第十五話
というとき、空に何かが飛来したのが見え。ざわざわと、人々のざわつく声がする。
「来たか」
乙姫さまは空を睨んで、歯ぎしりしつぶやく。
大鮫どもであった。
その間、通は砂介から差し出されたたすきを掛け、袖が垂れぬよう締めている。
「さあ、この神通陣に」
「は、はい」
たすきを掛け大うちわを手にして通は土俵を思わせる大きな丸印の中に入った。
これは神通陣と呼ばれるが、後世の幻想物語における魔法陣と呼ばれるものと同質のものであった。
「なんじゃあれは」
赤い鼻の大鮫、赤鼻は神通陣や通、それが手にする大うちわを目にして一瞬不思議そうにしていたが。
「まあええわい。美味そうな餌をかまえてくれたのか」
と、にやりと笑う。
そうしている間にも、ざわめきは悲鳴に代わり、人々や魚介類が恐慌をきたして四方八方へと逃げ惑う。
「落ち着け!」
乙姫さまは張りのある声で叫べば、空を揺るがすような威厳も響き渡ってか。はっ、とするように人々と魚介類は立ち止まって、自らを落ち着かせようとする。
「さすが乙姫さま」
通は神通陣の中で乙姫さまの威厳に胸を打たれていた。神通陣のそば、通の右手に並んで立つ姿は、ぴんと背筋も伸ばされ直立不動。それだけに長い黒髪がそよ風にそよぐさまが目立ち、威厳と美しさと勇ましさらを感じさせ。
さながら如来のごとくであった。
「我らには金毘羅さまの大うちわを託す、『選ばれし者』がおる! 何を恐れることがあろうかッ!」
顔を上げ、上空の赤鼻ら大鮫どもを見据えて声を張り上げる。それは何が何でも竜宮城を守ろうという魂の叫びであった。
「ふん。言いよるわ」
赤鼻らは鼻で笑う。
しかし人々と魚介類たちは乙姫さま叫びを心で受けたか、騒ぐことはなく。乙姫さまと神通陣のそばに集まってくる。
武官や衛士はもとより、そうでない文官の目もすわって、覚悟をうかがわせた。
赤鼻の言っていた刻限が今なのであろう。実際、竜宮城もその刻限に合わせた支度であった。その約束通り、刻限通りに来るとは。赤鼻らは悪党ながら律儀なことだと、ふとそんなことを通は考えた。
それでも大鮫どもの大きさやその恫喝っぷりは堂に入ったもので、通はひどい緊張感を禁じえなかった。
「答えはやはり否のようだが。金毘羅さまは呼び起せるのかな?」
わはは! と下品な笑い声が響く。丸印の中に大うちわを持った若い女の姿を見止める。
「大うちわで何をする気だ。まさかその大うちわで我らを吹き飛ばせると思っているのか」
「そうじゃ。もはや四の五の言うまい。通よ、やれいッ!」
「は、はいい~!」
ひどい緊張感をおぼえながら、必死の思いで大うちわを扇いだ。




