家の主人
それは突然やってくる。
家中に鳴り響く、チリリリリという高く済んだベルのような音に私はハッと身を起こす。
何もよりによってこんな夜遅くに来なくたっていいのに、と悪態をつきながら簡素な黒いワンピースを頭からかぶり、肩の下まである黒い髪を手櫛でまとめながら頭の後ろで一つに結ぶ。
鏡を見て、顔が汚れていないか素早く確認し、部屋を出る。
とにかく、もたもたしてはいけない。
このお屋敷の主人は短気なのだ。
美しい木目の廊下を進み、玄関ホールで定位置に着く。
扉の1番前には執事のヨハン、その右後ろに控えるのはベテランメイドで私の上司であるハンナ。その二人から離れ、ホールの端っこに庭師のダンと気配を消すように頭を下げて直立する。
きちんと姿勢を整えた瞬間、扉がひとりでに開くのが目の端にうつった。
間に合った。心の中で安堵のため息をつくと、微動だにしないようゆっくりと息をすることだけに集中した。
「ただいま。みんな良い子にしていたかな?」
ねっとりと絡みつくような声に、ぞわりと鳥肌が立つ。
それを悟られないようにまたゆっくりと息を吸って吐く。幸い今日は何も言われず、そのまま自室に向かうようだ。ヨハンと何やら話しながら階段へ向かっていく主人の後ろ姿を決して目で追わないように気をつけながら、階段を上り切って廊下への扉が閉まるのをゆっくり待った。
パタン、と言う音がしてからゆっくり30数えると、フーッと息を吐き、ゆっくりと顔をあげる。
隣で庭師のダンも、しわくちゃの手を首に当てながらゆっくり顔を起こすのが見えた。
ても顔も日に焼けてしわくちゃで、すっかり白髪になった髪を短く刈りそろえたダンは、綺麗な青い目を細めて私にウィンクする。
「アンネ、今日は間に合ったようだね、感心感心。」
私はムッと口を歪めると、すぐに反論する。
「こないだはしょうがないじゃない。というかいつもくる時間がバラバラなのに扉を開ける前に集合していろって言うのが無理な話なのよ。」
「それもそうだがね。さて、今日はもう遅いし、明日何をご要望されるかわからん。また寝よう。」
そうね、と頷いて早々に部屋へ戻り、いつもより早い時間に目覚まし機をセットした。ハンナはいつも神経質で、少しの掃除し残しも、洗濯で落ちなかったシミも許さない。ご主人様が来るといつも以上に意地悪で厳しくなるのだ。
どうせいつも3日といないのだ。しばらくの我慢、と言い聞かせて冷たいベッドへ潜り込む。