1章1話 獅子JK
JPB(Japan Professional Baseball organization=ジャパンプロ野球機構)は、日本におけるプロ野球を統括する組織である。その役割はセ・リーグ、パ・リーグの試合運営のほか、ファンイベントや宣伝活動などを通じてプロ野球の普及・振興を担っている。
しかし、実情はJPBよりも球団オーナーの権限が強く、実質、各球団は独自に運営していた。球団運営は入場料や放映権、グッズ販売、球場グルメといった収益管理に加え、ファン獲得、満足度向上を狙ったイベントなど多岐にわたる。各球団が特色を出しつつ、球団同士で競争する仕組みが形成され、日本独自の発展を遂げてきた。
こうした中、メジャーリーグで活躍する大谷選手を筆頭に盛り上がりを見せるプロ野球の人気を受け、JPBはタレントユニットを発足させた。
それがJPB公認の『球団公式サポーター』である。
球団公式サポーターの役割は以下の通りである。
■担当する球団におけるイメージキャラクターとして、球団の人気向上に尽力すること
■担当する球団の地元地域や関連する地方地域におけるプロ野球の普及・発展のために尽力すること
また、球団公式サポーターの採用と調整はJPBと各球団が行い、その応募要件は以下の通りである。
■満15歳から25歳までの女性
■本名で活動できる方
■応募球団の本拠地近郊に本籍がある方
■プロ野球および応募球団のファンである方
■プロ野球関連の企業・団体に所属していない方
そして、公式サポーターは各球団に2名ずつ割り当てられる。すなわち、1軍担当に1名、ファーム担当に1名の計2名。全12球団であるため、計24名のタレント集団となっている。JPBに採用された24名は担当球団のために献身的な活動をするだけでなく、役割の2つ目にあるように地元地域を中心に地域密着でのプロ野球の普及やファン獲得の活動を期待されている。そして、これらの活動をするために必要に応じて他の公式サポーターと強固に連携する。従来の構図になかった横の連携。その特別な役割を担うがため、球団公式サポーターはユニットとなっている。
12球団の一つ、パ・リーグの埼玉レオネス。
埼玉レオネスが常勝軍団と言われていたのは過去の話。近年はエラーによる失点やチャンスに弱い打線が目立ち、苦戦を強いられていた。
そんな埼玉レオネスの1軍担当は、同県県北に住む高校生、藍川夏希であった。
その彼女の同級生に同じく埼玉県出身の1人の高校球児がいた。
第一章 球団公式サポーター
埼玉県北特有の容赦ない暑さは、九月になっても衰えを知らない。アスファルトの照り返しとジリジリと揺れる陽炎はおなじみであった。
朝練がある早朝でも大して気温は下がらず、怠さと疲労が残っていた。教室でひとり、俺はクラスメイトの登校を待っていた。夏休みも終わったというのに、蝉たちは空気を読まずに騒がしく鳴いている。
窓際の自席で俺は、ポツポツと通り過ぎる生徒を見下ろしていた。二学期初日ということもあり、早めに朝練を切り上げたが、もう少し練習できたかなとやや後悔した。手持無沙汰になり、右手で硬式球をポーンと軽く真上に投げ、落下するそれを両手で掴んだ。いつもやっている単純なルーティンは時間をつぶせるだけでなく、硬式球の感触が安心感を与えてくれていた。
蝉が何度もビーと鳴いた後、何かを告げるようにぬるい風が吹き入り、教室の静寂が破れる。ガラガラッと前ドアが開いた。
「ラララー、ラッラー、ラー、ララララー、ラッラー」
スクールバッグを肩に掛けた女子生徒が何かを口ずさみながら教室に入ってきた。
同じクラスの藍川 夏希さん。
さらっと風に靡く黒髪ストレートのセミロング。横に流した前髪。苗字とシンクロする濃い藍色の瞳に長い睫毛。シンプルな黒ブレザーの制服から伸びた長く細い足。色白でスラッと背が高くて小顔の彼女は、髪型とマッチして大人びた印象を与える。
俺と同じ高二でクラスメイト。
彼女が席に到着する直前、ほんの一瞬だけ目が合ったが、それを気にもせず、そのまま口ずさみながら腰かけた。
「ラーラ、ララララ、ララララー・・」
普段、流行りの曲を聞かない俺だが、聞き覚えがある。
・・・チャンテ・・・4⁉
プロ野球、埼玉レオネスのチャンステーマ。地元埼玉のプロ野球チームではあるが、【女子高生X野球】の組み合わせに普通なら違和感を覚える。
「ラララ―。歓声浴びて、今だ 青く染まるスタンド狙え ラーララーラーラ 決めろ ラララ、ララララー」
・・歌うのか。俺は心の中でツッコみを入れる。
まぁ、ファンなら常識中の常識だが、レオネスチャンテ4の歌詞には男性パートと女性パートがある。
ラララと今まで口ずさんではいたが、男性パート後の女性パートを小声で歌っていた。女性ファンは少ないわけではないが、どうしても声のボリュームが足りなく感じるのがこの女性パート。
静かな教室では意識しなくても、耳に神経が集中してしまう。気のせいか、さっきまでうるさかった蝉たちが遠慮している。
藍川さんは同じ不動高校の生徒だが、普通の高校生ではなかった。ちょうど野球で例えるなら、二刀流か。
彼女のもう一つの肩書はJPB(ジャパンプロ野球機構)公認の埼玉レオネス公式サポーター。去年の四月から導入されたJPB公認の公式サポーター。この公式サポーターは女性だけなんだが、一軍担当とファーム(二軍以下)担当の二名が各球団にいる。だから12球団で計24名。高校生から大学生、社会人までいるそうで、恐ろしい倍率を勝ち残って選ばれたらしい。
彼女はその選ばれし一人で、埼玉レオネスの一軍担当公式サポーターであった。
担当チームのチャンテ4を歌い終えるとおもむろに俺の方に振り返った。
「朝練?」
「ああ、そうそう」
じっと背中を見ていたことに気付かれてしまったのではと焦り、上擦った返事になってしまった。
「そうなんだ、がんばってね」
そういってまた正面に向き直す彼女の口端が少し上がっていた気がした。俺は微妙な返事を後悔しながら、再び彼女の背中をじっと見ていた。
女優?モデル?アイドル?のような容姿、女子なら誰もが羨むだろう。キラキラと輝く彼女は容易に近づけないオーラを感じる。芸能とかメディアっていうのか知らないが、疎い俺には別世界の人に思っていた。いつもなら意識しない、目に入れない努力をするのだが、野球という接点があることが心の奥底で前から引っかかっていた。
「なぁ、矢上。お前どこ?」
俺は無言で教室の真ん中後ろを指さした。
「おっ。俺、真ん中の一番後ろだぜ」
「ああ、俺、お前の前だな」
一年、二年と同じクラスで、いつもつるむようになったのがこの片岡。バカでお調子者だが、クラスの誰とも仲が良くて、他クラス含めて顔が広い。そのあたりは野球以外に労力を使いたくない俺とは完全に真逆だ。
ホームルームの前半に行事や全国模試の業務連絡があり、後半は席替えに充てられた。席替えが始まり、教卓に置かれたカンカラ箱から不揃いな紙切れを一人一枚ずつ取っていく。黒板には、席のここからここまでは何番から何番と雑な対応表が描かれていた。
「ーーがとう!」
ざわつく教室内で小さくガッツポーズする女子が見えた。
ほどなく全員で机と椅子の大移動となった。椅子を逆さにして机に乗せ、忙しなく移動する。
進学校の共学にはありがちかもしれないが、男女比率は均一ではない。クラスには男子が多く、女子生徒は三割ほどしかいなかった。そのため、周りが男子で囲まれることが多く、席替えで何か意識することはなかった。
「矢上君、よろしくね」
そんな席替えだったが、不意打ちのように藍川さんに話しかけられた。彼女は俺の左隣りで椅子を床に置くと改まって俺に向き直った。
「ずっと話したかったんだ」
彼女は視線をやや上げ、真正面からにこっと明るい笑みを見せる。
話したかった?俺と?
今朝に続いて、声をかけられたのは今日二度目。美人で有名人、だから今までは意識的に見ないようにしていた。
去年は別クラスで話したことはなかったし、今年の一学期は夏の大会に集中することで気を逸らしていた。まぁ、彼女もほとんどメガネで登校してたり、目立たないようにしてるみたいで俺的には助かっていた。そんなわけで、油断していたのもあり、急に声をかけられたことで心臓の鼓動がやや早くなる。
「ああ、よろしく」
掠れた声になり、またしても微妙な返事。
そして、直視してくる瞳から逃げるように、すかさず視線を床に逸らした。
落とした視線の先にある彼女の机脇。そこにはジャラジャラと大量にアクセサリーが付けられたスクールバッグがあった。
「おっ、藍川さんに滝沢さん。よろしくな!」
俺の気もしらず、片岡はいつものトーンで二人と接する。
「ナツキが近いの嬉しいけど、かたおかが隣りかぁ・・・なんか目立つから嫌」
「えっ、ひど!せめて、具体的な被害が出てから、ディスってくんない?」
軽く笑いが起こり、場が和む。見逃しがちだが場を和ませるのは片岡の得意技。
「せっかくだから、お昼は四人で食べない?」
意外にも藍川さんからの提案だった。
「OK。矢上はいつも弁当だし、みんなで食べようぜ!」
俺は結構前から弁当派。それもあって俺もすんなり受け入れることにした。
昼休みに入り、机と椅子で島を作る。藍川さんと滝沢さんは一学期を見る限り、クラス一の友人同士に見える。
「そういえば、なんで今日はコンタクトで来てるの?大丈夫なの?」
「う~ん、なんとなく」
「別にいいんだけどさ、オーラ出てるからね」
「ゆっちゃん、何それ・・」
二人はほのぼのした会話をしながら席の準備を終えた。
「あれっ、片岡君は?」
「ああ、購買にパン買いに行ったかな」
「ええっ。・・悪いこと、しちゃったかなぁ」
藍川さんは申し訳なさそうな表情を見せた。
「大丈夫。あいつは、こういうことさりげなくやるやつだから」
「そうなんだ?」
藍川さんは良く分かってなさそうに疑問符を浮かべた表情で首をかしげる。
「あっ、かたおか、帰ってきた」
片岡は教室に入ってきて、大袈裟な素振りを見せながら座席に着いた。
「おまたせ!じゃあ食べようぜ」
「ごめんね。購買並ぶの大変だったでしょ?」
「激戦必死だから猛ダッシュよ」
片岡が待ってましたとフリに答える。
「片岡、そういや、お前・・・夏休みに太ったんじゃね?運動不足にちょうど良かったな」
やつの脇腹をがっつりと左手で掴んだ。話は丁稚上げだったが、予想外に掴めるぐらいの贅肉があった。
「ごぉふ、なんで知ってんの!ちょっと、矢上、お前、おれのことチェックしすぎ!いやん! 」
「バカすぎ、ウケる」「仲いい~」
滝沢さんと藍川さんは笑って俺たちの漫才に乗ってくれた。
「じゃあ、明日もダッシュ、がんばれーー」
真顔で言う滝沢さんはけっこう怖かった。
授業や猛暑、片岡の夏休みの話をしながら全員が食べ終わる。
「ねぇ、矢上君。矢上君はプロ野球、どこファン?」
昼食中の会話は片岡と滝沢さんが中心で、聞き専だった藍川さんが話を振ってきた。
「おっ、ナツキの野球話」
「えと、レオネスファン」
平然と話していた片岡にようやく追いつくように、平常心で答えることができた。
「えっ、ほんと⁉やった!仲間!」
藍眼を見開き、嬉しそうに喜ぶ。
「矢上君、本当にレオネスファン~?ナツキに合わせてるだけとか」
滝沢さんが鋭くツッコむ。まぁ、藍川さんがレオネス担当なのはうちの生徒なら皆知っているからな。
「ん~~、小学校のころからファンだけど」
どう説明したもんか。こういうの苦手だわ。
「え~~と、じゃあ・・・これは誰のでしょう?」
藍川さんは机脇のカバンを手に取り、付けていたジャラジャラから一つ掴んで訊いてきた。
ジャラジャラは全てレオネスグッズだった。手に持っているのはユニフォーム型のキーホルダーか。背番号は見えてるけど、名前部分を指で抑えていた。この情報から誰のユニフォームか当てろってことか。ユニフォームはホーム用の白。袖と首元は今の濃紺色ではなく、鮮やかなブルー。そして、背番号は3か。
「ちょっと前のだから・・・移籍したヒロジかな」
このユニフォーム。結構、長い期間使われていて、初期のころは記憶も知識もない。あまり自信なく俺は答えた。
「正解!裕島選手でした」
隠していた指をずらしてキーホルダーを見せると、質問を続けた。
「えっと、では、裕島選手の登場曲と言えば?」
「キセキ。結構、好きだった」
「あっ、わたしも好き!」
淡々と質問していた藍川さんの表情に明るさが見えた。
「曲が途中で止まっちゃうけど、みんな、最後まで歌うの良いよね」
「分かる!ファンが最後まで歌うの一体感あって、わたし大好き」
みるみるテンションが上がり、今朝の再現よろしく登場曲を口ずさんだ。澄んでいて声の通る聞きやすい歌声。
「♪~~♪せめて言わせて♪しあわせですと~♪」
歌い切り照れ笑いを浮かべると、パチパチと滝沢さんが拍手した。それに合わせて、俺らも拍手する。
「ナツキの野球ネタについていけるなんて。初めて見たかも」
「ん?矢上く~ん、夏休みでキャラ変わった?高木以外の女子と楽しく会話してるの珍しい」
「なんも変わってねぇよ。夏休みは野球しかやってねぇんだから」
片岡のボケにツッコんでやった。楽しそうに笑顔で話す藍川さんに圧倒されるが、野球の話はなぜかできる。自分でも不思議ではある。だから、片岡が変に思ってもおかしくないか。
「野球の話できるの楽しい~」
藍川さんは嬉しそうに言った。
矢上 真と言うのが俺の名前。
埼玉県の県北出身で、兄妹はいないが両親、祖父母の五人家族で普通に生まれ育った。小学校から野球ばかりで、生活を野球に捧げている。まぁ、俺は特殊なんだろう、誰かに共感してもらうのは難しい気がしている。
午後一の授業中、俺は昼休みのことを考えていた。
藍川さんは、レオネスの公式サポーター。そして、この一年で活動範囲が徐々に広がり、今や選手インタビューの記事の連載、レオネスファンとの交流、そしてラジオパーソナリティーと多岐にわたっている。特にラジオは隔週で一時間番組を一人で担当しているそうだ。まぁ、ほぼ片岡に教えてもらったんだけどな。
野球ファンの人口は多いから球団公式サポーターの注目はすごくて、ちょっとしたアイドル状態となっている。24名いる公式サポーターは色んなタイプがいるらしい。生半可ではない野球愛や球団愛が最低条件らしいが、ダンスが得意で球団チアメンバーとして活躍している人もいれば、テレビのバラエティ番組の露出が多い人、中継番組で解説者泣かせの玄人コメントをする人、女子野球経験者など多岐にわたっている。SNSでは誰推しとかが野球ファン以外も含めて連日賑わかせているそうだ。野球以外は疎い俺でも何人かは知っていた。だから人気は相当なのだろう。
――――野球の話できるの楽しい~。
そんな藍川さんの言葉が妙に頭に引っかかる。
素直にプラスに捉えれば気が楽なんだが・・・。俺と話していて本当に楽しいのか?
小学校から野球ばかりやっていて野球以外では寡黙・・・いや不愛想の方がしっくりくる俺と。俺は本当にレオネスファンではあるが、レオネスファンならいくらでもいる。当然だが、俺よりも詳しくて熱狂的な人はたくさんいる。俺のファン歴なんて・・八年ぐらいなわけだし。
それに公式サポーターとなり、大活躍する藍川さんは俺より詳しいだろう。
それにしても、俺と話したかった理由はなんだ?
たぶん、レオネスの話をしたかったわけではないんだろう。どこファンと聞かれたのもあるが、俺が地元とはいえレオネスファンとは限らない。12球団もあるんだから、好きな球団が違う方がむしろ確率的に高い。それこそ、俺がライバル球団推しだったらどうしたんだろう。『ずっと話したかった』という言葉とズレを感じる。
となると消去法で野球部か。たまたま同じ高校で、たまたま同じクラスで、俺が野球部キャプテンで・・・だからなのか?
今年、俺ら不動高校野球部は夏の県大会でベスト四だった。一回戦敗退だったら違うかもしれんが、確かめようがない。
学校創設以来の歴史的快挙と大騒ぎだった今年の夏。その夏が終わり、俺は新キャプテンになった。だからタイミング的には辻褄が合う。
そんな思案をしていると、俺は自然とネガティブな考えを巡らせた。
だけど、ベスト四の先は遠く、県内強豪の徳陽や大宮学院との差は凄まじく大きい。甲子園まであと一歩とは到底思えないほどの壁がある。野球以外にない、野球だけの俺が、全てかけたとして追いつけるのか?やつらに。
県大会が終わってから、キャプテンになり俺はいつも思い悩んでいた。だが、俺の悩みをよそに授業をめっちゃ眠そうに聞いている隣の彼女。そんな気の抜けた彼女は残酷なほどに俺に無いものを既に持っている。それがやつらと重なっていた。
♪♪♪
「ねぇ、矢上君って身長いくつ?」
にこにこしながら藍川さんが話しかけてきた。あれから数日、ほぼ野球ネタだが、気軽に話すようになっていた。
「ん?夏の大会で測った時は179かな」
徐々に慣れつつあるが、いつものように感情を隠して素っ気なく答えた。
「おおっ~」
「藍川さんは?」
「170cmぴったりだよ」
藍川さんは右手を額の上に乗せながら、俺を見上げた。ぴょこぴょことつま先立ちしてるのが・・。無意識にこういうのやられると困る。
「もうちょっと欲しいかなぁ」
「俺の身長?」
「うん」
ん?・・・もしかしたら理想の身長差的な話だったりするのか?10センチちょいが理想と聞いたことあるような。免疫が無く、突如鼓動が早くなる。
「大谷選手は高校で190あったんだって」
ああ、そうだよな。心の中でふぅと一息つき、冷静になった。俺と藍川さんは野球の繋がりはあるけれど、どう考えても住む世界が違う。
俺は話を合わせ、藍川さんが喜びそうな言葉を返した。
「栄養とかプロテイン飲んだりは中学から気を付けてるよ。そのあたり考えて二年から弁当にしてるし」
「おお~、グッジョブ!」
嬉しそうに親指を立ててウィンクをした。