてくれたから全然平気!」
「リーダーさん、頼りになるね。ちなみに明希ちゃんは休憩時間に何を?」
「休憩・・・・はね」
明希さんは躊躇いなのか、何か迷ったような反応を見せた。だが、やや間を置いてからゆっくりと静かに語りだした。
「ふらっと一人、波打ち際に行って、海を眺めていたんだ」
「天気が良くてね。カラっと晴れてて、潮の香りも気持ち良かったなぁ」
言葉とは裏腹に寂しげなのはなんでだろう。
「・・・すごく静かな海だったよ。あんまり静かだから・・・」
「色んなモノを奪っていったなんて信じられなかった」
「うん・・・」
藍川さんは弱く頷いた。
「それでね、足元に写真が何枚も落ちているのに気づいたんだ・・」
「流れされて・・・・ここに辿り着いた写真たち」
「なんだろ?って海水に濡れた写真を拾ったのね。すごく軽い気持ちで・・」
「だけどね。そこには・・・」
「中学生くらいの・・・女の子たちが・・・写ってて」
震える声。
「み・・みんながキラッキラッの笑顔で・・・ピースサインしてて!」
涙で荒げた声。
「ペンで・・・手書きで!・・・ずっと一緒って!・・・書いてあって・・・ずっとって!・・・わ・・私・・・もう・・・」
熱い大粒の涙がツーっと流れ、手元のスマホに零れ落ちた。
そして、再び訪れた沈黙と聞こえるすすり泣く声。
明希さんの拾った写真。その情景が容易に想像できた。残念ながら潮の香りだけは、海なし県の俺にはピンとこないが、写真は・・。俺の家の居間にも小さい頃の写真が飾ってある。そこには少年野球時代のチームメイトが写っている。流れ着いた写真と同じだと思う・・みんながみんな、無邪気に全開の笑顔を見せている。
くそっ。俺は右手をぐっと強く握っていた。
・・・例え、津波から逃げられたとしても、自宅を流されて、多くの大切なモノを失っている。その笑顔は奪われたままなんだろう。
「・・・私も泣き虫で、泣いちゃってました。みんなに背を向けて」
明希さんは切り替えるように朗らかな口調で続きを話した。
「そして、思ったんです」
「必ずここに帰ってくるって!東北は縁もゆかりもないんだけど、大切な写真を・・・思い出をお返ししたいなって」
明希さんは元気よく締め括った。
「ぅ・・・もっとお話し聞きたいですが、時間になってしまいました。お二人の参加・・・・大変、貴重な体験・・・だったと思います」
藍川さんは涙声で精一杯番組を進行させた。
「わたしも参加希望だったのですが・・高校生ということで許可が出ませんでした」
彼女の最後の言葉から悔しさが伝わってきた。
そして、この悔しさとホームルームでの藍川さんの言動が結びついた気がした。
球団からの復興応援メッセージはピンとこなかった。どこか顔の知らない誰かに向けているような。
だが、被災地に行った公式サポーターの言葉には、心が揺さぶられた。ラジオという声だけの媒体による震える声での想い。海緒さんや明希さんのごまかしも何もないそれはしっかりと俺まで届いていた。
そして、高校生という理由でボランティアに参加できなかった藍川さん。『わたし、やらせてください』『矢上君は関係ありません』と彼女の真摯な言葉が思い出される。
応援メッセージなんて届くわけがなかったんだ。二人の話を聞いたら誰でも分かる。その場に行かなかったら被災地のことなんか分からない。ましてや被災者の気持ちなんて理解できるわけがない。『東北を応援したい』という藍川さんの言葉は本心なんだろう。それに決してシンプルなことではなかったんだ。
翌日、俺は学生ボランティアに参加することを新井先生に告げていた。
ゴールデンウイーク明けの初日、気温は14℃前後とまだ半袖では肌寒い。
連休はがっつりと野球漬けだった。おかげでボランティアの話を忘れかけていた頃、放課後にその説明会が行われた。
不動高校にボランティア団体から一名の来訪者が来た。高校側の参加者は、三年の8クラスから選ばれた男女1名ずつの計16名。顔ぶれには四月に生徒会長になったばかりのやつや、環境委員会、放送委員会と固い面々が並ぶ。
しかも、成績上位ばかりで場違いな所に来た感が否めない。ざっと見渡したが運動部は俺くらいのものか。気のせいか、睨まれている気がしないでもない。
多クラスの彼ら彼女らは説明会が行われる視聴覚ルームの四隅にペアで陣取って座っていた。
「矢上君、ここ座ろう」
薦められて部屋のど真ん中にある席に俺たちは腰を下ろした。彼女は移動中、ずっと無言で緊張が伝わってきた。
すでに教師1名とボランティア団体の1名が室内前方に来ていた。団体から来た男性は、先ほどまでノートパソコンのセッティングをしていたが、スクリーンに『学生ボランティアの参加にあたっての心構え』とタイトルが表示されると、準備完了とばかりに椅子に座って待機した。
男性は30代前半ぐらいに見える。ただ、チノパンにカジュアルな長袖シャツと社会人ぽい固い雰囲気がなかった。
冒頭でボランティア団体の紹介を形式的に話すと、スライドはいよいよ本題に入った。
スライドには『10の心構え』というタイトルで、10か条を紹介していた。例えば、『無理をしないで活動すること』。休憩を取らずにがんばりすぎて体調不良になったり、不注意でケガをしたら、逆にボランティア団体や被災者に迷惑がかかる。助けに行って、助けられていたら素の子もない、ごもっともな話だ。
「今回は災害ボランティアではないため、特別な準備はいりません。学校指定のジャージと軍手、タオル、履きなれた運動靴で来てください」
結局、何をするかの話はなかった。前に新井監督が言っていた通りで、とりあえず体一つで来いと。
「最後が一番重要なのですが、ボランティアの参加者はみなさん、何か手助けをしたいと思っています。ですが、一方的なその善意が、結果的に被災者に迷惑になることが少なくありません。もし、避難所の被災者とお話しする機会があった場合、被災者の立場になって冷静な対応をしてください」
スライドには『被災者の心に寄り添う』とある。抽象的で、頭にすっと入ってこない。こういう時はこうしなさい、と言われた方が何倍も簡単。とりあえず、配布された資料に赤ペンで『被災者の立場で考える』と書きこんでみたものの、もやもやしたまま説明会は終わった。
学生ボランティアの当日、降水確率は0%で雨の心配はないが、上空に曇り空が広がり、どんよりした朝だった。
あまり眠れなかった俺は、少し早めに加須西高校に向かい、説明会で聞いていた自転車置き場に到着した。
「おはよ。早いね」
先に到着していた藍川さんに声を掛けた。紺色のよく手入れされた自転車の脇で、彼女は手持ち無沙汰に佇んでいた。
「おはよ~」
明るく振る舞ってはいるが、全身から緊張が伝わり、表情はやや強張り青ざめている。まるでこれから受験でもするかのような。
「ちょっと早く来ちゃった。家から20分ぐらいなんだけど、来たことなくて迷ったらどうしようかなって」
いつもより口数が多い気がする。公式サポーターの仕事で緊張には慣れているはずだけど、藍川さんでも緊張するんだな。まぁ、そんなこと言ってるほど俺も余裕あるわけではない。
「今日は普通のメガネなんだ」
「うん。そういうのは違うと思うし、普通の高校生として参加したいなって思って」
黒フレームのメガネに、学校指定の上下青ジャージと運動靴。いつものジャラジャラとレオネスグッズがぶら下がったスクールバッグではなく、グレー基調の地味なバッグを持っている。髪は後ろの首付近で一つにまとめていて、落ち着いた印象。全体シルエットが普段の彼女と違っている。
一人の高校生として、か。ラジオで聴いた公式サポーターたちのボランティア参加が思い出される。彼女らも肩書を伏せて、一般人として参加していた。
「・・普通っぽくて良いと思う」
「ありがと。ちょっと安心した」
少しほぐれた彼女の笑顔に、俺自身も気持ちが僅かにほぐれる。
「行こうか、体育館」
俺たちはボランティア団体が寝泊りしているという加須西高校の体育館に向かった。
加須西高校では、校舎を被災者たちの避難所として提供していた。職員室や教室に支援物資で提供された布団や毛布を敷いて、被災者たちは生活している。
ただ、高校ということもあり、寝泊りする場所ではない。その生活は不便なことが多く、風呂や洗濯といった施設がない。そのため、仮設風呂や仮設洗濯場を鋭意建設中だそうだ。
食事についてはボランティア団体だけでなく、市や組合などが炊き出しで提供している。
被災者は高齢者が多く、体が不自由な人もいるそうで、支援のニーズは高い。ボランティア団体は一般ボランティアと協力して、その生活を支えていた。
体育館の入口上には団体名が入った横断幕が吊るされていた。シンプルな白地に手書きで描かれた団体名。その団体名に続けて『受付』と赤字で目立つように描かれている。
受付を済ませ、体育館に入るとボランティア団体の参加者と思わしき人たちが5名いた。体育館はうちの高校とあまり変わらず、バスケコート二面分に舞台部分、用具部屋それと二階部分があった。
積み上がった段ボールの塊とテントが真っ先に目に入る。舞台部分とバスケコートの壁側に段ボールの山、テントはバスケコートに4つほど張られていた。段ボールの脇には大きな透明のビニール袋がいくつもあり、布団や衣類が入っている。
良く見ると食品、飲料、衣類などとグループ分けされていて、いつでも被災者に提供できるようにしているんだろう。
ボランティアの人たちは銘々で何かしら作業をしていた。支援物資から食材を運んだり、その食材をメモを見ながらチェックする女性が二名。支援物資を外から運んでいる男性二名。そして、さっき受付していた男性。
だだっ広い体育館に5名は少なく感じた。学生ボランティアは不動高校から16名参加だが、クラスごと2名で1日参加し、クラスごとに参加日が異なる。つまり、今日の参加は俺と藍川さんの二人だけ。
これだけ少ないと一人の負担というより責任が重いなと感じた。
「矢上君、がんばろう」
そういう彼女の声はやや震えていて、自分自身に言い聞かせているように感じた。
うん、と軽く頷くと、用具部屋から受付対応をしてくれた男性が出てきて、俺たちにゆっくりと近づいてくる。
「それでは、おふたりに今日、お願いしたいことを説明します」
俺と藍川さんにとって未知の1日が始まった。
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