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第5話 狸の親父

久しぶりに帰って来ました!

第5話


 麺類。

それは数多に存在する料理の中で最も奥が深いと言われる料理の一つである。

『人類は麺類』というパワーワードを発しながらラーメンを作る人物がいるくらいだ。

 うどん、蕎麦、ラーメン、そうめん。『麺類』という単語を聞いて日本人が思い浮かべる定番所はこのくらいだろうか。

 昔と違い、現代では誰でも麺類を簡単に作れる時代だ。

 その時間、たった3分。

 お湯をかければ出来上がり。

 大晦日、そろそろ歳を越す頃で俺は、キッチンのポットでどん兵衛の天ぷらそばにお湯を入れて自室に戻る。

 誰にでも平等に訪れる大晦日に、笑ってはいけない24時を観ながらカップ麺の蕎麦で年を越すのが毎年のルーティーンだった。今年は少し高めのどん兵衛をチョイス。いつもは赤い狐やら緑の狸などを食べているが、大晦日くらい普段食べないものを食べても罰は当たらないだろう。

 そもそも何故、大晦日に蕎麦を食べる文化があるのかというと、蕎麦は切れやすい。つまり『今年の悪い縁を切る』という意味で食べられている。まあ、この考え方なら『今年の良い縁』も同時に切ってしまう気もしなくはないのだが、昔の人はそこのところは一体どう考えていたのだろうか?

 などと、3分。蓋の隙間から溢れ出す蕎麦の食欲をそそる匂いが部屋に充満し、俺は蓋を開ける。

 逃げていく湯気、空きっ腹に刺さる匂い、少し高めのどん兵衛、敢えて暖房器具の電源を落としたことにより冷え切った部屋により、その魅力は通常の蕎麦の数倍にも膨れ上がっている。

そして、天ぷらを最後に添えて完成である……美しい。

 誰も簡単に旨い麺類が作れる、いい時代に生まれたものだ。さて、では頂こう。

「いただきまーー」


 ボワンッ!


 ………、

 ………、

 ………、

「おい、誰だオッサン」

「どうも初めまして、どん狸です」

 ふざけんなよっ…。

 突如、俺の目の前に現れたの年齢四〇後半くらいのハゲ散らかった小太りのオッサンだった。髭はボサボサの伸び放題、こんな寒いのに上はランニングで下はトランクスの季節感を完璧に無視した完全にオフスタイルの中年である。ちなみに狸耳と狸尻尾があることはいうまでもない。

「私に気にせず、どうぞどうぞ」

「気になるわっ! ここは普通、美人な狐だろうが! なぁんでこんなオッサンなんだよ、マジふざけるなよ! せめて美人な狸なら分かるよ、でもなんでこんな中年親父なんだよ! 俺は今年、この知らないオッサンと二人で年越しをするのかよ。なんの罰ゲームだこれはっ! 助けて、吉岡里帆さん!」

「はははっ、M1号が浜田ばみゅばみゅしながら出てきたwww」

「うるさいっ!」

 完全に自分の部屋のようにくつろぎ始めた狸親父は、季節感がズレまくっている格好のまま腹を抱えて笑っていた。

 えっ、嘘だろ。これって冗談抜きで俺はこのオッサンと年を越すことになるのか? それだけは絶対に阻止してやる! はっ、天ぷらそばを完食すればもしかしたら!

 俺はすっかり忘れて少し伸びてしまった天ぷらそばに箸を入れ、それを一気にすする。本来は味を楽しみながら食べるはずなのだが、今は緊急事態だ。胃に入れることだけを考える。

 時間経過と共に麺汁を多く吸ったことにより重くなった麺がずっしりと腹に積み込まれていく。くそっ、旨くない! せっかく俺の少ない小遣いから出したのに! ラノベの4分の1もしたのに! 全てはこの狸親父のせいだ!

「おっ、叶姉妹はやっぱりおっぱいデカいし、衣装もエロいな。お前どっち派?」

 無視だ無視。

「おい、見ろ! 今揺れた、揺れたぞ!」

「――ッ!」

 反射的にテレビの画面を一瞬見てしまったが、類い稀なる精神力で俺は視線をカップの中に戻す。よし、麺は無くなった! あとは天ぷらのみ! 

 しかし、俺はそこで自身がとんでもない落とし穴にハマってしまっていたことに気づいた。顔が絶望色に変わる。

 天ぷらが……ない! いや、違う! こ、これはッ! 

 それはまさに罠。天ぷらそばの主食は蕎麦、ならばそれから片付けようとする人間の

真理を極限まで突いたカップ麺の心理学。食べる順序を誤ったことにより俺の胃袋を更に攻める挑戦状。

 初めは個体であった天ぷらが、俺が麺に気を取られている間に麺汁を吸い上げ、耐久値を無くしていく。そして、それがある一線を超えたことによって発動する遅効性トラップ。

 その名も、


『全分解、天ぷら麺汁漂流記』


 「く、くそぉ〜ッ!」

  最早、原形を留めずにカップの中の麺汁全体に広がった個体と液体の中間となった天ぷらだったものを箸でピンポイントに摘み上げることが不可能。ならば、カップの中の麺汁を全て飲み干す以外の方法はない。

 狸親父を見れば、こちらを見て笑ってやがる。このオッサン、見た目だけじゃなくて中身も狸親父だ!

 もし、これがきつねうどんだったら、油揚げが麺汁を吸っていい感じに旨くなるだけだったのだが……恐るべし、天ぷらそば! くそ、吉岡里帆が天使なら今の俺の目には狸親父が悪魔、天ぷらそばがその使い魔に見えて頭が痛くなる。

 だから、俺は強く決心した。

 駆逐してやる‼︎ このカップから……一滴残らず‼︎

 最後の力を振り絞り、俺はカップを顔の高さまで持ち上げるとそれを口に運ぶ。

 くそっ、せっかくの麺汁なのに全く味が感じられない! 余裕がない!

「驚いてはいけない、ってわりには驚いているのに罰ゲームがないのはなんか不満だよな〜……お、おおおおぉぉぉ〜!」

 突如、狸親父が奇声を上げる。

「天ぷらに噛みつかれると痛いけれど、麺汁と一緒に吸われるとこんな感じなのか……なんだろう、風俗で全身リップされている感じに酷似しているな」

「ぶふっ! おい狸親父、テメェなんて例えをしやがる! ラストスパートでついに本格的な妨害をしてきやがったな!」

 もう飲みづらくてしようがないじゃねぇか! こんなシチュエーション、腐った女子しか喜ばねぇぞ!

 やばい、なんて威力の妨害なんだ。これじゃあ、もう俺は麺汁を飲めない。だってこれ以上飲んだら俺が知らないオッサンを間接的にとはいえ、全身リップすることを認めることになるんだろ。想像しただけでさっき腹に入れた蕎麦がその他もろもろと一緒に逆流しそうだぞ!

 ほんの数秒前までの決心が一気に揺らいだ瞬間だった。

 どうすればいい……一体、俺はどうすれば……どうすればどうすればどうすればッ! はッ! い、いや、でもそれは……。

 答えは既に出ている。しかし、それは人間としてどうなのだろうか? 俺の中の天使と悪魔が殴り合いを始めた。

 天使『やめるんだ円戸津、その禁断の抜け道を行ってはお前はお前じゃなくなるぞ、それでもいいのか!』

 悪魔『いや、お前はいつだってお前だ。人間は日々変わり続ける。この世に不変なものなど何一つない! その道を行け、我が主人格様よ!』

 両方とも正しい、じゃあ俺はどっちの言葉を受け入れればいいんだ。年越しまでのタイムリミットが刻々と近づく。

 時計の秒針が動く音が、テレビの音や狸親父の笑い声を置き去りにし、俺の耳に何度も反響するように時を刻む。

 時間は限られている。一体俺はどうすればいいんだ! 

 悪魔『考えてみろ我が主人格様よ、目の前にいる狸親父が悪魔に見えるなら、俺は一体なんだというのだ!』

 ――ッ!

 天使『や、やめるんだ悪魔! これ以上円戸津を惑わすな! うっ、力が……』

 悪魔『はははっ! 我が主人格様は俺側に付いたということだ。漲る、漲るぞ! 身体の深奥から溢れ出るパワーを! 喰らえ、デビルビームからのアローッ!』

 天使『うわああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』

 天使の最後の叫びを機に、二人の声は聞こえなくなった。つまり、この瞬間決まったのだ。

 俺は未だ中が残っているカップを持ち出してある個室に向かった。その個室はどの家にも必ずある部屋で、一日の内、必ず何度かは使用する小さな部屋だ。

 その部屋とは、つまり……トイレである。


 ザアアーーッ! 「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーー!!!!」


 トイレに流すと同時に自室からとんでもない声量で何か聞こえたような気がしたが、聞こえなかったことにしておこう。

 お隣の中国では現在、食糧危機などと騒がれている中、食べ物を捨てるのは気が引けたがまあしようがないことだろう。

「ふう〜、これで一件落着ぅ〜」

 部屋に戻ると狸親父の姿はなく、どっと疲れが出た俺はベッドに倒れ込むように熟睡してしまった。

 次の日、両親や近所の人たちから自慰行為はもっと静かにやれ、とあらぬ誤解を受けたため、狸親父の話をしたが誰も信じてくれなかった。

 しばらくの間、俺の性癖は動物のコスプレをした中年男性などと不名誉な噂が流れたが、それはまた別の話だ。

 ………、

 ………、

 ………、

 どん兵衛の天ぷらそばなんて二度と買うか!

作風が変わっていたらごめんなさい……

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