愛と勇気があればドラゴンにだって勝てる
それは、戦場に似つかわしくないポップな曲だった。
歌っているのは、黒髪の青年。死んだ顔で、楽しげな曲を楽しくなさそうに歌っている。
それに対峙するのは、翼を生やした赤色のトカゲ。一般にドラゴンと称される高い知能を持つトカゲだ。
ドラゴンは口から火を吐く。青年は、「ぐるぐるどっかーん」と口にしながら突き出した拳で消し飛ばす。消し飛ばされた炎の向こうから、ドラゴンが強靱な翼でもって青年へと突撃する。
青年は、面倒くさそうにそれをよけて、ドラゴンの視界から姿を消す。
ドラゴンは困惑していた。ただの人間だと思い、ちょっかいを掛けたのが運の尽きだった。
吐き出す業火はただの拳で消し飛ばされ、音速を超える速度での突撃は簡単に避けられる。更に、青年は視界の何処にも見当たらないと言うおまけ付きだ。
それに、青年が口ずさんでいる歌もそうだ。人間から見れば、ドラゴンと言う明らかな格上の前に立って尚、歌を歌い続ける異常さ。その曲も、ウォーソングなどであれば気を紛らわせる為だと分かるが、どう考えてもそうじゃない曲だ。
青年が歌っている曲をドラゴンが知らないのも仕方ない。青年はいわゆる転生者と呼ばれる人間で、青年が歌っていたのは前世でよく聞いた曲だった。
あんパンのあの歌だ。前世であれば、誰もがよく知る有名な曲だ。
「なあ、知ってるか?」
突然、青年の声が響く。
ドラゴンは首を回して辺りを見渡すが、何処を見ても青年の姿は見当たらない。
「正義の味方ってのは、誰も助けてくれなくて、愛と勇気だけが友達なんだとさ。」
青年の声は、どこからともなく響いている。前後、上下左右、全ての方向から、青年の声が聞こえる。
有り体に言えば不気味。長い時を生きるドラゴンでさえも体験した事のない異常。それが、ドラゴンの焦りを駆り立てる。間違えたと、手を出すべきではなかったと。
逃げだそうにも逃げ出せない。ドラゴンとしてのプライドが、人間と言う格下から逃げ出す事を許さない。
「でも誰も愛してくれないのに誰かを愛せないし、勇気を持ってたとしてもそれが蛮勇なら意味がない。さて、どうしたものか。」
ふと、ドラゴンは自らの腹部に違和感を感じた。首を曲げて自らの腹部を見れば、黒髪の青年が腹部を弄っていた。
火に対して耐性のあるドラゴンは、迷う事なく火を吐き出した。
青年を消し飛ばす勢いで吐き出された業火はしかし、青年を消し飛ばすに至らなかった。
「ドラゴン、そう急くな。まだ、僕が話してる途中だろ?」
気がつけば青年は、ドラゴン背に乗っていた。真っ赤なドラゴンの背に、まるで草原の上で昼寝をするかのように寝転んでいた。
ドラゴンは更に困惑した。あり得ない。こんな事はあってはならない、と。
翼をはためかせて空へと舞い上がる。青年を地上へと叩き落とす為だ。
「どうしたものか考えた僕は、気がついた。別に愛と勇気がなくても良いじゃないか、と。人を愛する勇気なんて僕にはないからね。」
けれど、青年は地上へと落とされない。それどころか、楽しげに笑い始めてしまった。
ドラゴンの背の上に居る青年は、前世で大好きだったジェットコースターの事を思いだしていた。前世では不幸体質のせいでセーフティバーが外れる事多数。行きつけの遊園地から出禁を食らったが、それでも青年はジェットコースターが大好きだった。
もう乗れないと思っていたジェットコースターにそっくりな感覚を味わえた青年は、これからはドラゴンで遊ぼうと心に誓った。
その誓いで、世界中のドラゴンは立つはずもない鳥肌が立った。
叩き落とせない青年に痺れを切らしたドラゴンは、背中から地上へと落下した。
これでようやく、鬱陶しい人間を殺しきれた。そうドラゴンが思った矢先、また腹部から青年の声がした。
「でも、僕にも愛と勇気はあったみたいだ。僕はこの世界の事を愛しているし、この世界の為なら命を使い切る勇気も持ち合わせている。だから、ドラゴン。君は面白い乗り物だったけど、ここでお終いだ。」
青年が言い終わると同時、青年の纏う雰囲気ががらりと変わる。気怠げな雰囲気は何処へやら、一転して好戦的な雰囲気へと変貌する。
眠たげに垂れたいた目元はしっかりと開かれ、瞳孔が異常な程に開いている。
ドラゴンも青年の事を格下ではなく、同格の敵対者と見なして体制を整える。
そうして青年とドラゴンが対峙した瞬間、再びその場に似つかわしくない歌を青年は歌い始める。それはさっきと同じ例のあんパンの歌だ。
ドラゴンはその歌を警戒して、青年の姿を見失った。
「いないなーい。ばあ!」
突然、青年はドラゴンの眼前に飛び出していた。青年の顔はいたずらに成功した子供の様に楽しげで、ぐるぐると腕を振り回していた。
不味い、ドラゴンがそう思った瞬間に、青年はある言葉とともに拳を振り抜いた。
「ぐるぐるーどっかーん!!」
青年の拳が言葉とともに振り抜かれると同時、ドラゴンの頭が吹き飛んだ。頭だけではなく、その身を覆っていた強靱な鱗も空へと舞い上がる。
真っ赤に染まる空。ドラゴンの血とドラゴンの鱗。
それが重力に従って地上へと降り注ぐ。世界を赤く染めるのは、世界の頂点に立った最強と謳われる種族の血。
その事態を引き起こした青年はというと、振り抜いた拳を見て震えていた。
「力加減を、間違えたッ…!」
ここまでの事をしでかすつもりはなかった。ただ、ドラゴンの気を失わせる程度の力で振り抜いた拳が、言霊によって強化されてドラゴンの頭を吹き飛ばしてしまった。
そう、青年は言霊使い。このファンタジーな世界では珍しくない、されど人気もない職業に就いてしまった前世持ちの逸般人。
『いないいない、ばあ』で限定的な瞬間移動を可能とし、『ぐるぐるどっかーん』で強力な攻撃を可能とするバグのような存在。
そんな青年は、今、後悔していた。
ドラゴンは、非常に仲間意識の強い種族だ。強者だからといって孤独を愛する事もないし、害する者が居るのなら、種族総出で滅ぼしに掛かる様な種族だ。
そんなドラゴンの一体を、青年は殺してしまった。
非常に不味い。ドラゴンを害する事が出来る人間がいる事を、ドラゴンたちに教えてしまった。このままでは、ドラゴンと人間の全面戦争が始まってしまう。青年にドラゴンを生き返らせるすべはないし、どうしようもないのはご愛嬌。
「まあ、いいか。世界が滅ぶ訳でもないし、人間なんて滅べば良いし。この件に関しては、放置で!」
そうと決まれば、まずやる事は一つだろう。
青年はドラゴンの鱗をいくつかと、頭のなくなった首から骨を何本か引きずり出す。
鼻歌交じりにそれを行う姿は、まごう事なき悪鬼の類い。誰もこの青年の事を人間だとは信じないだろう。
愛と勇気があればドラゴンを倒す事は出来るが、青年の持つ愛と勇気は大概歪んでいた。
仕事中に思い浮かんだから形にしてみました。