第1話 すべての終わり
楽な暮らしではなかったけれど、恵まれてはいたのだと思う。優しくて働き者の両親に、穏和な兄。浄都中にいる菫一族の一人ではあったけれど、本家やお祖父様に近い家のように贅沢はできなかった。私の体は少し、歳の近い娘達より弱かったから。それでも毎日お腹いっぱいご飯は食べられていたし、着るものに困ったこともなかった。
「小鈴、小鈴! おじい様が、お前に髪飾りを用意してくれるそうだよ」
「まあ、本家のおじい様が? ほとんどお話したことのないお人なのに、わざわざ末席の私を気にかけてくださるだなんて……」
幸せでいられたのは、その日までだった。絵姿でしか見たことのない婚約者と、やっと会えると楽しみにしていたのに。末席の父さんと母さん、兄さんは普通に働いていた。私も刺繍で生計を立てる足しにしていたし、毎日ご馳走が食べられるわけではない。栄華を誇る菫一族と言っても、末の末とくればこんなものだ。父さんは薬屋で、母さんは料理を売っていた。兄さんは、お国を守る兵士をしている。ウチは本家の大姐さん達のように、飼い犬にまで米を食べさせるほどの家ではないのだ。
――だから、すぐに出してもらえると思っていた。本家当主のおじい様が皇帝の不興を買ったと言われて、家に兵士が踏み込んで来た時。私は花嫁衣装に刺繍をしていて、鶴の模様が出来上がって糸を始末しようとしていたところだった。
「皇帝より勅である。菫一族は、族滅せよとの沙汰だ!」
「えっ……」
手にしていた刺繍針を糸切鋏に持ち変えるより前に、兵士たちに腕を取られて引き立てられた。後ろ手に縛られ、父さんと母さんと兄さんと牢に入れられる。時折聞こえてくる誰かの泣き叫ぶ声が誰のものか、何をされて耳が痛くなるほどの声を上げているのかだなんて、必死に気づかないようにしていた。
「……あの人も、牢屋に入れられてしまうのかしら」
「あの人?」
私の呟きを聞き咎めたのは、牢番の兵士の一人だった。一族は人数が多くてただでさえ牢屋に人がひしめいているのに、さらに増えると思うと憂鬱にもなったのだろう。
「あの、私、明日、許婚に引き合わせてもらえるはずだったんです。絵姿しか知らない人なんですけど、彼も牢屋に入れられてしまうとしたら、私、」
「……結婚していれば、逆にお前は菫一族から抜けられていたんだろうがな。気の毒に」
一族の恩恵なんて、ろくに受けたこともないのに。咎は平等に、菫氏だからと言われて、皆、殺された。
本家直系の、特に贅沢な暮らしをしていた菫妃おばさん達。彼女達は抑えつけられ、籤引きを引かされた。当主であるおじい様からの血が濃い順番に並べて、籤に書かれていた数字に当たる者が首を撥ねられて殺された。すぐに誰かわかるように、数字を書いた紙を首にかけさせられてまで。それが一日に何度も、何人も続いた。処刑は他の者も見せられていて、逃げようとした者は獣を狩るように矢衾にされて狩られた。皇帝が遊びのように人を殺すようになってしまったと聞いていたけれど、それがどれほど惨く、恐ろしいことなのか、知らなかった。気づけなかった。だって、我が身にそんな災いが降りかかってきたことはなかったから。
「今日は……十三番! お前だ」
父よりも母よりも兄よりも先に、私の順番が来てしまった。先に殺された親戚たちの首が並んでいるところに、今日、私の首が並ぶ。それは捕縛されて以来、どこかが壊れてしまった心に悲しみも苦しみも呼ばなかった。ただ、少しだけ。鬼に成り果てないよう、少しだけ、ひとつだけ、未練があった。
「あの、私の首を切り落とした後に、血を紅にしてもらってもいいですか。許婚がもし首を見る時に、少しでも見苦しくないように」
「……いいだろう」
首切り役人がその言葉を、守ってくれるかを確かめる手段はない。でも、せめて少しでも見苦しくない姿で死ぬことができたら、私は鬼に成らずに済むような気がした。
「ああ、よかった!」
作業と化した処刑場で、賭けをする声がする。私が泣くか泣かないかを、下品な声が搔き立てていた。これが物語本だと恨みの声が聞こえてきたりするのだけれど、そうならなかった。ただ感覚の鈍った視界の中で、誰かが私の名前を呼んでいるような気がした。父さんと母さん、兄さんが私を呼んで泣く声がする。でも、それ以外にも誰かがいるような気がした。
「ごめんなさい」
そう呟いたところで、跪く姿勢を取らされ、私の首に白い刃があてられる。
「玉鈴!」
誰かが泣きながら名前を呼ぶ声がして、意識は暗闇に散っていった。