彼女は欠片も愛してはいなかった
ゴオンっと大きく城が揺れた。
同時にピイーッと甲高い笛の音が鳴る。
それは何度も何度も、尾を引いて夕空に響く。
「殿下!敵襲です!」
飛び込んできた騎士の後ろで、ゴウゴウと風が鳴った。
*****
我がミズガルズ王国にとって、敵と言えば、古王国ヴァナヘイムである。
この世界を支える神樹、ユグドラシルを管理する二つの王家。
何千年にも及ぶ戦いの歴史。・・・その争いに何度目かの解決策がもたらされたのは、1年半前のことだった。
「結婚・・・私と、ヴァナヘイムの姫がですか。」
「そうだ。おかしくはあるまい?」
「姫がこちらに嫁いでくるのですか。」
「もちろんだ。・・・相手がどちらか聞かないのか?」
「そんなこと、わかりきっているではありませんか。」
ヴィナヘルムには、王女が二人いる。王子はいない。王太女である姉のアリアは、戦場を駆ける戦姫。その姿はウォルスも幾度か目にしたことがあった。黄金の豊かな髪をたなびかせ、深紅の鎧をまとった猛々しい姫だ。何処かの戦場で失ったのか、右腕は義手で、肩から漆黒の金属が腕のように伸び、それが変幻自在に形を変えて剣となり、盾となる。ヴァナヘイムの、次期女王。
彼女が、敵国に嫁入りなどあり得ない。だから、当然、ウォルスの相手は、妹姫のほうだ。
(ユニア・リーナ・ヴァナヘイム・・・だったか。)
妹姫の話はあまり聞いたことはなかった。国から一歩も出た事のない、深窓の姫君だとしか。
「子ができれば、その子はユグドラシルの統一王になる資格を持つ。」
「・・・・・・・。」
ユグドラシルを支える2つの血。いっそ、一つに纏めてしまえばいい。
それは、唯一といっていい、二つの大国の共通の悲願だった。
(・・・・そう、うまくいくものか。)
そんな単純なことならば、幾千年も争い続けるはずがない。
だから、これは。
ほんの一時の、まやかしだ。
数人の侍女と従者を従えて現れたユニア姫は、なるほど、姉姫とよく似ていた。
豪奢な金髪と、抜けるような白い肌。金と茶と緑とが複雑に編まれた宝石のような瞳。ただ、その髪は癖の強い姉とは異なり、まっすぐと艶やかに流れていた。
非の打ちどころのない所作で、彼女は挨拶をする。
美しい白い右腕に幾重にも重なった鎖飾りが、シャラシャラと音を立てた。
白く壮麗な、神殿で。
白い衣を纏った神々しいばかりの花嫁と並び立つ自分。
誰も祝福などしていない。・・・笑いそうになる。
王族同士の婚姻であるにもかかわらず、式が慎ましやかだったのは、準備期間がなかったことと、結局のところ両家とも、相手方を信用していなかったことが原因だろう。多くの者が疑心暗鬼を抱えながら、その割には何事もなく粛々と、儀式は終了した。
私は彼女に言った。
自分には愛妾がいて、こちらには最低限、義務でしか通わない、と。
出過ぎたことはせず、この離宮で慎ましく過ごすがいい、と。
わざわざ言わなくてもよいことだ。この婚姻は政略で。お互いに気持ちなどない。戦いに散った部下や、婚約者を失った幼馴染の無念を思うと、何かを言わずにはいられなかっただけ。子供か、と自分でも思う。
「わかっているとは思うが、私が貴方を愛することなどない。」
吐き捨てるように言った言葉に、金色の姫は、大きく目を瞠って、了承の意思表示なのだろう、両手を胸の前で交差させて、それから静かに膝を折った。
彼女は、ただ、ひっそりと存在していた。
王子妃としての公務は、彼女に回されることはない。何もすることがないのに、彼女には自由がなかった。国から連れてきた数人の侍女と従者の他は、使用人という名の監視者だ。
「兄上の、仇っ!」
そう言って飛びかかっていったのは侍女だったか。
仲間の仇を、と騎士が。
息子の仇と、年老いた母親が。
親の仇、と年端も行かない子供が。
彼女は敵国の姫なのだから、当然、予想できたことである。
彼女を護ることは、ウォルスの役目でもあったのだが、正直なところ、そんなに熱を入れて取り組んではいなかった。過去の、結婚という解決策は、嫁または婿の死によって、すべて破綻している。きっと、今回もそうなるだろう、とウォルスは思っていたし、そうなってしまっても別にいいと思っていた。しかし、姫の侍女と従者は優秀なようで、毒殺も、襲撃も、その企みの尽く退けていた。
義務でしか通わないと言ったくせに。ウォルスはほぼ毎日、離宮に顔を出した。
愛している、わけがない。同情した、わけでもない。
その心情を、ウォルス自身がよく理解できずにいた。
一年後に、彼女は懐妊した。
*****
離宮。
広い庭を挟んで立つその塔は、堅牢な牢だった。
貴人を幽閉しておくために造られた建造物。
逃げられないように。
その自由を奪うために。
・・・我が妃が、ひっそりと住まう塔。
「・・・・あら?お一人ですか?」
軽やかに、その声は降ってきた。
くすくすと笑い声が混じる。
どおん、とどこかで何かが倒れる音。充満する煙と、何かが焦げたにおい。
左右にぐるりと伸びる階段の先に、ユニアは立っていた。流れるような金髪に、白磁の肌は、今は、ほんのりと紅をさして、美しい。
「ふふふ。陽の落ちぬうちにいらっしゃるのは初めてね。」
嬉しそうに、笑う。
常とは異なるその様子に、ウォルスは理解した。理解せざるを得なかった。
「・・・兵を招き入れたのは、お前か。」
「ええ。・・・とっくにお判りでしょう?」
塔の前に立っているはずの、護衛兵はいなかった。監視につけたはずの女官も、騎士も、影すらも。
今、ここにいるのは、ウォルスとユニア、そしてユニアが国から連れてきた者だけだ。
それがどういうことなのか、わからないほど馬鹿ではない。
パラパラと、何かが剥がれ落ちる音がする。遠くどこかで、悲鳴と怒号が聴こえた。
悠然と佇むユニアの左右に、返り血を浴びた侍女二人。何の感情もなくただ、こちらを窺っている。
ころころとよく笑う、と評判の双子だった。言葉少なく、笑わない綺麗な人形の世話を焼く、元気で明るい姉妹だと。敵ばかりの王宮でも、彼女らは慕われていた。妻に、と望む騎士もいた。
「・・・・・なぜ。」
「なぜって?」
心底わからない、というようにユニアは首を傾げる。不思議そうなその顔は、無垢な少女のようで、ウォルスの心をざわつかせた。
「私たちは敵でしょう。あなた方だって、私たちを信用していたわけではない。子が生まれたら、私を殺すつもりだったでしょう?」
その通りだった。
必要なのは、ユグドラシルを支配する王の血で、生まれてしまえば、敵国の王女など邪魔でしかない。
「ふふふ。・・・それはこちらも同じ事。ならば、生まれる前に行動するのが最善。私とこの子を分けることなどできないのだから。」
愛おしそうに、彼女が腹を撫でる。目立って大きくなっているわけではないが、どこか丸みを帯びているように感じるのは気のせいなのだろうか。
「・・・ユニア!」
「・・・・・・さすがに、そのままにしておくのは悪いような気がするから、伝えておくわ。」
彼女の身を覆う、空気が一変する。
ヴァナヘイムの者が神気と呼ぶそれ。
空間を震わす、威圧的な力の奔流。眩い黄金の輝きと、黒と赤。それらが彼女の身に張り付いて、カタチを作る。
その身を纏う、深紅の鎧。
右腕を覆う、黒い義手。
その姿を、幾度も見たことがある。
・・・・戦場で。
「・・・・あ、なた、は・・・・・!」
王太女、アリア。
ヴァナヘイムの次期、女王。
「ふふふ。・・・ほら!わたくしの演技力を見なさい!完璧だったじゃないの!」
「いいえ、大根の極みでございました。」
「ユニア様には露ほども似ておりませんでした。」
誇らしげに胸を張る戦姫に、すかさず物申す二人の侍女。
似ている、とは思っていた。けれど、誰が、王太女自らが乗り込んでくると思うだろうか。
呆然と佇むウォルスに、彼女は目を向ける。
「だって、愛しい妹を犠牲にするなんて、ありえないわよね?だから、わたくしが来たの。」
どうせ、貴方たちは気づきはしないだろうから。そう言って、黄金の戦姫は薄く笑った。
命の危険があるのはわかっている。そうでなくても、碌な扱いは受けないだろう。
敵国の中で、生まれる御子と、その母と。
両方護りきるのは難しい。そう思っていたけれど。
・・・ならば、いっそ、母体となる者が、戦えればいいのだ。
「まあ、意外と面白かったわ。この国の、王宮は。・・・知っていて?貴方の弟、レン、とか言ったかしら?統一王の父は自分こそが相応しい、とか言ってこの離宮に来たのよ。貴方の、父親もね。・・・・・すごいわよねえ?自分の兄の、息子の嫁よ?」
くすくすと、ユニア、いや、アリアは笑う。その声にはっきりと侮蔑の色をのせて。
「安心してね?この子はちゃんと貴方の子よ。・・・・・わたくし、これでも一応、貴方のことは気に入っているの。・・・・まあ、それでもあんまり結果は変わらないのだけど。」
アリアの漆黒の腕が、巨大な剣へと変じていく。
「・・・・御子は、責任もって育てるから、安心してね?」
人形のようだと思っていた妻の、壮絶なまでに美しい笑み。
それがウォルスの見た、最後の映像だった。
「あっけないものねえ・・・・。」
アリアは、塔のバルコニーから王城を見下ろした。行動を開始して、たぶん半日も経っていないだろう。白み始めた空の下で、王城の悲惨な姿があらわになっていく。戦場で相まみえていた時に、確かに感じていた敵の強さは、幻だったのだろうか。
「強固に護られていた王城でしたから。内側は存外脆かった、ということでしょうか。」
「それにしても、ねえ?」
アリアが国から連れてきた侍女も従者も、アリア自身が率いる部隊の精鋭たちだ。こちらに来る際には、もちろん全員変装、というか、雰囲気はがらりと変えた。王宮に出入りする武人らが、戦場で見た顔を覚えているかもしれないからだ。
一番見破る可能性があったのは、夫となる男、第3皇子のウォルスだった。王家の中で唯一、自ら戦場に立つ彼は、アリアと直接刃を交えたこともある。ちなみにアリアは変装らしいことは特にしていない。いつもは野放しにしておく髪にきちんと櫛を通し、いつもは着ないドレスに身を通しただけ。
あとは、できるだけしゃべらず、無表情にすること。
妹ユニアに関する情報が、ミズガルズ側にほとんどなかったことが幸いしたのだろう。アリアは少しも疑われることなく、事に及ぶことができた。
くすくす、と上機嫌にアリアは笑う。
(貴方を愛することはない。)
そうウォルスに言われた時、アリアは思った。当たり前じゃないか、と。
しかも、自分の言葉を後悔するように顔を顰めてみせたのだ、あの男は。・・・面白い、と思った。
存在をほのめかされた愛妾とかいうのも、私の相手をさせる褒賞?迷惑料?として宛がわれたものだったらしい。この女をやるから、ちゃんと仕事をしろよ、と言うことだ。ウォルスも、その女も可哀そうに。
生真面目に通ってきたのは、責任感もあるのだろう、しかし、兄弟や父に対する牽制でもあった。
警備に穴をあけて放置していたのは、たぶん、逃げるなら好きにしろ、という合図だった。もちろん、襲撃されて死ぬならそれで構わない、とも思っていたみたいだが。
その、複雑な心のカタチが、アリアには楽しかった。
ヴァナヘイムの者ではありえない。かの地の者は、もっと直情的で、どんなに取り繕って見せても、本音は単純だ。相反する感情がせめぎ合う、なんてことはない。
愛情なんてないけれど。
好ましいとは思っていたかもしれない。
城内にはもう、ミズガルズの王族はこの子だけ。
アリアは、愛おし気に腹部を撫でる。
「これで、ミズガルズは終わり・・・・。」
そしてヴァナヘイムも終わる。新しく、ユグドラシルの正統がはじまるのだ。
わたくしは、アリア。
ヴァナヘイムの次の王。
そして、ユグドラシルの初代王の、母になる。
・・・・・・・
横薙ぎにはらった剣をそのまま振り抜いて、その力を利用しながら身体を回転させる。魔獣の首が1つ、ごろりと地面に落ちた。が、すぐに他の魔獣が跳びかかってくる。
「ちっ!次から次へと!」
「まあ、狼だからな。」
魔獣になっても、群れで行動する、元の性質は残っているのだろう。
村人が生活に使う泉のすぐ近くに、魔獣の巣ができてしまったので駆除してほしい。
そう依頼を受けてやってきたわけだが、魔獣の巣は思った以上に厄介なモノだった。
「っ!ウォルス!」
隙というほどではない、ほんの緩みだったと思う。しかし、その一瞬が、死につながる。バランスを崩した瞬間に斬った。そのために、魔獣の身体が引っ掛かり、剣が勢いを失った。武器が止まれば、身体も止まる。獣はそれを見逃さない。的確に喉元を狙ってきた牙を、避けきれないと悟った。
キーンと、甲高い耳鳴りが聴こえて。・・・刹那、すべてが止まる。
引きつった顔をこちらに向ける仲間と、まさに襲い掛からんと、宙に留まっている獣。動けるのは自分だけ。ウォルスは剣を掴んで横に飛んだ。
***
想い出す。
ウォルスが目覚めたのは、白いレースに囲まれた天蓋付きの寝台の上だった。
「・・・・なぜ、生きている・・・・・?」
確かに斬られたはずだ。その衝撃も、痛みも、ちゃんと覚えている。肩から胸には大きく刃跡があった。痛みも何もなく、完全に塞がっているが。
「どれくらい、時間が経ったんだ・・・・・?」
「半年くらいですね。」
「・・・・・。」
「おはようございます。ウォルス様。」
にっこりと笑みを浮かべたのは双子の侍女だった。
治療までして、なぜ俺を生かしたのか。問うても答えは得られなかった。
動けるようになったら、どこにでも自由に行けと。
「これを、お持ちください。」
渡されたのは、複雑な文様が入った金の指輪。
たぶん、監視のためだ。魔法の品は、その気配をたどれば、居場所がわかる。
だが、それは、ウォルスの予想を遥かに超えた、代物だった。
***
「死ぬかと思ったー!けど!これで金貨30枚!豪遊ができる!」
「・・・そうだな。」
ウォルスは自由になって、冒険者と言われるものになった。ミズガルズ王国が滅んで、ヴァナヘイムが統治する事になっても、民衆の生活は大して変わりはしない。ヴァナヘイムは、略奪をしたり、圧政を強いたりはしなかったし、民衆の方も別に、ミズガルズ王家に義理立てする理由はないのだから。
金の指輪は、ウォルスの左の薬指に嵌っていた。外すことはできない。
金の戦姫が、戦場で目にもとまらぬ不規則な動きをみせる、と言われていたのを思い出す。
(本当に、時を止めていたんだな・・・。)
ふざけるな、と思うほど反則だ。
この指輪は、時間を止める。
「王都に、戴冠式でも見に行くか?派手なパレードとかやるらしいぜ!」
「そうか・・・・。」
アリアが、ついに女王になる。
自分が生かされたのは、たぶん、保険だ。ミズガルズ王家の血を、絶やさないための。こんなでたらめな効果の指輪まで持たせるのだから、よほど勝手に死なれては困るのだろう。王宮で飼っておくこともできた。それをしなかったのは、たぶん、面倒だっただけだと思う。自分は亡国の皇子で、決起の旗印となれるわけだが、その危険を放置したのは?来るなら来い、といったところか。
(それとも、見透かされていたのか・・・。)
ウォルスが、王家を疎んでいたこと。自由を渇望していたこと。
「いっそ、お礼を言いに行くべきか?」
「は?誰にだ?王都に知り合いいんの?」
「ミズガルズ時代に住んでた。」
「はあ?・・・戦火で家なしになったパターン?」
「そんなとこだ。」
「まじかー!!・・・よし、行こう。すぐ行こう!」
「・・・いや、そんなに急がなくてもいいんだが。」
「なあにを言ってんだ!俺とお前だぞ?まっすぐ最短でたどり着くわけないじゃないか!」
主に、お前のせいだと思うが。
「・・・・そうだな。」
「おっし!じゃあっ!早速!」
騒がしく動き出す、相棒の金髪を追いながら、ウォルスは考える。
会いにいったら、彼女はどんな顔をするのだろうか。
子供には、会えるだろうか。
(・・・いや、会えるわけがないか。)
彼女は天上人で、俺は一介の冒険者だ。
(まあ、それでも。)
遠くからでもいい。その目に、焼き付けることができるなら。
これは、恋愛ものと言えるのだろうか?
疑問に思いながら、投稿しました。
長い間、文章を書いていなかったので、リハビリと研究?作品です。
読んでくださった方、ありがとうございました。