1章2話 公式サポーター
早朝から日没まで続く日曜の練習を終え、自転車で家路についていた。
それなりの進学校である不動高校。通う生徒の半分以上は電車通学であったが、自宅から近い俺は少数派の自転車通学。練習時間を削られないってのが、この高校を選んだ理由の一つだった。
夏の夜には蛙の合唱がエンドレスで聞こえる田舎、車二台すれ違える大きめの道沿いに俺の自宅がある。市の中心から外れ、その大きめの通りにおいても信号がほとんど無かった。
いつものルーティンで、速攻で母親に洗濯物を渡し終えると、自室に入り、スマホをポーンとベッドに投げた。ぼすっと画面を上に着地したそれは拍子でロック画面を映し出した。21時過ぎ、部屋着に着替えながら時刻をチラ見した。
スマホは持ってはいたが、習慣でほぼ触っていない。持たされたのが中学からだから五年はそんな生活。家族、部員、監督、片岡、高木・・・・必要最低限の連絡ぐらいしか使っていなかった。
ただ、今日は気の迷いでも何でもなく、ベッドに寝ころぶと、すぐにスマホを手に取った。使い慣れていないアプリストアから目的のアプリを首尾よく見つけ、ダウンロード。進捗を示す円形のバーグラフは一瞬で一周した。
二学期から急に仲良くなった藍川さん、目をつぶるとその姿がふつふつと頭上に浮かんだ。紺色を基調としているレオネス。そのレオネスのために生まれてきたと錯覚を与えるような濃藍の瞳。長くてツヤのあるセミロングの黒髪。170cmの長身に細い手足、女性が憧れる理想から生まれたような体形に小顔。けっしてジロジロ見てたわけではないが、手足の細さに反して主張する体の曲線。
高木あたりとは真逆で、藍川さんは大人な印象が強い。もちろん、仕事をしているっていう事実が何割増しかで魅せている。
だが、彼女の魅力は、目を惹く外見だけではない。
レオネスが走塁ミスから逆転負けした展開を悔しがったり、三年目で初めて一軍に上がった選手の活躍を何よりも嬉しそうに話したり、対戦相手の新人投手のがんばりを賞賛したりと楽しそうに野球の話をしてくる。
レオネスはもちろんだが、パ・リーグの他球団、選手のことも詳しくて、俺の知らないエピソードを熱心に教えてくれる。
高揚したその声、表情から野球への熱意や愛情がガンガン伝わってすぐに受け止めきれなくなる。野球に一喜一憂して多彩な表情を魅せる藍川さんは、まるで球場に観戦に来た野球少年のようであった。
誰からも好かれそうな彼女。公式サポーターということで凄まじい人気は間違いなく、うちの学校でもアンチ的な話を聞いたことがなかった。
だけど、俺は素直に好意を向けることができなかった。俺の唯一の取柄である野球。その野球で彼女は才能に恵まれ、大活躍している。男だったら甲子園優勝校のレギュラーレベル。いや、優勝投手かも。まぁ、どっちにしろ、俺なんかは足元にも及ばない存在。
つまりは嫉妬か・・・・。なぜだが、負けたくないという気持ちが本能的に先に来てしまう。
追加したのはラジオ放送を聞けるアプリ。それをタップして数分格闘後、俺は目的の番組を見つけた。そのアプリにはタイムフリーというのがあって、リアルタイムでなくても過去の放送回をいつでも聞くことができる。藍川さんがラジオパーソナリティとして一年以上続けている番組、それを聞くためだった。
セの公式サポーターと隔週交代で担当しているという話を思い出し、嫌な予感がよぎったが、直近の放送回をタップして聞こえてきた声に安堵した。
「こんばんは~、今シーズンもいよいよ終盤ですね。我がレオネスはですねぇ~、ここにきて、首位バイソンズさんにホームで連敗。ローテーションの谷間だったのですが強力打線に捕まって・・・・えっ、はい! 今、スタッフさんからストップが入っちゃいました、あはは。詳しくはコーナーでお話しますね。さて、改めましてですが、皆さんの推し球団、今週はいかがでしたか?好調って人も、そうでないって人も、一時間お付き合いよろしくお願いします!今週はわたし、藍川夏希がパ・リーグを担当します!JPB公認!公式サポーターのベースボールナイト!」
緊張感なく、笑いもとりながら、スラスラと流れる冒頭の挨拶は、同じ高校生とは思えない貫禄がある。タイトルコール後、軽やかなイントロが流れ番組が始まった。冒頭挨拶を終えた藍川さんは、その後も慣れた様子で進行していった。
「ではでは、続きましてはこちらのコーナーです。『ここが知りたい!教えて公式サポーターさん!』 。このコーナーでは私たち公式サポーターが皆さんからの質問に体を張って調査、お答えいたします。さてさて~、今週の一人目ですが、え~、レオネスネーム、『埼玉ミニークの常連』さんです。なっちゃん、こんばんは。はい、こんばんは! 去年ドラフト五位の陽山選手の情報を知りたいです。ファームでも登板少ないですが、今はどんな練習しているのでしょか?また、一軍にはいつ頃登板しそうでしょうか?」
レオネスネーム? なっちゃん? 処理が追い付かない。そして、いきなりのファームネタ・・・・一軍のスター選手じゃないのか。
「はい、ありがとうございます。陽山選手ですね、さっそくファーム担当の涼羽さんと繋がっていますので、聞いてみましょう~!涼羽さ~ん!」
「こんばんは~。なっちゃん、元気~?」
落ち着いた声で登場した女性がレオネスのファーム担当サポーター。
「げんき~」
「この間は楽しかったね!」
「はい!おすすめのカフェ、すっごくおしゃれでスイーツも美味しくて、めちゃくちゃ楽しかったです!是非また連れて行ってください~!」
「お~け~。今度は池袋線沿いでおすすめ教えちゃうね」
「やった!嬉しい~~。涼羽さん、大好き~」
仲の良い友達同士のようなやりとりに拍子抜けした。番組開始からそうだが、ニュースのプロ野球特集とかとは違ってラジオはやりとりが柔らかい。だけど逆にそれが新鮮で身近にも感じる。
「さてさて~、陽山選手ですね。早速インタビューしてきましたが、今年は体作りのために室内でのウェイトトレーニングやランニングによる有酸素運動中心になるようです。ファームの試合には、トレーニングの成果の確認と、実戦でしか身に着けにくいメンタルコントロールが目的で登板することがあるそうです。ですが、一軍に向けた調整ではないため、来期以降に期待して欲しいとのことです」
ふわっとした登場から一変、情報はかなり詳しいし、なかなか知り得ない情報に、へぇっと率直に思った。
「涼羽さん、ありがとうございました!陽山選手、甲子園で見せたメンタルの強さはかなりの武器だと思うので、メンタル面の調整は期待したいところですね」
「はい、そうですね。わたしは、陽山選手の多彩な変化球を活かすためにも、球速アップに期待していますよ~。と言ったところでお時間ですかね。現場からは以上になります。それでは、またね~。ばいば~い! 」
藍川さんだけでなく、この人も詳しいな・・マジで。すらすらと出てくる用語に関心する。
その後も淀みなく番組が進んでいった。『教えて!』のコーナー、選手の登場曲から逆引きしたリクエスト曲、プロ野球好きの芸能人を呼んでのゲストコーナー、リスナーから募集した『思い出の選手・名場面』を紹介するコーナーと、野球好きには盛りだくさんの内容だった。
ラジオパーソナリティという役割を俺は良く理解してなかった。てっきり、誰かサポートする人がいるのかと思ったら、そんなこともなく、一人で番組を切り盛りしている。
「今週はわたし、藍川夏希が一時間生放送でお送りしてきた『JPB公認!公式サポーターのベースボールナイト!』。今日もあっという間にエンディングのお時間です。はやい~~。最後にわたしからのお知らせです。レオネスオフィシャルサイトでコラム連載しています。レオネス愛に溢れたインタビュー記事をアップしていますので、是非是非チェックしてみてください~。それから、再来週の『ここが知りたい!』のコーナーですが、ファルコンズ特集です。ファルコンズネームの皆さんからのメッセージお待ちしていますね。それではみなさん、一週間、推しの応援頑張りましょう!まったね~~」
放送は無音に切り替わり、俺はアプリをタスクごと終了させた。
ここ一週間の学校での藍川さんと同じテンションだった。濃藍色の瞳を輝かせている様子が目に浮かんだ。ラジオだから当然その姿は確認できないわけだが。
もう一年もやっているというラジオパーソナリティ。番組は平日の21時からの一時間生放送。時間帯も生放送なことも俺は知らなかった。藍川さんも自転車通学であるが、このあたりの埼玉県北から都内に出るまで電車だけでも一時間ちょいかかる。放送終わって日付変わりそうな頃に帰宅か。俺も部活でだいぶ遅くなるが、当然そんな時間になることはない。そもそもかかるプレッシャーを考えると、練習と比較した自分が恥ずかしくなってくる。
ベッドにゴロっと寝そべり、目を瞑ると、場面場面での藍川さんの声が蘇ってくる。楽しそうに話す魅力的で通る澄んだ声、リラックスして聞ける心地よいテンポと進行。
台本があるのかもしれないが、読んでいる感じではなかったし、ましてやゲストとの会話ではそんなものないだろう。
・・そういえば、ゲストとは『はじめまして』と挨拶していたが、『〇〇選手が好きなんですよね』って話を振っていたっけ。俺は比較的つまらなかったゲストコーナーのことを思い出した。ゲストが気持ちよく推し選手を語っていたけど、藍川さん、あまり喋らないなぁって残念に思っていた。
俺は初めて聞いたその番組のことを眠りにつくまで深く考えていた。
翌日の月曜も相変わらずの酷暑が俺たち野球部を一方的に苦しめている。
早朝でもまだまだ暑い中、朝練を終えた俺はボール遊びをしながらクラスメイトの登場を待っていた。二学期初日と同じく俺一人の教室。変わらず朝っぱらから忙しそうに蝉が鳴いている。
席替えをしたせいで、窓から見下ろすことができず残念だが、代わりに教室に入り込んでくる陽光に目をやっていた。
ボールを投げては掴むを繰り返していると、しばらくしてガラッと前ドアが開いた。待っていたわけではないのだが、休み明けに話を聞きたいと思っていた人物。
黒色フレームのメガネ。フレームの内側は耳部分にかけて黄金色の派手な太線が入っている。その派手さが嫌味にならずおしゃれでかっこよく見えるのは、美人な彼女だけの特権なのかもしれない。
「矢上君、おはよ~~」
「おはよ」
「今日も朝練?」
上機嫌な笑顔を向けられて照れくさい。
「そうそう」
相変わらずの微妙な返事になってしまった。
「そういえば、」
珍しく俺から切り出した。他に誰か来たら恥ずかしくて、聞けなくなりそうだと思った。
「ラジオ聴いたよ」
「えっ、ほんと!嬉しい~。どうだった、どうだった?」
濃藍の瞳を大きく見開き、高揚した彼女に言葉を遮られる。昨日感じたことを聞きたかったんだが、逆に質問されてしまった。
「ああ。面白かったけど、藍川さん、めちゃくちゃ大変じゃない? 六球団の一軍だけでなく、ファームも知らないといけなくて。それとゲスト毎回違うんでしょ。ゲストに合わせて、誰々のファンなんですよね、とか気を遣ったりしてて・・」
うんうんと頷いているが、さっきのテンションがなくなっていた。喋っている途中で、はっと気付いたが遅かった。期待しているのは野球ネタの感想か。知らなかったとか、マニアックすぎとか、そんな野球好きが喜ぶ分かりやすい感想。
藍川さんはやや俯き、薄い微笑みを浮かべ独り言のように何かを呟いた。それも一瞬のことで、ぱぁっと表情を明るくさせた。
「うん、レオネスは大丈夫なんだけどね、他チームのファームまでってなると覚えるの大変だよ。交流戦や日本シリーズもあるからほんとは12球団全部知ってないといけないんだ。でも、おかげで発見もあって、色んな選手を好きになれたよ。あと、ゲストさんは活動やSNSの投稿を毎回チェックしてるの」
ゲストの活動やSNSをチェック?毎回?
「ラジオだけじゃないし、そもそも学校もあるし、それじゃあ、寝る時間もないんじゃ」
彼女と目が合い、同時に目に飛び込む黒のメガネに声が出そうになった。
「うん、前日は一夜漬けしたり、毎日遅くまでネットで予習したりで・・・おかげで寝不足」
えへへ、と照れた様子で笑う。
「そか」
「だから学校では少しでも寝ていたくてメガネ。結構ギリギリなんだよね。色々残念でしょ?」
メガネを通して、こちらを覗き込んでくる。
「いや、そんなこと・・・・。メガネ、似合ってる。今日のはバイソンズカラーでしょ」
照れた俺は左手で頭を掻き、そっぽを向きながら答えた。
「うん・・・ありがと」
この静かな教室でギリギリ聞こえた声だった。
♪♪♪
「ねぇねぇ、矢上君。ファルコンズカラーって何色だろうね」
「ファルコンズ? ・・・黄色じゃない?」
「やっぱり黄色だよね。う~ん、黄色のメガネかぁ・・・」
「・・ああ、さすがに目立ちすぎか」
「だよね。よし! 大好きな色なんだけど先生に怒られそうだし、諦めよう!」
大袈裟に残念そうなそぶりをアピールしている。
「ファルコンズ・・・・」
嫌いでしょ・・・大事な時にファルコンズに良く負けてるからなぁ。わかりみが深い。