全力で息抜きをする
周りが凍りつくかのような気配をまとったルークの視線は、一直線にわたしを射抜いた。
いや、これはわたしにじゃない。殿下の発言に対して、だ。
そりゃ、余所の婚約者に対しての容姿を貶めるのは反則だよ。違反だよ。それこそ苛めよりずっと悪質よ。
まあ、このままわたしはルークに睨まれている、という事で涙を流して見せればいい。
そう、無表情のまま。
『人形姫』の名の通り無表情のままはらはらと涙を流すのだ。なんて演技派だ。
「リーオロッサ様……!」
隣ではご令嬢たちが慌てて、殿下たちもやっちまったみたいな顔をして。周りは息を呑む気配やら軽い悲鳴やら。
「ルーク様……」
「リオ」
一歩前に出たルークに合わせてわたしも少し進む。
「ルーク様……わたくしは……あなただけです」
まるで糸が切れた操り人形の如くへたりこみ俯き両手で顔を覆う。肩を震わせて、ついでに声もか細く、でもちゃんと周りに聞こえるように。
うん、難しいね!
「ルーク様……どうか、離れていかないで……わたくしを捨てないでくださいませ……」
つかつかと歩いてくる気配がする。
わたしと同じ目線になったルークはふわり、と擬音がつくような抱擁をしてくる。意外といい肉付きをしているな。
憎らしい事にこの男は、剣術も魔術も座学ももれなく学園トップなのだ。隙がなさすぎてまあ可愛くないのだ。
ルークの肩に顔を乗せる形になったわたしは、まだはらはらと涙を流す。周りにしっかりと見える角度で。計算づくよ。
「勿論ですよ。貴女のような婚約者がいてどうして余所に目を向けられますか。自身の不貞を棚に上げて、諌める人間を詰るような、性根の腐った男と一緒にされては困る」
短く喚く殿下たち。ちょっとうるさい、次わたしの台詞だから。
「信じて……くださるの? わたくしの事」
極限までか細く、震えて。疑心に溢れて。片手を婚約者の腕に添えて握りしめる。
「あれほど気を付けろといったでしょう? 貴女はただそこにいるだけで小うるさい蠅が寄ってくるのだから誤解されてしまう、と」
少し身体を離して白い手袋がわたしの目尻をなぞる。ゆっくりと頬を撫でて、涙が伝った跡をなぞりあげて拭う。
その仕草はまるで壊れ物に触るように。しかし躊躇なく愛おしそうに。
ノリノリじゃないか。わたしもノってやろう。
「……汚れてしまいます」
「汚れはしません。貴女の涙なのだから」
その手に手を添えて、頬ずりして涙目で微笑んで。見つめ合う。周囲から感嘆が漏れる。
手を取ったままゆっくりとわたしを立たせたルーク。
「中には花々の間をふらふらと飛び行く、蝶のような蛾のような女もいますがね」
肩越しにルークが振り向いたのは、もちろんレイチェルちゃん。
しかし蛾って……。中々にひどい。
「な……! ルークっ! わたしの事可愛いって言ってくれたじゃない!」
目を吊り上げて金切声をあげたレイチェルちゃん。あら、それが本性? 例えそうだとしても侍らせてる男たちの前でよく言えるなあ。
あ、これで当事者を除くこの会場の令息令嬢たちは、ルークとわたしの味方になったようだ。
氷の貴公子と言われているルークの甘い笑みと、抱擁して涙を拭う姿に、令嬢たちが頬を染め溜息を吐く。
人形姫と言われているわたしの見せたことない涙と笑みに、同情と殿下たちへの敵愾心、ルークの胸に押し付けたわたしの脂肪の塊が形を変える様子を、令息たちは凝視している。
いいよいいよ。見るだけならタダよ。
「ええ。常々思っていたのですよ、レイチェル嬢。何処まで愚かで間抜けで可愛らしいのだと。勘違いして悲劇のヒロインを演じる様子は滑稽でしたよ」
まあそれだけなら本当にただ可愛らしいで済んだ、のか? 済んだのかもしれない。
しかし、彼女は目に見えて実害をもたらしたのだ。
そう、生徒会の執務が滞る原因となった、生徒会役員たちの長期謹慎と退学。
レイチェルちゃんに傾倒していた役員たちは、その様子を聞きつけた親たちによって家に連れ戻されたのだ。当然醜聞になるからね。
そして後任の役員たちに任命されたのが、殿下たち――今のレイチェルちゃん親衛隊。
そう、ようやく役員補充となった矢先にまた、職務放棄されたのだ。一体どうなっていると学園中がにわかに騒がしくなったのだ。
「ルーク! 何故そんな悪女に! そいつはレイチェルを苛めていたのだぞ!」
殿下がわたしを指さして激怒している。駄目ですよそれは。人を指さしては。
ルークは溜息と共に再度わたしの頬を撫でてから、殿下に向き直った。
「リオがやっていないと言っているのです。ならばそれが事実でしょう」
「な、そんな言い分が通用すると思うのか!?」
そんな殿下の、自身の耳が痛いであろう言葉にルークは喉奥で笑った。
「おや、殿下。貴方と同じように男は無条件でレイチェル嬢を信じなければならないと? とんだ横暴、まるで独裁者だ。貴方たちがそこの蛾に盲目であるように、私も十余年苦楽を共にしてきた婚約者をただ、信じているだけですが。一体何がいけないと言うのです?」
殿下は口ごもり眉間のしわを更に深めて不快を露わにするが。騎士と伯爵子息は口を一文字に引き結び難しい顔をした。おや、身につまされる思いがあるのか。
「そんなもの……信じられるか!」
「ええ、そうでしょうね」
忌々しげに溜息を吐いたルーク。
「貴方がたがどうして、私とリオの関係を推し量れると思うのです?幼い頃から語り合い、時に切磋琢磨し、確かに短くない時間絆を育んできました。その確かな絆が見えるのは私たち二人だけに決まっているでしょう。自惚れないで頂きたい」
「ルーク……! 先程から不敬だ!」
とうとう殿下は、この学園内で地位を持ち出してきた。それを言ってしまえば。
「あら。ではわたくしに敬語すら使わず、罵声を浴びせ、あらぬ疑いをかけたそこの騎士と伯爵子息。許可を出していないのにわたくしの名を呼んだレイチェル嬢も不敬にあたりますわね」
殿下の婚約者様の公爵令嬢が扇を畳み手の平に叩きつけた。
ぱしりといい音が鳴る。
「王家の命によって逆らえないわたくしたち臣下に、私怨で罪を着せ排そうとなされた。と受け取ってよろしいでしょうか?」
騎士の婚約者も援護する。
うん。切り捨てられたと取られてもしょうがない状況証拠が揃っているものね。
「何と言う事でしょう……! わたくしたちはこの国のため、将来夫となる婚約者のためと、研鑽を積んできたその日々は報われないまま、殿下の不興を買って理不尽にも処罰されてしまうのですね!」
伯爵子息の婚約者さんもちょっと大振りに嘆いて見せた。
それにつられたように周りの生徒たちもざわつき始めた。
「侯爵子息殿、今までの不敬、お許しをとはとても言えません。私のような者と友人になっていただき感謝いたします」
「俺はお前と競い合って初めて対等な友人を得たのだ。そんな堅苦しい言葉は公の場だけにしろ」
「リリア……! ねえ、貴女は気にしてないわよね? わたしたち親友よね!?」
「クリス……様。しかし、殿下があのように仰ってしまえば……」
「嫌よ! 様、だなんてやめて! 卒業した後もずっと友達だって言ってくれたじゃない!」
「ベリル様。お手をお放しになって……」
「ふざけるな。恋人同士に不敬も糞もあるか!」
生徒たちは阿鼻叫喚、大惨事!
それに加え、現役の生徒会役員にパーティーを台無しにされた、卒業生並びに父兄たちの白い視線。
ふははは、殿下いい気味。
と内心高笑いしてる場合じゃない。そろそろ治めなきゃ。
すっとわたしから離れたルークは、殿下の前で恭しく傅いた。
「不敬だと罰を与えられるのならどうか私めだけに。彼らは学園のしきたりに乗っ取り行動したまでに御座います」
わたしも彼に倣う。もちろんたっぷりと目に涙を湛えながら。
「殿下。どうかルーク様の責をわたくしにも分けて下さいませ」
「え、あ……う」
もうすっかり貫録もくそもなくなった殿下は目を泳がせて蒼白顔。そもそも、不敬を持ち出すなら真っ先に処罰されるべきは、お隣のレイチェルちゃんだって事、理解しているのかな。
ルークはまたわたしの手を取り立ちあがらせた。
「貴女に責はありません」
「いいえ。約束、したではありませんか……。死が二人を別つとも、どんな困難があろうとも……共に生きようと」
そして溜まった涙をはらりと流す。綺麗に決まったな。角度も完璧。
『ちょっと待ってわたし役員じゃないんだけど!?』
『婚約者である私が孤軍奮闘しているのです。手伝ってくれてもバチは当たりませんよ』
『手伝うってレベルじゃないけど』
『私の婚約者としてこれくらいはこなして貰わねば。さあ、共に困難に立ち向かいましょう』
『過労死したら憑りついてやる!』
そんな生徒会室での会話を思い出した。
まあ、うん。間違ってない。
「廃嫡されるやも、それ以上に罪人になりかねませんよ?」
「わたくしを置いて行かないでくださいませ。市井でも獄中でも、国外でも、お供いたします……」
「貴女を思うのなら突き放すべきでしょうが……私は貴女を離したくない。我儘ですね」
普段絶対に見せない、眉を下げた困ったような甘い笑みを作る鉄面皮に、ご令嬢たちの悲鳴が上がる。失神者もいるぞ! 衛生兵!
観客という名の生徒たちに、よーくその御尊顔が見えるよう配慮された構図だ。こやつやりおる。
「先輩方。父兄の方々には謹んで謝罪を申し上げます。側近として殿下をお止めできなかった私の責です」
「記念に残る卒業パーティーを生徒会役員が台無しにしてしまった事……申し訳ありません」
卒業生たちの群れに向けて直角に礼をしたルークに続くわたし。
視界の端で騎士と伯爵子息も動いているようだ。
「顔を上げてくれ」