第40話 朧げな日々
形があるものは少なくて、大半のものは壊れたり揺らいでしまう世界だと知っても。私の周囲は、あんまり変わらなかった。ただ、杏杏とは友人のように話せるようになった。それから少しして、彼が久しぶりに私の元に来てくれた。
「皇后さま、今日は何をお召しになりますか?」
「どうしようかしら。選んでくれる?」
「はい、かしこまりました」
服を選んでもらって、私の姿を鏡に映す。毎日違う着物を着せてもらっても、それでもすべてを一周しきれていないくらいの服が私の衣装箪笥にあった。杏杏は服の選び方がうまい子だから、私を綺麗に着飾ってくれている。
「皇后さま。皇帝陛下が、今夜お部屋に来られたいとのことです」
「まあ。それじゃあきっとお疲れでしょうから、何か温かいお茶を出せるようにしてあげて頂戴」
「かしこまりました。お菓子も用意してもらいますね」
急に表れて消える人々にも慣れて、綺麗な服にも慣れた。なんでも貰ってしまう生活にはまだ罪悪感があるから、正直何かできることが欲しいと思ってしまう。夜に来られるという話だったから、それまでは刺繍をしたりして過ごした。そして彼を迎え、一緒にお茶を飲む。作ってもらった甘いお菓子をつまむ。
「ああ、おいしい。やっぱり、きみのところに来てよかった。女官に友達ができたって聞いたけれど、いい子?」
「杏杏は私によくしてくれているわ。ねえ?」
私が呼びかけると、何もなかったところから平伏した姿勢の杏杏が現れた。彼はひらひらと手を振って「妻の友人に会いたいだけだよ、顔を上げて」と柔らかく言うから、彼女は恐る恐る顔を上げる。「きれい……」と小さく呟いているのが聞こえていた。
「僕がここを治めている皇帝、何より小鈴の夫だよ。いくら深紅や葉夫人がいるとはいえ、彼女が話せる相手がいてくれるのは嬉しいことだからね。彼女によく仕えておくれ」
「は、はいっ! 光栄です!」
もう一度深々と頭を下げた杏杏の様子が正直かわいらしくて、私はついくすくすと笑ってしまった。私の手元では、深紅が遊んでほしそうに水珠をころころと揺らしている。深紅の体は水の球から出られないけれど、少しだけなら球を動かしたりすることができるらしい。あいまいなものばかりの世界でも、水と空気をあいまいにして空に人魚を泳がせることはできなかったのだろう。
「杏杏、お茶をもう一杯いただけるかしら」
「ただいまお淹れしますねっ」
私がそう声をかけると、彼女は平伏の姿勢を解いて私にお茶を淹れてくれる。その目が少しほっとしているように見えた。




