3章1話 決勝戦 前編
全国高校野球選手権埼玉大会に参加する高校数は減少傾向ではあるものの150校近くあり、ここ埼玉は激戦区と呼ばれている。
近年、この激戦区を勝ち抜き埼玉代表となる高校は圧倒的に私立が多かった。不動高校はおろか公立はしばらく記録を遡らないと確認できない。
さらに私立の大宮学院、徳陽の二校が頭一つ抜けていて甲子園の常連校となっている。この二校は全国から優秀な野球選手が集まり、何人もプロ野球選手を排出しているエリート校である。
七月頭に始まった県予選は天候に恵まれ、順調に日程が消化されていった。
不動高校はシード校として初戦の二回戦、そして三回戦とコールド勝ち。四回戦、五回戦は私立と当たるも5-3、3-1で競り勝った。
昨年破れたベスト四まで進み、迎えた準決勝。相手は二強の一角である徳陽。前半リードされる苦しい展開であったが、終盤8回に逆転して5対4で決勝に進んだ。県内だけだが大番狂わせと騒がれた。
そして、7月28日。俺たち不動高校の甲子園をかけた最後の闘いが始まった。
決勝戦は例年通り埼玉県営浦和球場で行われる。球場は大宮駅から歩ける距離にあった。去年の夏と今年の準決勝とここに足を運んでいたため、だいぶ通い慣れてきた。だが、去年の敗北後の帰り道が脳裏をよぎる。因縁の球場だ。
一塁側のアルプススタンドをうちの生徒が埋め、俺、藍川さん、高木もその中で並んで座った。
「ねぇ、片岡」
「んだよ」
「暑すぎ。日傘ない?」
「使ってるやつ、いねぇっての」
俺は敵の三塁側スタンドを指さした。
「ん~~、じゃあUSBの扇風機、使って良い?」
高木はがさごそとバッグからピンクの送風機を取り出した。
「構わんけど、頼むから応援してくれ。あいつにとって一番大事な試合なんだから」
「分かってるって。でも野球わかんないんだよね~」
今日も今日とてマイペースなこいつを俺は無視して、隣りの藍川さんに話を振った。
「大宮学院って徳陽よりやべぇの?」
「うん・・。選手の平均的なレベルは同じくらいだけど、大宮学院に飛びぬけてすごい選手が二人いるの。一人は左投手の児島君、あと四番の鈴矢君。どっちもドラフトの注目選手」
「鈴矢ってあいつだっけ?」
俺はグラウンドでひと際、体のデカい選手を指さした。
「うん。サードの人が鈴矢健選手。左のスラッガーで高校通算82本塁打。今大会の打率は4割5分で、ホームラン5本」
「82?・・矢上は?」
「矢上君は高校通算20本塁打。今大会は打率5割5分、ホームラン3本だよ」
「通算ホームランは4倍も違うのかよ」
俺からすればバケモンみたいに活躍する矢上。だから矢上は結構打ってるイメージがある。プロに注目されるやつはその遥か上を行くのか。そんなバケモノのバケモンみたいなやつが二人も?なぜ、俺たちと同学年にいるのかと恨めしく思った。
「ただ、うちは練習試合少ないみたいで、本塁打は少なく見えるかも。それに矢上君は公式戦の大事なところで打ってくれる」
「そだな。それに打率は勝ってるみたいだし」
「うん、チャンスに強いし、チャンスも作れる。矢上君が試合のキーになること多いよ。攻撃でも・・守備でも」
彼女はベンチ前でアップをしている矢上に期待の視線を飛ばしている。藍川さんの矢上への絶対的な信頼みたいのものを感じた。
「二本の矢か」
俺はぼそっと言った。
「うん。鈴矢君と矢上君は埼玉の二本の矢。矢上君も・・負けてないよ」
前に学食で藍川さんにそのネット記事を見せてもらった。たしか鈴矢は『矢のような打球』、矢上は『矢のような送球』って書かれてたな。
あいつのバッティングが控えめに書かれてたのは癪ではあるが、守備が思いのほか評価が高い。
「今日は勝てそう?」
高木が割り込んできた。っていうか、聞き方、雑!
「う~ん、先にリードして柿沼君が粘りの投球で守り切れれば」
「カッキー大活躍して欲しいなぁ。走り込みがんばってたもん」
高木のノー天気で根拠がない発言。それが実現したら、どんだけ良いことか。頼むからよ、今日だけはそんな一日であってくれと願うばかりだ。
「先にリードか。矢上次第ってことか」
「うん、ただ・・・・矢上君が打ったとしても、うちが何点も取れる相手では・・」
いつも明るい藍川さんが不安に包まれていた。
二週間前に梅雨明けが発表された。夏本番を迎え、張り切る太陽により連日猛暑日となっている。決勝戦も遮る雲一つない晴天。県営浦和球場にジリジリと振り注ぐ熱線にうんざりするばかり。
一塁側アルプススタンドには不動高校の応援団、吹奏楽部の他に生徒や先生、親御さんらしき人でぎっしり埋まっている。その中には社会人っぽい人もちらほら見えた。例年なら、うちは一~三回戦ぐらいで姿を消す。奇跡的な快進撃を知って応援に駆け付けたOBなのかもしれない。
俺たちは間違いなく挑戦者。だが、卒業生の期待を背負ってるとなるとプレッシャーは決して軽いものではない。
最初で最後になる決勝の舞台。矢上が受けるプレッシャーを想像するだけで俺は吐き気がした。
三塁側の大宮学院も俺たち同様に応援席を埋めていた。応援団や吹奏楽は俺たちよりも規模が大きくこなれている。常連校を目の当たりにしてうちとの差が如実に現れ、サッカーで言うアウェイかと錯覚するほどだ。
埼玉県知事の始球式が終わり、運命のプレイボールとなった。
うちが先攻で、大宮学院が後攻。先攻ってのは嫌いだった。勝っていても九回裏はハラハラする。もし、後攻だったら、矢上が打ってサヨナラってのがありそうだ。あいつの勝負強さなら後攻が断然有利。
だから、くじ運的にもなんか引っかかるものがあった。せめて、藍川さんが望む先制点が欲しい。
十分な心の準備ができないまま、大宮学院の一番打者が左打席に入った。背が高く、足が速そうで如何にも打ちそうな雰囲気。
柿沼がワインドアップから一球目を投げ、それを打ちに行く。キンと金属バット独特の音を響かせる。打球は三塁側アルプススタンドにライナー気味に飛び込んでいった。
二球目は低めに外れ、球審はボールの申告をした。続く、三球目にバットを出し、小さな音と共に、一塁側にファールとなった。
四球目ボール、五球目は三塁側にゴロのファール。なかなか勝負がつかない。
「粘るなぁ」
藍川さんがぼそっという。プレイボールからずっと両手を合わせて祈っている。
「空振りしねぇぞ、こいつ」
そして、投じられた六球目を快音とともにはじき返した。
あっ、と声が漏れる。
ライナーでセンターに強い当たりが飛ぶ。センター前に落ちるかと思われた打球をセンター戸ヶ崎がスライディングでキャッチに行く。
ワァアァアアーーー‼
三塁側からひと際大きな歓声が上がった。
キャッチにいったが打球はワンバウンドで戸ヶ崎の体に当たり、後ろに後逸した。
「ああぁ‼」と藍川さんが声を挙げた。
バッターは一塁を回り、二塁に向かう。ようやく戸ヶ崎が転々としている打球に追いつく。
「三塁‼」と藍川さんは指をさして叫ぶ。
バッターランナーは躊躇なく二塁ベースを蹴った。
戸ヶ崎の返球が中継の矢上に渡る。矢上はボールをキャッチしたかと思うと次の瞬時、三塁に投げていた。
サードの今泉に直線的な剛球が飛んでいく。今泉は三塁ベースちょい上ぐらいでキャッチし、バッターランナーの足元にタッチした。
『アウト‼』と藍川さんが声に出したが、塁審は大きく両腕を横に開いた。
三塁側からまた歓声が上がると、吹奏楽器からリズミカルな演奏が起こった。
ああぁっと右隣の藍川さんは落胆している。
打球は良い当たりだったが無理しなければヒット止まり。取れるか微妙だった当たりが結果的に三塁打となった。
不運な当たり。強ぇ相手なのは分かるが、どうにもさっきから悪い予感しかしない。
バットを短く持った小柄な二番が右打席に立った。
立ち上がった捕手の須賀が胸のあたりでサインを出し、内野四人が2~3歩前進した。
「1点も取らせない守備」と隣りは解説する。
――――「うちが何点も取れる相手では・・」
藍川さんの言葉がフラッシュバックした。
柿沼が一球目を投げる。キャッチャーの須賀が立ち上がってキャッチし、ボールと判定された。
「際どいところ突いて、追い込みたいけど」
続く二球目を投げると同時にバントの構えをした。コツッとバットに当て三塁側に転がす。
「あっ、スクイズ‼」
叫びに近い声が響く。
三塁今泉がキャッチした時にはもう遅い。一塁に送球し、アウトとなった。
「くそっ、うめぇ」
たった二人で1点を取られた。
再び、三塁側が盛り上がる。対照的にこっちはため息が漏れ、まだ始まったばかりだというのに沈み気味となった。
マウンドに内野陣が集まり、矢上が話している。どうするよ、矢上。真剣な目付きはまだまだこれからと言わんばかりか。
「1点で抑えれば全然オッケーだよ」
明るい声を出し、気持ちを切り替えようとしている。
大宮学院の三番が右打席に立った。身長はそれほどもないが、線が太く、いかにも打球が飛びそうだ。
一球、二球とあっさり見逃し、一ボール一ストライク。
ずっとそのまま突っ立っててくれと思ったが、そんなわけもなく三球目を打たれる。
打球は会心ではないものの、強めの当たりが三塁今泉の横を抜ける。これも転がったところが良い。正面なら何でもない当たりなのに。
が、三遊間の深い位置。もうレフトの守備位置では?と思うところで、矢上が逆シングルでキャッチ。素早くボールを握り、一塁に送球。
「やがみ⁉」
送球はさっきの直線的とはいかないが、一塁遠井にワンバウンドで鋭い球を運んだ。バッターランナーとのクロスプレイ。きわどい。
矢上の送球の方がベースを踏むより一瞬早かった。
アウト‼と塁審の右手が高く上がった。
「キャアアアーーーーーアウトォ‼」
解説の人は右隣の高木と抱きついて叫んだ。良く分かってなさそうな高木も一緒に喜んでいる。
にしても、ショートの守備位置からはだいぶ離れている。
「超ファインプレー‼すごいよ、追いついてアウトにするなんて」
目を輝かせて話す藍川さんは教室で矢上と話してるときそのもの。
「こりゃ、こっちに流れ来るんじゃねぇの」
「うん。間違いないよ」
ようやく活気が出た一塁側のスタンドに対抗するように三塁側から今日一の声援が飛ぶ。
打席に四番の鈴矢が立った。身長は矢上と同じぐらい。ただ、体は一回り大きく見える。腕っぷしやがっちりした下半身はいかにも強打者を彷彿とさせる。嫌な感じだが、さっきのプレーが活きてくれれば。
隣の解説者は祈りを捧げている。
柿沼が初球を投じた。そのボールをライト上空に轟音とともに叩き上げた。力で強引に叩いたような鈍く嫌な音。
『あぁっ』と藍川さんから漏れた声は消え入った。
打った瞬間にそれと分かる強烈な一撃。打球はいつまでも落ちてこず、ようやく落下した打球はライトスタンドの芝生に無情にも突き刺さった。
鈴矢は派手にガッツポーズをしてグラウンドを周る。矢上はその鈴矢を鋭い眼光でじっと見つめていた。
呆然ぎみのお隣は小さい声で「矢上君・・・」とだけ呟いた。
十時に開始した決勝戦は五回終わった時点でちょうど一時間と展開が早い。一回表を除くと両チームとも投げ合いとなり、固い守りもあって0対2のまま。
ヒット数は不動高校二本、大宮学院三本。矢上は二打席あったが、どっちもフルカウントまで粘っての四球。
一方、鈴矢は四回の二打席目もヒットを打ち、絶好調ってところか。
にしても大宮学院の児島、ストレートは130キロ後半で変化球もいくつかあるそうだ。解説が言ってた何点も取れないっていうのは当たっていてヒットがうまく続かない。
「この回、矢上君に回るから勝負どころかも」
六回表は、三番の今泉からか。期待の二年生は馬鹿力らしく、長打が多い。
右打席に立ち、児島の投球を待つ。
「二点差だから、ランナー出て欲しい」
俺は藍川さんの祈りに合わせ、大声で出して応援した。
今泉は一ボール一ストライクから児島の三球目を打ち、痛烈なライナーでセンター前ヒットを打った。
そして、大きな歓声に合わせて矢上がゆっくりと右打席に立つ。
「ここまで児島君、球数多いし絶対打ってくれるはず‼」
だが、それに反してこの打席の矢上もファールが続く。そのファールも五球続いている。このままだとさっきの打席と同じで四球にしかならねぇ。チャンスにはなるが、後ろの奴らは打てるのか。
「矢上君、苦しそう。打てるボール来ないの?」
お隣は矢上に問いかけるようにつぶやく。
「さっきからファールばかり」
「うん。ずっと一塁側に・・。外角ばっかりなのかな」
あいつでも、良いピッチャーは打てねぇってことなのか?
考えても仕方ねぇ、もう俺たちは応援するしかないんだ。俺はお隣を真似するように祈りのポーズをとった。
頼む、矢上。なんとかしてくれ!
その時だった。
「行かなきゃ」
と言い残して、しばらく静観してた高木が応援部のいる方に小走りで向かっていった。
「おい、高木!おまえ、どこ行くんだよ‼」
耳に入らなかったのか、そのまま人をかき分けていく。
「さちちゃん、どうしたんだろ」
「ったく、こんな大事な時に!」
児島が九球目を投げた。矢上は右膝を付きながら辛うじてバットに当てた。一塁側へゴロのファールを打った。
カウントはツーツー。
藍川さんのいうように矢上は苦しそうだ。身体を上下に揺らして、正に追い込まれましたと言ってるようだった。
そして、児島が十球目を投げようかというときだった。球場が一人の少女に支配された。ピタッと演奏が全て止まり、場違いな静寂が突然襲う。
えっ⁉
時間が止まった?真夏なのに凍り付くような錯覚にぞくっと鳥肌が立った。三塁側もピタッと静寂に包まれる。
何事?と俺らのアルプススタンドを一望した。少し遠くの最前列にいる高木が視界に入った。
やつはちょうど上体を逸らしていて、すぅ~~~という音が聞こえるようだった。そして叫んだ。
「こらぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼‼」
はぁ⁉お前、なにを‼
「もっとぉーーーーーー‼‼た・の・し・めーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼‼」
「おまえ‼‼」「さちちゃん‼」と同時に声を挙げ、立ち上がった。
毎週土曜日12時に更新しています




