スコォタイの残照
スコォタイの残照
帳の外の蓮池が暑熱のなかに輝いている。鏡のように空の色を映す水面には、かぁっともえるような蓮の花が咲いている。この世のものとは想えぬ美しさにみとれながらも、どこか寒々としたものを感じた。青年を過ぎた廷臣はこの見馴れた蓮池をそう感じたのははじめてであった。蓮池のすきとおった水面の背景にはマハタァトの尖塔が木々の間にうかんでいる。蓮の花は神々しく清浄で親しみそのものであるはずだ。廷臣はアユタヤへの使者の役目をおえて、その報告のために王宮謁見の間に足を運んだ。案内する宮内官は終始、愛想をふりまき使者の大役に敬意の念をにじませた。まだ午睡の刻限、王宮は時がとまったように、しずかであった。使者は玉座の正面を注意深く自らが座るところを確認すると、威をただし玉座を見据えた。そして蓮池を長いあいだ見っめていた。やがて式服をまとつた宮内官らに従うように数人の大臣、軍司令官、王家の顧問があらわれ、玉座をかこむように腰をおろす。そして、リ タイ王が黄衣をまとつた僧をしたがえて、謁見の間にあらわれた。一同 頭をたれ玉座に着座しリ タイの言葉を待った。スコォタイ王朝5代目の王である。リ タイの実に端正な顔立ちからは歴史の重みを醸していた。リ タイは柔和なえみをうかべ、ふた月におよんだ使者の労をねぎらう。玉座を左右にかこむ重臣らも安堵のことばをもらしたが、玉座の背後で侍する僧はただ瞑目のなかにあった。 ジャヤナァダの返還はまことのことであろうな。大臣が使者にきりだした。アユタヤのおおかたの兵すでに撤収を終えております。使者はジャヤナァダの被害が軽微であったことも付けくわえた。使者はそして、覚悟を決めた。 陛下、この度の占領はジャヤナァダ太守がアユタヤ王に救いを求めたことにあるのです。参席している者はざわつき、重臣らは動揺し、使者を睨みつけた。事前に報せる命に背くことであった。しかしリ タイの閉じらたかのような瞳、その眼差しは変わらなかった。 思うことをのべよ。リ タイの言葉に静謐がよみがえる。サンガに法を委ねことになって以来、このような争いがあとをたちません。人心は混乱しております。 ジャヤナァダの商人とアユタヤの商人の取り引きをめぐる些細な問題にジャヤナァダ太守が仲介にはいり、法廷が開かれた。法廷は仏僧によって構成され、双方の言い分を退け、和解をせまり決着した。双方は納得せず、私闘にうったえる声があがる。アユタヤは商務官を派遣する事態にジャヤナァダ太守はどうすることもできず、アユタヤの派兵を暗に受け入れた。使者はリ タイを仰ぎみた。利を求むることは人びとの理でございます。法廷をただしていただくことを。重臣らは息をのみこむ。スコォタイ王国は建国以来120年を迎えようとしている。スコォタイ王は仏法の保護者であることを理想とし、そして自らを正法王と名のった。使者の批難はリ タイを否定する意味が込められていると受け取られても仕方がない。リ タイは困惑した眼差しで使者をのぞきこむと、中宇をみた。なぜであろう。まことであろうか。リ タイは言葉を失った。使者は自分にむけられたリ タイの哀しい眼差しをみた。すると、玉座の背後に侍する僧がリ タイの視界にすすみでると、合掌した。陛下、利を求めて止まない者は欲に目がくらみ己が勝利のみを考えまする。小さな欲から大きな欲になります。それ故、憎しみ、争いがおこるのです。サンガはそのことを説き正しい道を悟らせておるのです。使者は反発の意をもった。多くの場合、理想は実害をまきちらす。そもそも理想は今日の日常を祖父母の労苦を否定するものだ。ならばたずねたい。大臣が遮った。御前であるぞ。私の不徳、許して欲しい。この度のこと広く重臣らに諮る。しかしながら、サンガの態度は正しいと思う。使者は唇を噛みしめ、頭をたれるほかなかった。この後、いずれ重臣らから処罰がが下されるだろう。使者はジャヤナァダ返還のアユタヤの意思をのべた。返還には条件がございます。条件だと。アユタヤは盗人ではないか。重臣らは、口々にアユタヤを罵ることばを吐いた。建国間もないアユタヤになぜ、このスコォタイ王国が頭を下げねばならないか、軍司令官の一言に重臣らは息をしずめた。同調しその先のことばをつなぐことは、リ タイ王の意思に反するものとしっていた。大臣は、咳払いすると使者にうながした。陛下、アユタヤは我が国の焼き物を所望です。あくまでも、国と国の公正な取り引きを望んでおります。シィサッチヤナァライで焼かれる陶器は後世サワンカロォク焼きとして多くの船に積まれることになる。リ タイの祖父ラァマカムへン大王がのこした大きな遺産であった。リ タイは少し首をひねり思わぬ話しの出現に驚いたが、ある重臣らは、すでに報せを受けていた。使者はふた月の間アユタヤとの交渉にこの後のスコォタイの命運をおもわざろうえなかった。同時にアユタヤでの滞在は使者にあるべき国のすがたを考えることとなった。スコォタイ王国の繁栄には交易はより重要になる。アユタヤ王の義兄であり副王のパゴダ様は今後は我が国と深い親交を結びたいと言われ、我が国の焼き物の話しに及びました。パゴダ様は我が国の焼き物を手に船に積まれ、多くの国々の人びとを魅了するだろうと言われました。遠慮のない申し出ではあるが、皆の考えを聞こう。リ タイの表情に明るいものを感じた。国庫をあずかる重臣が、伏し目がちに陛下、国庫は豊かではありません。建造中の寺院への資材、僧侶への寄進もあり大きな負担であります。もし、アユタヤの申し出が信用できるものならば、私は賛成であります。スコォタイとアユタヤの紛争に限らず周辺のおもな国々は混乱し商人の自由な取り引き、国々の間での交易も息をひそめたままだった。アユタヤ建国の年時と同じくして北の大国、元の滅亡が始まった。その情報は広くインドシナの港市に伝わっていた。そしてメコンの流域にランサァン王国が建国された。王であるファ グムはクメール王宮で育ちクメールの王女を娶っていたことはアユタヤにとつて驚異であった。蛮族のような好戦的な王としてファグムは瞬く間に周辺を従え、アユタヤを挑発した。軍司令官はファグムにふれながら、アユタヤの焦りであることを論じた。アユタヤからして東北方面の士候、部族らは続々とファ グムを当然のように王として認めている。それは、アユタヤにとって、東北方面の産物を自由に収得できなくなり、アユタヤにいつ兵をおこしてもおかしくない事態にスコォタイとの紛争はどうしても避けなければならない。アユタヤの東北方面、メコン川流域の大地は遠い昔よりクゥメル帝国の裏庭であって、クゥメルの王女を娶るということは正統な支配者として認めらる。クゥメル帝国の栄光は過去のものとなり、市井の者でさえ嘲ることばを口にする。しかし、驚いております。クゥメルの王女を娶るとは、このような威力がまだあろうとは。我が意を得たりと軍司令官は自らの考えを披露する。スコォタイにとって、ファ グム王は脅威ではなく、親交を結べる相手であると言った。ファ グムの王妃はそれは、仏法に熱心であるからです。そして、ファ グムの王妃への溺愛は尋常なものではないのです。確かな筋からの情報です。リ タイは感心し思わず声をあげ、うなずいた。軍司令官は数々の情報を述べ、アユタヤとの交渉が有利にすすむものと判断した。筆頭格の大臣は陛下に考えを述べるべく、あらたまって陛下に向き合うと、一礼した。陛下、アユタヤ王は陛下に甘えておるのです。ご祖父ラァマカムへン大王はご慈悲によって、周りの国々を治められました。甘美な言葉であった。リ タイの祖父へ強い思慕の念を知らね者はいなかった。リ タイの思慕の念はラァマカムへン大王亡き後、彼に三界経を著すことになる。祖父のおもいはリ タイのおもいであった。リ タイは実りある謁見であったとのべ、アユタヤとの取り引きをすすめる勅を下した。そして、使者に再び交渉の大役を命じた。ソォン ケィンよ大使としてアユタヤに望んでほしい。使者は虚をつかれたようにリ タイの顔をみた。重臣の歪んだ顔もぼんやりみえた。リ タイの穏やかな眼差しは変わらない。その方の祖父は私が副王として、シィサッチヤナイにいた時、焼き物づくりの長官として尽力してくれた。重臣の意向をふまえ頼む。使者、ソォン ケィンはただ頭をたれた。リ タイが玉座から離れてゆく衣擦れの音を聴きながら、使者は決意をかためた。
使者の任を終えたソォン ケィンは王宮東門を出た。まばゆい街路はまだ暑熱がゆるんでいない。フタバガキの並木の日陰に牛車と御者が待っていた。三重の環壕をこえて城門から、わずかな街地にソォン ケィンの邸宅はある。 若様、湖水にてご友人方がお待ちです。老齢にちかい御者の落ち着きはらった声に、あぁ…とうなずいた。自宅を通りすぎたところに湖水がある。その湖水は実に美しく整備されていた。とりかこむように、マンゴー タマリンド 檳榔樹の樹園があり、誰もが利用できる東屋があり、花が色を添えている。火炎樹の奥には寺院がある。そして、鮮やかな紅土の階段が湖水に沈みこんでいる。リ タイ王の祖父、ラァマ カムヘン大王自ら図面をひき工事の間もたびたび訪れたと聞いた。どこからか風がふきとおる。 大王は見事なものをのこされた。紅土の階段の端を指して御者は応じた。大王があの木陰に腰をおろし、湖水をじっと眺めておいででありました。この目に焼き付いております。ソォン ケィンの祖父の代から仕える御者をこの若者は埋もれつつある昔の数々を聞くために側においた。ただ勢いにまかせる若さに御車の言葉は重く響いた。
大王は本当の豊かさというものを、しっていたのだ。鮮やかな紅土の階段には美しい砂岩で彫られたナァガの欄干がある。ソォン ケィンは牛車をおり階段に近ずくと、見覚えのある者が目の前を通りすぎた。
お待ちです。その者は目も合わせず声を発した。木々にかこまれた東屋にはソォン ケィンの同僚が待っていた。ジャヤナァダの返還が決まったことを告げ、アユタヤ軍との戦いは避けられたと言った。そして、条件である焼き物の話しに及んだ。
なに、大使として望むことになったのか。
あぁ、陛下じきじきの命であった。断れん。同僚たちは開戦を避けられたことに安堵しつっも、この後の展望を考えこんでいる。焼き物の取り引きをまとめることは本格的にアユタヤとの親交を深めることであった。しかし、主導権はアユタヤにありアユタヤの臣下になるのではないかと懸念をいだいた。
兵をあげれは、このスコォタイがまとまる。負けるとは思えん。若き財務官が苛立ちを覚えた。
陛下は拒めば戦になることを承知だ。とソォン ケィンは断じた。そして、リ タイ王が親交をことさら大事にしておることを心に思った。
冷遇されている王族、引退した高官、軍営には不穏な動きがあった。ソォン ケィンらはリ タイをまもるべく集まった官僚であった。軍保護官は、リ タイ王へのくすぶる不満をあげ、仏法のみに心を費やすリ タイ王から心が離れてようとしている実情を説いた。
俺は、出兵を唱えている。まぁ、欺くためにだ。軍営の将校らは血気盛んな者が多い。が、軍統制官、幕僚となると曖昧な反応だ。敵がわからん。
建国間もないアユタヤはクメールの王都、マハーナコンに遠征しその実力を示した。いまや没落の途にあり、名ばかりにならつつあるが、クメール帝国であり、巨大な人口を誇っていた。周辺ならいざしらず、王都を包囲した。スコォタイ王宮にその報せが届くと、言葉を失うほどの驚愕であった。アユタヤの恐ろしさを知った。と同時にアユタヤの儀礼の欠如に戸惑いを覚えた。この時代、この地において戦は多分に儀礼を最も重視された。戴冠した王は内外に自らの威光を、謂わば宣伝するために遠征し、軍列のきらびやかさ、兵や戦象の多さを見せつける事によって、穏やかに服従を実現する。それが真の王者としての徳を示すことであった。アユタヤ王はクメール王都を侮辱し、帰路多くの住民を捕まえアユタヤに連れていった。アユタヤに儀礼はない。
ソォン ケインはアユタヤで目にしたことを話した。交易によって豊かさと強さを貪欲に求めているアユタヤの姿であった。
我らの役目はリ タイ王をお守りすることだ。
参席者は別々な帰路についた。木々の間からこのスコォタイを護る山並みが見える。激しい疲労を覚えた。暑熱もゆるんでくる時刻、湖水では多くの老若男女が沐浴に訪れていた。誰もが楽しい顔をしている。ソォン ケィンはその幸せそうな笑顔につられるように、一歩、一歩紅土の階段をおり、湖水に身を沈めた。首までつかったとき、はしゃいだ男の子達が身近に飛び込んできた。濡れた顔を手でねぐいながら、ソォン ケィンは笑った。そうだ、勢いだ。濡れた眼からアユタヤの城府を思い浮かべた。
アユタヤはまさに水の都であった。チャオプラヤ川とバサック川が合流する中洲につくられたアユタヤは奇跡の城府であった。遠からず、大洪水によって、そのすがたを消えて無くなるだろうと、誰もが思った。その前に飢え死にだとある者は神妙に語った。建国5年目のアユタヤにソォン ケィンは使節団とともに王家の舟にのりヨム川を下った。やがて、島とも思われるアユタヤが目の前に現れた。島をとりかこむ川面には数えきれない様々な舟が浮かび、往来していた。桟橋には見たこともない,数籍の大型船がつながれている様に使節団の誰もが感嘆の声を漏らした。使節団のそう目立たない舟もいつの間にかアユタヤの水軍に囲まれていた。日焼けした兵士たちは、かたちばかりの武装に敵意の目を向け、いっせいに弓矢を手にした。
我らはスコォタイ王国の者だ。
無事、桟橋につながれると、アユタヤのふるまいに憤り、前途に不信の念さえ覚えることに充分であった。
野蛮だ。話しになるのか。
随行員はソォン ケィンを囲んで、不満を口にした。重臣の縁者であり、優秀な上級官僚と自負する3名の随行員にソォン ケィンは落ち着くよう促した。
水軍の兵士は言葉を解差無かったようです。クメール人かもしれません。
ソォン ケィン殿、ここはアユタヤの王都、クメール人が兵士になれますかね。
ソォン ケィンは立ち上がると、広い川面を往来する舟を眺め、舟を漕いでいる男ども、女のさまざまな顔を認めた。いろんな国から来ている、その顔にソォン ケィンは何かしら荒々しい自由を感じる。
衛士に取り囲まれた役人が桟橋へと向かってくる。荷受けに動きまわる人夫、荷を調べ指示を出していた監督官はその一向を認めると、その場にいたものが平伏している。近付いてみると、相当数の儀仗兵がその精悍な顔をきらびやかな兵装に身をつつみ、そのなかから白い上着と白く髭をのばした老人がソォン ケィンの前に立った。老人は右手をあげると儀仗兵は平伏した。その整然さに使節団は動揺を隠せなかった。宮内大臣配下、式部職をあずかる者でございます。アユタヤはスコォタイ王国使節団を歓迎いたしましょう。ソォン ケィンは老人の首にかかる白い紐を認めた。
見るからに活況で驚きました。別な用向きで訪ねられなかったのは残念でなりません。
式部職の老人は終始表情のない笑みをうかべていたがソォン ケィンの挨拶にふぉふぉと笑うと、
私のような老人にはスコォタイ王国の伝統と品格が羨ましく思いますぞ。と言うと、ソォン ケィンらを促した。街路は荷車や牛車が溢れ、職人らの威勢のよい声、女どもの甲高い声がとびかうなか、飯場から鼻につく臭いが漂う。こんな賑やかさを感じられるのは雨季明けのカティナ祭ぐらいだと思った。しかし、先導の儀仗兵に気ずくとすべての者は片ひじをついて平伏した。姉に抱かれた乳呑子がそれを見て驚き、その泣き声だけがよく聞こえた。
式部官長だ。あの方はバラモン様。とひそひそと話す。多くの者がはじめて見るアユタヤ王国高官であり、その目には敬意が宿っている。街路の男ども女らからソォン ケィンら使節団らは一顧だにさらない。
スコォタイではバラモンが市井の者にこれ程敬意を受けないだろう。
アユタヤ、手強い。そして得体しれずだ。ソォン
ケィンは交渉よりも、もっと大事なことが隠されていることを直感した。街路からはいまだに造成、築造にうごめく多くの人夫の姿が見える。建国5年目にしては遅いのではないか、と思った。しかし、このアユタヤを東西に横切る街路を南に曲がると一帯は整然とした官庁街であり、大きな倉庫がたち並んでいる。桟橋からの雑踏とは別世界で小綺麗な服を身にまとう者達の優雅な姿があった。多くの樹木が日陰をつくる官庁街に使節団はようやく安堵の息をもらした。
この一帯、いやチャオプラヤ河までは商務官庁街でございます。この先、河辺の商館に交渉の間、ご滞在していただきます。ソォンケィンは謝意を述べ、広大な商務官庁のありさまに驚きの念をもったと言った。
気ずかれましたかな、アユタヤは交易国家なのです。そのために、この島ともみえる地に王都を建てたのです。老バラモンははじめて鋭い眼差しをソォンケィンに向けてた。交渉はとっくに始まっていた。ソォンケィンの視線に老バラモンは気ずくと、また、あの表情のない笑みをうかべた。
スコォタイ王国使者殿、交易は豊かさをもたらしますな。そして、新しい技術、知識を得ることができ、それは新たな価値をつくりあげ、支配力となります。交易は外交そのもので、多くの情報をもたらし、そして誰もが畏れる兵力、アユタヤの確固とした意思なのです。ソォンケィンは一連のアユタヤの動きをわかった気がした。
それは、アユタヤ王の意思ということですか。
港市に生きる者の悲願と答えておきましょう。
ふたりは並んで街路を、こうした会話を交わしながら歩るいた。気がつけば、街路は商店が建ち並び、大小の飲食店が軒をつらね、店は見事な調度で飾られ、みたこともない風貌の男どもが会話をしていた。同じ人間なのかとソォンケィンは見いってしまった。
あの者たちは雨も降らない、砂ばかりの国から来ておるのだ。頭に白っぽい布を巻きつけた男どもは老バラモンに気ずくと立ち上がり、手を合わせて一礼した。男どもは皆が大きく、彫りの深い顔に笑みをたたえ、聞き取れないシャム語を口々に話した。その少し先にはずっと小柄な男どもが儀仗兵の行列の老バラモンに気ずくいて、平伏している。小柄な男どもの目には敬意とともに、どこか不敵な色をうかべている。
チャム人ですな。敵にまわすと厄介な者たちです。
味方であればどうでしょう。ソォンケィンも興味を隠さなかった。
チャム人は1000年の、海の民。各国の港市に植民しておって、有力者になっておるにもかかわらず、故郷への強い思いは変わることがない。そして誰もが畏れるのは海を熟知する商人でありながら、猛々し兵士であることだ。
老バラモンはチャム人に小さく右手を上げて合図のような挨拶をした。儀仗兵の先導がある門の前に立ち止まると到着の号令をかけた。儀仗兵は左右に隊をなし、そのなかを老バラモンとスコォタイ使節団がこの迎賓館とおもわれるどこか唐風の門をくぐった。管理官、警護官らのほかに多くの若い女らが平伏しているなか老バラモンはスコォタイ王国使節団の来訪を告げた。樹木におおわれた庭園のなかで管理官は額に汗をながしなからも挨拶をし、先導にたった。敷地内は思いのほか広大で数軒の邸宅が樹木に囲まれて見えた。視界に慣れると蓮や水草におおわれ、清らかな水をたたえた池が見える。随行する高官も思わずことばを漏らした。
スコォタイ王宮に帰ったようだ。
この邸宅が皆様方の宿舎になります。
管理官が案内した邸宅に使節団は唖然とした。
宋人が宋から木材やらをもってきて建てたもの、私もこれをみた時にはさすがに驚いた。老バラモンはふぉふぉと笑うと、管理官を呼びねぎらいのことばをかけ、ソォンケィンを池の前へと誘った。
驚きましたかな。これが、アユタヤ王の為さりようです。ソォンケィンは言葉に窮するほかなかった。
老バラモンは交渉の今後について話しはじめた。
3日後に担当高官と会うことになります。それをもって、結論は大臣とお会いした時と考えます。ご希望とあらば、陛下との表敬もかなうやもしれませね。
やはり、アユタヤは異質だと思った。王の代理として臨んでいる者がなぜ直にアユタヤ王に会えないのか、ソォンケィンは屈辱といったものを感じたが応ずるほかなかった。一台の牛車と警護の者らが近づいて来る。彼らの目には敬意や喜びが宿っている。
どうして、あなた様はあれほど多くの者から、これほどまでに敬意を受け為されるのでしょうか。お教えください。老バラモンは牛車を止め、ソォンケィンの瞳を覗きこんだ。一瞬の躊躇に微かに顔をゆがめたが、
受けたことのない話し、実におもしろい。いかなる者も人生に夢を持つものです。欲といってもよい。それが叶うと信じられる国、それがアユタヤなのです。私に敬意を示しているとおもわれる理由ですな。
迎賓の館で随行する者らと遅い昼食をとりながら、ソォンケィンは、スコォタイとは余りにも異なるアユタヤをどう理解すべきかを考えていた。つくりといい、調度といい、この料理にしても魂を奪われるような気がした。神妙な面持ちは随行員も変わらない。厚遇されることは予想しえたが、皆が圧倒されている。
時間はある。この際は見聞をひろめることも大事だ。確かな見聞は、これから必ず役にたつ。
10名の随行員はソォンケィンの確固たる意思に頷いた。が、年輩の副使はやや皮肉を口にし、自らの立場を表明した。
ソォンケィン殿、悠長ですな。私は大臣にその都度、報せる命を受けておるのです。交渉を急ぐことが肝要、ことにより大臣らの指示を仰ぐことを忘れてはなりません。
肝に命じております。ソォンケィンは、この大臣の縁者にこたえると、付き人である若者に資金を配るよう命じ、沐浴に出かけた。感がまちがっていなければ、アユタヤはジャヤナァダの返還に応ずるだろう。いや、はじめから占領は何かしらの思惑が隠されていたのだ。リ タイ王が兵を挙げることがないと確信している、アユタヤとは…私は策士ではない。だが、見抜くことはできる。ソォン ケィンは水面に輝く日の光を長いこと見つめた。気配を感じる。若い娘が、布地を両手にかかえ差出している。若い娘の口元は緊張のために微かに震えていた。柔らかい布地を手に礼を言うと、若い娘は何でも申しつけてくださいと言った。どこか訛りを感じ、愛想を交えたいと思った。
娘さん どちらの生まれですか。若い娘は少しばかり目を伏せたが、ソォン ケィンをみると、
私はクマエ、クメール人です。と言うと恥ずかしそうに管理棟へと戻っていった。あの仕草、身のこなしはシャム人にはないものだ。もう見えなくなったあの娘に育ちの良さを感じた。3年前、アユタヤはクメール人の首府に侵攻し、多くの人びとをアユタヤに連れてきた。ほとんどが奴隷の身分であったが、パンジッタと呼ばれるバラモン身分の行政官、学者の連行もあった。巨大な城府を取り囲んだアユタヤ軍はラン サァン王国を建国したファ グム王との同盟を固く禁じ、パンジッタのアユタヤでの服務を要求し譲らなかった。アユタヤ軍司令官はクメール王宮で貴顕らを恫喝した。
今はロッブリと呼ばれておりますが、私はラウォ生まれなのです。クメール帝の正統な血統はラウォ王家、違うとは言わせませんぞ。貴方がアユタヤ建国に力をかすことは罪滅ぼしになるのです。
ソォン ケィンはクメール語を学んだ少年の時分、その話しをクメール人僧に聞いた憶えがある。もはや落日のクメール帝国、しかしクメール語はこの広い大地の公用語であった。しかし、なぜ無体な恫喝にあれほど簡単に屈してしまったのか。
30を越えたからだにも慣れない船旅の疲れを感じた。日がゆるくなって、この館に宿泊する者らの牛車が帰ってくる。
交渉は式部官邸ではじまった。長官の老バラモンは穏やか笑みをたたえ今日の日を祝う挨拶をし、退席した。アユタヤの高官はジャヤナァダへの派兵に至った経緯を述べ、スコォタイ側に理解を求めた。よく調べ上げた内容で、事実であろうとソォン ケィンも思った。
しかし、あれほどの大軍、さらに、我が王への侮辱許されものではありませんな。ソォン ケィンは淡々と述べさらなる説明を求めた。
ジャヤナァダへのの派兵は当初少数であったのです。しかし、スコォタイが派兵の準備をしているとの一報がアユタヤの街に伝わると、たかぶった感情を抑えることができず、大軍となったのです。スコォタイは我が国の川上、3日もあらば、この城府を落とせるでしょう。スコォタイ側もまんざらではない。
確かに、ジャヤナァダからの一報にスコォタイは激昂し混乱のなか軍編成がなされようとした時、リ タイ王が止めた。止めなければ両軍は衝突していただろう。それにしても、自らの正統性を淡々と述べるアユタヤ側高官に相当準備して臨んでいることを認めた。アユタヤ高官の友好的な振る舞いには、やはり何か深い思惑が隠されている。
もっとも大事はジャヤナァダの返還、いつになるとお考えか。
アユタヤ高官の安堵の息が聞こえてくる。
我々にはお答えできる権限はございません。大臣閣下、あるいは、副王様との会談になります。
ソォン ケィンは随行員に合図をおくる時だと判断した。このまま終わらせてはいけない。
我がスコォタイの商人から聞いた話しですがな、スバンプリ、ロッブリとは良き取引きをする間柄であったとか、それが、アユタヤ建国するとおかしくなったと申すのです。それで、この度の当事者、アユタヤ商人にお会いを希望するものです。
アユタヤ高官は険しい顔を互いに見合せた。
しかし、商人の話しなど聞かれても、原因はジャヤナァダの法廷であり、大守にあるのです。使者殿もそうお考えになりませんか。
ソォン ケィンは当事者であるアユタヤ商人に会ってみたくなった。この狼狽えようアユタヤの思惑をしるひとつの手掛かりだと直感した。
アユタヤは交易国家であると聞きました。スコォタイも商人を無視することはありません。使者として、是非お願いするところです。
アユタヤ高官は耳打ちをして、ひとりの高官が席を外した。女官が数人、代わりの茶と切り分けた果物を手にこの応接間に入ってきた。この皿は、シィサッチャナァライのものとソォン ケィンはすぐ気ずいた。白地の布地の上で地味ながらよく映えて、果物を引き立ている。小さな感動を覚えアユタヤ高官に礼を述べようしたが、彼らは不安の表情のままだった。沈黙するアユタヤ高官に時の長さを感じて来た時、式部官長官が入って来た。
ふぉふぉと老バラモンの笑いが応接間に響いた。
ソォン ケィン殿、あなた様はアユタヤの秘密に立ち入ろうとしておるようです。その商人は遠い昔からこの地の元締めでありましてな、ウゥトォン侯と呼ばれていた頃から大変な世話になった御仁なのです。ご高齢でしてな、アユタヤ王は毎月、御仁を見舞っておられます。スコォタイ王リ タイ様も少年の時分ワットパネンチュン参拝のおり御仁と親しくお会いしておりましてな。
どうりで、アユタヤ高官が狼狽したかがわかった。だが疑惑は消えず、むしろ深まったが、ソォン ケィンは感動もしていた。他国の者に容易に話さられない事情を打ち明けてくれたことへの感謝であり、我がリ タイ王との関わりをももつ御仁。ソォン ケィンは不覚にも涙をこぼしてしまった。
アユタヤ高官は式部官長官に頷くと穏やかに告げた。
アユタヤとスコォタイは友好的に話し会いが行われ、大きな成果を得ることになりました。
両者は合掌し、お互いの労をねぎらう言葉を交わしあった。役人は役人を好む、アユタヤ側高官は後日の歓迎の宴を申し出た。まるで旧知の間柄であるように、ソォン ケィンも手を取り合って悦んだ。焦点を合わせない視界のなかに老バラモンの顔が見える。あの表情のない笑みをつくり勝利を味わっているのだろうか。アユタヤの至上命令はゆっくりとスコォタイを取り込むことだ。
用意された牛車に乗り式部官邸を出た。儀仗兵が左右を警護し戦象が先導する。街路の人びとも手をとめて、珍しい賓客の訪問をしった。スコォタイ王の使者だ。と誰かが叫ぶと、やさしい歓声があがる。手を振る老婆の姿をソォン ケィンは牛車の小窓から見た。老婆の目に幼女が重なった時、ソォン ケィンはリ タイの顔を思い出した。
一段落ですな。ソォン ケィン殿見事でした。大臣らも喜ぶことでしょう。早速報せます。
迎賓の館に着くと、参席した者らの喜びの声にあふれ、しなかった者も食い入るようにその様子を聞いた。ソォン ケィン様と随行員の間から敬意が示されれた。結果はまさに至福であった。ソォン ケィンは相づちをうち、これ迄の労を共にできたことを喜んだ。不図、頭痛に気ずいた。あぁ、私は喜んでいる。否、まだ喜んでいけない。これからなのだ。そうか、似ている、老バラモンの表情のない笑みをこの私もうかべていることを、と思った時、頭痛はもっと
激しくなり気が遠のく。リ タイ様の笑み、あの澄んだ眼差しは慈悲に満ちている。なぜ今まで気がつかなかったのか。
ソォン ケィンは意識を失った。
気だるい熱に目を覚ますと、付き人が歩み寄ってきた。私はどうしたのか、そんな顔を向ける。
突然、頭をかかえると意識を失われました。
皆が驚き、急ぎアユタヤの管理官のもとへ走った。医に精通している者はそもそも少なく、管理官は頭をかかえた。患者が使者様となるとアユタヤの威厳に関わる大事となる。管理官は方々に人を走らせた。この騒ぎはこの敷地に伝わる。そんな時恰幅のよい者が従者が通りかかり、事態を理解した。
私の従者に医者がおります。呼んでまいりましょう。
李大人、助かります。元国の医者ならば安心です。管理官は何度も礼を述べた。元の医者はソォン ケィンの脈をとり、心臓の音を聴いた。
呼吸も落ち着いております。お疲れです。薬草を置いてまいりましょう。
管理官、スコォタイ使節の者は安堵した。そして、この医者の診察の様子に神々しさを感じた。さすがは元国の医者と誰ともなく言った。
忌まわしき元は滅びました。私どもは宋人です。否、船乗りですな。李大人は流暢なシャム語でこう話すと、満面の笑みをうかべた。
ほう、そのようなことが、お礼を述べねばなるまい。宋人医者は日が昇ると様子を診に来た。もう安心です。とのことばに随行員、をはじめ皆外出した。見聞のためと言いながら、悲しくなったと付き人はこぼしながら薬湯を用意している。
誰もいない池に身を沈める、この心地よさに身も心も委ねられたらどんなにいいだろうか。こうして、ひとりになって思う幸せ、スコォタイに待つ妻子、スコォタイ民政官としての誇り、そして、この使者の大役、悲しいが答えはない、ただ自嘲に笑ってみるしかなかった。
ここにおいででしたか。恰幅のよい、ふたりの男がソォン ケィンに気ずいて立ちどまった。見慣れね着物に診察をしてくれた宋人であった。ソォン ケィンは慌てて上着を直し診察のお礼を述べた。
我ら船乗りは体あってのもの、医者がいると心強いものです。殊にアユタヤは暑い。李大人は顔をしかめて笑った。医者は少し後ろから、診察をするかのようにソォン ケィンの顔をじっとみつめ、館に返した。
スコォタイの評判は、どこの港市でもよいですなぁ。紛争の最中にも関わらず、このアユタヤにおいても悪くない。ある老人は、この地に来たことを悔い、スコォタイでの幸福だった頃を懐かしんでおりました。
疲れたからだにこの話しは実によい薬であった。
交渉はまとまりました。アユタヤは愚かではありません。もうすぐです。ぜひスコォタイを訪ねていただきたい。
使者様のお招き心強いですなぁ。李大人は立ちあがると合掌した。
元は滅びました。異族の支配から解放される慶びも束の間でありました。あの巨大な国が、同じ民族同士が争っておるのです。争いは酷くなるばかりです。
ソォン ケィンは同情の念を示しつつも、その争いの惨禍を想像できなかった。大規模なアユタヤによるクメール侵攻にしても、ジャヤナァダ占領にしても、命を落とした者は何人いただろうか。まだまだ、この地の争いは儀礼を重じ、怒りというものを抑えて残酷なかたちにならなかった。
せめてもの望みは仏による救済を掲げる指導者がこの内戦に勝利することだと、李大人は目を輝かせ、その一助のためアユタヤに来たと明かした。ソォン ケィンは感心してみせたが、要領を得ない。
宋人は紅の色をもともと好むのです。仏の救済を掲げる者どもは味方の標に紅の巾を身に付けます。さようです。紅の染料である蘇木です。漠大な量が必要ですが、このアユタヤでどうにかなりそうです。
いわば、どこにもあるような木が立派な交易品になる事実に、生きた知識とか情報の意味を知った気がする。
しかしですなぁ。人びとが苦しんでいるなか、この私は金儲けに夢中です。このアユタヤの暑さが、舌を痺れさす辛い食い物が、嫌なことを忘れさせてくれるのです。李大人は羞恥の色をうかべ、心を占める苦悩をしずかに語った。ソォン ケィン様と申しましたなぁ、あなた様はずっと若いのに何でも話したくなる。ソォン ケィンは目を伏せ頷くしかなかった。ものごとを目の前ににして何事にも煩わされるな、目の前にあるものは己が義務、マハ バァラタの有名な一節がただ頭にうかんだ。
医者が何かを抱えて歩いて来る。医者はふたつの湯飲みをふたりの前に置いた。
お話しはすみましたか。心の疲れのなかに平安があるのです。見事なシャムの言葉であった。李大人はこの医者が自分の従者ではなく師のような存在であり、もう七十をこえているととも明かした。五十半ばにしか見えない顔がよく伸びた背とひとつになっている。
師は、この地でお生まれになられたのです。子供の頃、医術を学ぶために元国に渡ったのです。長い間元国とこの地を往復しました。高齢の父を毎日見舞っております。不思議なことです。師と師の父親は親子であることを秘密にしておるのです。
ソォン ケィンは頭が麻痺したかのように思え、好奇心もさすがに反応しない。それでも、ワット パナンチュンと聞こえた時、覚めたように落ち着いた。
一度いかがでしょう。パナンチュンのある街はずっと古いのです。ラヴォの外港であった頃の人情がまだ生きております。
ぜひ、お連れください。御二人の話し聞いているだけで学びになります。あと何日、ここに居られるかわかりません。
スコォタイ使節団はアユタヤ高官の歓迎の宴に連日招かれた。宮内官、商務官、内務官ら実務官僚が同僚のように接してくる。アユタヤ高官は時に、このアユタヤを運営する難儀を漏らし、あろうことかアユタヤ王国の今後の施政についても口にした。
もしですぞ、スコォタイ王国のご助力を得ることができれば、どれほど助かるか。
後日、詳しくお聞きしたいと存じます。我がスコォタイにできることがありますれば、互いの利益かと。副使は叔父がスコォタイ王国大臣であることを告白した。アユタヤ高官に歓声があがり宴は勢いをあげた。
日も西に傾きかけた。作業を終えた街にも酒を飲み、飯を食う人々で溢れ、その喧騒のなかで子供たちも逞しく生きていた。満腹になれば無数にある仮設の長屋に帰る。誰もか互いに仲間と思い、飲み、笑い、乳飲み子の泣き声は耳にはいらない。ソォン ケィンは喧騒の狭い街を歩るき、気ずいてみればチャオプラヤ川に来ていた。各国の大型船が桟橋に泊まり、その勇姿を競っていたが、西に傾きかけた日に染まるチャオプラヤ川はあまりにも広大であった。この川を二日も下れば海というものをみることがてきる。海は恐ろしい、名の知れね多くの命は伏せられ、生き残った勝者の声だけが今も残る。命をとしてまでも魅了する海というもの、そうだ仏陀の教えもヴェーダの哲理も、この着物も、いやすべてが海を介して得たものだ。チャオプラヤ川は湖水のように流れず、ただ夕暮れの空の色を濃くしていた。
お気がすみましたかなぁ。覚めた笑をうかべた役人がソォン ケィンに近ずき、平伏した。余程の事、殺気すら感じられた。
副王 バ ゴア様がお待ちです。
ソォン ケィンはみたことない巨大な船に案内された。外見からは想像もつかない豪華な部屋は煌々とした灯りに艶やかに映えていた。
しばし、お待ください。ソォン ケィン様、今夜のこと極秘に願います。
副王の従者ろうか、彼らは緊張で顔をこわばらせていた。異様な表情の者達の息ずかいに解放された。
バ ゴアでございます。失礼を意にかえさずお越しいただき、嬉しいかぎりです。
一見、印象のない顔立ちながら大きな目を見開いてソォン ケィンを見っめるると、座るよう促した。三人の女が無言で酒と料理を給仕すると出ていった。
バ ゴアはグラスに赤黒い酒を注ぐとソォン ケィンにすすめ、グラスを合わせた。チィンと音がなった。バ ゴアは虚を衝かれたソォン ケィンに遠い遠い西の国々の酒の挨拶だと紹介し、赤黒い酒をかたむけた。甘く、その香りは豊かでありながら血のような毒々しさがあった。バ ゴアは笑わない、大きな目を見開きソォン ケィンを凝視する。
明日にも公式の場において私と謁見をし、この度の紛争の幕はおとされる。私の言葉はすでに決められている。
バ ゴアは他人事のように告げると、その形式ばった宮廷政治を無意味なものと嗤った。いつの間にか、このアユタヤはロッブリのものとなっていた。アユタヤ王国はスバンプリとロッブリの合併によって建国、アユタヤ王になる前に初めスバンプリから王女を娶った。バ ゴアの妹であった。同年代であったウゥトォン公とバ ゴアは理想を語り合う仲であった。見果てぬ限りこの土地は水びたしであり米づくりもかなわない。交易に活路を見いだすことに異論はなく、ロッブリ王女を娶ることに尽力した。
ジャヤナァダに発する派兵は私の一存でありました。スコォタイ王国とアユタヤ王国の間に変化を起こすためです。
ソォン ケィンはこのアユタヤ王の義兄の話しに深い興味を持ち、しずかに頷いた。やはり思惑があった、そして当人から明かされた、その先の核心を聞かなければならない。
私はリ タイ様を尊敬しております。この度の暴挙を初めから相手にもせず、降服を申し入れました。リ タイ様の仏法への思いには敬服するばかりです。しかしながら、国を豊かにすることも大事とは思いませぬか。
仰せのとおりです。物も大事であり、心も大事です。バ ゴアははじめて笑みうかべた。そしてアユタヤの現状を説く、バ ゴアがアユタヤ島に上陸しチャオプラヤ川を遠望したのはちょうど雨季も終わる頃、ただ見渡す限り水に沈んだ風景が見えた。樹木が水に浮かび、そのなかを白い羽の鳥の群れが飛び立つのを見た。こんなところを王城にと薦めるワット パナンチュンの長老にあらためて呆れた。三本の川が交わるところ、国々そして人々の交わるところになりましょう。長老の言葉を今でも憶えている。スバンプリから、ロッブリから、周辺から半ば強引に集めた。
よいか、働け、土地を与える。身分もだ。約束する。
まだまだ道半ば、人も足りません。各国の船を迎え、王城をつくり、兵をも養う、勢いは今も途切れません。私は人の欲望を信じております。バ ゴアは赤黒い酒を飲み干すと、戸棚から壺を出しソォン ケィンにもすすめた。慣れ親しんだものですな。なんとも旨い。義弟、いやアユタヤ王はロッブリ王家に参っております。ロッブリ王家の者達への厚遇に不満をもっている者はスバンプリばかりではありません。
ソォン ケィンはバ ゴアの無謀な賭けに挑んだ意味を理解した。
よくぞ話していただけきました。しかし、リ タイ王の命によっては衝突、スコォタイは川上の国であることを忘れておりますな。
私はリ タイ王が表し三界経を仏僧から聴いております。その上での賭けでありました。私にもいまだに抱く理想がありますが、スバンプリ王家の者として私を支えてくれる者達への労に報いなければなりません。
いつ分裂するかわからないアユタヤ、この目の前の男は遠まわしに語りながら、そのような理由で大胆にジャヤナァダを占領し、スコォタイ王国の使者を二年も待っていたということか。スコォタイはこの男ひとりに負けるとソォン ケィンは思った。
バ ゴア様、良い変化をその手に得ることがかないそうですか。
バ ゴアは自信に満ちた表情を隠せない。スコォタイ王国への派兵はアユタヤ宮廷は勿論、この大地の住人を驚かせ、まさに時代の変わりを予感させた。その主導者バ ゴアの存在感は大きなものとなった。ロッブリ出身の優秀な官僚が占めるアユタヤ宮廷においてもバ ゴアの意向に官僚らが右往左往する。
バ ゴアは立ちあがると、棚にあるものを手にしじっと見いった。
さすがにリ タイ王が選んだ使者のようだ。ソォン ケィン殿、私と共にこの大地の未来を語ろではないか。異論はあるまい。
バ ゴアは手にした皿や壺をソォン ケィンの前に並べた。見慣れたシィサッチヤナライの焼き物であった。バ ゴアは次々に棚に飾られた焼き物を運んだ。
なんとも言えぬ風があるときずいた。薄茶色はこの大地の遠景であろうか、そしてこの蒼の色は、まさに水。派手さはないが、安らぎがある。バ ゴアは独り言のように、こんなことを呟いた。これ等を船に積み、多くの国々の港市に運べば、多くの者らが魅了するだろう。その顔が目にうかぶようだ。スコォタイは物の価値を知らず、正当な利益を失っていると断じた。
ジャヤナァダ返還の条件は、この焼き物の売買をアユタヤに認めることだ。スコォタイとアユタヤの間の良き変化は現実のものとなる。ソォン ケィン殿、時は流れるのだ。クメール人の過ちを知っていよう。
バ ゴアは表情を変えず自分の話しを聞くソォン ケィンを信用できる者と認めた。この者も何かを見ようとしている。
未来を語ろうと言った、この男の頭の中には未来が見えているのだろう。そして余りにも現実主義者であるとソォン ケィンは思った。リ タイ王のあのやさしい眼差しが懐かしい。だが、この男に魅了される。
今宵の話しの続きを、いつできましょうか。その日を待ちわびることになりましょう。ソォン ケィンは返答を避け席を立った。しかも、二人だけの話し、ずっも胸中にしまわなければなるまい。
バ ゴアは頷いた。扉を開け甲板まで階段を登ると、星明かりを映したバ ゴアの大きな目が刃のように光っていた。
午睡も過ぎた頃、使節団のもとにアユタヤ宮廷の高官らが訪ね、アユタヤ王との謁見の実現を告げた。さらに、ジャヤナァダに駐留する兵を最小にする命を発したことを明かした。使節団は歓喜に沸き、高官同士の交友が大きな働きを為したと思った。
ソォン ケィン殿、ただちに早舟にて王宮に伝えます。副使らの興奮はおさまることを知らなかった。
確かに、予想を越える成果である。おそらく、アユタヤとの親交は劇的なものとなる。そして見えざる計略が付きまとう。果たしてスコォタイの官僚が巧く応じられるだろうか。アユタヤ高官の笑顔、自分を隠す術、生き残りや野望がこのアユタヤに渦巻いている。
ソォン ケィンはそんな憂いを嫌い、またこの池にやって来た。池は家族であり国であることを、こうしてただ見ていれば無意識に心が落ち着いた。ワット パネンチュゥンに行こうと思い立ち、ずっと李 大人をを待とう思った。目をつぶれば鳥のさえずりがよく聴こえ、池の水面もみえた。
ソォン ケィン様、だいじょうぶですか。
女の声に驚ろいて我に帰ると、あのクメールの娘が心配そうに見つめている。いつの間にか横になっていたことに気ずいて照れるしかなかった。娘から離れたところに一人の初老の人物が立っている。首の白紐をみてバラモンと気ずき、挨拶をすると、クメール娘は父親だと紹介した。父親は娘からの話しよりも宮廷からの詳細な情報を得る立場にあるようにみえた。
スコォタイ王国のご使者様ですな。挨拶を交わすことができ光栄なことです。クメール語をも話されると聞きました。
娘の父親はアユタヤ軍に連行されたクメール帝の顧問官であったと明かし、このアユタヤ宮廷において法制官をしていると言った。バラモン特有の諦念を漂よわせた静な居ずまいなのか、故郷を離れた寂しさなのかソォン ケィンには言葉がでなかった。
はじめは、絶望と憎しみに平静を保つことさえ困難でした。が家族があり、バラモンとしての誇りが私を支えました。
連行され、数日後アユタヤ王の前に立った時、バラモンは睨み付けるように威をただした。同じ境遇のバラモン、顔見知りの高官らも誇りを失っていなかった。ところが、アユタヤ王の発した言葉はクメール語であった。実に厳かに、豊かなクメール語に連行された者らは目を見開いた。
私にはクメール帝の血が流れております。このアユタヤの地に再びクメール帝国を再建します。誇り高き、有能なるバラモンの力を懇願します。アユタヤ王 ラァマティボディは黄金の玉座から立ちあがり、こう話した。連行者が見たもの、聞いたものは、クメール帝そのものだった。
それ以来、娘の父親は司法制度とその機関に関する起草を担う顧問をはじめ、広く王の相談者になった。それは、膨大に蓄積されたクメール帝国の行政を説明することであり、アユタヤの実情との擦り合わせでもある。
アユタヤ王は法をもって国をまとめることを望んでおります。確かに、この私も意義ある人生をこの地でおくれるやもしれません。
いわば敵国のために法を策定する身となったバラモンには自身のみが抱く苦悶もあるのだろう。ソォン
ケィンはただ頷くしかなかった。
母は喜んでおります。給付が驚くほど多いのです。それから、信じられないほどの敬意を受けています。
娘の興奮気味なことばに動揺することもなく、自嘲の
笑みをソォンケィンに向けた。その目には、しかし怒りを点しているとも思えた。
娘は父親の態度に不満なのか、自分のことばを恥じたのかソォンケィンの顔を見るなり立ち去った。
娘には縁談がもちあがつております。嫁ぐことになります。
喜ばしいことです。
バラモンは頷いた。クメール人にとって母系相続はこの世の約束事であり、これを反古する事態というのは呪われしことであった。アユタヤは違った。娘は他家に嫁ぎ、連綿と続いてきた母系相続も終わる。だが、誰に謝の念をいだくべきか解らなかった。
ところで、スコォタイは立派な国だと聞いております。かって私の祖父はラァマ カムへン大王を訪ね謁見の栄誉を得 人々の有り様を観、クメール帝国が望んだ理想をみたと幼い私に語りました。今のスコォタイ王国を心配しております。
ソォン ケィンは深く頷いた。
あなた様の祖父が観たものはリ タイ様に受け継がれております。深い信仰の為さるものです。
バラモンは、その言葉に目を見開いて、ソォン ケィンをみた。祖父が予見した言葉であったことに驚き、言い知れぬ愛情の念に身が震えた。
ソォン ケィンは足元の小石を拾い水面に放った。ポチャンと音をたてて静かな水面に波紋が拡がる。
国にはこのような小石が必要だと思います。これが、リ タイ様です。
バラモンはこの若者に出会ったのとを後悔した。アユタヤに連行されたことによって、祖父と父が託したクメール帝国の所謂 歴史から解放されたと思っていたことが、再びよみがえり亡き祖父と父の顔が迫る。祖父と父は上級官として施政の実務の責任者であったが不本意な命を受け苦悩のなか、その職を辞し晩年はクメール帝国の輝かしい歴史の研究に没頭した。父も祖父を理解すると狂ったように方々の神殿から物知り、村の長老を訪ねた。バイヨウに記された膨大な手記は孫である私に託された。学者になり、このことを受け継ぐことが私の宿命であることは容易に理解もした。その時の帝と幼い頃から顔見知りであった私は帝の懇意によって顧問に就任した。顧問として私ができることは輝かしい昔話であったり、異国 異俗のことで、帝の暇を慰めるものに過ぎたかったであろう。
ご承知かと思いますが、この度の紛争は終わろうとしています。
考えてみると、不思議な争いですな。誰に聞いても確かな目的がわからない始末です。アユタヤは助かったとみるべきかもしれません。
ところで、ある御仁の忠告が耳を離れません。スコォタイもクメール帝国のように過ちを繰り返すのか。と言うことでした。私にはわか解りません。
確かに、的を得ない物言いですな。過ち あるいは栄光の類いは後世の者が解釈するもの。クメール帝国は700年の余命を保つております。そのような国がどこにありましょう。聖都 マハーナコンは50万の人口を超えていたのです。その運営能力に私は今でも感服致しております。解りますかな、まさに偉業であったのです。
ソォン ケィンは失礼な話題に及んだことを悔いてはみたが、その澄んだバラモンの瞳に吸い寄せられたかもしれない。
なぜ、すべてを明け渡すように降伏したのでしょうか。
バラモンは顔を歪めながら、ソォン ケインから視線を背け池に浮く蓮華をみつめた。長い間が空いた。
バラモンはソォン ケインをみつめた。その頬には涙がつたわっていた。
あなた様の問に応えることを、しばらく猶予願いたい。私はスコォタイへあなた様を訪ねることを約束する。
バラモンとソォン ケインは立ち上がり別れの挨拶を交えた。スコォタイでお待ちしております。
バラモンは合掌し振り向きかけた時、今一度ソォン ケインをみつめた。
クメール帝国の栄光の基を支えたのは、人々が人々から受ける評判 名誉でした。自らに規範を課し、自らの仕事に励みそれが税となりますが、例え尊敬される仕事をする
人物においても3人分の給付で満足することが碑文にあります。あまりにも欲に疎い人々がクメール人の世界であったのです。物欲も命も小さなものと意にかえさず生きたクメール人を私は誇りに思います。
ソォン ケィンは生きたことばをしった。
日が陰りをみせた頃、ソォン ケィンは米の酒をたのみバラモンの言葉を思い返していた頃、随行員があわててソォン ケィンのもとに帰ってきた。
アユタヤ王の恩人が亡くなられ喪に服されと告げられました。皆信じがたい程うろたえてとります。
ソォン ケィンはそれほどの御仁であったのかと思い、ならばアユタヤの節目と予感した。
それから数日アユタヤは廃墟のようにしずまりかえった。
李 大人とあの医者がソォン ケィンを訪ねてきたのはその閑かな毎日に慣れた時であった。
お連れする約束を果たせず残念であります。御仁は朦朧とする意識のなかでもリ タイ様の御使者にいたく会いたがっておりました。
ソォン ケィンはふたりにただ合掌した。
李大人の医者はソォン ケィンの手をとるとひざまついた。そして妙なこと告げた。
リ タイ様 あなた様は龍の娘 シュリーカァリデブイの忘れ形見 ラァマ カムへン大王の孫 あなた様を護る我が一族の役目を決して忘れてはおりません。
ソォン ケィンは咄嗟に重大なこととは理解した。それはこの古老の態度にほかならなかったし、龍の娘 そしてラァマ カムへン大王 いったい。
ソォン ケィン殿 人を使わしあなたにご説明致します。クメール帝国 いやこの大地とともにあった龍の娘の話です。
平穏な日を数えてみると随行する者たちの間でも話題はスコォタイのことで盛り上がることが多くなった。思えば、スコォタイは街も人もし親しく のどかであった。王宮と庶民のあいだに対立を見いだせない。それどころか、仏教への熱は高まっていた。
ソォン ケィンはひとつきのあいだ寝食をともにしてきた随行員の話を聞くの愉快であった。この紛争はアユタヤの事情と計略、取り乱せば我らの不利。そしてジャヤナァダは今後はより重要な要所、この度の紛争の地、大守を見逃すわけにはゆかないと思った。
王宮の重臣らからも何度か返書とともに金貨が届いた。友好を確かなものにするようとの指示であり、副使の威勢を皆が喜び、スコォタイへの帰国が楽しいものと思っている。ソォン ケィンは笑みを浮かべ頷いたが、帰ると同時に命をかけた役目の覚悟を誓った。
翌日式部官長官がまだ日も明けない時刻に訪ねてきた。精彩も自信も失なったバラモンのやッれた顔をみて驚きを隠すのが困難であった。
スコォタイ王の使者 ソォン ケィン殿 本日、アユタヤ王との謁見がおこなわれます。
実務は完了していたと思ってよかったが儀式を欠いては正式なものとはいえず、この日を待っていた。
ソォン ケィンは思わず老バラモンの手を握り、これまでの配慮を感謝した。
老バラモンはみせたことのない笑みをソォン ケィンにみせた。あなた様はこのアユタヤにおいても重要な人物になられますな。まさか、あなた様は予想外のお人でありました。
ソォン ケィンはリ タイ王からおくられた式服に初めて袖をとおした。帰国の準備を確かめると、用意された牛車にのった。見慣れた街路のなかの人々を眺めると、だいぶ長い間ここに居たような気がした。王宮はまだ完成をみていないことは容易にわかる。クメール王宮を模して彫刻や塗飾に相当の時が要ると聞いた。公式の場 静謐な廻廊を案内され、謁見の間に立った。香木が発する香気にある覚醒が迫り
多くの者がソォン ケィンと随行員に敬意を示すよう合掌するなか用意された椅子に腰をおろした。聞いたことがある、これもクメール宮廷と同じか。黄金に輝く玉座 宝物 高位高官の高慢な表情 多くのバラモンらの異様な存在感、そのなかに見覚えのある顔 バ ゴアは玉座の左に座していた。そして右側に少年が座していた。時の鐘がなった。すべての者に平伏が求められる。
アユタヤ王は窓枠の内にある玉座にあった。
儀式の進行役はおそらく宮内大臣であり、その側に式部官長官が控えていた。リ タイ王の使者であるソォン ケィンが紹介されアユタヤ訪問を歓迎する旨をおごそかに述べ、実務交渉を経て双方は和解に至ったことをアユタヤ王 ラァマ テイボディに奏上した。アユタヤ王はただ微かに笑みを交え目を細めた。内恃の者に何かを述べ、内恃の者は頷き宮内大臣の耳元で何事かささやいた。
リ タイ王の健やかにして、信仰に満ちた見事なスコォタイ王国は私が模範とするものです。私は一層の友好を望んでいます。
アユタヤ王の挨拶をソォン ケィンは直立して拝聴した。それから、リタイ王から預かった言葉を述べ、リ タイ王自著の三界経を進呈する許しを請うた。アユタヤ王は小さく頷いたような気もしたが、その返答も従者をとおしてなされた。声が聴こえなければ、何が真を解るか。親しくなれるか。アユタヤはクメール宮廷を模していると聞いたが、これがクメール帝のあり方であったのかと悲嘆の念さえ覚えた。
アユタヤ王は悠然と謁見の間を見渡すと、何事かを述べている。宮内大臣はそのささやきを聞いて驚きとともにアユタヤ王をみつめた。アユタヤ王は頷いた。
アユタヤ王の義兄であるバ ゴア様は副王を廃し、スバンプリの太守に就くことを命ず。アユタヤ王の長子ラァメスワンをロップリの太守に命ず。謁見の間に居合わせた者たちの動揺が伝わってきた。もはやソォン ケィンの謁見は時を見失ったと悟った時
なお、スコォタイへの応対はスバンプリ太守がおこなう。親しく外交通商に臨んむことは、ラァマカムへン大王の威徳を偲ぶことである。
バ グアは起立しアユタヤ王 ラァマテイボディに向かうと額を深く床につけた。その瞬間、バ ゴアの恭順な態度を目の当たりにして、ここに居合わせた宮廷人は安堵の息を漏らした。アユタヤ王は自らの王権の理想のあり方を選んだことをバ グアは理解していたが故、屈辱を受け入れた。
アユタヤ王の背後に控えるバラモンらの進言に耳をかたむけアユタヤ王は頷き、宮内大臣に伝わる。
スコォタイ王国とわがアユタヤは兄弟であることをここに宣べる。スコォタイ王の使者 ここに労う。
正式にこの一事が終了した。ソォン ケィンは深く合掌しながら、そう思った。およそ儀式のための儀式であって人としての親しみをなぜ拒絶するのかと途方にくれほかなかった。帰りの牛車が用意されるまで控えの間で待って居ると式部官長官が姿をあらわした。
バ ゴア様がお会いしたいと申しております。
バ ゴアは式部官長官の挨拶のなか旧知の者と会うように控えの間に入ってきた。咄嗟に驚き後退りする式部官長官に参席を促した。バ ゴアはアユタヤ王の言葉を反芻し、スコォタイ王国との今後を担うのは私であることを述べた。ジャヤナァダ占領は間違いであったが、スコォタイ アユタヤ商人たちには好評であり、それが事の真実ではないかと語った。
時が代わろうが、人が変わろがよきものはかわらない。私はそれを大事にしたい。
ソォン ケィンら随行員はこの率直に話しかけるアユタヤ王の義兄の深意を計りかねるしかなかった。
だが王権の一翼を担う者として、ジャヤナァダ返還には条件を付ける。私の立場が危うくなるやもしれぬと言うと大きく笑った。緊張が弛むのを感じた。そして従者が抱えていた包みを卓の上でほどいた。スコォタイ いやシュリサッチヤナライの焼き物であった。スコォタイ随行員は拍子抜けるようなため息をついた。バ ゴアは柔和に笑いながら、焼き物を手に取りうなずいた。この焼き物には魅了される何かがある。
その方らも、この焼き物の価値を知らぬようだ。条件はこの焼き物の専売権だ。交換品の注文権はスコォタイ側にあるとしょう。つまり王国間の公正な交易のかたちとなることを約束する。
アユタヤは建国間もないながら、わがスコォタイ王国 クメール帝国に侵攻しました。さしたる理由も不明であり、著しく儀礼に欠いております。こうしたアユタヤを信頼できますか。ソォン ケィンはこのアユタヤの地にて初めて自分のことばで語った。
ソォン ケィンと申したな。その方は使い、リ タイ殿に私の言葉を確かに伝えるのが役目ではないか。
バ ゴアは大きな目でソォン ケィンら随行員を睨みつけた。
ソォン ケィン殿 初めてお会い日に申しました。わがアユタヤは交易国家なのです。そして、そのあり方を教えてくれたのがラァマ カムへン大王なのです。
式部官長官は若き頃に遭遇したスコォタイ軍を率いラブォの城市に入場してきたラァマ カムへン大王の勇姿を物語りながら、その教えを披露した。
時の流れは止むことがありません。人もまた、国もまた河のように流れてゆくものとの思いに至りましたのは大王の勇姿をこの目でみて以来 そのお考え、あの振る舞いはこの大地の人々にあり方を示されました。ソォン ケィン殿 ご理解くだされ。
バ ゴアはこの老バラモンを内心では犬と嘲り嫌っていた。どこにでもこの老バラモンの影が見え隠れしていた。義弟アユタヤ王の側近、いやロッブリ王家が遣わした間諜と警戒していた。この者は味方か、あるいはそれ以上の者か。
河のように流れるか。そのとおりだ。アユタヤとスコォタイは一本の河によって繋がっておる。私はスコォタイを訪ねリ タイ様にお会いしなければなるまい。
アユタヤから帰国してから間もなく一月を迎えようとしていた。随行員の話すアユタヤの様子やソォン ケィンの交渉の結果が市中に広まり人々の期待は大きなものとなっていた。宮廷高官らも街の声を無視出来ないものとなりアユタヤに応ずるべく焼き物の増産 さらには焼き窯の増築が決められた。大使のソォン ケィンは宮廷高官の考え、いわばスコォタイ王国の意思をきくためたびたび会合に呼ばれた。
わが国に注文権がありますが、どのような物品をアユタヤにお望みでしょうか。
大臣ら宮廷高官らは申し合わせたように押し黙って居る。
それでは交渉になりません。これは大きな交易ですぞ。
わかっておる。大臣は苦虫を噛み潰したように下をむいた。
ソォン ケィンその方陛下のお考えを聞いて貰えないか。
ソォン ケィンは解っていた。高官らの利益分配を左右するのはリ タイ王の暗黙の了解が欠かせない。スコォタイ廷臣は伝統的に華やかさに疎く貧しい感を放っていた。もう少し華美と云うものを享受したい、旧知の者たち下地もの者らを前に分け与える高官の威厳を味わってみたいと思うのは当然である。
私もそのお考えに同じでございます。
ソォン ケィンのことばに高官らは安堵の息を漏らした。日頃の高慢な面々が今この若造官僚に頭を下げる瞬間であって、これ以降ソォン ケィンはいつの間にか実力者との評判がきかれるようになる。
雨季が明ける頃が最も激しく雨が降る。ソォン ケィンは民政官庁の長い廊下の欄干から降りしきる雨をみていた。視界も覚束ない風景と水におおわれた地面をたたく音は荒々しくも空虚なしずかさを与えてくれる。雨は激しくなり遠雷が届く。
主計官様、村長らはこの雨では来られますまい。雨安居明け僧への贈りものが間に合いますか心配でございます。
降りしきる雨に聞き取れないままソォン ケィンは部下に笑顔をみせた。リ タイ王が即位以来スコォタイの民は世の中が演劇を観ているかのように変わってゆく様を目撃していた。アユタヤの暴挙も大事に至らず平穏な日々が続きむしろ、周辺の国々と良好な関係は増えた。各地に寺院が普請され、真摯な僧侶の姿が溢れ、時に厳かな説教を目の当たりにすることができた。幹線道路の整備もすすめられた。祖父ラァマカムへン大王と父ロ タイ王の莫大な遺産がこれを許した。それはリ タイ王の仏教への思いが幸福をもたらしているのだと、スコォタイの民は理想の君主をみた。
雨安居明け僧への布施は大きな一大行事であり収穫の時期とも重なるこのカティナ祭をスコォタイの民は一年で最も楽しみに待っていた。ソォン ケィンの民政官庁も僧への贈りものの準備に慌ただしい日々をおくりアユタヤの件など考える余裕もなかった。この時期は王宮でも官位が無名になるほど宮廷人も奔走しなければならないが頼りになるのは物品に精通している民政官であった。
王宮は催促ばかりでございます。
官員の愚痴にソォン ケィンは苦笑いする。
ひと月続く行事、やも得まい。しかしこの行事のおかげでスコォタイはひとつにまとまる。
しかし、事件はおきた。カテイナ祭の準備も目通しがついた時、リ タイ王の朝食に毒が盛られた。内恃の者らの解毒処置がはやく命はとりとめ今臥しておられると宮内大臣の言葉を重臣 顧問をはじめ主だった者がきいた。
陛下は快復にむかわれておる。それまで他言無用である。陛下はそおお望みであること皆もわかっていよう。
毒を盛った者らを押さえたのですかな。しずかに帰れとおおおせか。
重臣のひとりが怒りを抑えつつ宮内大臣にせまると押し殺していた悲痛な叫けび 怒りの声に溢れ、泣き崩れる者の姿があった。ソォン ケィンの受けた衝撃は大きく涙も出なかった。明日 リ タイ王との謁見の許しを得ていた。アユタヤとの友好を強く望んでいたリ タイ王、スコォタイの名誉も守れもはやアユタヤとの衝突もなくなった筈なのに、何故に亡き者にする意思を持つのか。迂闊であった。ソォン ケィンは不可解な見えない敵と無力なおのれを憎んだ。
めったに人前に出ることもない侍従長が口を開いた。
陛下は常々おおせられる、仏陀が悟りを得るまでの苦難の道のり、仏陀の前世の記憶を語られ、私には望んでも与えてくれぬもの、その時もしもの時、常に仏陀とともにある。
侍従長の語る リ タイ王の言葉に静寂に包まれ、重臣を残して皆が神妙に立ち上がった。
数日後、リ タイ王が快復しカテイナ祭の報告を受けているとの話しが伝わってきた。スコォタイの民は後々 碑文によってその受難を知ることもできたかもしれない。秘かな調査によって毒を盛った者らの勢力が明かになり、その結果複数の軍統制官が関わりを認め、総監である軍司令官も引退を余儀なくされた。リ タイ王の意向で罪を問うことも首謀者と目される王族にも手がのびる事もくしずかに幕をひいた。
ソォン ケィンは午睡の刻限 王宮内殿リ タイ王の私坊へと呼ばれた。内恃の者らの鋭い目のなか、ソォン ケィンは初めて内殿に足をふみいれた。案内された部屋はリ タイ王の書斎であって棚にはうず高く書物やらバイヨウの冊が積まれている。
お庭でお待ちでです。勝手を知らないまま歩みをすすめるとリ タイ王が待っていた。
リ タイ王は笑顔で頷いた。
ソォン ケィンは慌てて平伏しようとして階段から転げ落ちた。大丈夫か。リ タイ王も驚き無事を見ると大きく笑った。
リ タイ王の背後に蓮池が広がり頭上にはフタバガキの枝葉が日陰を享している。瞑目すれば感じられる風が吹いているかもしれない。
ソォン ケィンはアユタヤとの交渉についてのスコォタイの方針を説明した。あまりにも悠然と聞く姿に心配に思いリ タイ王の瞳をのぞきみた。穏やかな眼差しは変わることがない。
いかがで御座いましょう。
仕事が増えるな。たずさわる者が増える。よいことだと感心しておる。
この交易は莫大な富をもたらすものと考えられます。アユタヤとの駆け引きが重要であり、その体制づくりが肝要であることを述べ、ジャヤナァダの隣 ナコン サワンに商務館を設ける許しを乞うた。そして懸案の分配の枠組みについて、そのあり方を問うた。
リ タイ王は少しばかり驚き、その問の意味を悟った。
重臣らに任せる。何事も初めは大変な事と思う。
ソォン ケィンは寛容な言葉を得 恐縮しつつも曇った表情を隠しきれなかった。曖昧な言葉に違いない。
ソォン ケィンよ、その方が私の意向だと、上手く話せ、お前の考えでよい。
ソォン ケィンは地面に額をつけ感謝した。
リ タイは何もかも見通しであった。何人も近ずけない程仏教への思いのみに王としての能力を小さく観る廷臣が多いなか、ソォン ケィンもその疑念を少なからず持っていた自分を恥じ入った。
リ タイ王が立ち上がると、ソォン ケィンを促した。蓮池の近くに長椅子があり一本の白地の傘が眩しく映えていて、その凛とした様は結界を思わしめた。リ タイに隣に座るよう命ぜられ、夢心地を知った。茶が運ばれ、喫する深みに瞼を閉じた。
瞼を開ければ、マハタァトの尖塔が木々の隙間からはっきり見える。茶を供する女人は王妃であった。驚く間 王妃の眼差しはリ タイ王と余りに似ていた。
ソォン ケィンよ 大使の大役を果たした後、軍統制官長を務め欲しい。
事件以来、軍の重席は空白であった。情報部門を配下に置き、事実上軍の主宰者である。多くのことが可能になる。ソォン ケィンは身震いする思いであった。
陛下 なぜ私にこれほどの信を下さるのですか。
リ タイの眼差しは変わらない。私の仏陀ヘの思いはすすめなければならない。それは空想に等しいものかもしれない。その方は深い現実を観ている処に身をおいておることは頼りである。さらに、重臣らの強い薦めを無視することはできない。
ソォン ケィンは確かにかしこまって聞きながら、暗澹たる思いをもった。なるほど、重臣らはアユタヤの利権を握ろうと考えればこの私は邪魔になる。利権に媚びればアユタヤに奪われることを知らない。
歪んだ口元から察したのだろうか。
ソォン ケィンよ。バ ゴアには間もなく、その方がスコォタイ軍を主宰する者となることが報される。
ソォン ケィンは驚いて口を閉ざすのもおぼつかなかった。バ ゴアとの密談がよみがえる。王の使者といえどスコォタイでの官位はいち上級官にすぎず政治に発言する立場にないことをバ ゴアにしらせ席を立った。バ ゴアの強引な考えを嫌い、深入りを避けることを賢明としたがソォン ケィンは自身の身分では何もできないことをしっていた。
リ タイ王はバ ゴアと対抗できる官位を与えようとしてしている。間もなく大使としてアユタヤとの交渉に望む者がスコォタイ軍統制官の長官になる者ならばアユタヤの強引さは影をひそめるだろう。
その後、王族 名門が就任する軍司令官の空席が続いた。アユタヤとの交渉の成功によって両国の交易は莫大な利益を上げ、その利益は周辺の国々を惹き付け、リ タイ王のすすめる寺院の建造に寄与する。
スコォタイとアユタヤを繋ぐチャオプラヤ川は両国の船が行き交い、焼き物の他に米や果物、様々な森の産物が運ばれることになる。アユタヤの食料事情がよくなるとアユタヤの民はスコォタイに親しみをおぼえた。バ ゴアのソォン ケィンヘの信頼は変わらない。大きな案件については統制官長の意向をスコォタイ商務官に尋ね、ソォン ケィンに度々書状を渡した。
ソォン ケィンはいまだ大使のつもりか。アユタヤに買収されておるのではないか。
家柄が大きく物を言った時代、重臣の末席に座ることにも王族 名門からの反発が聞こえてくる。その声を無視しておれば有害であると思い、リ タイ王臨席においてソォン ケィンはアユタヤの事情を重臣らに話した。
アユタヤは多くの民族 勢力によって築かれました。今だ創成の勢いは衰えず、一歩でも先んじようと民も有力な者も競い合っております。ここからアユタヤの未来図を推し測ることができませんが、みえてきたもはアユタヤ王は本気で古えのクメール帝国を標榜されておることです。それを望まぬ者達も大勢おります。
アユタヤは分裂しているということか。
分裂は失うものが大きすぎます。内戦の覚悟もいるでしょう。分裂故にまた別な力が働きます。それが我が国ヘの進攻、クメールの首府を包囲することを可能にしたのです。アユタヤの動向は監視しなければならず、国境ナコン サワンに兵を置いた理由であります。野心を抱かせてはなりません。
ソォン ケィン殿、わかった。誹謗の声は止むであろう。焼き物は大丈夫であろうか。
重臣らは額の汗を拭い一息つきながら、それぞれの思惑を思っているようだった。
ソォン ケィンがヨム川を下ってナコン サワンを訪ねた。派遣した兵の監督のためだったが、その訪問はバ ゴアにも伝えていた。バ ゴアの先遣隊も到着しており持参した多大なお土産にナコン サワンの街が沸いていた。
強引なお方というのは本当ですな。我らはアユタヤ兵を見るとまだ構えてしまいます。
ソォン ケィンはしかし、バ ゴアが直々にここまで来るのには相当の話しがある筈だと睨んでいた。
豪華な船が桟橋に繋がれ、人だかりのなかバ ゴアがその姿を現した。その煌びやかな衣装や先導の日傘を見て人だかりは息をのみ込む。ナコン サワンの住民は、初めて王の姿を見た。
ナコン サワンの太守邸で宴がおこなわれ、バ ゴアは終始にこやかであった。太守はバ ゴアの実力をしってかご機嫌取りに夢中であった。
交易がはじまったばかりですが、このような大きなものになろうとは予想しておりませんでした。ソォン ケィンにとって、ありきたりのことばを添えた。
統制官長様 バ ゴア様は多くの国々の港市を訪ねられ見聞豊かと聞いております。
ナコン サワンはバ ゴアの国 スバンプリに近い、それにしても、ここまでの食い込んでおったかと思いながら太守の言葉を聞いた。
ソォン ケィン殿 一艘の船にリ タイ様ヘの贈り物を用意いたした。中でも仏具を手に入れるのは難儀であった。リ タイ様がお喜びなれば私もうかばれる。
ご配慮、その言葉陛下にお伝えします。
私が訪ねたのは、リ タイ様にもっと大きな贈りものを差し上げるためである。側近であるソォン ケィンに話し直にリ タイ王による裁可をみないと進められないとバ ゴアは考えた。太守をはじめ参席の者は立ち上がり宴を後にした。代わってバ ゴアの配下がこの宴会の間を遠巻きに取り囲む。
リ タイ王が自らの師となる高僧を内々に探していることをバ ゴアは聞き及んだ。リ タイの師になる程の僧を探すよう側近に命じたのは、まだスコォタイとの紛争中であった。側近らは訝りながらも、一年の期間を費やし探し当てた。正統なるランカ島にて修業を積みペグゥ王の絶大なる信頼を得て庇護を受けている。バ ゴアの意向に高僧らは目を輝かせた。リ タイ王の仏教への思いはこのペグゥでも有名であった。高僧 サンガラァジヤは正しい仏教の弘通に努めるのは使命だと言った。バ ゴアはペグゥ王に掛け合い許可を受けるのは難しいことではない。ペグゥの交易相手アユタヤとの関係は重要であり、バ ゴアの意向に逆らえなかった。
リ タイ様が高僧をスコォタイに招かれることになれば、多くの正統なる僧がこの大地に参ると申した。
スコォタイ宮廷でリ タイ王の望みを知らない者はいない。ランカ島の地で正統なる仏教を修めた高僧を招きスコォタイの仏教を完成に導くための道標とリ タイ王は信じていた。
陛下が強く望んでおられることです。お伝え致します。ソォン ケィンは合掌して謝意を表した。
バ ゴア様、何がお望みですか。
ふたりはしずかに睨みあった。この男との駆け引きをバ ゴアは愉しく思うことにきずくと口元がゆるむ、この者がスコォタイ軍の所謂参謀長になったことは局面の大きな変化であり、事実この地ナコン サワンに短時間で兵営を設ける実力を示した。ナコン サワンはアユタヤが占領したジャヤナァダの川上にあり、この次は戦うという表明であり、兵営は情報官の拠点としてアユタヤの動向を監視するだろう。戦いは兵の数ではない確かな情報だ。この者、楽しみだ。
リ タイ様の王女をいただきたい。私には歳のはなれた弟がおる、私と違って穏やかで人望も篤い、近頃は仏僧から熱心に説法を聞いておる。いずれスバンプリ王家を継ぐ者となる。
ソォン ケィンには言葉を失う驚きであった。
バ ゴア この男を信じてみたい。頭の中はこの大地に訪れる平穏と豊かさ沸く民衆の姿がみえた。
数年の後、リ タイの王女はスバンプリに嫁いだ。リ タイ亡き後、混乱するスコォタイとアユタヤの間を鎮めたのは王女であった。王女亡き後スコォタイは消えてゆくが、その時のアユタヤ王は王女の子孫であり、リ タイ王は彼らの真の祖父であった。リ タイ王存命の間、バ ゴアはリ タイ王との約束を堅持した。アユタヤ王国の発展はこのような繋がりに負うことが大きい。
カテイナ祭がはじまった。リ タイ王の使いが布施の品々をサンガに届ける儀式は盛大に執り行われ、真摯な僧の厳かな立ち振舞いを見物しようと多くのスコォタイの民が押し寄せた。人々は一年の労苦をはきだすように陽気に唄を歌い 踊る。寺院は着飾った若い男女で溢れ、熱い視線と息ずかいに盛り上がった。見知らぬ者達もこの日ばかりは旧知の者同士のように気軽に語り合いながら寺院ヘの道のりを共にした。白象に乗り西の寺院へ参拝するリ タイ王のその姿を観ようと大勢のスコォタイの民が沿道を埋めつくしている。象の背にリ タイ王の姿を認めると、それまでの歓声は止んで人々は膝まついて合掌した。リ タイ王も微笑み、応えるように時折小さく手を合わせる。リ タイ王の帰路に合わせ人々は沿道に詰めかけ、そのままリ タイ王について行く、この日は王宮は開放される。日が暮れるはじめると王宮内は数百ものかがり火
に溢れ、暗闇のなかに王宮や寺院が浮かび上がる光景に人々は魅いった。花火が点火され火花と爆音に人々の歓声が王宮内にこだまする。リ タイ王はその爆音と人々の歓声を黄金殿にて聞いていた。
一年の労苦をねぎらうため、邪気を吹き飛ばすためこの花火をはじめられたのはお祖父様です。
リ タイはラァマ カムへン大王に似せた黄金仏に小さく語りかけた。嬉しい涙なのか悲しい涙なのか控える者らもわからなかった。
内心の焦りをどうしても打ち消せない苦しみに自らの心の均等を保つ術を分からまま、リ タイは瞑想と沐浴に救いを見出だすべ日々であった。しかし、リ タイが一方で実は何よりも優先されるものは自らがスコォタイ王である事実である。リ タイの深い意識のなかには幼少期の祖父との楽しい記憶が今もって鮮やかに占めている。あの時分が覚めね夢ならばと幾度思ったであろうか、だが王位から視る現実のものは厳しく難解であって王位をこの手にしたことを悔いることもある。
カテイナ祭も落ち着き、謂わば新たな始まりを迎える。リ タイのもとには王族やら各地の太守が挨拶に訪れた時リ タイは彼等のアユタヤとの親交に肯定するものと否定する意見に苦慮しなければならなかった。彼等は祖父ラァマカムへン大王の子孫であったり、亡き父ロ タイ王の信任厚い高官であった。
私の望みは心しずかに仏法とともに生きることであると言えば簡単であろうか、しかし王という立場は許されない。リ タイは各地に寺院造営 街道の整備を約束し不満をなだめるしかなかった。
アユタヤとの交渉も成功といえる取決めがなされ、さっそく焼き物を載せた船がヨム川を下った。ソォン ケィンはその功によりスコォタイ軍統制官長に抜擢された。重臣ら反対は無かった。重臣らの関心はアユタヤとの交易であり、アユタヤとの親交が周辺の国々に伝わると交易を求める国々がスコォタイを訪ねて来た。重臣らは使者らとの応対にかつての誇りを取り戻しているようであった。重臣の意向によって多くの将兵が交易に関わる部門に配属がすすめられ軍営の官舎は活気を失った。
ソォン ケィン殿 理解してくれるな。
目に余る人手不足、やもえません。将兵は少なくとも読み書きができ、行政官を併任している者も多かった。軍営内部にいるソォン ケィンの同志らとひそかに話しが安易出来る事は思いの外大きなものとなる。思えば、我らはあのクメール僧の塾仲間であった。公用語であったクメール語を親の薦めで習い通っただけにすぎない。生意気盛りの我らにあのクメール僧は笑顔を絶やすことが無かった。僧の話しは余談に溢れ、楽しいもので間もなく、師のように接する我らを知る。それが今日の友情を育んだ。
ソォン ケィンの出世とその権能を仲間は我が事のような喜び、激務に同情した。
諜報の者等と会ったのか。
無口な者等であった。今後の指図をと下を向いたままであった。
リ タイ様の情報元を調べよ。と命ずると、子供のように驚き、あろうことか逆に私に敬意の念を滲ませた。
リ タイ様をお守りしておりますのは、龍の使いと云われる者等です。千年のクメール帝国の栄光を影で支えていた途方もない者等であります。
パネン チュンのあの商人を思い出した。
会ってみたい。つなぎはつけて欲しい。諜報の者らはいたずらっぽい笑みをうかべた。
ソォン ケィン様 あなた様はアユタヤにて幾人かの龍の使いに会われております。アユタヤ王が今あるのは龍の使いによるのです。
ソォン ケィンは愕然とした。アユタヤで会った高官、バラモンそして商人もそうなのか。
何者なのか。
諜報の者等は顔を見合せた。敵でも味方でもありません。クメール帝国に伝わる女王をお守りすることが本分であり、女王の命に仕える者等です。
詳しい者達だ。ソォン ケィンは笑みをうかべて頷いた。大事な話しを打ち明けたことに感謝した。
ソォン ケィン様は我ら無名の官に頭を下げられました。大事な話しです。リ タイ王の祖父 ラァマ カムへン大王様はクメール帝国が永く護ってきた母系相続女王のたった一人の子息なのです。
リ タイ様は御存知なのか。
おそらく、何も知りません。
兵営のなかでソォン ケィンは諜報の者等との話しを仲間等に話した。長い話しでも、興ずる話しでもない。だが皆が押し黙った。日が傾きかけた時刻、優しげな面持ちを残しながら、一人ひとり帰っていった。
スコォタイ王宮の南西の山麓に見事な湧水が溢れる処がある、スコォタイの最も神聖なその処であるがクメール帝国の時代のもので複雑な処であった。しかし、その湧水は殊に清らかで美味であった。二体の仏像がその傍にある。それは夫婦のように近く互いが寄り添い悦楽のなか遠くを見つめている。ソォン ケィンはその南麓の山並みを望みじっと睨む。日が傾きかけた時刻 南麓の山並みは西日に穏やかに映えていた。
真理はそれこそ無数にある、だが、根源はひとつなのだ。ソォン ケィンは見えなくなるまでその南麓の山並みを見つめてた。
この頃、リ タイは王としても信仰の事でも充実した日々であった。アユタヤとの交易の利益は実に莫大で多くの土木工事、寺院建造に費やすことができた。疎遠であったペーグ王国との関係も改善され多くの物資が取引され、潤う人々の様子がリ タイの耳にも届く。良かった。リ タイはそお想う。
浮かれる臣下やスコォタイの人々を思う。
何より大事なのは信仰であり功徳を積み、悪しき輪廻から解き放たれることだ。
リ タイは王として多くの事業を命じ、多くの人々の敬意を集めるほど、苦しんだ。そんな時、
数人の顧問官がソォン ケィンを告発するためにやって来た。あの者は軍営の視察と称して、バ ゴアと会っております。軍を任せるには危険であります。
親の跡を継ぎ顧問官になった者たちに、リ タイは謝の言葉で応じるしかなかった。彼等は嬉々としてリ タイの言葉をきき去ってゆく。リ タイの傍に控えていた侍従はただ虚ろに空を見つめる。
ソォン ケィンを護ってほしい。
日が傾きかける頃、ともに修行の身である若い僧が庭先に控えていることにリ タイは気ずいた。若々しく、真っ直ぐな面差しに遠い自分の姿が重なる。
遅くなり、すまない。
リ タイは若い僧らと連れだった。日が暮れる前マハータァトに祈りを捧げることを近頃日課にしていた。共に読経に勤しみ、我を忘れることがリ タイに安穏と云うものを与えてくれた。若い僧が見守るなかリ タイは静かに池の水のなかに身を沈めてゆく。そして合掌する姿はまことに仏陀であった。
沐浴を終え若い僧から替え着を受けとつていた時、離れたところで持している者らに気ずいた。ある老齢の僧は二人に脇を支えられ歩みよってくる。
これは、これはシ サッタ様とリ タイは叫ぶと濡れた肌に急いで腕を通した。
陛下 久しく会いに来ました。警備がここまで厳しいものとは知らず、この時刻になりました。
リ タイは敬意の姿勢を示す。この老僧はスコォタイ建国を為した者の孫であり、祖父ラァマカムへン大王に実子のように頼られた者であった。筆頭王族であり、時にその発言は王族 高官を震えあがらさせた。ラァマカムへン大王の御代 元との衝突と交渉の先頭に立ち、所謂 タイ人の世界を確立する武人のひとりであった記憶をスコォタイ王族は知っている。その後も華やな経歴に包まれ、現在の王族 大臣の父親は畏怖の念を今持って強烈に感じている。リ タイは10年程前武力を持ってスコォタイ王を獲得した。嫡子が絶対でなかった時代リ タイは決して正しいとは言えない。リ タイも自らの衝動を今でも悔いることがある。だが、この老僧 マハーテェラァはリ タイの正しさを宣告した。
スコォタイ建国の意思を皆は忘れているのか。意思を受け継ぐ者が王にふさわしい。静かな恫喝の前にスコォタイ王族は頭を下げた。
華かな人生のなか、子を喪った。その哀しみは癒えることがなくすべてが虚ろなものなった。すべてを辞し僧になりバァラートを尋ねランカ島に学んだ。今王宮の西の山麓の寺院で残りわずかな生涯をおくっている。リ タイは少年の時分にこの僧から聞いた話しが忘れられない。そして恩人である。
リ タイは菩提樹の木陰に老僧を招こうとすると、
ここでよい。マハタァトの正面の置石に腰をおろし境内を小さく頷きながらみている。濃く日に焼けた老僧の顔に一瞬険しい目が光った。
陛下 150年の前この地はクメール帝国の西北の要地として開かれたことは承知しておりますな。その当時クメール最大の帝 ジャヤヴァルマディバァ帝の命であったことは存じでおるかと問うた。
承知です。まだこの時代クメール語はこの地の公用語であり、リ タイもクメール語その歴史を当然学んだ。しかしスコォタイにとって好意を抱く国ではなかった。
あなた様はジャヤヴァルマデェバァ帝の血を受け継いでおられるのです。リ タイは返す言葉に窮して老僧の顔を見つめた。内心おかしくなったのかと疑った。シ サッタ様 我らの祖はクメールの圧政から解放を願ったのではありませんか。老僧は反論を意に返すこともなく、
クメールの圧政は秩序と豊かさをもたらす契機であって、我らシャームは多くを学んだ。ムアンと呼ばれる村の集まりにすぎなかった我らが国をつくれるようになった。
老僧はしずかに語りかける。
陛下 偉大な祖父ラァマ カムへン大王、父王ロ タイ様 多くの民を慈しむ政治を心がけ、仏法の隆盛によって人々の安穏を希いました。大王もロ タイ様もそのお手本となる御方を知っていました。
生前 ロ タイ王はリ タイのあまりにもの優秀なことに喜びながらも、いずれ王となる前途を憂いておりました。苦しむ、あなた様を心配しておりました。
父はわかっていたのですね。ある夢をみました。このスコォタイ王宮そしてこのマハータァトが誰もいない廃墟になっているのです。静かな雨の降るなか私はひとり茫然とその場に立ちすくんでいるのです。何もかもが寂れ、時の経過をどこかに意識しっつ、そこに哀しみも疑問もないのです。ただ その光景に溶けているだけでした。
老僧の眼差しにも悲しみがにじんでいる。
なぜ アユタヤと戦わなかったのですか。
アユタヤとの戦争は大きなものとなり、多くの者が命を落とすでしょう。私には耐えられません。
日は穏やかに西の空にあった。その山麓は日の残りを受け影をおびている。マハタァトの蓮池もその穏やかな日を受けて蒼くあって、その東の空も蒼く霞みつっあり、木々の緑も建物もどこか今日を懐かしんでいるようにも思った。
スコォタイはジャヤヴァルマデェバァ帝の意思を受け継ぐために建国されたのです。スコォタイの栄光はこの穏やかな残照のように後々の人びとの心のなかにいつまでも残るのです。リ タイ様 例えこのスコォタイが滅んでも、あなた様は間違っておりません。いずれ、人びとが目を覚ました時 スコォタイは蘇りましょう。
老僧の優しげな眼差から、それが真実であることとリ タイは覚悟を覚え頷くと、老僧の顔に疲労で少しばかり歪む。長い道のりを歩いて来た僧衣はまだ乾いてなかった。まずは、王宮にてお休み下さい。
マハータァトの経堂の屋根は赤茶けた美しい瓦でふいてある。その中にはスコォタイを護る仏像の姿がみえた。老僧は腰石に手をかけかろうじて立ち上がると仏像に手を合わせた。最後の私の役目と老僧はつぶやいた。
建国の秘話をお伝えするにはふさわしいところです。それは夢のような物語です。
リ タイが敬愛してやまないラァマカムへン大王は西暦1219年 この地で誕生する。それは奇しくもクメール帝ジャヤヴァルマデェバア帝が亡くなった年時でもあった。両親のもとにラヴォ総督自からが報せに来た時、大王は母の腕のなかだった。ジヤヤヴァルマデェバァ帝の実子であるラヴォ総督は老境の年齢にありながらも、まだ若い夫妻に頭を下げた。
マハーナコン ヤショダラプラにて即位されますよう。先帝とのお約束を果たされますよう。
両親は来るべき時を知った。帝の容態はインドラデェビィ王妃をはじめ、諜報の者らから逐一報らされていた。そのような時 ラァマ カムへンは生をうけた。夫妻は重だった者らをスコォタイ太守邸に呼び、事のいきさつを話した。
クメール帝よりシュリーインドラパティンドラデイトヤの称号をいただいたのは、クメール帝の孫娘を妻にいただいたことによる。妻の称号シュリーカァリーデビーはクメール帝の強い意思の表れであったのであろう。後を頼む。二人はその宿命を秘めつつ9年の歳月をこの地で過ごしてきた。シュリーサァチャナライでは総督として、スコォタイでは太守であり国ずくリに努めながら、夫婦は度々北方を訪ねた。多くのシャム人の移住によって先住民との軋轢も増え、血生臭い報せもきこえてきた。
私もシャム 共存の道を説いてまいりたい。
私も参ります。まだ子がなかった妻の申し出に夫は苦笑した。クメール帝国総督の威光にハリプンチャイのモォン人の王は王宮の外で出迎えて歓迎する。まだ若く穏やかな人物と王はひと目でわかり安心する。だが一緒にいる少女のような妻とも挨拶を交わした時、モォン王は急に身体がこわばり地に膝をついた。夫は王の不自然に肩を抱こうとした。王は妻であるシュリーカァリデビィを仰ぎ見る。
龍の娘様と呟いた。
共存を説く夫婦の旅は毎年のように、そして遠く奥地に及び多くの人々と関わる。この行脚を後の人々はクン チュアンの伝承として語り継ぐ。そしてシュリーカァリデビィの歩く様はスコォタイの遊行仏の姿に表された。
仲の良い夫婦であったと伝わっております。シ サッタは目を細める。しかし巨星が堕ちたのです。
ジャヤヴァルマデーバァ帝の命による遠征軍が越南に展開したのは昨年、越南李朝は後継者争いの混乱を収束するためクメール帝に援軍を求めた。しかし2万の軍がハイバル峠を越え展開、李朝との友好を唱えてみたものの、思いもよらね抵抗に遭った。李朝はもはや統制されておらず、クメール軍は迷走し疲弊してゆくばかりであった。間もなく激しい雨季、猶予はなかった。
ただちに王宮に入られ、撤退の命を発せられることがああなた様の仕事になります。
夫妻はすやすやと眠る赤子を妹夫婦にあずけた。赤子が生まれた時、夫妻はその覚悟を決め妹夫婦に告げていた。クメールの王宮でこの子を守れたとしても、物心がつくようになればバラモンの師に従い学問に明け暮れる。それでは意志を継ぐことは叶わない。
命にかえて 御育ていたします。妹夫婦は間もなくクメール帝になる夫妻の苦渋をあらためて知る。妹の腕に抱かれた赤子は目を覚まし、黒い瞳は驚くこともなく笑であふれていた。
この母子の別れの情景を彷させる跡がヨム川河岸に残っている。サン・プラ・メー・ヤーという祠堂は亡き母を偲んで建立したとされ、現在も人々の参拝が絶えない。亡き母を偲ぶ祠堂が、何故王宮に建立されなかったのか。自らの出生と両親の思いをつまびらかに知った時ラーマカムへ-ン大王は河岸の船着き場で別れた母と母に抱かれた自分を想い浮かべたことだろう。
さらにスコータイの都城は明らかに真東から、やや北ヘ向けて造営された。その傾斜の延長には重要な意味がなければならない。その延長にある地こそ両親の終焉の地、ナコン タイである。
空前の版図をつくりあげ君臨したジャヤヴァルマン帝の後を継いだインドラヴァルマン帝は何者であったのか。 自らの神殿も造らず、碑文を記すこともなく、最盛期の17年間を在位したと思われる。その後の帝の時の碑文には優駿であった記し、涅槃に旅立ったと云う。あまりにも素っ気なく 短い。そして死去したにも拘わらず諡名が贈られることがないクメール帝であった。諡名がない帝は過去に二人いる。その二人は謀反により帝位を追われた。インドラヴァルマン帝はこのインドシナの大地に君臨したクメール史上最大の帝王 ジャヤヴァルマン帝の望んだ後継者であった。先帝の威光と莫大なる富を受け継ぎ、命を発すば何万もの人々を蟻のように眺めることもできた。
しかし、インドラヴァルマン帝は封印された。それは帝が隷属の民 シャムの者であったからだ。