3章4話 告白 後編
決勝が終ってからすでに二時間が経ち、暑さのピークを迎えていた。背の高い木々で日陰になっていなければ暑さでぶっ倒れそうな気温。それでも、お互いに抱きしめた腕を緩めず、いつまでもこうしていたいと思った。
だが、突然に防災無線のチャイムが鳴り出し、現実に引き戻される。
俺たちは抱き合ったまま、熱中症の注意喚起を最後まで聞き終えた。
「喉乾いちゃった」
そう言うと最後に強くぎゅっとされた。
「ああ、ごめん」
俺は彼女を解放した。
彼女は例のジャラジャラが付いたスクールバッグからペットボトルのお茶を取り出した。
俺も野球バッグからペットボトルの水を取り出し数口飲んだ。
彼女は少し火照った表情で目を閉じながら、お茶を飲む。その姿はドラマかCMなんかのワンシーンを思わせるほど綺麗だった。
「そろそろ行こう」
「そういや、俺、行先、誰にも言わずに出てきちまったわ」
「片岡君とさちちゃんには学校に先戻ってるってLineしてあるよ」
「おけ。じゃあ、学校行こう」
俺は右手を差し出し、彼女はうんと頷いて左手で掴んだ。
そして、どちらからともなく墓石に目を向けた。
「またくるよ」「またね」
あいつの返事を聴いているのか、やや間があってから彼女は「行こう」と言った。
俺たちは墓地を後にし、不動高校を目指して歩き出した。
彼女の細くて長い指を感じた。そして、未だにある素振りで出来たマメを感じた。どちらも好きな手。強く握りすぎていないか少し不安になった。
「ね、不動様、寄っていこう」
高校の正門に向かって左側の側道をまっすぐ進むと不動尊があった。
「いいね。願掛け何回も行ったし、お礼言わないと」
「わたしもしたよ。学校のみんな、全員したかもね」
「だとしたら・・・・誰かいたらどうしよう」
そんな心配をしながら不動尊の真正面にある郵便局とうどん屋の前まで着いた。
入口の山門に立ち、俺たちは自然と手を離し、合掌と一礼をして敷居を跨いだ。
敷地内は木々に囲まれ、風で葉が揺れる音が聞こえた。厳かな雰囲気を纏っていて静まり返っている。日影が多いからか、ここだけ数℃涼しく感じ、暑さは幾分マシになっている。
不要な外出を控えるようアナウンスした防災連絡のおかげかは分からないが、ひとけがなかった。ただ、誰かが来るかもという心配もあり、手早く手水を済ませて、まっすぐ参拝に向かった。
俺たちはバッグを地面に降ろし、木製の階段を二人並んで上り、一緒に鰐口を鳴らした。
静寂の中、目を閉じて合掌し、頭を少し下げて決勝の報告をした。
おかげさまで甲子園に出場することができました。ありがとうございました。
それだけ伝え、祈りを続けた。
目を開けるとき、隣に誰もいなかったらどうしようと急に不安になった。
恐る恐る目を開けると隣の彼女は濃藍の瞳を開け、頭を上げた。
幻ではなかったのだと、不動様に感謝した。
彼女は何を祈願したのかなと気になったが、後でいいやと思い踵を返した。
木製の階段を下りる途中、後ろから呼び止められた。
「ね、矢上君!」
「ん?」
「矢上君って身長いくつ?」
「大会で測った時は183」
こんな時に?と思ったが深く考えずに答える。
「おお~、伸びたね」
顔を真っ赤にしていて言葉と噛み合っていない。
「・・藍川さんは?」
俺の言葉にふふっと微笑んだ。
「171cmだよ、全然伸びなくて」
なんだっけな、このやりとり。
――――「大谷選手は高校で190あったんだって」
・・そうか。
「残念だけど、大谷には足りないかな」
でしょ?
すると予想に反して、彼女はぴょんと俺の隣に飛び降りて、俺を見上げた。
「でも、理想的なカップルの身長差だね」
真っ赤な顔でそう言った。
それだけが言いたくて、身長を聞いてきたのだろう。
それが可愛くて、健気で、彼女を好きだという感情が体中を駆け巡り溢れそうになった。
俺は彼女を抱き寄せ、一呼吸おいてその唇にキスをした。
「あっ」と彼女から甘い吐息が漏れた。
目を閉じ、ぷっくりと弾力がある柔らかい唇だけを感じた。
幸せで頭が一杯になり、ドキドキと鼓動を加速させる。
苦しくないかな、と思って彼女の頭を左手で支えた。
彼女は俺の背中に両手を回すとぎゅっと力を入れ、密着してくる。
ただ、次第に彼女から力が抜けていき、俺に身体を委ねた。
どのくらい経ったのか分からないが、お互い息を止めるのも苦しいので、俺の方から唇を離した。
目を閉じた真っ赤な顔が飛び込む。前髪が乱れ、おでこが露わになった彼女を見て、改めて美人で綺麗だと思った。
その表情をいつまでも見ていたかったが、閉じていた濃藍の瞳がゆっくりと開かれた。
彼女は一瞬、横目になり視線を逸らしたが、少し俯いてまた俺を見上げた。
「バチ当たっちゃうよ」
「どうして?」
「だって・・ファーストキス奪った」
近距離で見つめ合う俺たち。二人そろってさらに真っ赤になっていくのが分かる。
「お・・お互い様」
俺は堪らず視線を外した。
「じゃ、不動様も許してくれそう♪」
嬉しそうに言う彼女が堪らなく可愛くなり、俺たちはもう一呼吸分、キスをした。
そんな夢のような恥ずかしいような時間を過ごし、俺たちはようやく学校に向かって歩み出した。
日差しがキツイので彼女は例の日傘をさし、俺は試合で被っていた帽子で凌ぐことにした。
彼女はやたら俺を日傘に入れようとしてきたが、適当にごまかして並んで歩いた。
さっきの不動様のこともあり、ちょっと照れくさい。
「決勝戦、どうだった?」
「うん!凄かった‼」
野球話でいつものテンションになってくれるのは助かる。今はまだ、こっちの藍川さんのほうが落ち着く。
「六回のさちちゃんのは、うそぉってなっちゃった」
「あいつ、ほんと自由すぎだよな」
「ふふっ。吹奏楽部の演奏を止めに行ってたもんね。信じられない」
「・・でも、あいつの楽しめっていうのが、俺には必要だったんだな」
「さちちゃんは分かってたんだね。あの回から矢上君、すごい笑顔増えてかっこよかったなぁ。・・まこっちゃんみたいって思っちゃった」
「俺がまこやんに?」
「うん。それに、あの時の大宮学院のナインもかっこよかったなぁ。外野バックで真正面から勝負だもん。漫画みたい」
「はは、敵チームも褒めるの藍川さんらしい」
「ごめん、勝てたからほんと良かった」
ううん、大丈夫と彼女を否定した。それを微笑んで彼女は受け止める。
「速かったけど、ど真ん中だったから打てた」
「141キロだったよ」
「そっか。九回に三振した時の和田辺は?」
「あ、うん。147キロ」
「悔しくて確認できなかったけど、やっぱ速かったんだな。150キロ越えってことでしょ」
「そうなの!あの球場、遅く出るもんね。埼玉ドームでやればいいのに~」
「ドームか。守りやすそうではあるけど、虫飛んでて集中できなそう」
「あはは、すっごい分かる。高校生が金属バットで虫を追い払ってたら・・・シュールすぎ!」
間髪を入れずに欲しい返事が返ってくる。自分で言っておいて笑いのツボに入り、苦しそうにする彼女。彼女との野球話はほんとに楽しい。もし、小学生のときに出会っていたら、どうなっていたのだろうか。二人でまこやんのサポーターしてたかもな。
「あの三振で流れ、向こう行ったんだよ」
「うん。それで九回裏、ツーアウト満塁。絶体絶命のピンチに打席は強打の鈴矢君」
解説者のような口調がやたら様になっている。
「あの時は俺、ファーストに入ろうとしたんだ。監督の指示がなければ」
「そういえば、ベンチに助けられたって言ってたね」
「ああ、伝令でライトに入れって。で、詳しく聞いたら監督の指示じゃなくて、ベンチ入りのやつらのアイデアだったんだ。鈴矢だけは細かいデータを集めてくれててさ。低めならゴロかライナーが多いって」
「そっか。柿沼君、低めのコントロール良いもんね」
「ただ、一回は制球乱れてて、高めをもってかれた」
「じゃあ、初めからライトゴロを考えてた?」
「いや、ライナーが本命。飛び込んでキャッチとかならショートと変わらんって話。ただ、一二塁間抜かれたときのライトゴロも狙いたいから、俺じゃないとダメってなった」
「すごい!そのデータだったらライトは矢上君以外あり得ないよ」
俺の判断でファースト入ってたら負けてただろうな。皆の力で一本しかない勝利のロープをぎりぎり綱渡りできた試合だった。
「だけど俺、外野やったことねぇから、内心ビビってたけどね。ライトゴロは逆にやりやすかったなぁ」
そこでまた、くすくすと笑って俺のジョークにすぐ応えてくれる。
「わたし、打球が抜けた時、叫んじゃってあまり見れてなかったの」
「普通、普通。決勝だからさすがに動画出るでしょ」
「どういう風に捕って投げたの?」
「う~ん。前にダッシュしてツーバウンド目かな、低い姿勢で逆シングルキャッチ。グラブを引いて打球の勢いを殺しながら、右手で素早く握って、すぐに送球。・・普通かな?」
逆シングルや、グラブを引いてってところは左手で簡単に実演して見せた。
そういえば、いつもやってたボール遊びがこんなところで活きるなんてな。
「普通、できなそうなんだけど」
笑いの絶えない会話が続いて心地良い。
「十回のこと、聞きたいな」
軽く頷いて、言葉を待った。
「五点取って、矢上君は最後見逃し三振。打てない球だった?」
「・・・・。監督に言ったら何言われるか分からないんだけど・・わざと見逃した。あそこで流れ変えたくなかったんだ」
「流れ?」
「ああ。うちに流れきてたのは誰でも分かると思う。だけど、流れってちょっとしたきっかけですぐ変わるもんだと思うんだ。例えば、俺が打った打球をファインプレーでアウトってなったら、大宮学院に流れ行くかもしれない」
「矢上君が打った大飛球を外野がスーパーキャッチ・・とか?」
「それそれ。九回のスリーアウト目は俺だったわけだしな。それで流れ変わって大ピンチ」
『そっか‼』と言って彼女は口元を押さえた。
「だから、前の打席が気になって空振りもしないで見逃した。・・でも、野球の見すぎかな、俺」
口元に当てた片手をそのままに、今度は小さく笑い出す。
「おっかしー。そこまで考えている人、矢上君ぐらいだよ。でもね・・なんでだろ、くすくす・・そんな矢上君が大好きすぎる」
こんなに野球の話が合うのは奇跡かもしれないな。運命の人・・言い得て妙か。俺は彼女との出会いを改めて感謝した。
不動高校まで数分ってところで、正門前の細い道が目に入ってきた。
藍川さんと付き合うことになり、彼女のペースに押され気味になったが、野球話でどうにか落ち着けた。
後は片岡たちと合流して先生やみんなに報告か。
県大会優勝のプレッシャーに長年苦しみ続けていた。今はその苦しみから解放され、心配が何もなくなった。もう記憶にすらなかったこの解放感。だが、心のずっと奥底に正体の掴めない不安があるのに気付いた。なんというか、何か目の前から大切なモノが消えてしまうような恐怖。例えば、藍川さんが突然いなくなるのでは?と思うような不安。
「ね、矢上君」
「ん?」
「もうすぐ学校だから、最後にひとつだけお願い!」
嫌な予感がしたが、俺はとりあえず言葉を待った。
「お互いの呼び名、決めたいなって」
「ん、ああ。りょーかい」
とりあえず安堵した。キスして欲しいとか言うのかと思った。外れるとそれはそれでめっちゃ恥ずかしい。
「わたしって・・矢上君みたいに強くないからさ」
「わたしが矢上君と付き合ったら、まこっちゃんのこと忘れそうな気がするの」
「だからね・・わたしのこと『なつ』って呼んで欲しいな」
「それでね、矢上君のことは『まこっちゃん』って呼びたい!」
こうして付き合うことになっても、あいつのことを忘れず大切にしたい。そんな彼女の気持ちが凄まじく嬉しかった。
あの日から、俺が一番大切にしてきたこと。
それは、いつまでも忘れないっていうシンプルな気持ち。
どんなに残酷で辛くても、目の前から消えてしまったら風化して忘れ去られる世の中。
その冷たさにガキだったが絶望のようなやるせなさを感じた。
そんな世の中への抵抗で、あいつの夢をここまで追ってきた。
いつも自分を追い込んで、他のすべてを捨てて全部野球にかけてきた。
・・それは今日がゴールではない。
ゴールしたら、証明されずに忘れて終わる。
今日までの七年で風化したという、ただそれだけの事実しか残らない。
それだけは・・・・それだけは絶対にやってはいけない。
だけど、俺は甲子園出場でゴールしそうになった。
野球好きの運命の人とこうして結ばれもした。
最高に幸せだと思う。
だけど幸せすぎて、あいつへの思いが今日で無くなりそうになっていた。
そして、それではダメだと彼女が気付かせてくれた。
・・・・
強くなんてない。
弱いのはむしろ俺のほうかもしれない。
それに俺の心の奥底に住みついてる不安は一生取れないだろう。
俺は藍川さんが傍にいないとダメかもしれない。
「りょーかい。なつって呼ぶよ。あいつを忘れないように」
「やった!」
なつって呼ぶのはいいけど、まこっちゃんかぁ。まこっちゃんってなんか女っぽいんだよな。
そんなことを考えていたら、藍川さんは閃いたような口調で言った。
「そうだ!練習しないとね~」
「練習?」
藍川さんは俺の言葉を待たずに3、4歩俺の前に歩み出た。
濃紺の日傘に隠れ、彼女の表情は分からなかった。
練習?今じゃないのか?と思ってたら彼女が振り返った。
ゆっくりと日傘から覗かせた表情にドキッとした。一言で表現できない表情。優しくて、どこか嬉しそうで・・遠くを見てるようで・・・。だけど、たしかに俺の目をまっすぐに見ている。
「まこっちゃん、ずっと大好きだったよ」
「・・・・・」
ふふっといたずらっぽく優しく微笑む彼女。不意打ちのような言葉だった。まこやんに向けた彼女の積年の想い・・だよな。俺は彼女に対抗するように微笑んで見せ、その想いに俺なりに応えて見せた。
「わぁったよ、なつ!じゃあ、野球観に行こうぜ!!」
「えっ!!」
スルっと彼女の手から日傘が滑り落ちた。彼女は両手を口元に当て驚いている。そりゃそうか。
記憶のままに咄嗟に真似したあいつの喋り方。もし、生きてたら今はどんな感じなんだろってすぐに思った。だけど、そんなのは杞憂なんだろうな。
俺も彼女もあいつの記憶は小5で止まったままなんだから。
彼女は驚いていたのもほんのわずかな一時だった。すぐにテンション高く『うん!』と頷くと、前を指さして『行こう!』と言い、踏み出した。
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