29「嵐」
どこを見渡しても海、海、海。
空の青と海の青がひとつとなって一面青の世界を創り出す。
しがらみから解放されたような気がしてスッキリした気分だ。
その雰囲気を壊すかのようにガルドが船べりでゲエゲエしていた。
「おい、大丈夫かガルド?」
「うえー。船がこんなにも乗り心地悪いものなんて知らなかったぜ」
「だらしない奴だ」
船長は舵を取りながら呆れ顔を浮かべる。
海の男達からすれば、今のガルドは腰抜けのように見えるのだろう。
陸の上では豪快なガルドも海の上では赤子のようだ。
ガルドは思いの外、三半規管が弱いのかもしれない。
「親方、これはどこに置きますか?」
「マルク。親方と言う呼び方はやめろ。船長と呼べ」
「はい。親方!」
マルクは船長に敬礼をしながら返事をする。
その様子を見て船長は頭を抱えていた。
「で、お前達はどこを目指しているんだ?」
「マリンクラブが出没する所だ」
「マリンクラブか。お前達は賞金稼ぎか?」
「まあ、そんなところだ」
船長にはじめから説明するのも面倒だ。
策士として経験を積むための戦いと言っても策士の説明からしなくちゃらない。
賞金稼ぎで通していた方が何かと都合がいい。
「なら、アトルーゼの無人島だな」
「アトルーゼ?」
「アトルーゼって言う船乗りが初上陸した島だからその名がついている。まあ、この船なら二日はかかるな」
大型の船ならば一日で辿り着ける距離なのだが、エンジンの小さい小型船なら倍はかかるそうだ。
まあ、急ぐ旅でもないのでのんびり行こう。
「潮風が気持いわね」
「こんな天気がよいならひと泳ぎしたいですわね」
「私、水着持ってない」
エリザ達は船の先で楽しそうに雑談をしている。
こんな気分で旅を楽しめるのははじめてかもしれない。
ニーズの街を出てからはモンスターに出会ったり山賊に襲われたり、心が休まる時はなかった。
たまにはこんな風にのんびりするのも必要だな。
「暇をしているなら釣りでもしてみない?」
「釣り?」
「海にはカジキやマグロやタイなんかがたくさんいるんだ。飯を調達しなくちゃならないから」
私はマルクに薦められるまま釣りをはじめた。
がっちりとした釣り竿に丈夫そうな釣り糸。
エサはイカだ。
マルクは慣れた手つきで竿を準備すると海に投げ込んだ。
「マルク。今日の飯がかかっているんだからな。デカいのを頼むぞ」
「任せてよ、親方。こーんなにデッカイのを釣ってやるから」
マルクは両手を広げてジェスチャーをする。
傍から見ていると船長とマルクは祖父と孫のようだ。
船長の話によればマルクはひょこんと転がり込んで来た居候。
両親はおらず兄妹もいない。
幼い頃は親戚をたらい回しにされていて大人達から暴力を振るわれていたそうだ。
左腕に残っている痣も、その時のものらしい。
マルクは悲惨な素振りも見せないほど明るく振る舞っている。
気丈と言うよりも過去を忘れたいのだろうな。
竿を海に入れてから30分。
中々、当たりは来ない。
「ぜんぜん釣れないね」
「まあ、こんなものだろう」
「魚なんていないんじゃない?」
エリザは疑うような目つきででマルクを見やる。
「魚はいるよ。たまたま釣れないだけだよ」
マルクは竿を上げてエサをつけ直す。
と、遠くの空からゴロゴロと言う音が聞こえて来た。
船長は望遠鏡で空模様を確かめる。
「嵐が来るな。おい、お前達、嵐の準備だ!マルク、客人を船室へ案内しろ!」
「はい、親方!」
船長の言葉通り、北西の空がどす黒く染まっている。
時折、稲光がピカピカ光りながら空を走っていた。
久しぶりのひと時もここまでか。
船長の話では、山の天気が変わりやすいように海の天気も変わりやすいのだと言う。
私達はマルクに案内されて船室へ入って行った。
船室はこじんまりとした小部屋に二段ベッドが両脇に設置されている。
座れるスペースもなく、ただ横になるだけの部屋だった。
「男はこっち。女はそっちだ」
通路を挟んで私達の部屋が用意されていた。
ガルドは相変わらず気怠そうにベッドへ横になる。
まだ船酔いが続いているようで元気がない。
嵐ともなれば今以上に酷くなるのは目に見えていた。
甲板では船乗りたちが嵐の準備をしている。
「私達に何かやれることはないか?」
「素人が出来ることなんてないよ。大人しくここにいてよ」
そう言い残してマルクは甲板へ向かった。
子供と言えど船乗りとしての自覚はあるようだ。
これでは私達の方が子供の様なもの。
しかし、それも仕方ないだろう。
何せはじめての出航なのだから。
嵐が近づくにつれて船が大きく揺れ始める。
風ばかりでなく雨も激しく打ちつけて来た。
「タクト、大丈夫なの?さっきから船が波に揺らされているわよ」
「大丈夫さ……たぶん」
エリザの言葉通り不安になって来た。
船長はベテランだから、これくらい心配ないと言っていたが。
その言葉を覆すかのように船は大きく揺れている。
私はエリザ達をおいて甲板へ向かった。
「おい、お前達!体にロープを巻き付けろ!マルクはこっちへ来い!」
船を襲うように波が甲板に乗り上げる。
その中で船乗り達が体にロープを巻き付はじめた。
波にさらわれないようにするためなのだろう。
「親方、何か用?」
「お前は中に入ってろ!」
「俺だって船乗りだ。このくらいの嵐なんてどうってことないさ」
船長は力任せにマルクの頬をひっぱたく。
「何すんだよ?」
「海を甘く見るんじゃねえ。海で亡くなった奴は山ほどいるんだ」
そう呟くと船長は奥歯を噛み締める。
そして船長の目にうっすらと光る物が見えた。
それは雨粒なのかはわからなかったが。
海の男だ。
過去に何かあったのだろう。
けど、今はそれどころじゃない。
「マルク、こっちへ来い」
「離せよ。俺だって役に立てるんだ!」
「マルクのことは任せだぞ!」
私はマルクの肩に手を回し羽交い絞めにする。
マルクは手足をバタバタさせて暴れていた。
「タクト、どうしたの?」
「マルクが船長の手伝いをするって聞かないんだ」
「俺は船乗りだぞ。こんな所で油を売っている暇なんてないんだ!」
パチン。
プリシアは怖い顔をしながらマルクの頬を叩いた。
「船長の気持ちがわからないうちは、まだ子供だってことよ!」
「……」
マルクは頬を抑えながら悔しそうな表情をする。
そう年も変わらないプリシアに叱責されてバツが悪いのだろう。
それにしてもプリシアがこんな風に振る舞うのは意外だった。
いつもはムードメーカーとして振る舞っているだけに、ギャップが半端ない。
マルクのことを弟のように思っているのだろうか。
このところ、二人で話しているのを何度か見掛けたし、親睦を深めたのかもしれない。
「戦わない選択肢があるように何もしないって選択肢もあるの。私達だってケタ外れに強いモンスターとは戦わずに来たわ。だから、今の私達があるの。そうでしょ、タクト?」
「プリシアの言う通りだ。敵わない相手とは戦わないのが最善の方法だ。だが、それは逃げると言うことではない。また挑戦する機会を伺うだけの話だ」
私達の言葉にマルクは奥歯を噛み締める。
胸に刺さる言葉のようだから余計に込み上げるものがあるのだろう。
マルクは終始、拳を握りしめていた。




