1章4話 球技大会 前編
十月も半ばが過ぎ、暑さはマシになったが、埼玉県県北の過ごしやすい時期は短く、すぐに寒さが訪れる。夏は猛暑、冬は底冷えする寒さ、と住む人々を苦しめる。県南と違い、この辺りによそからの移住者が少ないのはきっとこの気候のせいだ、と言われれば簡単に信じてしまいそうだ。実際、この地域は過疎化が激しく、昔からこの辺りに住んでいる人ばかりだ。良い所はご近所付き合いとかで横同士のつながりが強いこととかか。
中間テストを終え、全校生徒は慌ただしく次の行事に切り替えなければいけなかった。でないとあっという間に極寒の冬が来てしまう。
そんなある日、野球部監督兼担任の新井先生がホームルームで球技大会の詳細を話し始めた。
「今年はソフトボールとバスケットボールの二競技だ。女子は人数少ないから両方に参加しても構わん。それから、男子はどちらか一方にだけ参加するように」
教室がざわざわと騒がしい。うちの高校は進学校ではあるものの、こういうイベントは熱心に手を抜かずにやる人が多い。田舎の高校でエンタメが少ないからとは思いたくないが、文化祭と球技大会、修学旅行は皆のテンションを爆上げさせる。
ちなみに俺は少数派でイベントよりは、普段の日常の中、部活をしていたい派。というか、イベントで練習量減るなんてありえんし、数日ペースが崩れると調子が狂う。
「それから、特別ルールでバスケ部はバスケの参加は可能、ただし前半か後半のどちらかだけ参加だ。野球部もソフトボールに参加しても良いが、打席は普段の反対で立つように」
ソフトと聞いた瞬間、てっきり野球部のソフトの参加はダメだと思ってたが、謎のルールありで参加可能だと?
「せんせーー、それって、右打ちの人は、左で打てってことですか?」
後ろの片岡が指されもしていないのに立ち上がって質問した。
「そうだ。うちのクラスは矢上しかいないが、お前は左打席だ」
わざわざ名前ださなくても良くないか。
「はい、りょーかいです」
一瞬ざわつくが、俺は座ったままそう答えた。
昼休みになり、恒例となった四人での昼飯となる。話題はホットなところで球技大会となった。
午前中、休み時間を全て睡眠に当てた藍川さんは、いつもの本調子に戻っていた。
「矢上君たちはどっち参加するの?」
「俺はバスケ・・の控えかなぁ」
片岡はそんなに運動得意ではないからな。
「バスケは勝てそう?」
「いや、きついんじゃないかな。体育でチーム戦やったりするけど、隣の四組にボロ負けばっかり」
「うちバスケ部いないし、不利だな」
「ああ~、バスケは厳しそうなのね」
藍川さんは小ぶりな弁当箱を開けながら残念がった。
「・・・俺はソフト参加するよ。左だと打てねぇけど、守備はできるし」
「矢上君の守備見れるんだ。ゆっちゃん!ソフトボールの応援行こうね」
「おーけー、皆も誘って応援行こう!」
「あれっ、もしかしてバスケ、見捨てられた⁉」
あははと二人は笑う。
「じゃあ、二人は何参加するの?」
珍しく俺から振り出した。
「わたしはもちろん、ソフトボール!」
中間テストでテンションだだ下がりだった藍川さんの目が輝いている。テスト勉強で溜まったうっぷんを球技大会で晴らすっていうイベントの順番は的を得ている気がする。
「じゃあ、私もソフト、参加しようっと」
歴史部の滝沢さんもやる気を出し、決意表明した。
昼食の片付けを終えると、いつもの癖でひとりボール遊びを始めた。ボールを真上に投げては掴むを繰り返していると、席を外していた藍川さんが自席に座るなり、ボールに視線を送る。
「矢上君がいつもやってるの。練習?」
「ああ、練習っていえば練習かな。ボールをキャッチして素早く握る練習。送球が一瞬遅れただけでセーフなるから、地味に大事よ」
「うん、ショートの守備ってギリギリのプレーになること多いよね」
「本当は一人でやるより、キャッチボールとかで練習する方が良いんだけどね。・・・ちょっと、下から軽く投げてくれる?」
俺は最後まで言うと、硬式球を手渡した。
「うん」
少しだけボールの感触を確かめてから、俺に向かって下からぽーんと投げた。
俺は両手でキャッチすると、瞬間の動作でボールを右手で掴み、投げるモーションを取って見せた。
「あっ、速い!」
大したことないんだが、俺の動作に驚いた様子。
「教室だとできないけど、練習だとグラブ付けてこれやってる」
「こんな練習方法あるんだね」
野球に詳しい藍川さんが感心していて、それがむしろ俺には驚きだった。
プレー『する』人なら割と当たり前なこと、藍川さんならそのあたりも知っていそうなもんだったが。
「もうちょっとやろう」
藍川さんの進言で、俺たちはしばらく持ち替えの練習をした。ボールを手渡して、投げてもらう、キャッチして素早く右手でボールを握る。その作業をお互い『はい』『はい』と声をかけながら淡々とこなした。
飽きないかなと心配になったが、真剣な表情で俺の練習に付き合ってくれた。
昼休憩終了のチャイムが鳴り、練習はストップとなった。
「ありがとう、練習付き合ってくれて」
「ううん、楽しかったよ。高校野球のボール、あまり触る機会ないし。JPBのサインボールはあるんだけどね」
「はは。・・そうだ、ソフトの練習ってするの?するなら、ちょっとなら手伝うけど」
「したい! あっ、でも・・・」
「ん?」
「野球部の練習、邪魔にならないかな?」
振り出しておいてなんだが、たしかに部活さぼるわけにはいかない。
「じゃあ、昼休みと練習ない日に時間合えばやろうか」
「うん」
テスト期間を除けば、高木と柿沼と俺のロードワークはオフ日の日課となっていた。
藍川さんとしてしまった約束。昼休みは問題ないが、オフ日はロードワークに遅れて参加するしかないか。まぁ元々、ロードワークは今の新エース柿沼のためにやっている。県大会を投げ切るスタミナ作りと球速アップのために一学期からこっそりやっていた。監督に隠れてやっているちょっとした秘密特訓。秘密特訓と言ったら大袈裟だが、その名に恥じず休憩挟んで20キロ走るから未だにきつい。おかげで部活でやっている走り込みは余裕になってきた。成果は出ているってことだろう。
馴染みのチャイムが聞こえ放課後となり、俺は野球バッグからグラブを取り出した。
藍川さんも倣ってLeonesのロゴ入りトートバッグからグラブを出す。
「グラウンドでやろっか」
「はーい」
彼女は上機嫌で返事をすると、俺たちは制服のままグラウンドに向かった。
球技大会の日時が決まった日から、あちこちのクラスで球技大会の練習が行われていた。ただ、ガチで練習するクラスもあれば、ぶっつけ本番で挑むクラスもある。団結力っていうのかな、まとまりがあるクラスはだいぶ練習をしている。当然、練習は放課後メインになるのだが、個人の部活もあるため参加はまばらになりやすい。俺たちのクラスも例外ではなく、参加者が集まらなかった。練習やろうっと誰かが声を上げても人数が集まらず、渋々断念することが多いようだ。人数少なくてもできるバスケぐらいは、と思うが、こっちはこっちで体育館の場所取りが熾烈。結局、利用予約や時間制限が面倒くさくなり、ぶっつけ本番ってことに決着した。という俺も、やるからには優勝!みたいなモチベはなく、野球部のことで手が回らない。まぁ、うちのクラスはダメそうだな。
そういえば、藍川さんは野球、プレーする方はどうなんだろう。
「藍川さんは、野球とかソフト、なんかやってた?」
「ううん、ちゃんとはやったことなくて。お父さんとキャッチボールしたり、バッティングセンター行くぐらい」
「へぇ~、てっきり経験者かと思った。でもバッセン行くんだったら結構やってるでしょ。それにマイグラブ、ちゃんと手入れしてる」
俺は彼女のグラブを指した。ボールをポケット部に入れ、包むようにして専用ベルトでグラブを固定している。型崩れ防止の基本だった。
「お父さんに教えてもらったの。お父さんは地元の少年野球チームの監督やってるんだ」
いつもと変わらず、にこにこしながら話す。
「へぇ」
少年野球の監督か。彼女が野球好きになった理由の一つかもしれない。
「そうだ、折角だからこの軟式ボールでキャッチボールしたい」
「じゃあ、そうしよう」
ソフトボールを借りに行くのも面倒だし、俺は提案を受け入れた。
グラウンド内では野球部の練習が休みなのをいいことに、三年のクラスが男女一緒にソフトの練習を既に始めていた。俺たちは邪魔にならないよう、外野ファールゾーンでキャッチボールを始めた。
藍川さんは、力みのないフォームで右腕だけで軽くボールを投げた。俺は彼女の投球を見つつ、徐々に距離を広げていく。ピッチャー・ホーム間よりちょい短いぐらいの距離で声をかけた。
「このぐらい?」
「うん、いつもこのぐらいでやってる」
藍川さんは経験者ではないと言っていたが、距離をとってもそこそこ勢いのあるボールを投げてくる。父親とキャッチボールをしているという実力は悪くない。
「いいね!」
自然と大きめの声が出た。
「でもこれ以上は届かないかも」
ラジオをやってるぐらいだからなのか、彼女の声は通る。
「ちょっと、投げてみてー」
俺はさらに五メートルほど離れた。
「とおいーー」
と言いながらも、ゆっくりと上げた右足を踏み出し、投げた。
ボールは山なりの弧を描き、やや左にずれた。ボールの勢いもなく、俺まで届かなかった。遠くに投げようと力んで、よくある手投げになっている。それに体の開きが早くて、ボールのリリースが早かった。
ショートバウンドでその球をキャッチし、そのまま藍川さんに駆け寄った。
「こんな感じで左足を大きく踏み出して、身体を前に倒す意識で投げてみよう」
俺は左足を上げ、そのまま前方に踏み出す動きを見せた。
「こうかな?」
一連の動きを真似る。
「そう、ちょっと大げさなぐらいで大丈夫。えっと、次は左手。踏み出したとき、前に出して、手首を捻った状態に。身体を倒すときに、手元に引きつつ、手首の捻りを戻す」
踏み出しからリリースまでの動きをスローで実演して見せた。
「えっと、グラブを出して・・捻る」
「いいね、あとは踏み出したときに、右手は頭まで上げる意識で。そうしないと手投げなっちゃうから」
うんうんと頷くが、いっぺんには難しそうだ。
「一つずつやってみよう!」
さっきの位置まで戻り、さっそく再開した。ゆっくりとした動作から左足を大きく踏み込み、身体を倒すように投げる。ボールはやや左にずれたがなんとか届いた。
「おお~」
「次は、グラブ、意識してみよう」
俺はグラブを高く上げてみせた。
「うん」
そんなやりとりをしながら二十球ほど往復した。彼女は元々センスが良いのか、徐々に山なりがなくなり、球速、コントロールが大きく改善していた。
「そろそろ終わろう。最後全力で」
俺は腰を落としてグラブを胸の前に構えてみせた。
「うん、いくよーー」
教えた動作を守りつつ、高く上げた右手からボールが放たれる。ボールはかなりのスピードで、俺のグラブにバシッっと勢いよく収まった。
硬式用グラブではあったが、しっかりとした軟式球の感触が手に残った。
「どうだった?」
小走りで近づく彼女は、かなり自信ありって顔で得意げだった。
「けっこう速かったよ、距離も十分だし、硬式で練習したら始球式できるんじゃないかな」
「やった。埼玉ドームで始球式やってみたいんだよね!」
実際、球速は結構出てて、小学生高学年が投げる速さぐらいはある。その球威で俺の左手は少し痺れている。俺はその左手をじっと見つめた。そこに小学校以来の懐かしさが蘇っていた。
練習を切り上げ校舎に向かいながら、俺はなんとなく彼女に訊いた。
「ねぇ、藍川さん。俺と藍川さん、どこかで出会ってたりするのかな?」
「えっ?」
驚く彼女。だがすぐに即答された。
「隣りの市で、そんな離れてないからすれ違うぐらいはあったかもね。ただ、話したことはないと思うよ」
「まぁ、そうだよな。ごめん、バカなこと聞いて」
俺のバカげた質問にちゃんと答えてくれた。彼女の答えにそりゃそうかと俺は納得した。なぜ、あんなこと聞いたんだろうと不思議だった。
「ねぇ、矢上君、聞いてる?」
上履きに履き替え、階段を上がっていると注意された。
「ああ、ごめん」
「ううん、今日は練習休みだったのに、ありがとね。そういえば、今日は・・・高木さんはいいの?」
珍しく語尾が尻すぼみになっていた。
「高木?・・さすがにもう走ってるころじゃ」
「走ってる?」
「あっ・・・。えと」
小学校のころを思い出していた俺は思わず口に出してしまっていた。秘密特訓のことは・・まぁ、藍川さんなら監督にバレることはないだろう。
「新井監督に内緒なんだけど、実は秘密特訓してるんだ。高木と柿沼と俺で走り込み」
彼女はきょとんと意外そうな顔をした。
「どこか出かけてるんじゃないんだ」
「出かける?ちゃんとしたところじゃなくて、校舎裏の田んぼ道で走ってるけど」
「・・そうだったんだ」
少し間を置いてそう言うと、俯いた彼女は胸に抱えたロゴ入りトートバッグをぎゅっと強く抱きしめた。
「ん?大丈夫?」
「うん。そうだ!今度はね、バッティングやりたい!打つ方は自信あるんだ~」
投げるより、バッティングのほうが好きなようだった。急にテンションを上げて話す彼女に俺はそう思った。
♪♪♪
次のオフ日は放課後にバッティング練習をすることになった。
この前と同じくいつもの三年がグラウンドを占拠している。仕方ないのでその隅っこでティーバッティング用ネットを使って練習することにした。
ソフトボールを五球借りて、俺がトス役、彼女がそれを打つ。
「おお~」
スイングして準備している彼女に向かって、俺は感嘆の声を上げた。左打ちに『尚平 46』 の刺繍が入ったバッティンググローブと様になっている。
流行りの右投げ、左打ちか。そのバッティングフォームはアッパースイング気味なのが気になるが。
「尚平かぁ、なかなか渋いね」
新品とは到底呼べない使い込んだバッティンググローブを指して言った。尚平は、中堅選手に差し掛かろうというレオネスの外野手だがレギュラー定着もう一歩で苦労している。
「レオネスの中でも結構推しだよ」
「粘り強くて一番打者タイプだね」
「うん、いつか冬山選手のようになって欲しいなぁって、ファームのころから応援してる」
何人か推し選手を教えてもらったけど、一軍で活躍している選手だけではないのが彼女らしい。
「尚平選手は練習すごくがんばってるのと、進学校の公立高校出身なところが推しポイント!」
「へぇ~、でも、バッティングフォームは同じ『しょうへい』でも、大谷の方じゃない?」
「あはは、真似しやすくて」
さっそくティーを開始したが、全てバットに当てていて悪くない。何球かは芯で捉えている。
「いいんじゃない。あまり教えることないかも。強くスイングできてるし」
「ほんと?良かったぁ。あっ、でもおおた・・じゃなかった。矢上君みたいにホームラン打ってみたい!」
「ん~~~、大谷に聞いた方がいいんじゃない?」
「ええ~~、いじわる~」
「まぁ、それは冗談だとして。ホームランか。・・じゃあ二つ。左足に体重残して強く振るのと、ボールの内側打つ感じで」
俺は慣れない左打ちで、まずは体を残して強く叩く様子をスローで見せた。
「う~~ん、難しい。あと、内側って?」
「ボールの打者側ってことなんだけど、さらにその下側数ミリにバットを入れるイメージ。時計の五時あたりかな、左だと」
「五時?無理無理、そんなピンポイントで」
「まぁ、イメージね、イメージ。感覚的な」
「ん~~、できるかなぁ~」
その後、確かめながらティーをやって切り上げた。たしかに彼女は投げるよりバッター向きかもしれない。線が細いから一見、不安定に見えたが、長身を活かしバネで力強いスイングができている。
あまり時間は取れなかったが、俺たちは球技大会までバッティング中心の特訓をグラウンドの片隅でひっそりやっていた。
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