1章5話 球技大会 中編
十一月の頭、ここ一週間で気温はぐっと下がり、じっとしているとどんどん体温が奪われていくような時期になっていた。
野球部の練習もそろそろ冬メニューになるころで、走り込みに、筋力トレーニングとキツくなる時期になる。ただ、幸いにも球技大会の当日は天候に恵まれた。雲一つない晴天はグラウンドを照らし、その寒さを一時的に和らげていた。
球技大会は全校生徒参加で平日の一日をかけて、すべての試合を終わらせる。勝ち続けると夕方近くまで試合を続けることになり、結構なハード日程。全校生徒が使う下駄箱近くの廊下には、生徒会手書きのトーナメント表が張り出されていた。そこには試合開始時間も書き込まれている。そのあたりきっちりしているのは進学校特有なのか、雑になっているところを見たことがない。
全校生徒を体育館に集めての開会式は手短に終わった。教室では行事期間中ならではの非日常な喧騒に包まれている。クラス全員がジャージに着替えて思い思いに試合時間や相手チームの話をしている。
黒板には各競技の日程が書き出されていた。
「女子のソフトがしょっぱなかぁ、応援行こうぜ」
という片岡の合図で男子何人かでグラウンドにゾロゾロと出ることにした。
野球部のグラウンドは内野側、外野側で二つに分けられ、境界には丈の短いネットが敷かれている。ネットを超えればホームランってことだろう。うちのグラウンドは一応、野球専用ではなく他競技の利用も兼ねていて案外広い。二面を使うことで、試合時間が長いソフトも日程こなせるってわけか。
その片面でうちの女子がキャッチボールやストレッチを自由にやっている。
目を惹くのはやはり藍川さんで、身長は他の女子と並ぶと頭一つ高い。学校指定の青の上下ジャージに普通の運動靴、髪はつむじの下でまとめてゴムで無造作にまとめている。
同行した男子から『藍川さん、今日は一段と大人っぽいなぁ』『ドラマのワンシーンだよな。今日コンタクトだし』と声が出る。珍しくメガネではないため、寝不足大丈夫かと思うのは、この場では俺だけかもしれない。
そんな心配を他所に、当人は笑顔で周りに声を掛けながら滝沢さんとキャッチボールをしている。藍川さん一人、下から投げているのを見ると、ピッチャーってことか。
試合は一回勝負で負ければそこで終了。俺が野球部だからなんだが、ソフトの練習で道具を借りに来ていたクラスを把握していた。道具紛失防止もあるので、貸出返却の記録も紙で俺が管理している。借りに来るクラスは三年が多かった。三年は部活をもう引退している。だから人が集まりやすいのは納得できる。いや、そうとも限らないか・・。ただ、一部の三年は練習も気合入っているのが傍目でも感じていた。
一方でうちら二年三組が道具を借りたのは女子一回、男子0回。まぁ、相手次第だが、勝てるわけねぇよな。
ただ、藍川さんは個人で練習しているし、意気込みも三年に負けてないだろう。
「てか、藍川さん、豪速球を投げたりして」
ピリピリとする試合前、ジョークをいう片岡に「んなわけあるかよ、どう見ても普通だぞ」と素直な感想を突き返した。
ジャンケンで先攻後攻を決め、うちら三組は三塁側後攻、相手の一年四組は一塁側先行でゲームが始まった。
時間制限は四十分で長くても五回まで、盗塁なしに柵越えはホームランのルール。朝の開会式で簡単にルール説明があった。
一回の守りについたうちの女子は、ピッチャー藍川さん、捕手滝沢さんのバッテリー、内野外野には運動部もいるが、全体的に緊張感はなく、負けても仕方ないよね的な緩い雰囲気がある。
相手の女子も、私で良いの?的な感じで打席に入りバットを構える。
プレイボールの合図がかかり、一球目が投げられ、スピードのないボールはベースに着地、バッターはえいっと力のないスイングで空振り。
『おお~』『ナイスピッチ』と男子から歓声が上がる。
二球目も同じようなボールが投げられ、バットにボールが当たる。力のない打球は藍川さんの正面に行き、捕球して一塁に緩い送球。これを見事にキャッチしてアウト。
「ナイスキャッチ!」と藍川さんは安堵と嬉しさの混じった笑顔で声を掛ける。
なんとか野球、いやソフトボールの試合になっているか。この相手なら結構、接戦になるんじゃないか。俺は野球部の試合よろしく「ナイスピッチ!」「ナイス送球!」とグラウンドに声を出した。
一回表を0に抑え、裏の攻撃が始まるが、相手チーム同様にこちらのバッターもスイングは力弱く、波打っていた。
三振、投手ゴロとあっさり倒れ、すでにツーアウト。
応援席からも「どんまい、どんまい」「良く見ていこう」と励ましの声が出る。
「矢上、なんか対策ないか」
「サードに転がせば、内野安打いけそうなんだけどな」
なるほどと反応する片岡を無視して続ける。
「だけど、藍川さんがみんなに声かけてるし、大丈夫だろ」
この辺は目が肥えている彼女なら当然アドバイスがいくらでも出てくるだろう、わざわざ俺がしゃしゃり出る必要もない。
「ああ、守りが終わった時、何人かに声かけてたな。おっ、その藍川さん登場!三番かぁ」
打席に向かいながら、バットの握りを確かめるように、両手でグリップをギュっと何回か掴む。最後に軽くスイングしてから、左打席に立つ。
皆と同じジャージではあるものの、手には例のバッティンググローブをつけていて、誰も立たない左打席に立ち、只ならぬ空気となる。表情はやや固いものの、表の守りで打球処理もしたし、硬さは抜けているはず。
その彼女に威圧されたのか、相手の外野手は三人揃って一歩、二歩と後ずさった。
打席に立つと、両足をあらかじめ開き、バットを高く持ち、先端を投手側に傾ける。
『おお~、大谷そっくりじゃね』『めっちゃ打ちそう』野郎たちから予想していた反応が来て、少し気分が良い。
その打ちそうなオーラを感じ、ベンチからもひと際大きな声援が送られる。
「がんばれ~、藍川さん」「ナツキ~~、打って~」
その声に応えるようにチラッとこちらを見て、うんっと力強く頷く。
一球目が投げられる。少し山なりになったそのボールを打ちに行くが、空振り。コースは高め。窮屈そうに振ったバットはボールのかなり下で空を切った。
ああ~とため息が漏れる。ただ、藍川さんはローボールヒッターで低めをすくい上げるスイング。今のはコース的に苦手で、むしろ空振りで良かった。まだ分からない。
大きな空振りに落胆気味のベンチや男子を置き去りにして、二球目が投げられた。さっきと同じ山なり気味のボール。それを十分に引き付け、体重移動の少ないノーステップでスイング。上体を後ろに残したまま、体のわずかに手前の一点に全ての力を集中させて叩く。
「マジかっ!」と思わず大きな声が漏れた。
カツッと軽い音がした打球は、三十度の角度で弾丸のような速度で勢いよく飛んで行った。
やや低めの弾道での飛球、それを目の当たりにして、『おおおっ!』『きゃあーー‼』と歓呼の嵐が起こる。
雲一つない空に飛んで行ったボールは、ライナー気味に仕切りネットの遥か向こうに到達し、土煙をあげた。
歓声の嵐は味方だけでなく、敵チームも巻き込んだ。
『ホームランってうそでしょ!』『藍川先輩って、ソフトも凄すぎ‼』
打った本人もびっくりという表情をしていたが、我に返り球審に何かを訊いている。すぐに球審の先生が右指で小さくクルっと輪を作った。
それを確認して一塁に走り出す。満面の笑みで彼女は三塁ベンチに向かって左手を高く挙げた。
その姿にうちのクラスは興奮の最高潮になり、『うぉーーー‼』『すげーーーー‼』と男子応援も歓喜の雄たけびを上げる。
彼女の頬は緩みまくってて、嬉しさを抑えきれない笑顔でゆっくりと二塁ベースを周る。そして、三塁ベンチの正面視界に入ると、すぐに彼女と目が合った気がした。
二塁と三塁ベースの間ぐらいで、右手を振って通る声で彼女は叫んだ。
「矢上くーーーん!」
まさかこんな時に呼ばれるとは思わず、無言で目を見開いた。
俺がそれに気付いたのを見た彼女はほんの一瞬、目を伏せ、小さく微笑んだ気がした。
そして、濃藍の瞳をバッと見開くと、右目を閉じてウインク、口元を少しだけ開け口角を上げる。ゆっくりと右手を胸の位置に引き寄せたかと思うと、ばっとその右手を俺に向けて突き出した。
その右手は親指と人差し指の二本をまっすぐ伸ばしL字を作っている。
ははっ、自然と口元が緩むのが自分でも分かった。そのパフォーマンスに応えるように、少し照れくさいが同じレオネスマークを彼女に突き返して祝福した。
俺の反応を見てか、くすっと嬉しそうに笑った。
「かわいい~~」「かわいすぎ‼」
「あのLはもしかしてLOVEのLなのか?」
片岡がしししと笑いながら小突いてきた。
「んなわけあるかよ、レオネスのLな。知らねぇのか」
『まぁ、そういことにしとくか~っ』と言う片岡を俺は無視した。
ホームベースからネットまでの距離は近く感じるが、それでも七十メートルはあるか。それを十メートルはオーバーしてのホームラン。特訓の成果と言ったら驕りなんだろうが、前に突っ込まずに溜めたスイング、それはあの時教えてもの。俺は宝石のように青く輝く彼女を眺めながら、言葉にできない満足感と高揚感に包まれていた。
「男子、全滅早くね?」
黒板に書き出されていた『男子バスケ、男子ソフト、女子バスケ』に大きく赤チョークでバツと付け足されていた。
「まぁ、順当じゃないか」
昼飯になり、教室に戻ってきた俺はそれを見ても、さして驚かなかった。
午前中に行われた試合で男子ソフトは一回戦負け。やることが無くなった俺は、同じく一回戦負けの野球部のやつらと廊下で立ち話をしていた。この間の練習試合の反省や冬練のことと話題は尽きなかった。
教室内では、早々にやることがなくなった男子が思い思いに時間をつぶしている。負けると閉会式まで自由時間となるのはどうかと思うが、野球部の何人かと午後は軽く練習しようぜという話になり、まんざらでもなかった。
「そういや、昼飯、高木来るってよ」
「へぇ~、珍しいな」
教室の中心に鎮座するテンション高い女子たちを傍観しながら、教室の後方に俺たちの島を作った。女子たちは藍川さんを囲むように、お弁当を広げて盛り上がっている。
「女子ソフトは二回戦も勝ちか」
唯一バツのついてない女子ソフトは一回戦を3対1で勝利。二回戦は三年生相手だったが4対2で勝っていた。結局、一回戦は藍川さんのホームランと、その後の二塁打二本で全打点を叩きだし、一人で勝負を決めた。守りに不安があるのでどうかと思ったが、失点はそこまで多くなく、二回戦も辛勝。
「二回戦の藍川さんはホームランはなかったけど、全部出塁。藍川さん以外は一塁側、三塁側に転がす作戦がうまくいって、点を取ってたぜ」
「おお、やるなぁ。守りは?」
「途中からみんな、前目に守ってたかな。そんな強い当たりこねぇし」
最初は藍川さんのワンマンチームだったが、徐々にチームでやれてきてるってことか。耳を傾けると女子たちから作戦的な話が聞こえてきた。
「お~い、来たよ~」
独特のマイペースな声で弁当片手に高木が登場した。片岡は用意しておいた空き席をポンっと叩いて、無言で促す。借りるね~と不在の席主に言って、高木は着席した。
「このクラスはワイワイやっててイイね」
と相変わらずニコニコと楽しそうにしながら弁当を広げ始める。
「おう、女子ソフトが勝ち残ってるからな。お前んとこは?」
女子の集団を指しつつ、片岡はペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「ん~~、男子バスケは残ってるけど、女子はみんな負けちゃったよ」
「そか、お前は何出たんだ?」
「あたしはバスケ。でも全然ダメ~。対戦相手の先輩、ちょ~怖かったし。爪で引っ掻かれて痛かったし。あたし、リレーとか玉入れ、やりたいんだけどなぁ」
とんだ目にあったと言いつつも、表情を歪める様子はなく、気にしていないようだ。
「いやいや、体育祭でやったじゃん、それ」
素でボケるこいつのツッコみは俺担当が多い。
「玉入れは球技大会に持ってきても良さそうじゃない」
「んな、無茶な。違和感バリバリだし、そもそも漢字が違くね」
たしかにと二人が同時に頷く。俺たちは去年のようにしょうもない馬鹿話を続けた。
「さちちゃん、こんにちは!」
「あっ、なっちゃん、やっほー」
と二人はお互い両手を胸元で振って挨拶をする。俺たちが食べ終わったあと、しばらくして女子集団は解散となり、藍川さん、滝沢さんがこちらに合流した。
藍川さんと高木って知り合いだったか?さちって呼んでるし。
「いつの間に仲良くなったの君らは」
片岡も不思議そうな顔して訊いた。
「結構最近だよ。体育の時に仲良くなって」
藍川さんはちょっと照れた表情を見せる。
「ゆっちゃんとも友達~~~」
滝沢さんの腕を組んで、ニカッと笑顔を見せると、「ね~」と滝沢さんと高木は声を合わせる。
「高木って、周りから『ちな』で呼ばれてるけど、さちなんだな」
俺はなんとなく思った疑問を本人にぶつけた。
「うん。さちって呼ぶの、お父さんお母さんとお兄ちゃんぐらいなんだけどね。なっちゃんがさちで呼びたいって」
「・・・へぇ~~~、レオネスファンの藍川さんがねぇ」
考えを巡らせて察した俺は半目で彼女に視線を向けた。
「あはは、矢上君も良い名前って思うよね?」
俺の視線を外すように空中のどこかを見ている。
「まぁ、そうは思うけど。俺、バイソンズファンじゃないしなぁ」
そう言うと、「ばればれだった~」と言って、彼女はふふふと笑う。
「あの~~、お二人にしか分かんない会話止めてもらえる?」
片岡のつっこみにその場の皆から笑いがこぼれた。
「それにしてもちなちゃんから、かたおかの馬鹿話聞けて面白かったなぁ」
滝沢さんは思い出すような素振りを見せる。
「どのやつ、どのやつ?」と面白がる高木。
「数学の授業で、三角関数使った角度求めるやつ」
「あれね。片岡が指されて、黒板にスラスラ書いてたけど、出した答えが温度の『38℃』になっててね。先生に、『片岡、熱ありそうだな。保健室行ってていいぞ』って言われたやつ」
もうダメっと滝沢さんはお腹を抱えて笑いだした。藍川さんも口元を左手で抑え、必死に堪えてる。まぁ、あったなぁそんなこと。その授業終わるまで、誰かが突然思い出し笑いしてて面白かったわ。
「そんなおかしいか、あれ。角度の記号って、小さい丸だけじゃん。不安にならね?」
「ちょっと!」っと吹き出して、耐えていた藍川さんも声を上げて笑いだした。
「答えの38度は合ってたのがまた良かったよねぇ」
「だな。しかもあれが30度や50度だったら成立しないし、奇跡だな」
「うんうん」
「お前らなぁ~」
俺たちの会話に藍川さん、滝沢さんは笑い続けた。
右目の笑涙をハンカチでふき取り、藍川さんはようやく呼吸が整ってきた。
「ほんとうに三人は仲良いよね~」
「うんうん。そういえば、なっちゃんはやがみのことばっか、訊いてくるよね」
「俺のこと?」「ちょっと!さちちゃん!」
「へぇ~~~、ナツキがどんなこと訊いたの?めっちゃ気になる」
「ええっと、カッキーとやってる秘密特訓のことでしょ。野球部の練習でしょ。去年どんな練習してたかでしょ。ん~、あれっ、練習ばっかり?」
止めようとした藍川さんはああ~とがっくり項垂れた。藍川さんが俺のことで知りたいことって言ったら、野球部絡み。毎度のことなんでさすがに読めてるわ。っていうか・・。
「お前がしゃべっちまったら秘密にならねぇんだけど」
「あっ。でも大丈夫、大丈夫。新井先生にばれなきゃいいんでしょ。それに良いことやってるんだし」
「おまえなぁーー。何度言ったら」
マイペースなこいつには毎度ながら呆れる。
「やっぱ野球のことかぁって思ったけど、練習って、そこなの?なにゆえ?もしかしてナツキは矢上君と張り合ってるわけ?不動高校の野球ナンバーワンを決める的な」
「なっちゃんって野球の有名人で、すごいもんね」
すごいもんねってなんだよ。野球知識と語彙力足りなすぎだろ、まったく。
「あっ、それはあるかも。矢上君ががんばってるから、わたしもがんばろってなるよ」
「おお、お互い切磋琢磨する展開?」
「あのなぁ、漫画じゃあるまいし。ってそろそろ野球部のやつらと練習する約束なんで、行くわ」
「おう。もう昼休憩終わりの時間か」「がんばれ~~」
「矢上君、時間あったら試合、見に来てね~」
藍川さんの言葉に左手を挙げて返事をした。
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