2章5話 埼玉ドーム 後編
試合は1対〇で六回まで進み、変わらず投手戦が続いている。野球ファン的には見ごたえがある展開なんだろうが、両チームのファンはピリピリしながら観ているだろう。
レオネスファンからしたら1点リードとはいえ、ワンチャンスでひっくり返される。特に今年は得点力が他チームより低く、僅差になりやすい。リードを広げられずに逆転負けする展開も何試合かあった。それなら点を取りあう展開の方が観ていて楽しいし、たとえ負けても元を取れた気になる。
そんな僅差の試合展開のためか、前席にいる男の子はつまらなそうにしていた。ビジターのレプリカユニフォームを着たその少年は飽きてじっとしていられないのか、拗ねて母親に駄々を捏ねている。
武中のホームランでは物足りないか。そういえば、今日はチャンテの出番なしで盛り上がりに欠けている。
「ねぇ、矢上君。ファールボール取るのって難しいかな?」
六回裏が始まり、彼女はメガホンの代わりにマイグラブをはめて俺に見せた。グラブも持ってきてたのか。
「結構難しいかも。この場所だとネット超えてくるから、落下速度、速いよ」
先頭の壮田選手がフルカウントから三塁側にライナーのファールを打ち、粘っている。
「そうだよね。いつかキャッチしたいなって準備してるんだけど。でも硬球はちょっと恐い」
次は一塁線上に引っ張ってゴロを打つが、これもファール。
「まぁ、飛んでこないでしょ」
カンッと次の球もカットした。流し打った打球は高く上がり、フライの最高点に到達する。
打球は・・「あっ・・来る!」
「えっ、うそ。ここに⁉」
ピューーーーーっと危険を知らせる笛が鳴り響く。
「グラブ借りられる?」「捕りたい‼」「オッケー、気を付けて!」と、お互い打球に目を向けながら掛け合った。
ここ目がけて落下するボールに周囲がざわつく。
「藍川さんの前あたり!」
彼女の前席には少年がいる。
「わぁーーー‼」
少年は声を張り上げると、隣の母親に抱き寄せられた。
藍川さんは落下してきたボールにグラブを伸ばす。
打球は読み通り彼女の一席前、少年のいた席に向かって落ちてきた。
不安定な足場。サンダルの彼女。身を乗り出して彼女は捕球にいった。
バシッ
目一杯にグラブを伸ばし、打球をキャッチした。が、打球の勢いに押されたのか彼女の身体が前席に倒れかける。
「きゃっ!」「危ない‼」
俺は瞬間的に彼女の右手に手を伸ばす。
掴めなかったらと悪い想像を一瞬したが、運よく彼女の右手首を掴めた。
そのまま、力強く彼女の体を引き寄せる。
俺の両手の中に細い彼女の身体がすっぽりと収まり、俺が彼女をキャッチした形になった。
ドクンッと心臓が鳴った。
彼女の腕、足、胸から体温が伝わり、彼女の少し乱れた呼吸を肌で感じた。
「ご、ごめん」「大丈夫?」
同時に出た言葉は残念ながら会話が成立していなかった。
すぐに、だけど足元を注意しながらゆっくりと体を離した。
彼女の顔はマスクで隠せないほど真っ赤で視線は下りている。俺も予想外のハプニングで彼女に負けないほど真っ赤になっているだろう。マスクが無い分、俺の方が悲惨だ。心臓の鼓動は倍速になっている。
パチパチパチパチ
「あ、ありが・・とう?」
パチパチパチパチ
は⁉周囲を見ると、俺たちは360度から拍手を受けていた。
カップルに、家族連れに、男性ファン、売り子の人も皆、笑顔で俺たちに向かって拍手をしている。
それに気付くや否や彼女は素早く周囲に角度を変えながら何度も頭を下げた。俺も倣って頭を下げているとようやく拍手が止んだ。
「ああ~~、びっくりしたぁ」
抱き寄せたドキドキを隠すように「ナイスキャッチ」と平静を装った。
「そういえば、捕れちゃった」
グラブに入ったボールを見せた。
「さすが」
「早めに来るって教えてくれたから心の準備できたよ」
そう言うと、さも当たり前のように俺にボールを手渡した。
「矢上君にあげる。わたしは大丈夫。サインボール、たくさんもってるよ」
手渡されたボールは、バットに当たったキズ1つだけのほぼ新品だった。その感触とJPBマークが入った特別感にテンションが上がる。しかも壮田選手のファールボールか。同じショートとして色んな感情が沸き起こる。
「めっちゃ、にやにやしてる~~」
俺の心を見透かされたのか、彼女が目を細めて茶化してくる。
「ああ、良いボール使ってるなぁって」
ん?
そんなやりとりをしていると、前席の男の子が後ろ向きになり、背もたれを両手で掴みながら俺のことを見ていた。
気になっているのは・・。
「ボール、いいなぁ」
少年はじっと俺の手元を観てぼそっと言う。
さっきまで退屈そうにしていた少年が目を輝かせている。
「あげて良い?」
左隣りの彼女は、うんとだけ頷いた。
「ボール、あげる」
少年に少し顔を近づけて、俺はボールを差し出した。
「やったぁーーー」
誕生日プレゼントでも受け取ったかのようなテンションで、頭上にそれを掲げて喜んだ。
「良かったね~」
藍川さんも少年に顔を寄せて声をかけた。
少年の隣にいる母親はすみませんと頭を下げ、『ほらっ、お礼、言いなさい』と促した。
「ありがとう、おにいちゃん、おねえちゃん!」
目を輝かせての純粋無垢なお礼。
「ボール、大事にな」
「うん。ねぇ、おにいちゃん」
ボールを両手で持ちながら、なおも視線を俺から外さない。
「おにいちゃんは試合、出ないの?」
グラウンドを指さして純粋な顔で言われた。
ん?試合って、この試合だよな。俺がホームのレプリカ着てるから選手と勘違いしてる?
「・・ああ、今日は出ないんだ」
「いつ出るの?」
「そのうち、出るよ」
「ホームラン、打てる?」
「ホームランは難しいけど、ヒットはたくさん打てるよ」
嘘でもホームラン打てるって言えばよかったかもしれない。ただ、どうにも武中のホームランを見た後では嘘でも言えなかった。
「約束だよ!応援いく!」
「オーケー」
そして、グーパンチを軽く交わすと、少年は母親に促されて試合に目を向けた。母親が俺に無言で頭を下げた。
「レオネスに入団しないとね。大変だ~~」
くすくす笑いながら、俺だけに聴こえるように小声で言った。
「いや、無理だろ・・・もう、どうしろと」
小声で返すと、彼女は無言でにこっとしていた。
試合はその後も0がスコアボードに並び、1対0でレオネスがクリムゾンレッズに辛勝となった。
レオネスは中継ぎ、抑えと継投したが内容はピリッとせず、不運なポテンヒットや四球でピンチを迎えつつ、ぎりぎりで抑えた。何度も肝を冷やし、疲れがどっと出た。
グラウンドではヒーローインタビューが始まろうとしていて、一塁側ライト側のレッズファンはそそくさと帰路を急いでいる。
時間はまだ一六時であるが、帰宅二時間を考えると、俺たちも早めに帰るべきか。
「矢上君、早めに帰ろう」
「りょーかい」
ヒーローインタビューをすんなり諦めたのは意外と思いつつ、俺たちはバッグやビニール袋を手に席を立った。
と同時に前席にいる例の親子も立ち上がった。母親は少年をなだめると藍川さんに小声で耳打ちした。
「藍川さんですよね。ラジオ聴いてます。これからもがんばってくださいね」
この距離だと声を拾えてしまう。
「はい!ありがとうございます!がんばります!」
喜びに満ちた声。母親の手を両手でぎゅっと握る絵が印象的だった。
そんな短いやりとりの後、母親は「いこうね」といい、少年の手を握った。
「おにいちゃん、ばいばい!」
「ばいばい」
俺は少し屈んで少年に手を振った。
少年は母親に手を引っ張られながら階段を上がっていく。その様子を俺たちは目で追いつつその場で見送った。
その小さい体が小さく消え入りそうになった。そろそろ俺たちも行くかと思っていると、
「ばいばーーーい‼」
少年の元気な声が聞こえた。
くすっと彼女は笑い、「かわいい」と言って優しい目を少年に向ける。
なんだか、ガキのころを思い出した。公園で遊んで、夕方に友達と別れる。遠く離れて見えなくなる頃に、「ばいばーーーい‼」と最後に言い合ったっけな。
「ばいばーーーーい‼」
俺は野球の声出しの如く、大声で叫び、左手を大きく振った。もちろん、めっちゃ恥ずかしいさ。だけど、俺の都合を小さいあの子に押し付けたくなかった。それに・・。
「ばいばーーーーーーい‼」
と、すぐに少年から全力の言葉が返ってきた。
むっ・・。
「ばいばーーーーーーーーーい‼」
やけくそ気味に俺は叫んだ。
だがすぐに
「ばいばーーーーーーーーーーーーい‼‼」
と木霊する。はは、こういうのやらせたら子どもは最強だわ。
「かなわんな」
彼女に聴こえる声量で小さく呟き。降参の意で手だけ振った。
そして、視界から消えるまで親子を見送った。
「優しいね」
彼女も俺だけに聞こえるように呟き、くすっと笑う。
「そろそろ、行こっか」
俺はこの日、何度目か分からない照れ隠しをした。
出入口のゲート付近まで来たところで、彼女は『ちょっとだけ一塁側のお店見たい』っていうので寄り道することになった。
一塁側のレッズファンは早々に帰っていて、三塁側とは対照的にポツポツとしかファンは残っていなかった。
彼女はそんなレフトスタンドを眺めながら歩いていたが、「あっ!」と突然、声を上げた。
そして、客席の一点を見つめて、『ちょっと降りてもいい?』というので、ついていった。
向かう先に何かあるわけでもなさそうだ。何人かレッズファンがいるくらい。ヒーローインタビューは続いていて、グラウンド内の外野にも当然ながら誰もいない。
速足で階段を下りながら、帽子とマスクを不意に取った。
「海緒ちゃん!」
「うそぉ、なっちゃん⁉」
クリムゾンレッド色のビジター用レプリカユニフォームを着た男女。女性の方はクリムゾンレッズ公式サポーターの海緒さん⁉
ラジオで聴き知っているぐらいで顔や外見は知らなかった。
身長は藍川さんより10cmほど低い。透き通るような白い肌に黒髪のセミロング。その髪色が肌の白さを際立たせている。その白さは濁りの無い真っ白な雪を連想させた。
左耳上の髪横には球団名にもある深紅色のヘアピンが主張している。
二人は手の平を重ねて、がっちり指を絡め合って喜んでいる。
「今日は仕事だったの?」
「ううん、今日はオフで観戦。海緒ちゃんは?」
「わたしも同じ。おにいちゃんと現地観戦」
そういうと、男性は簡単に挨拶をした。
「わたしは・・同級生と」
流れで俺を紹介する。
『矢上です』とだけ言った。藍川さんと二人ってのもあり、余計なことをいうと迷惑だろうと思った。
「おばんです。背高くてレオネスの選手かと思いました」
さっきからちらちらと視線を感じていた。
「矢上君は高校球児だよ」
「うわぁ~~、眩しい~~‼」
海緒さんは大袈裟なオーバーアクションをしてみせ、俺の話題を続けた。
「背高くてスラっとしてて、ピッチャー?」
「ショートやってます」
「おお~。大型ショートかぁ」
「海緒ちゃん、海緒ちゃん、これ見て。矢上君には見せちゃダメだよ」
藍川さんはスマホを操作して、その画面を海緒さんに見せる。俺に内緒とは⁉
「ん?・・・・えっ!」
海緒さんは画面を食い入るように見てたかと思ったら、俺とスマホを交互に見る。
「えへへ、すごいでしょ」
藍川さんは得意げに言い、新鮮な表情を見せていた。女子の野球友達と話すとこんな感じなのかと思った。
「期待の星なんだ。県大会、がんばってくださいね」
「はい、まぁ、がんばります」
良く分からんが・・。
「そういえば、海緒ちゃんたちはまだ帰らないの?」
「今日は負けちゃったから、早めに帰ろうと思ったんだけどね」
そういうと兄に目を配った。海緒さんの兄は、先ほどから座席に置かれたトレーやカップを無言で集めている。
「あっ、お掃除してるの?」
「いつも少しだけやって帰るんだけど、今日は負けたからかな。いつもより多くてね」
というと使い捨てのビニール手袋をはめて見せた。
「海緒ちゃん・・・」
ゴミ集めか・・発想がなかった。俺は無意識に手に持つビニール袋を見た。俺たちの出したごみは持ってはいるが、席に置いていく人もいるよな。いつも少しだけやってるか・・。それに使い捨てのビニール手袋。
「わたしも手伝う!」
藍川さんは海緒さんからビニール手袋をもらい、その兄妹に加わる。
それに続いて、俺も海緒さんから一組ビニール手袋をもらった。
「ええとね、分別する必要あるから、何カ所かに分けて集めてるの。ペットボトルはあっちで・・」
簡単に説明を受けて、三人に遅れて開始する。
作業をしながら、ふとラジオで海緒さんが災害ボランティアに参加した回を思い出した。
公式サポーターではなく、一人の一般人としての参加。今日も一人のファンとして率先して掃除をしている。
――――『いつも少しだけやって帰るんだけど』
用意してきた手袋に、勝手知ってるゴミの分別。野球だけではないんだろう。こういう人が公式サポーターになるのかと思った。
横四列分の回収と分別が終わった。食べ残しもたまにあり、藍川さんや海緒さんにこんなことさせるのはどうかとも思う。
ゴミ集めが一区切りつき、なんとなくレフトスタンド上段を見たら、同じくゴミ集めをする人がいた。
クリムゾンレッズのレプリカを着た三人。それに、レオネスのレプリカを着た二人。
いや、さっきまではいなかったはず。清掃員かと疑ったが普通のファンだよな。俺たち、いや・・藍川さんや海緒さんを見て、やろうと思ったんだろうか。当の二人は一心不乱にまだ作業をしている。
上段の彼らは俺らに合わせて、通路近くにゴミを集めているようだ。
さっきまで敵味方で争ってたファンが、今は協同作業している・・・か。そんなワンシーンに、胸がほんの少しぐっと熱くなった。
だが、そんなことになっていることを知ってか知らずか、海緒さんは「そろそろ、終わろ~~」とあっさり切り上げた。
俺たち四人は手を止め、最後に自分たちのゴミを出して帰ることにした。
「あの・・海緒さんですよね。ファンです。写真撮っても良いですか?」
階段を上がる途中でゴミ集めをしていたレッズファンが声をかけてきた。
「はい、大丈夫ですよ」
海緒さんは快く引き受けた。
「すみません、なっちゃんさんですよね。自分も写真お願いできますか?」
今度はレオネス側から来た。
「はい、大丈夫です」
そういって、二人は写真をパシャパシャと撮られていた。
俺と海緒さんの兄は離れてシャッター音を黙って聞いていた。ファンはツーショットだけでなく、藍川さん、海緒さんの二人入りという贅沢な写真も撮っていた。
「ありがとうございました!掃除手伝った甲斐がありました」
「写真ありがとうございました!海緒さん、掃除もがっつりやったし、明日は絶対勝てますよ!」
二人のファンはそう言って満足そうに立ち去っていった。
めっちゃ打算じゃねえかよ。ちょっと感動して損したわ・・。
だが、掃除のことは些細な事と言わんばかりに二人は楽しそうに試合や選手のことを話している。
そんな二人を見て、打算もありかと思った。
思いがけず出会った海緒さんたちと帰路も同行し、池袋駅で別れた。
今日一日、色々あったがそれも終わろうとしている。あっという間だったような長かったような特別な時間。
最初はどうなるかと思ったが、なんとか気まずい感じにはならずにほっとしている。試合も勝ったし、結構よかったんじゃないか。ただ、チケットや軽食については何かお返ししないとなぁと思う。
今日の試合や海緒さんのことを話ながら、俺たちはスタート地点である久喜駅に到着した。
あとは乗換えてお互いの最寄駅で降りるだけ。
「ねぇ、矢上君」
ホームに降り、人の流れに沿って乗換えの階段に向かう途中で呼び止められた。
人の流れは落ち着き、俺たち二人だけがホームに立っていた。
そして、彼女の言葉を待った。
「県大会、もうすぐだよね」
「だね。七月の頭から」
「あのね、しばらく、矢上君と話すの控えようと思うの」
・・・・
「大会に集中して欲しいなって思って」
俯いたまま話している。
彼女は俺や野球部に対して何か助言を言った試しがなかった。だから、集中して欲しいという言葉が意外で特別なコトに思えた。
「分かった」
「ごめんね。片岡君にはわたしから伝えておくね」
「りょーかい」
会話がしばらく止まる。
「大会が終わったら・・・・」
そして、彼女の方から口を開いた。
「話したいことがあるの!」
顔を上げ、真っすぐ俺を見る濃藍の瞳には力強さが籠っていた。
「分かった」
「ぜんぶ、応援行く!絶対、勝ってね!」
彼女は右手を俺に突き出した。
「ああ」
俺も右手を突き出し、グータッチを交わした。
彼女は「約束だよ」というので「あの小さい子の約束よりは楽勝でしょ」と茶化した。「だね~」と彼女は俺に合わせて微笑んだ。
もしかしたら、彼女は優勝は難しいと思ってるかもな。
大会が終わったら・・・・か。
もし、負けたら・・俺に話なんてあるのかと思った。
彼女と近づいたようなそうでないような野球観戦。その休み明けの月曜、片岡から昼飯のことで朝一に言われた。片岡、藍川さん、滝沢さんで学食を食べると。
ああ、なるほどと思い、俺はその日から野球部の連中と食べることにした。
そして、県大会が終わるまで藍川さん、片岡とほぼ話さなくなった。
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