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藍の輝きもう一度  作者: シャボン玉
1章 球団公式サポーター
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1章3話 天才少女

 十月を目前にした埼玉県北はフェーン現象による暑さもまだまだ現役だが、雨も多く不安定な日が多い。不快な天気が何日続いたある日、外集合だった体育が長距離走だと後から知った。

 今年のパ・リーグはバイソンズがリーグ優勝し、レオネスはクライマックスシリーズに逆転の望みをつないだ。

 プロ野球と言えば藍川さんなのだが、うちの不動高校には藍川さんほどではないが、もう一人、県内に名を知られている有名人がいる。俺や片岡はこのもう一人と去年からの付き合いで仲が良かった。

 高木たかぎ 福菜さちな

 俺や片岡は高木と呼び捨てにするが、周りからは『ちな』と呼ばれている。同学年で隣のクラス。去年、同じクラスで昼飯を囲むことが多かったため、進級で別々のクラスになったときは残念そうにしていた。

 だが、二クラス合同の体育では高木と顔を合わすことがある。といっても、男子と女子で体育教師が別。だから、その機会は多くなかった。


 陸上部の顧問をしている野本は熱血の体育教師で、うちが運動の強い私立と勘違いしてるんじゃないかと思うほどだった。

 野本は授業開始早々、男子女子を招集し、地面に座らせた。野本は女子担当の体育教師で、男子担当は別にいるのだが、今日は休みということで男子も見るそうだ。野本一人と聞いて嫌な予感がしていたのだが、やっぱりそれが的中した。

「え~、今日は男女合同で三キロ走だ」

 二クラス分全五十名近くからブーイングが起こった。特に女子からのブーイングが大きい。

 正門から校舎を挟んで裏側にある運動用トラック。整備はそこまで良くなく、トラックから少しそれると緑の草が生い茂っている。そのトラックと狭い道を挟んだところに野球部のグラウンドがあった。その近さから陸上部と野球部は昔から因縁深い関係にある。主に、バッティング練習で打球がトラックに飛ぶことがあるのが原因。ネットがあるものの、百パー防ぐことはできない。当然、俺らが悪いのは承知なんだが、私立の広いグラウンドならなぁとはいつも思う。しかも、春先に学校のOBがバッティングマシーンを寄付してくれて、ここのところ打撃練習が増えている。


 野本は五十名の生徒の前で堂々と皆が嫌がる長距離を宣言し、満足そうな顔をしていた。

「おっ、矢上」

 そして、皆がいる中、野本は唐突に俺を名指しした。

「お前、結構早かったよな。どうだ、女子と勝負してみないか」

 女子と勝負って何言ってんの?って普通は思う。

「もし、お前が女子全員に勝てたら、野球部のバッティング練習を認めてやろう」

「はぁ、なんだよ、それ」

 野球部の、ことさら大事な練習のことであれば、適当にスルーすることもできず、仕方なく食いついた。

「練習のことだったら新井監督に言ってください」

「それもいいが、こっちはこの間ケガ人でたんでな。お前たちが不利だぞ」

 とても進学校の教師が言うセリフとは思えん。っていうか教師が賭け事か?

「バッティング練習のおかげで、ベスト四に行けたんですが」

「それは、ケガ人が出た話と関係ないな」

 苦し紛れの反論では無駄か。野本と俺のやりとりに、ざわざわと周りが騒ぎ始めた。無駄に目立つのも嫌だし、女子との勝負というのをやるしかないのか。

「ハンデは?」

 ハンデなしではやってられない。

「ハンデどのくらい必要だ、高木」

 俺が男だからハンデを与えるのではない。逆にハンデをもらう。プライドも何も無い俺の言葉に、ようやく当事者に話が振られた。女子全員と言ったって、誰もが高木との勝負だと理解している。

「あたし、勝負とか興味ないんだけど」

 そう野本に冷たく言い放つ高木と目が合ったが、やれやれって顔をしている。こいつからしたら、迷惑の何物でもない。お互い冷めた態度をとっていた。

「ん~、じゃあ、一周で」

 だが、野本と高木が一言二言会話し、結論そうなった。

 賭け勝負の話が終わり、全員がけだるそうに四百メートルトラックのスタートラインに歩き出す。蒸し暑く、どんよりした天候に、多くの生徒はすでに体力が奪われているようだった。

 高木が俺の隣に小走りで寄ってきた。金髪ロングにポニテ、大きな黒の瞳が特徴的。高い位置で髪を結んだそのシルエットとスッキリとした首元。身長の低さもあるが、見た目は元気な印象を与える。

「練習の成果、見せるとき来たんじゃない?」

「勝てるわけねぇだろ」

「一周ハンデならわかんないかもよ」

 ニカッと無邪気に笑う高木は、この曇り空とは対照的な存在。

「どーだか」

 スタートラインにはすでにひとだかりができていた。自信のあるやつは白線付近まで前に出て準備をしている。片岡や藍川さん、滝沢さんは初っ端から戦線離脱組、ほぼ最後尾に陣取っていた。

 ハンデ一周ということで、俺が一周してから高木はスタート。そこから高木は7周半する。だから、俺が高木に周回遅れにならなければ勝ちだ。

 俺は最前線に立ち、一方の高木はトラック内でつまんなそうに佇んでいた。

 『ピーーー』というホイッスルが鳴り、男女合同長距離走は始まった。長距離って言っても三キロは短い。初めから飛ばして走り切れなければタイムは伸びない。ハンデの一周を抑えて走るつもりもない。俺はスタートから飛ばし、先頭に出るとトラックの内レーンに位置取りした。

 後ろをチラ見したが、ついてくるやつは幸いいなかった。ちょっと走った感じでは身体に違和感なく、体調は良い。

 高木はトラックに入り、先頭の俺の到着を待っている。俺の走りをじっと見ていたが、最後のコーナーを曲がると、いつもしている愛用の陸上用サングラスをかけた。その表情は遠目であったが、口角が少し上がっていた。


 一周目を駆け抜けると、高木もスタート。助走の数秒で、俺の前に立つ。

 最近、高木と一緒に走ることが多いが、それはランニング。ガチの長距離とは別物。それを痛感させられるほど、小さい体にも関わらず、こいつは早かった。まじで全力で走ってないか?と半信半疑になる速度で俺を置き去りにしていく。

 力強いストライドと腕の振り。背はピンと伸ばされ、ポニーテイルでまとめられた髪束は規則正しいリズムで上下に揺れている。


 長距離で埼玉一位の実力、それが高木を有名にさせていた。

 全国大会でも入賞に入り、将来はうちの高校初のオリンピック選手が出るのではと期待されている。まぁ、卒業後だろうからうちの高校が注目されるとは限らない。それに陸上部には所属しているが、普段の練習は部活に参加せず、個人でやっているという異質な存在。

 呼吸がやや辛くなってきたが、まだ序盤。俺は高木の背中に食らいつきながら、去年、本人から聞いたことを思い出していた。

 ――――両親や兄が褒めてくれるから

 そんなことが本格的に走り始めたきっかけだという。小さいころから大会に出ていて、地元のマラソン仲間がいて、みんなと走るのが楽しかったそうだ。

 何かをする理由なんて人それぞれなんだろうけど、全国で上位に行ける実力は恵まれた才能。それに、普段はあっけらかんとしていてポジティブ、だいぶ癖があり、行動が読めない。それが普通ではない天才的なイメージを与える。

 実際に、俺が今まで関わった実在人物で天才と思っているのは高木だけだった。


 トラックは六週目を終え、あと一周半となっていた。まだ、高木には抜かれていない。正確にはハンデの一周を入れてだ。ただ、視界に入っていないだけで、いつ抜かれてもおかしくない。

 ほぼ全力で走り続けた俺の呼吸は、すでに荒く乱れている。

 塊で走っている周回遅れのやつらを嫌々外レーンで抜いた後、すぐ背後に足音と規則正しい呼吸音が聞こえた。

 追いつかれたか?

 ドタドタと地面を踏む俺の音と、タッタッと軽快に奏でる音。

 はぁ、はぁとテンポが安定しない俺の口音と、ハッハッと無駄がない口音。

 疑いようがなく高木が後ろに付けている。そして、限界に近い俺とは明らかな差があった。

 まだゴールまで一周もあり、逃げ切れない。無理か、と思いペースダウンするか迷った瞬間、高木は外レーンに出て、俺を颯爽と抜いていった。

 そのまま差を広げられていくと思ったが、高木は十メートルほど先に出た後、唐突にその場で足踏みを始め、追いついた俺と並走を始めた。


 並走して数秒の後、おもむろにサングラスを外した。

 キラッと汗が輝き、ふぅと短く、小さい息をつく。こいつ、何考えてんだ、と隣に目をやった。すると、はっきりとした声でビシッと言った。

「背筋、伸ばして!」

 やや前傾になりフォームが崩れていた俺は、その一言でピンッと背筋を伸ばした。

「こう、か」

 苦しい中、その三文字を必死に絞り出した。

「うん、良くなった」

 優しい声で、満足そうに言う。そして、慈愛とも取れる表情で言った。


「矢上って走るの楽しい?あたしは・・楽しいよ」


 楽しさの中で記録を伸ばしてきた。必死にやっている俺にしたら、そんなわけあるかと嘘だと思った。

 だけど、やっぱり、それはまことなんだろう。こいつらしい最高の笑顔でかけられたポジティブな言葉は、俺の価値観を簡単に吹き飛ばす力があった。

 こいつは、去年からずっとこんな調子だった。何考えてんだか分からんが、皆から好かれて、嘘がなくて、誰もが憧れる漫画の主人公。脇役の俺たちを一瞬でその気にさせる不思議な力を使う。


 高木と交わした短い時間だった。

 ゆっくりとサングラスを頭にずらして掛け、そいつは今度こそ先を行った。

 勝負を諦め、呼吸をなんとか整え、姿勢を保つことに集中して走る。

 ようやく持ち直したころ、前方で女子三人と高木がゆっくり走っているのが見えた。

 はぁ⁉

「がんばれ~~~」

 高木の声がまだ結構離れている俺にも聞こえる。周回遅れのその女子三人組に向けられた声援。こいつ・・・・始めから勝負なんてしてなかったんじゃないか。

 俺は高木たちを横目にあっという間に抜き、一位でゴールした。

 高木はというと、三人組と少し走った後、ゼーゼーと死にそうになっている片岡と並んで走っていた。やつの背中を思いっきりひっぱたいてケラケラと笑っている。もうとっくにゴールしてるんだろうけど、そんなのはどうでも良いってところか。


 そんな様子を遠目に、ようやく呼吸を整えた俺は、むすっとしている野本に近づいた。

「文句ないですよね」

「あいつは・・本当に何考えてるのか分からん」

 その表情には賭けに負けた悔しさはなかった。ふと気付くと、どんよりした雲間から陽光がグラウンドに差し込んでいる。野本はその光を眩しそうにしながら、トラックを自由に駆ける少女を眺めていた。


 謎の長距離勝負をしたその日、俺たち野球部の練習は休みだった。休息をとることも大事という、監督の基本方針で週一で休みがある。昔、強豪校で監督をしていたという新井監督。熱心に情報収集もしていて、キャプテンになった俺は表に出さないが、密かに信頼している。

「矢上、今日って練習なし?」

「ああ、休み」

 放課後を知らせるチャイムが鳴った後、片岡との会話に、藍川さんが割ってきた。

「今日、野球部お休みなんだ」

「そうそう」

「休みの日って矢上君は何しているの?」

 高木とロードワークをするのが、オフの日の恒例となっていた。

 その目的は、新エース柿沼の走り込み。高木と仲が良い俺が間に入って『俺たち三人』はこっそりとトレーニングしていた。オーバーワークを気にする新井監督には絶対にばれてはいけない。監督のことは信頼しているが、週一休みでは強豪校のやつらに置いて行かれる気がして、受け入れられなかった。

「えーーと」

 なんとか言葉を濁しつつ、高木とのことはうまくごまかしたかった。

「あっ、やがみ!」

 大声で俺を呼ぶ声の主は、正にその高木だった。

「何やってんのよ、もぉ~~、さっさと行くよ。待ってんだから」

 ヅカヅカと教室に入ってくると、すぐに教室がざわついた。

『高木さんだ、体育で観たけど、制服にポニテもかわいいよな』『あっ、ちなちゃんだ、かわいい~』

 周囲からの注目を集めるが、当人は全く気にしていない様子。

「ああ、悪い悪い、すぐ行く」

 俺は藍川さん、片岡と順に目をやりつつ『すまん、お先』と言って高木と教室を出ようとした。柿沼はもう高木のクラスまで来ているようだな。急がないとな。

 ただ、なんとなく視線を感じて振り返った。自然と目で探した藍川さんは残念そうな表情で佇んでいた。


 ♪♪♪


「ゆっちゃんは、高木さんと話したことある?」

「あたしはないんだけど、気になるの?」

「うん、かわいいよねぇ・・・あと、なんて言っても名前が好き!」

「えっ、そこっ⁉」

「福って書いて、さちって普通は読まないでしょ」

 空中に指で福の漢字を書いて見せた。高揚して目を輝かせながら言葉をつなげる。

「同じ読み方のプロ野球選手がいるんだ。その選手は中学生のころ病気で大変だったんけど、克服して今は一軍で活躍してるんだよ」

 どこってわけでもなく視線を上に向けていた。

「もしかして、ちょっと前にラジオで特集していた投手?」

「うん、さすがゆっちゃん、ヘビーリスナー」

「だって、ナツキ、その話で泣いてたじゃん。だから覚えてる」

「えーー、そういうのは忘れてって。恥ずかしい」

「こっちがえーーだよ。分かってないなぁ。(だから人気あるんだよ、あんたは)」

 ぼそっとつぶやいたそれは本人には届いてないようだった。

「ん?何か言った?」

 藍眼を大きく開け、不思議そうに首を傾げた。

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